その後のテーゼ
「テーゼ様、また求婚を断られたそうよ」
「美しく優しい方だから、殿方が惹かれるのも無理のない話よ。それに侯爵家の血を継いでおり、家系も申し分ないもの」
「一体あの方の心を射止める殿方は、どなたなのかしらね」
◇◇◇◇◇
世間がそう私を噂していることは、知っている。
誰から求婚されても、断る女。そして、聖女のようだと……。
侯爵家で生まれたものの、子どもの頃に両親を亡くし、叔父が弟と一緒に引き取ってくれた。
叔父には感謝している。もし彼が手を差し伸べてくれなかったら、私と弟は離れ離れになっていたかもしれないのだから。
「人の気持ちに寄り添うことができる優しい君となら、これから先、お互い幸せな人生を歩められるに違いない」
求婚してきたあの方はそう言っていたけれど、私はそう評価される人間ではない。
「恵まれない人たちの為、奉仕に活動に精を出されている。その姿はまるで、そう、聖女と呼ばれた君の祖母の生まれ変わりのようだよ」
殿方と同席していた、あの方の祖父が言われ、両耳を塞ぎたくなった。
私が生まれる前に亡くなった、おばあ様。領内で視察中に土砂崩れが起き、とっさに子どもを助けようと飛び出され、その子どもと一緒に巻きこまれ命を落とした。掘り出された時は、その子どもを守るように抱いていたそうだ。
優しくも厳しく、人を愛していた人格者。美しく、まさに聖女のような方だったと、祖母を知る人は言う。
さらに人は言う。私は、そんな彼女の生まれ変わりだと……。
だけど違う。世間がどんなに好意的に見てくれても、私自分がそうとは思えない。
とても亡くなったおばあ様と肩を並べられる、立派な人間ではない。
だって本当の私は友を信じず、ろくに話を聞かず嘘だと決めつけ、きちんと謝りもせず、余計に傷つける行為に走り……。
――――罪人。
そう、とても聖女とは呼べず、まるで人を惑わせ狂わす魔女のよう。それなのに皆は褒め、私をおばあ様の生まれ変わり、聖女と呼ぶ。そのことが辛い。否定しても、謙遜する必要はないと言われる。
違うの。本当に私は、そんな人間ではないの……。あの日からずっと……。
「二人に聞いてもらいたいことがあるの」
あの日、ルジーが真剣な顔でそう言ってきた。
なにかを決意したような雰囲気につられ、こちらも真剣となったことを覚えている。
彼女の双子の妹リューナは、生まれた時から、その手に悪魔の紋様が刻まれており、十六才になるまでに悪魔が花嫁として迎えに来て、連れ去られると言われていた。
彼女たちのご家族は、いつ連れ去られるか分からないリューナばかりに関心を寄せ、ルジーにはそれほどの関心がないように見えていた。
でもそれも仕方のない話。なにしろ、いつどこで悪魔が現れるか分からない。次の瞬間には、悪魔がリューナを連れ去るのかもしれないと思えば恐怖に襲われる。悪魔に連れ去られる運命を背負った、刻印を持つリューナ。どうしても、彼女を優先させてしまう。
けれどそれにより、ルジーは甘えたくても甘えられず、耐え、辛く悲しそうにも見えていた。特に彼女たちの祖母が亡くなってから、ルジーか家族の輪の中に入っていない印象を受けた。
そんな彼女をかわいそうと思った。叔父様のいる教会で、リューナの紋様を消そうと皆が試している間、私と弟のクランは彼女を実の妹のように接しながら三人で時間を過ごした。彼女も私達には感情を見せてくれており、良好な関係を築けていた。
「今は浮き出ていないけれど……。私にも紋様が現れることがあるの。この、左手の薬指に……」
それを聞き、ルジーの手を見た。確かに紋様は現れていない。いえ、それよりも彼女と過ごしている間、そんな場面を見たことがなかったので困惑した。一体ルジーはなにを言い出したのだろうと。
義父となった叔父様から、ルジーにも注意してほしいとは頼まれていた。悪魔は狡猾、見た目に騙されるなと。双子が狙われていることには、なにか意味があるはずだと。
しかし妹に家族を独占されているルジー。常々家族の愛を欲していることは、言動の端々から感じていた。だからつい……。
「そんな嘘は良くないわ、ルジー。貴女も分かっているでしょう? リューナに紋様があることで、どれだけご両親が苦しまれ、悪魔から逃れる方法を必死で探しているのかを」
「そうだよ、ルジー。君がご両親から構ってもらえないとはいえ……」
私も弟のクランも、両親の愛が欲しいがゆえに吐いた嘘だと思った。それくらい私たちにとっては、まさかという話だった。
だけど自分たちが大きな間違いを犯したと、否定した直後には分かった。
俯き、『……やっぱり誰も信じない……』と、そう確かに呟いた。左手の上に右手を乗せ、隠すような仕草。小さな滴が、地面に落ちた。それを見て、慌てた。
「ルジー、ごめんなさい。今の話、もう一度詳しく話してくれないかしら」
「いいえ、ごめんなさい。もう言いません。嘘をついてごめんなさい」
それは初めて聞く、無感情な声だった。上げられた顔からは、感情がごっそり抜けており、ルジーから信用を失ったと分かった。
「待って、ルジー。お願いよ、もう一度話してちょうだい。今度はちゃんと話を聞くから」
「いいえ、私の嘘です。嘘を吐いて、ごめんなさい」
一歩近寄れば、一歩後退される。距離が縮まることはない。だけどこのまま放っておくことはできない。しかしルジーが用事を思い出したと言い、私達から逃げるように去った。明らかな拒絶に、追いかけることができなかった。
「クラン、どうしましょう。あの様子、ただ事ではないわ」
「お義父様が危惧されていたことが、本当だったのかもしれません。とにかく、もう一度ルジーと話さないと……。少し時間を置きましょう。今はきっと、話を聞いてくれない。否定したのは、僕たちなのだから」
その時はクランの言葉が正しく思えた。
だけど本当は、追いかけるべきだった。追いかけ捕まえ、謝り許しを得るべきだった。
なぜ怠ったのだろう。なぜ時間が解決してくると信じたのだろう。なぜ、なぜ、なぜ。ああ、過去に戻れるのなら、やり直したい。そうすればルジーは、自ら悪魔の花嫁になりたいと望むことはなかったはず。
「お義父様、実は……」
自分たちの罪に苦しみつつ、なんとか自分たちで解決を試みたが無理だった。修復できないほどの期間が過ぎ、やっと私たちは養父、アインおじ様に打ち明けた。
「ルジーさんが? そのようなことを?」
話しを聞くなりおじ様は口に手を当て、思案顔を作る。
おじ様が口を開くまで待たされている私は、居心地が悪かった。それはクランも同じだったに違いない。落ちつかない様子で、体を揺らしていた。
あれだけ仲の良かったルジー。だから解決するはず。それからおじ様に報告をすれば良い。そう甘く考えていたのは、クランも同じ。私たちは、どこまでも自分勝手な愚か者だった。
あの日にすぐ、おじ様へ相談するべきだった。
どうして自分たちだけで解決できると思ったのか……。あの感情の抜けた顔を見せられ、それでも元通りになると、どうして楽観していたのか。愚かすぎる……。
……もしかしたら今も心のどこかで嘘だと思っているから、おじ様へ報告が遅れたのでは? いいえ、おじ様に怒られるのを恐れていたのでは? あれだけおじ様から、ルジーにも気をつけるように言われていたのに。
「なぜもっと早く言ってくれなかった」
開口一番、恐れていた言葉に震える。
「………………」
二人ともなにも返せなかった。
「二人とも、以前も話しただろう。自分の目に見えることだけが、真実ではないと。特にこの件は悪魔が絡んでいる。人間の力を超えた存在は、私達人間の予想も超える。紋様が常に現れているのはリューナさんだが、花嫁と確定した訳ではないと」
「ではやはり、ルジーが花嫁の可能性も……?」
「もちろんだ」
「ああっ」
両手で顔を覆う。なんということ……。この世界から、二人のどちらかが消える……。しかもそれが、どちらなのか、消えるまで分からないなんて……っ。
なんとかしてもう一度、ルジーから詳しく話を聞かなくては。
焦っても彼女は教会に来ることが減り、来たとしても本を読んでばかり。声をかければ空洞の目を向けられる。
その空洞の目が、語っている。私たちと話をしたくない、近寄るなと。強く拒んでいる。
「……なんでも、ないわ……」
情けなく、引き下がるしかなかった。私には踏みこむ勇気がなかった。逃げたのだ。
それでもなんとかしようと、自分なりに知恵を絞り考える。
「そうだわ……」
ルジーはマリー様とも親しかった。最近は以前のように一緒に過ごしていない、きっとマリー様との間にもなにかが起きたのだろう。でもそれは、私達のような頭ごなしの否定による、関係悪化ではないはず。
マリー様との仲が修復されたら、私達も可能性が……。
それから私は動いた。お茶会を開催しては、主催者の特権で、わざとルジーとマリー様の席を近くにしたりした。しかしそれは、余計ルジーの怒りを買う行為だった。
さらに周りが嘘つき呼ばわりしては、彼女たちに私達と同じ過ちを犯してほしくないと、かばうような発言を繰り返した。
それら全てルジーにとって、裏目だった……。
最初から間違っていた。どうして私は信じてあげなかったのだろう。信じて耳を傾けていれば……。
そうやってルジーが消えてからも悔む日々を送っている中……。
「テーゼ様はルジー様を信用され、常にかばわられていたわ」
なにも知らない皆様がそんなことを言い始めた。その話が、私を聖女と呼ぶにふさわしい人格者だと、一人歩きを始める。
そんな言葉を聞くたび、両耳を塞ぎ頭を振りたくなる。違う、違う。私はルジーに殺したいと思われるほど嫌われていた。全ての言動が間違いだった。彼女を裏切った、信じなかった。恨まれている。
けれど、そう言って否定する勇気を持っていない私は、黙った。
そんな罪深い私が、誰かと結婚して幸せに……?
そんな資格、私にはない……。
奉仕活動に精を出し始め、あの時の罪を他の人で償おうとしている。どこまでも身勝手な人間、それが私。
「聖女と呼ばれた、おばあ様の生まれ変わり」
ルジー、私がそう呼ばれていると知ったら、貴女はどう思うのかしら。
嘲笑する? 馬鹿にする? 呆れる? 見る目がない人たちばかりと言う?
でもきっと、それに私が苦しんでいると知ったら、勝手に悲劇の主人公ぶるなと嫌悪を示すでしょうね……。
でもね、ルジー……。
それでも私は、貴女とまた笑いたかった。あの頃のように、楽しい時間を過ごしたかった。
「テーゼ様、この絵本、読んでください」
「ええ、良いわよ。さあ、座って。これは昔々のお話です。ある時から、その国には……」
ルジー、貴女は今も生きているの?
悪魔に心を捧げていたとはいえ、その悪魔に良くしてもらっている? 不幸になっていない?
私はこうやって、親のいない子どもの世話をしたりして過ごしているの。皆、あの頃の貴女のように笑顔を見せてくれるわ。その笑顔を見ると、貴女と過ごした温かい時間を思い出すの。
私、次は間違えたくない。今度はこの子たちと、きちんと向き合ってみせるわ。
もし、あの時をやり直せるなら……。
私達、今も友人でいられたわよね、きっと。
お読み下さり、ありがとうございます。
やっとテーゼのその後を決めました。
というのも実は、最初の「悪魔の花嫁」を書いた時点で私の中では、良かれと思った言動が裏目に出ている、というのがテーゼでした。
しかしその次のリューナとマリーの会話のせいか、テーゼが一人勝ちみたいになり、設定と異なる印象の感想を何回かもらい、己の設定を貫くか、イメージを優先させるか悩みました。
コミカライズ化に向けて設定等を伝えた際に、テーゼはそれを伝え……。
そして先日担当さんとやり取りをしている最中、ハッと浮かびまして……。
これだぁ!テーゼは悪気なく振る舞っていたと言い訳させつつ、多くの方のイメージを壊さないのは……!
名付けて、悲劇のヒロインモード!
という訳で、今回の話の完成となりました。
結局は身寄りのない子どもたちの面倒を見る、そういう道を選んだテーゼと決めつつ、あの頃のリューナとマリーが知ったら、はあぁ!?
そう結局は不満を爆発させる感じですね。
そういうのを目指して書いてみました。
テーゼの初期設定、触れていなかったので、すっかり悪役みたいな感じとなり、非常に難しいキャラとなりましたが……。
私としては、決まったという気分です。