英雄 VS 優等生 ②
先手必勝ということだろうか、開始の合図と同時にリリアはレクトとの距離を一気に詰める。対するレクトはというと、コートのポケットに両手を突っ込んだまま余裕の表情だ。
「はあぁぁ!」
リリアは剣を思い切り振り抜く。柵の外で観戦していた生徒たちや教師もこれで終わりかと思ったが、リリアの剣が胴体に当たる寸前でようやくレクトが動いた。
パァン!
「きゃっ!」
レクトの掌底がリリアの腹部の直撃し、その衝撃でリリアは5メートルほど吹き飛ばされた。当のレクトは最初に言った通り地面の円の中からは出ておらず、使わないと宣言した右手は尚もポケットに突っ込んだままである。
「100点満点で言うと10点だな。相手の真っ正面から突っ込むとか、動きが丸わかりにも程がある。当たれば多少なりメージはあるのかもしれないが、こんな攻撃じゃ防御もカウンターも簡単にできるぞ」
掌底を放った左手をブラブラさせながら、レクトは先程のリリアの攻撃に対する批評を行う。口調は相変わらずの小馬鹿にしたようなものではあるが、少なくとも攻撃に対する批評に関しては適当なことを言っているわけではなさそうだ。
一方、吹き飛ばされたリリアはすぐさま立ち上がると、レクトを睨みつけながら再び剣を構える。
「ふん、偉そうにダメ出しなんてして!そういうあんたの攻撃だって、全然痛くないわよ!」
派手に吹き飛ばされた割にはダメージはほとんどなかったようで、リリアもまだ体力的には余裕がありそうだ。
だが、その“痛くない”という事実に対して、観戦していた生徒たちの中には違和感を覚える者もいた。
「…あれだけ派手に吹き飛ばされて痛くないって、逆におかしくない?」
目の前で起こった攻防について、エレナが率直な疑問を口にする。リリアの強がりという可能性もあるが、実際にリリアは痛がる様子もなくすぐに体勢を立て直している。彼女の痛くないという発言も決して強がりというわけではなさそうだ。
「おそらく、肉体的なダメージをほとんど与えることなく吹き飛ばしたのね」
ルーチェが口を開いた。完全に無視して読書にふけっていた先程の模擬戦の時とは打って変わって、レクトとリリアの攻防を最初から観戦している。
「そんなこと、できるの?」
驚きに満ちた顔でエレナが問う。他のメンバーもルーチェの話が気になるのだろう、目の前の試合と、話をしているルーチェを交互に見ている。
「実際に武術とかにそんな技があるのかどうかまでは知らないけどね。ただ、もし本当にそういう技があって、しかも一歩も動かずに利き腕じゃない方の手でやっているとしたら…」
自身の見解を述べながら、ルーチェは一呼吸おく。
「あの男の人、もしかしたら経験豊富どころか、とんでもない大物なのかもしれない」
ルーチェの言葉に、他のメンバーたちは息を飲む。だがその考えに対して誰かが口を開く前に、再びリリアの大声が練習場に響き渡った。
「てえぇい!」
余裕の状態のレクトに向かって、リリアは剣を振り下ろす。しかしレクトがすかさず剣先を軽く撫でるように手を動かすと、剣の刀身はレクトの体をそれて空を切った。
「あっ…!」
「正面から突っ込むなって、さっき注意したばっかだろうが」
驚くリリアとは対照的に、レクトは呆れたような、冷めたような様子で注意を促す。しかしリリアにとってはその忠告がただの挑発にしか聞こえなかったのか、間髪入れずに剣を振り抜く。
「このっ!このっ!」
「やれやれ」
興奮したリリアはレクトに対して何度も斬りかかるが、当のレクトはその攻撃を全て左手一本で簡単に受け流している。試合スペースの外では、その光景をS組の面々が信じられないといった様子で眺めていた。
「すごい…本当に左手一本だけでリリアの攻撃を全部いなしてる…」
「それに円から出るどころか、その場から一歩も動いてないです…」
サラとアイリスの口からは、見たままの率直の感想が漏れる。利き腕を使わず、かつ円から出ないというのも何かの冗談だろうと思っていたので、それを有言実行しているレクトを見て圧倒されているようだった。
しかも、レクト本人はいたって余裕の様子である。
「2分ってのは失敗だったかもなぁ、1分にしときゃよかった。退屈でしょうがない」
「〜っ!!」
明らかな挑発であったが、それでも今のリリアをヒートアップさせるには十分な言葉であった。しかも逆上することによって我を忘れてしまったようで、それはリリア自身の動きにもはっきりと現れていた。
「ほら。さっきよりも攻撃が単調になった。スキだらけだ」
パァン!
言葉の通り怒りにまかせた単調な攻撃ばかりでスキだらけのリリアを、最初の時と同じようにレクトは掌底で吹き飛ばす。ただこれも肉体的なダメージはほとんどなかったようで、地面に倒れ込んだリリアはすぐさま体を起こした。
「まだよ!」
リリアはすぐさま体勢を立て直すと、再び剣を構える。だが再びレクトに向かって剣を振るう前に、クラウディアの声が響いた。
「2分経過!そこまでよ!」
試合終了の合図だ。リリアにとってはタイムアップということにもなる。
「〜っ!」
悔しさで叫びたくなる気持ちを押し殺しつつ、リリアは試合スペースから出ていく。体力的にはまだ余裕があるものの、ルールはルールだ。
「えー、次から来るやつはもう少し冷静に攻めるように。単調すぎるとこっちも退屈なので」
わざとリリアを煽るような口調で、レクトは他の生徒たちに忠告した。リリアとしては色々と言い返したいのはヤマヤマであるのだが、これだけ大きなハンデがあってもなお言い訳できないほどの完敗を喫してしまった以上、どうにもならないようであった。
一方で、クラウディアを除いた周囲の人間は驚きのあまり、ザワザワと騒ぎ立てている。そんな中、先程カロリーヌと呼ばれていた女教師がクラウディアに尋ねた。
「凄い…!校長、あの人は一体何者なんですか?」
「英雄」
「えっ?」
「さぁ、次は誰が出るの!?」
カロリーヌが質問する間もなく、クラウディアは生徒たちに呼びかける。生徒たちは最初の時と同じように交互に目配せをするが、その時とは状況がかなり異なっていた。
「だって。次、誰が行く?」
「だ、誰が行くって言われても…」
フィーネの質問に対し、アイリスが困惑したような声を出す。リリアのように、自分から行くと名乗り出る者がいないのだ。もっとも、その理由はいたって単純である。
「目の前であれだけの惨敗を見せられたら、誰だって行く気が失せるけどね」
「誰が惨敗ですって!?」
肩をすくめながら言うルーチェに、リリアが即座に反応した。体力的にも精神的にも不完全燃焼気味なのか、リリアの声もかなり大きい。
「ルーチェの言う通り、どう見たって惨敗でしょ。完全に手玉に取られてたじゃない」
「うぐぐ…!」
横から指摘してきたエレナに返す言葉もないのか、リリアは悔しそうに唸ることしかできなかった。
とはいえ、S組メンバーからすればリリアがこうも惨敗してしまった以上、自分たちなら勝てるという考えに行き着くはずもない。
「私、パス。そもそも前衛向きじゃないし、接近戦苦手だから」
割と正当な理由を述べ、ルーチェは真っ先に辞退した。といっても彼女が戦闘においても魔法が主体であり、接近戦はほとんどしないことは周知の事実であるため、誰も何も言わなかった。その点については、だが。
「でも、本は読まずに観戦はするんだ?」
ルーチェが手に持っている本が閉じられたままであるのを見て、エレナが言った。リリアの試合の時からそうだったが、珍しくルーチェが本を読まずにじっくり観戦していたからだ。
「まぁ、まったく興味が無いって言ったらウソになるからね」
やや遠回しな表現ではあるが、特に言い訳をすることもなくルーチェは端的に述べる。だが、次に試合に臨むのが誰になるかはまだ決まっていない。自ら名乗り出る者がいない中、フィーネがふとサラの方を見た。
「サラ、行ったら?」
「えっ、わたし?」
急に名指しされたことで、サラは少し戸惑ったような声を出す。もっとも、フィーネだって何も考えずに適当にサラに声をかけたというわけではない。
「サラの力でも止められたら、少なくともここにいる全員が力では敵わないってことだから」
つまるところ、クラスで一番パワーのあるサラがどこまで通用するかという話だ。もちろん、あれだけのリリアの猛攻をいとも容易く防いでいたのだから、それ以上のパワーで挑んだとしても同じ結果になってしまうということも十分に考えられるが。
「わ、わかった…!」
そこまで大袈裟に身構える必要はないのだが、サラは一大決心をしたかのような表情で練習用ハルバードを握りしめ、試合スペースの中へと入っていく。
「タウロス族か」
対峙するサラを見て、レクトが呟いた。彼としては特に深い意味もなく言っただけのつもりであったがどうやら彼女には少し違う意味に聞こえたらしかったようで、サラは少しだけ眉を釣り上げる。
「何かご不満でも?」
レクトがわざわざ種族について言及してきたことが、サラにとっては少し気になったらしい。レクトの方もサラの言いたいことがわかっているのか、肩をすくめて訂正した。
「別に不満はないよ。俺、種族差別とかしないし」
そう言って、レクトは軽く左手を挙げる。クラウディアに対しての「準備OK」の合図だ。双方とも準備万端であることを確認したクラウディアは、手にした懐中時計に目を落とす。
「始め!」
クラウディアが高らかに宣言した。合図と同時にサラはレクトとの距離を一気に詰める。最初の動きとしてはリリアの時とほぼ同じであったが、勢いと踏み込みの強さは明らかにリリアよりも上だ。もちろん、それだけで個人の戦闘力が決まるわけではないが、レクトにしてみればそういった動きの1つも評価の対象となる。
「ほう。その乳とケツの大きさでたいした瞬発力だ」
「…っ!」
セクハラじみたレクトの発言に、サラは一瞬だけ戸惑いの表情を見せる。だがすぐに気を引き締め直すと、手に持った練習用のハルバードを大きく振り上げた。
「怪我しても知りませんよ」
「しない」
サラの忠告を、レクトは軽く一蹴する。相変わらずポケットに右手を突っ込んだままの無防備な体勢ではあったが、既に先程のリリアとの攻防によって左手だけでも十分な防御が可能であるということはサラも承知している。
それならば、自分が手加減する理由などはない。サラは渾身の力でハルバードを振り下ろした…が。
ガッ!
「…あっ!?」
木でできたハルバードの刃は、レクトの人差し指と中指の間でピタリと止まった。慣性も重力も遠心力も、ハルバードに加わったはずのあらゆる力がたった2本の指で止められてしまったのである。
驚愕するサラを見て、レクトは涼しい顔をしながら批評を下す。
「25点。振りと予備動作がデカ過ぎて、どこに攻撃が来るのかがバレバレだ。格下が相手なら今の一撃だけで沈められるかもしれないが、逆に格上が相手ならこんな風に止められて終わりだぞ」
そう言って、レクトはハルバードから指を離した。だが、サラにとってはよほどショックであったのだろうか、ムキになっていたリリアとは違って呆然としている。
「タウロス族のサラのパワーを持ってしても指2本で止められる、か」
「いよいよあの人がバケモノに見えてきたね」
今の攻防を見ていたエレナとフィーネは、冷静に状況を整理している。もちろん2人とも驚いているのは確かではあるのだが、既にリリアが一撃も加えられることなく圧倒されるのを目の当たりにしているので、ある程度予想できる結果ではあったからだ。無論それはサラも同様であろうが、実際に自分の本気の一撃が止められたとなると流石に動揺を隠しきれないようだ。
「ま、それだけの重さのハルバードを今の速度で振れるってことは、単純にタウロス族の腕力に甘えてるだけじゃなく、それなりに鍛錬は積んでるってことの現れかもな」
唐突に、レクトがサラのことを褒める。それまではダメ出しの連続だったので、それを聞いたS組メンバーは多少なり驚いているようだった。だが当のサラ本人は褒められているにもかかわらず、なぜかバツの悪そうな顔でもじもじしている。
「あ、あの…」
右手にハルバードを握ったまま、サラはおずおずと左手を上げた。そして。
「わたし、その…ギブアップします…」
その一言によって、一瞬だけ周囲が騒然となった。ただギブアップについては特にルールを設けてはいなかったので、念のためにクラウディアはサラに確認する。
「まだ時間は半分以上残っているけれど、いいのね?」
「はい…。たぶん、今のがダメならこれ以上やってもムダだと…」
サラはもはや完全に諦めモードであった。なにしろ、これまで彼女は全力の一撃を指2本で止められた経験などまるでなかったし、想像したこともなかった。それをどこの誰ともわからないような男にあっさりと止められてしまったことが、かなりショックであったらしい。
サラがトボトボと戻ってくるなり、リリアは興奮した様子で彼女につっかかる。
「ちょっとサラ!なに諦めてんのよ!?あんなセクハラ男に好き放題言われっぱなしでいいわけ!?」
「で、でも…」
怒鳴り散らすリリアに対し、返す言葉が見つからないサラはハルバードの柄を弱々しく握りしめる。そんなサラに助け舟を出したのはエレナであった。
「自分だって逆上した挙句、一撃も与えられなかったくせに、なに偉そうに言ってるのよ」
エレナの指摘に、リリアの顔がボッと赤くなる。実際、一回の攻防でギブアップしたサラとは違い、リリアは制限時間いっぱいまで終始レクトに手玉に取られっぱなしであった。最後まで諦めずに挑んだ、と言えば聞こえは良いだろうが、とてもそうは言えるような試合の内容ではなかったのも事実だ。
「う、うるさいわねエレナ!そんなに言うんだったら、今度はあんたが行けばいいじゃない!」
「言われなくてもそのつもりよ」
エレナは冷静な様子でリリアに言葉を返しながら、試合スペースへと足を踏み入れる。そうしてエレナが手にした武器は、それまでの生徒たちが使っていた剣や槍といった系統とはかなり趣の異なる武器…鞭であった。
「近接武器とは呼べるようなものではないですが、良いでしょうか?」
「俺は一向に構わねえ」
エレナは確認するように問うが、レクトは即答で了承する。相手の武器が何であれ、自分が負けることはないという自身の表れであろうか。
「始め!」
両者の準備が整ったところで、クラウディアが開始を宣言する。だがエレナは先の2人とは違って無闇に突っ込んだりはせず、まずは自身の左側から、コートのポケットに突っ込まれたままのレクトの右手までを目線で追った。
(おそらく、正面から攻撃したところで確実に防がれる。それなら…!)
エレナは自身の右側…レクトから見て左側に向かって一歩踏み出す。そして、その動きと共に鞭を持った右手を振り上げる。
(ここだ!)
レクトの視線が自身の右手に向けられていることを確認したエレナは、即座に右手を自分の左側へと振り抜く。
「横這う蛇!」
掛け声と共に放たれた鞭の先端は、急激なカーブを描きながらレクトの右手付近へと飛んでいく。もちろんレクトは右手をポケットに突っ込んだままの状態であるし、そもそも右手は使ってはならないというハンデを設けている。正にそのハンデを十二分に利用した攻撃だといえよう。
だが、その程度でレクトという男が動じることはない。驚異的な反応速度で、飛んできた鞭の先端に左手を伸ばす。
ガッ!
「40点かな。リーチの長さを利用して相手の死角から攻撃しようっていうスタンス自体は間違ってない。しかも、俺が使わないと宣言した右手側を素直に狙ったことは評価してやる」
鞭の先端を掴んだレクトは、そのままエレナの攻撃を評価する。ハンデを利用したことも、レクトにとっては評価点の1つであるらしい。
「だが、最初に目線で自分の攻撃の軌道を追ったのが失敗だったな。それが無かったとしても手首の動きと予備動作から軌道を読まれたら、こうやって止められて終わりだ。覚えておくんだな」
忠告とアドバイスを交えつつ、レクトは鞭の先端から手を離す。まったく想定していなかったわけではないが、やはりエレナ自身も多少なり驚きは隠せないようであった。
(だからって、高速で飛んでくる鞭の先端を素手で掴むなんてできるの?)
そんなことを考えながら、エレナは手首を軽く引いて鞭の先端を自分の方へと引き戻す。そして、クラウディアの方を向いて左手を上げた。
「ギブアップします」
「いいのね?」
「はい。確かにこの方の言った通り、私たちでは足元にも及ばないようです」
クラウディアはサラの時と同様にエレナに対して確認するが、エレナは即答した。だがエレナは先の2人とは違ってすぐに場外へ出て行くことはせず、尚も円の中に立ったままのレクトに近づいていく。
「先程は実力を疑うような生意気な発言をして、申し訳ありませんでした」
そう言って、エレナはレクトに対して頭を下げた。彼女の行為に一部の人間は驚いているようであったが、フィーネやアイリスなど一部の生徒たちは当然とでもいうような様子でエレナのことを見ている。おそらく、彼女の礼節は普段からのものなのだろう。
「いいよ。気にしてないし。あと、引き際をわきまえているってのは評価点だからな」
言葉の通り、レクトはまったく気にした様子もなく答えた。そもそも彼女たちが抱いていたレクトに対する反抗心については、彼が故意に蒔いた種が原因であるが。
エレナが場外に出て行ったのを確認して、レクトは柵の外にいる生徒たちに目を向ける。
「さて、これで半分か。次は誰が来る?」
クラウディアが口にする前に、レクトは次に誰が相手になるのかを決めるように促す。といってもルーチェは最初から自分で出る気はないと宣言しているので、実質的にフィーネかアイリスのどちらかということになる。
だが2人が相談して決めようとしたその瞬間、練習場の扉が大きな音を立てて開かれた。その音に反応して皆が目を向けると、そこには息を切らせた様子の若い女性が立っていた。
「大変です!校長!」
女性はクラウディアの姿を見るや否や、大きな声で叫んだ。