クラウディア校長
来客用の入口から校舎の中へと足を踏み入れたレクト。来客用なので当然のように受付が存在しているのだが、その横には思いがけない人物が立っていた。
「待っていたわよ、レクト」
受付の横にいたのはレクトを呼び出した張本人、つまりこの学校の校長であるクラウディアであった。レクトとしてはてっきり校長室で待っているものばかりだと思っていたので、これには少しばかり驚いたようである。
「いきなり呼び捨てかよ」
とりあえずとでもいうべきか、レクトもどうでもいいような返事をした。クラウディアもレクトが適当な返事をしただけというのは理解しているのだろう、微笑を浮かべながら続ける。
「“さん”を付けた方がいいかしら?それとも“様”の方が好み?」
「どっちもいらねえなぁ」
冗談半分で言ったクラウディアの提案を、レクトはあっさり拒否した。そもそもレクトは傲慢な性格ではあるものの、別に他人に崇められたいだとか、尊敬されたいといった願望は持っていない。それよりも、レクトとしては彼女に聞きたいことがあった。
「どうして俺がこのタイミングで来るってわかったんだ?それとも入口でずっと待ってたとでもいうのか?」
もしかするとこの学校が特殊なのかもしれないが、常識で考えれば彼女は校長という立場上、特に何もなければ日中は校長室にいると考えるのが普通だ。にもかかわらずレクトが来校したタイミングで校舎の入口にいるなど、少々都合が良すぎるというのも事実だ。
「私、予知能力があるの。…って言ったら信じる?」
「…おい」
クラウディアが年甲斐もなく悪戯っぽく言ったので、レクトの口調が冷めたものに変わる。それを見たクラウディアはやれやれといった様子で、自身の発言を訂正した。
「校長室の窓からはちょうど校門が見えるのよ。それで貴方が守衛に通してもらうのを見ていたから、こうして迎えにきたというわけ」
「最初からそう言えよ。つまんねえ冗談言いやがって」
レクトは文句を垂れる。自分だって冗談を言う割には人の冗談に対して文句を言うあたりが、自分勝手な彼の性格を物語っているともいえる。クラウディアもそれを理解しているのだろう、気にせず話を続けた。
「さて。立ち話もなんだし、校長室へ案内するわ。詳しい話はそこでね」
先程の教師たちが言っていた通り、校長室は4階にあった。といっても階段の他に昇降機があるので、移動そのものはそれほど大変ではない。近年では魔法式の昇降機を付ける建物が増えてきてはいるが、本体に加えて動力となる魔石のコストがかかってしまうため、ありとあらゆる建物に存在しているというわけでもない。
「ここよ」
クラウディアが部屋のドアを開ける。ドアの横には“校長室”と書かれた札が付いている。
少し広めの校長室の中には長テーブルとソファー、それに仕事用の大きなデスクと、ちょうど執務室と応接室を合わせたような空間になっていた。もっともレクト自身は自分が通っていた学校の校長室はどういうものであったかなどはまったく覚えていないので、校長室なんてこんなもんだろう、程度にしか思わなかった。
「適当にかけてくれるかしら?剣はドアの近くの壁にでも立てかけておいてちょうだい」
「わかった」
クラウディアに言われた通りレクトは背負った大剣を壁に立てかけ、部屋の中央にあるソファーに腰を下ろす。目の前のガラステーブルには、数枚の資料らしき紙が積み重なって置いてあった。
「申し訳ないけど、炭酸飲料は置いてないのよ。紅茶でいいかしら?」
言いながら、クラウディアは部屋の奥にある棚からティーカップを取り出す。しかしレクトは飲み物うんぬんよりも、彼女の発言そのものに食いついた。
「どうして俺が炭酸好きなの知ってんだよ?」
「もちろん、この国で一番エラい人から」
レクトの質問に対し、クラウディアは即答する。この国で一番偉い人というと、つまりは国王のことだ。呼び出しを依頼した際、ついでにレクトの情報を国王から得ていたと考えれば一応の辻褄は合う。だが、そうなるとレクトにとっては別の疑問が浮かぶこととなった。
「俺はあのおっさんに炭酸が好きなんて、一度も言ったことはないと思うんだが」
レクト自身、仕事の関係で国王と顔を合わせたことは何度かあるが、趣味嗜好の話をしたことはないし、一緒に会食の席についた経験もない。国王主催のパーティーに参加した経験はあるが、そういった場でも国王と面と向かって話をするような機会などはなかった。
だが、クラウディアは至極当然といった様子で言葉を返す。
「騎士団の誰かにでも聞いたんじゃないかしら。親しい人間の1人や2人はいるでしょう?」
(…間違いなく、アイザだな)
彼女の騎士団という言葉に対し、レクトの頭にすぐに浮かんだのはアイザックであった。
同級生である彼ならばレクトが学生時代にコーラやジンジャーエールといった炭酸飲料ばかり飲んでいたのを幾度となく見ているし、大人になってからはビールやシャンパンを好んで飲んでいることも当然のように知っている。何かあった時のために、レクトの機嫌取りとして炭酸が好きだという情報を国王に与えていたことも容易に想像がつく。
「まぁ、心当たりがないわけじゃないな」
「そういうことよ」
納得した様子のレクトの前に、クラウディアは紅茶の入ったカップを置く。そうして彼女自身もレクトの反対にあるソファーに腰を下ろし、もう1つのカップを自分の前に置いた。
「さて、それでは昨日の話の続きをするわね」
早速と言わんばかりに、クラウディアが口を開く。とはいえレクトにとっては雑談や世間話をされるよりも、さっさと本題に入ってもらった方が都合がいい。
「単刀直入に言うと、貴方にはうちの学校の“S組”というクラスを担当してほしいのよ」
「S?また随分とクラスが多いんだな」
クラウディアの話を聞いて、レクトは端的に思った事を口にした。確かにA組からアルファベット順に存在しているのであれば、最低でも20クラス近くはあるということになる。しかし、それを聞いたクラウディアは首を軽く横に振る。
「いいえ、Sは単なる番号ではないわ。うちの学校ではクラス毎に育成目的が決まっていて、その育成目的の頭文字をクラス名にしているの」
安直な考えは、クラウディアによってすぐに否定された。つまり、レクトが担当する予定のS組も何かしらSが付く単語を冠しているという事になる。
「Sだから特別だとでもいうのか?」
「残念、ハズレよ。そのクラスの頭文字は戦略性のSで、大部隊ではなく少人数で遊撃隊を組んだり、敵の陽動を担ったりと、その名の通り臨機応変に行動できる戦略性に特化した人材を育成するクラスなの」
これまたレクトの予想はクラウディアにあっさり否定されるが、彼女の解説を聞いてレクトは少し驚いた。クラス分けと言っても、てっきり剣術のクラスや魔法のクラスといった戦い方で分けられていると思っていたからだ。
「ちなみに、他にはどんなクラスがあるんだ?」
この学校の仕組みに少し興味が湧いたのか、レクトは更に尋ねた。尋ねられたクラウディアは、「どうぞ」と言ってテーブルに置いてあった資料の一番上にあったチラシのようなものを差し出す。どうやら、この学校の入学案内のようだ。
「ふーん、救護専門のA組に、防衛専門のD組、魔法専門のM組…。確かに、目的がハッキリしてるな」
クラスの一覧を見ながら、レクトが呟いた。そこには各クラスの育成目的だけでなく、具体的にどのような授業を行うのか、また実践形式の授業や研修に関しても記載されている。
だがここで、レクトは1つ大事なことに気づく。
「なあ、肝心のS組が書いてないぞ」
レクトの言うように、渡された資料の中にはS組だけが書かれていなかった。当たり前のことであるが、校長であるクラウディアがそれを知らないはずもないのだが。
「実は、入学の際に生徒たちは希望のクラスに割り振られるのだけれど、S組だけは違うの。S組は入学者の中から素質のある人間を私が選んで編成する、いわば選抜クラスよ」
「本当だ。小さく書いてある」
クラウディアの説明を聞いて、レクトは下部に小さく書かれていた一文に注目する。そこには、“入学試験の際に特に適性の高かった生徒に関しては、選抜クラスへの編入を打診させていただく場合がございます”と記載されている。入学時の希望クラスは問わないようなので、おそらく様々なジャンルにおける優等生が集められたクラスなのだろう。
「そういう意味では、あなたの言う特別というのも完全には間違いではないのかもしれないわね」
そう言って、クラウディアはティーカップを口元へ運ぶ。とりあえずレクトとしてはこの学校の仕組みやクラスごとの特色についてはなんとなく理解できたが、それでも解決していない疑問が1つ残されていた。
「で?俺とそのS組、どう関係あるんだ?元傭兵の俺ならまず近接戦闘とか、直接戦闘系のクラスにお呼びがかかると思うんだが」
パッと見た限りでは、戦闘を専門にするようなクラスも1つか2つは確認できる。元傭兵で、なおかつ大剣使いのレクトとなれば、まずそういったクラスにお呼びがかかるのが普通である。にもかかわらず、戦闘を専門とするクラスではなく選抜クラスを担当してほしいというのだから、疑問に思うのも当然のことではある。
もちろん、それに関してはクラウディア側にもちゃんとした理由があった。
「そのクラス、いい意味でも悪い意味でも癖のある子たちが多くてね。これまで担当した教師も、面倒を見きれずに匙を投げちゃってるのよ」
クラウディアはテーブルに置かれていた資料の束から、顔写真の付いた7枚の書類を取り出した。書類には本人の名前やプロフィールだけでなく、これまでに参加したことのある大会などの経歴も事細かに記されている。どうやら、入学の際に学校側に提出する書類のようだ。
レクトは書類を眺めながら、クラウディアに尋ねる。
「このガキどもが例のS組?」
「そうよ。といっても入学当初の写真だから、髪型や雰囲気は多少なり変わっている子もいるけどね」
返事をしつつ、クラウディアは再びティーカップに口をつける。顔写真を見る限りではほとんどがヒューマ族だが、タウロス族とカトゥス族の少女も1人ずついるようだ。
「あれ、この小娘…」
その中でもレクトの目に留まったのは、赤髪の少女の写真だった。おそらく今よりも少し前の写真なのだろうか、髪が少し短くて顔つきも若干幼く見えるが、つい先程校舎の前で会った少女に間違いない。
「あら、ベロニカを知っているの?」
クラウディアが少し驚いたような表情で尋ねた。といっても、この学校に一度も来た事がないであろうレクトが生徒のことを知っていたのだから無理もないが。
「さっき校舎の前で勝負を挑まれた」
「そうだったの。さてはまた授業をサボったのね、あの子」
レクトの話を聞いて、クラウディアは納得したような表情を浮かべている。どうやらベロニカが授業をサボるのは日常的にもそれほど珍しいことではないらしい。
「で?どうだったかしら?ベロニカの印象は」
勝敗については聞かないあたり、クラウディアもレクトが圧倒したというのは当然のように理解しているのだろう。どちらかというと、レクトの目から見て彼女の素質はどうなのか、ということを聞きたいのはまず間違いない。
「とりあえず、かなりの安産型だったな」
「お尻のことじゃなくて、戦い方や剣の腕前のことを聞いているのだけれど。わざと言っているわね?」
相変わらず品のないレクトの発言に、クラウディアは呆れたような声を漏らした。とはいえ、彼女もいい大人である。いちいち突っかかるようなことはせず、さっさと話を続ける。
「この子、以前にU-15の武術大会で優勝してるのよ。他にもジャンルは異なるけど、書類に書かれているようにS組にはそういった生徒たちが多く集まっているわ」
U−15というと、つまりは15歳以下の者のみが参加できる大会ということになる。書類だけでは具体的にどのような大会であるのかという細かい部分まではわからないが、それでも大会で優勝という事実そのものは十分に誇ることができる経歴である。そういった生徒たちが集まるクラスとなると、伊達に選抜の名を冠しているわけではないということなのだろう。
もっとも、レクトはそういった肩書きに対して何の魅力も感じていないようであったが。
「U−15の大会っていってもよ、結局はガキのチャンバラごっこの集まりだろ。そんな大会で優勝したからなんだって言うんだよ。その程度、戦場じゃ通用しないぜ」
個人にとっては輝かしくもある経歴を、レクトは一蹴する。実際のところレクト自身にはそういった学生時代の輝かしい実績などは存在しないのだが、彼の場合は“優勝できなかった”のではなく、そもそも“競技などに興味がなく、参加すらしなかった”というのが大きな理由ではあるのだが。
「そこなのよ」
「何?」
突然クラウディアの声が大きくなったので、レクトも意外そうな反応を見せる。クラウディアが注目したのは他でもない、レクトのその独自的な価値観であった。
「こういう事情もあってか、ベロニカのようにこの子たちの中には教師を見下すようになってしまっている子もいてね。実際、模擬戦をやっても教師側が負けちゃうことがあるから」
「天狗になってるってことか?」
「平たく言えば、そういうことね」
クラウディアの話を聞いて、レクトも納得できたようだ。まぁ、わからない話でもない。いくら教師と生徒という立場であっても、力関係によって問題が起こるというのもありがちな話なのかもしれない。
「自分より弱い人間に戦い方を教わるなんて、誰しもが納得してくれると思う?」
「少なくとも、俺はしない」
返事をしつつ、レクトはティーカップを口へと運ぶ。実際、自分より弱い教師を模擬戦で圧倒した経験など、それこそレクトにとってはいくらでも心当たりがあった。
「でも、あなたならそうはならないでしょう?ドSな英雄レクト・マギステネルはそういう人間の鼻っ柱をへし折って従順にさせるのが大得意だって、誰かさんが言ってたわ」
「そこは国王って言えよ。しかも褒めてねえよな、それ」
自分の知らないところで好き勝手言われているのは釈然としないが、自覚や心当たりはあるのだろう、その件についてはレクトは否定自体はしなかった。
「大人顔負けの腕前を持つ子たちであっても、貴方なら赤子同然にあしらえる。貴方をここに呼んだ理由、理解してもらえたかしら?」
「大体はな」
兎にも角にも、ここまでの話を聞いてレクトにも何となく状況が読めた。勉学ならともかく、自分や仲間の命を危険に晒すこともある戦場での作法を自分より弱い人間に教わるなど、普通なら納得いかないだろう。そういった事情も含め、クラウディアは話を続ける。
「では、返事を聞かせてもらえないかしら。四英雄レクト・マギステネル様?」
何の意図があってか、ここにきてクラウディアはわざとらしく“英雄”という呼称を付けてレクトのことを呼ぶ。
ただ、レクトの方もまったく手応えがないというわけではなさそうであった。名門校の教師という、一見縁の無さそうな立場になぜ自分に白羽の矢が立ったのかも理解できたし、全てかどうかはわからないが校長であるクラウディアの考えも理解できた。それらを踏まえ、レクトは1つの提案をする。
「とりあえず、そのガキどもを実際に見てみたい」
レクトのその発言を聞いて、クラウディアは笑みを浮かべた。