旅の終点 ①
「王都オル・ロージュまで、あと15分くらいかな?」
車窓の外の景色を見つめながら、ルークスが言った。数十分前までは森林や山々が広がっていた景色も、王都に近づくにつれてレンガ造りの建物や煙突といった、人々が暮らす街中のものへと変わってきている。
「さすがは交易で栄えた国ね。色々な国の建築様式が混ざったような街並みだわ」
フォルティス王国の街並みを見て、カリダが月並みの感想を漏らした。そもそもフォルティスが交易で有名な国であるというのは、子供が学校の地理学で習う程度には一般に知れ渡った情報である。
「港に行けば色々な国の酒が売っとるかもしれんのう。船の時間まで、暇潰しに見て回るか」
「あんたは相変わらず酒のことしか頭にないのね、テラ」
とにかく行動原理の第一位が酒であるテラを見て、カリダが呆れたように言った。もっともテラの酒豪ぶりに関しては、長い時間を共に旅した仲間からすれば今更といったところではあるのだが。
「そんなことはないぞ。ワシの中で重要なのは一位が酒、二位が酒の肴、そして三位が武道じゃからな」
「結局、酒関連がワンツーフィニッシュかい!」
堂々と語るテラに対し、カリダが声を荒げてツッコミを入れる。パーティ内で誰かがボケたり天然ぶりを発揮した場合は、決まってカリダが一目散にツッコミを入れるのが通例だ。
「つーか、トップ3には嫁さんを入れてやれよ」
カリダのツッコミに続き、レクトが的を射た台詞を吐いた。それを聞いたテラはハッとしたように慌てて先程のランキングを訂正する。
「はっ!そうじゃった!嫁が一位じゃ!酒は二位じゃ!」
「慌てて取り繕うとかえって嘘くさいわよ」
先程の宣言を撤回するテラを、カリダは冷めた目で見ている。実際に会ったことがあるわけではないにもかかわらず、同じ女性としてカリダはテラの妻に同情しているようだ。
呆れているカリダであったが、今度はレクトの方を見る。
「レクトの方こそ、数年振りに故郷に帰ってきたんだから、もっと懐かしんだり感慨深くなったりとかはないわけ?」
「別に無い」
カリダからの質問を、レクトは軽く一蹴した。それを聞いたカリダは、聞いた自分がバカだった、とでも言いたそうな様子でため息を吐く。
「しかしルークスよ。お前さんはあのままソリス王国に残ってもよかったんじゃぞ。結婚式が終わっても、今度は王族としての公務に関する話とか色々と忙しいじゃろうに」
腕組みをしながら、テラがルークスに言った。
というのも、ルークスは3日前にソリス王国のリエル王女と結婚式を挙げたばかりであった。もちろん結婚後もやらなければならないことが山積みであるのは間違いないのだが、それを理解した上でわざわざルークスはこの場に同行しているのだ。
「そうよ。それに新婚なんだから、しばらくは奥さんとベッタリでいいじゃない」
続けざまにカリダが言及する。しかしルークスは笑顔のまま首を横に振った。
「なに言ってるんだよ。魔王を倒すために3年も一緒に旅した仲間じゃないか。見送りぐらいはさせてくれよ」
「律儀な奴じゃのう」
恥ずかしさなど微塵も見せずにきっぱり言い切るルークスを見て、テラは呆れたように言った。もっとも、呆れてはいるがどこか嬉しそうでもある。
「それに、見送るのは王都オル・ロージュまでだから。あとはみんな行き先も移動手段もバラバラだろ?そうしたら、すぐにソリスに戻るさ」
ルークスは笑いながら言った。本人がそう決めているのだから、仲間たちからすればこれ以上言い返す言葉もない。
だがここで、話題は3日前のルークスの結婚の事へと移行する。
「しかしルークスも完全な勝ち組よね。辺境のド田舎出身の世間知らずな平凡男が、魔王を倒して世界を救った勇者、おまけに旅の途中で助けた王女と結婚して国王だもんね。逆タマどころの騒ぎじゃないわ」
「間違っとらんが、もう少しマシな言い方ってもんがあるじゃろう」
露骨な言い方をするカリダに対し、テラがもっともな指摘を入れた。ルークスは苦笑いを浮かべるだけであったが、続くレクトの言葉で表情が一変する。
「結婚といえば、あのプロポーズはアホみたいにダサかった。俺はあれよりダサいプロポーズを見ることは金輪際ないと思う」
「なっ!?」
レクトからの突然のダメ出しに、ルークスの声が裏返った。それを聞いたカリダは助け舟を出すどころか、更なる追い討ちをかける。
「そうね。王女の両手を握って“僕にとって剣よりも身近な存在になってください”だもんね。ダサいとか以前に、まずプロポーズなのかどうかも疑わしい意味不明な内容だわ」
「あうぅ…」
プロポーズの言葉を酷評され、ルークスは力なく下を向いた。しかしカリダの毒舌は止まる気配を見せない。
「もし私が言われた側だったら、イエスノーで答える前に魔法で燃やしてるわね」
「俺もこの先誰かに求婚する機会があったら、とりあえず剣って言葉だけは使わないように気をつけるとしよう」
カリダに続き、レクトも毒を吐く。目には見えないが、ルークスの後頭部からは金槌でガンガンと叩くような音が聞こえる気がしないでもない。
「お前ら、その辺にしてやらんかい。ルークスがヘコみっぱなしじゃろうが」
2人にボコボコにされるルークスを見兼ねて、テラが注意した。だがそれが災いしてか、今度はテラが標的にされることになった。
「そういうテラは、奥さんにプロポーズするときは何て言ったの?」
「ん?ワシか?」
カリダに急に話を振られたので、テラは一瞬だけきょとんとしたような表情になった。しかしテラにとっては特に恥ずかしいことでもないのか、隠す様子もなくうーんと唸りながら記憶を辿っている。
「もう二十年以上も前になるんでうろ覚えじゃが、確か“ワシにとってお前以上の女はいない。ワシと添い遂げてくれ”とかじゃったかのう」
「また随分と直球だな」
テラのプロポーズの言葉を聞いて、レクトが率直な感想を述べた。もっともルークスの時とは違って、非難しているというわけではない。そしてそれはカリダも同じのようであった。
「何というか、テラらしいわね。ちょっと古臭い感じがするけど、そっちの方が100倍いいわ」
「一本気だし、わかりやすくていいじゃねえか。俺は100倍どころか、100万倍はいいと思うが」
カリダに同意するように…もとい、ルークスに対しては追い打ちをかけるかのようにレクトが続く。当のルークスは恥ずかしさと情けなさで、穴があれば入りたいような気持ちであった。
「うぅ…。センスゼロですみません…」
「お前らなぁ…」
落胆するルークスを見て、テラが哀れみを含んだような声を漏らす。ただ、テラにしてみてもこれ以上のフォローは難しいというのも事実ではあった。
「カリダはどうする?故郷のマギアレートに戻るんか?」
今度はテラがカリダに質問を投げかける。それを聞いたカリダは、待ってましたとでも言わんばかりの様子で胸を張った。
「ふふん。実はね、内緒にしてたけどマギアレートにあるアルカナム大神殿から、大神官へ就任の要請が来てるのよ」
「マジかよ」
自慢するように語るカリダであったが、内容が内容であっただけにレクトは真顔になっている。そしてそれは、テラも同様のようであった。
「しかも大神官じゃと?お前さんの歳で?」
「そうよ。もちろん史上最年少記録よ。この記録は未来永劫破られることはないでしょうね」
カリダは相変わらず自慢気な様子である。しかし実際のところかなり衝撃的な事実ではあったので、仲間たちは驚くしかなかった。ただ1人を除いては。
「えーと、それってすごいことなの?」
ルークスが首をかしげながら、カリダに尋ねた。それを聞いたカリダは先程までの誇らしげな態度から一転して、呆れと怒りが混ざったような表情になる。
「この世間知らずの田舎者が…!」
「ご、ごめん…!」
ルークスには悪気などまったくもってないのだが、折角の自慢話に水を差されたカリダは非常に気分が悪そうだ。この空気に耐えられそうもないと判断したテラは、すぐさまルークスにもわかりやすいように説明する。
「神殿内における実質的な最高権力者じゃな。しかも大神官となると外国のお偉いさんと交流する機会が増えるのは間違いないし、おそらく今後は国の政治にも関わることになるじゃろう」
簡潔ではあるが、わかりやすい説明ではあった。ルークスもようやく話のスケールの大きさに気づいたのか、急に驚いたような表情になる。
「えっ!カリダ、政治家になるの!?」
「少し違うが、まぁ似たようなもんじゃな」
当たらずも遠からずといったルークスの質問に、テラが一言付け加えた。更に大神官という立場の凄さについて、レクトが補足説明を加える。
「そもそも大神官どころか普通の神官ですら、魔法局に何年も勤めたとか、それ相応の実績がないと選ばれることはないっていうからな。その神官をすっ飛ばして最高の地位の大神官だから、異例中の異例なのは間違いない」
「へぇ〜、そんなにすごいんだ」
レクトの説明を聞いて、ルークスは感心したように頷く。だがレクトは話の大きさを十分に理解した上で、冷やかすようにカリダに言う。
「とりあえず、カリダの場合はお偉いさんに粗相をしないようにまず短気な性格をなんとかした方がいいだろうな」
「レクトあんた、ケンカ売ってんの?」
「まぁまぁ…」
レクトに煽られ、半ギレ状態のカリダをルークスがなだめる。言ってるそばから、という状況ではあるのだが、ここでカリダがキレてしまったらそれこそ大惨事になりかねない。
話を逸らすため、ルークスはテラに話を振った。
「それで、テラは今後どうするんだい?」
「ん?ワシか?」
急に話を振られたので、テラは少しだけ驚いたようだ。しかしテラの中では既に答えは出ていたので、迷うことなく自身の将来像を語り出す。
「ワシは無論、武者修行の旅に戻るぞ。世界中のありとあらゆる格闘技をマスターして、最強の武術を編み出すという人生の目標があるからな」
「そうか。そういえば出会った頃にそう言っていたね」
テラの人生の目標を聞いて、ルークスは初めてテラに会った時にまったく同じ事を言っていたのを思い出す。しかし感心しているルークスに割り込むようにして、レクトが口を開いた。
「待て待て。お前はまず嫁さんに頭下げるのが先だろ」
「あ…」
レクトに指摘され、テラは思い出したように固まる。
「そうよ。この旅だって、奥さんに内緒で出てきたんでしょ?定期的に手紙で近況を知らせていたとはいえ、数年もほったらかしにされて絶対奥さん怒ってるわよ」
更に追い討ちをかけるかのごとく、カリダが少し憤慨した様子でテラを責め立てる。同じ女性として、妻を放って旅に出るような男が許せないとでも言いたそうな表情だ。
「むぅ…。そ、そうか…。しかし、ワシは少しでも多くの時間を修行に費やしたいんじゃがなぁ…」
「はぁ…。まったく」
しどろもどろになりながら、テラがボソボソと呟く。それを見てカリダは呆れるばかりであったが、そんなテラに助け舟を出したのはルークスであった。
「少しぐらいは奥さんとゆっくり過ごす時間があったっていいじゃないか。それにダイロン族のテラには、僕たちヒューマの2倍もの時間があるんだからさ」
竜の血を引くと言われているダイロン族は、ルークスたちヒューマ族のおよそ2倍もの寿命を持つ。当然のことながら、ダイロン族であるテラが自分のために使える時間もルークスたちの倍ということになるのだが、テラは肯定はせずに腕組みをしながら静かに目を閉じた。
「甘いのう、ルークス。人生はただ単に長ければいいというものではないぞ。1分1秒にどれだけ全力で打ち込めるか、そこに本当の人生の価値というものがあるとワシは考えておる」
「おぉ…。なんか真の武闘家っぽい発言だね」
悟りを開いた僧侶のごとく持論を語るテラを見て、ルークスは少し感動を覚えたようである。しかし、それとは対照的にカリダとレクトの2人は随分と冷めきった様子であった。
「それなら、泥酔するまで飲み倒して次の日の昼まで爆睡する悪癖を直せば、その分だけ修行する時間を確保できるんじゃないの?」
かなり嫌味を含んだ口調ではあるものの、カリダが真っ当な意見を口にする。実際、旅の途中でもテラが酒場で泥酔し、朝帰りを繰り返したせいでスケジュールに支障が出たことは幾度となくあったからだ。
しかしテラは反省した様子もなく、開き直ったように人差し指を立てた。
「水を差すなカリダよ。ワシにとっては武道も飲酒も同じ、常に全身全霊、全力なんじゃ」
「泥酔は全力をかけてやるもんじゃないわよ!」
テラのよくわからない迷言に対し、カリダがごもっともな意見、もといツッコミを入れる。
ここで将来の話は、1人残ったレクトへと向けられた。
「そういえば、レクトはどうするの?」
「まったく決めてない」
ルークスの質問に対し、レクトはきっぱりと答える。
「傭兵に戻るんか?」
「さぁ。それもどうだろうな。嫌ってわけじゃないんだが、別にやりたいとも思わないしな」
テラの質問に対しても、レクトは明確な答えを示さない。事実、レクトの中では決まっていないのだから仕方ないといえば仕方ないのだが。
「“鈴”は?鳴らないの?」
質問をしながら、カリダはレクトが左耳に付けているピアスを指差した。ピアスの先には、直径1センチにも満たない小さな鈴がぶら下がっている。
「魔王を倒してからは一度も鳴ってない」
そう言って、レクトは鈴を軽くつついた。鈴は左右に小さく揺れたものの、音を発する気配はまるで感じられない。
「もっとも、魔王を倒してからまだ1ヶ月も経ってないのに、ドデカい事件が立て続けにポンポン起こってあちこちから呼び出されたら、それはそれで気味が悪いがな」
「違いないね」
やや皮肉めいた口調で話すレクトに同意するように、ルークスが頷いた。
ここでレクトは、ふと思い出したように言う。
「あ、呼び出すって話で思い出した。そういや、国王のおっさんから呼び出しくらってたな。面倒だが、王都に戻ったらまずそれから片付けるか」
国王直々の呼び出しであるというのに、レクトは気怠そうな様子で語る。とはいえこの男の傍若無人っぷりに関しては、旅の中でも散々見てきたので、仲間たちにとっては今更という部分もあるのだが。
「呼び出しっていうか一応、凱旋帰国よね?魔王を倒したんだから、それ相応の催しとかがあるんじゃないの?」
「まず国王をおっさん呼ばわりすることに突っ込まんかい」
微妙に論点がズレているカリダに対し、テラがもっともな指摘を入れる。
そんな話をしていると、ブレーキ音と共に徐々に汽車のスピードが落ち始めた。窓の外には大きな建物がいくつも見えており、ここが都会であるということが容易に理解できるような景色が広がっている。
『終点、王都オル・ロージュです。くれぐれもお忘れ物のないようにご注意ください。本日はご利用いただき、まことにありがとうございます』
車内に、車掌の声が響いた。