マリーとカエルな娘
あれ、意外。お嬢様だったと聞いたのに、あたしを見ても驚かないなんて。あたしを見ると人間のお嬢様や奥様は、驚いて騒ぐ人が多いのに。
ぴょいと飛んで、近づく。
「貴女がマリーさん?」
人間界で呼ばれる『カエル』に似たあたしが話しかけると、さすがに驚いたみたい。水を入れたばかりの桶が手から離れ、水しぶきをあげながら転がる。
「はじめまして、マリーさん。あたしのママの名前は、リューナ。貴女のお友だちの、リューナだよ。ママを知っているでしょう?」
「え? カエルが喋るなんて……。 もしかして、悪魔が絡んでいるの? それなら、ルジーの間違いじゃ……」
少ない情報量から、あたしが悪魔界から来た存在だと分かったみたい。マリーさん、頭良い。
だけどマリーさん、パパとママのことを知らないのかも。
そこで二人が結婚した経緯を語る。マリーさんは聞きながら、井戸の横にある適当な石の上に腰かける。
「そう、なんて馬鹿なことをリューナ……。自由を持っていながら、なぜ……」
「うーん、貧乏な暮らしとか不満だったみたい。ママ、お金持ちの生活が良いって」
それでもマリーさんは理解できないと、ゆるゆる首を横に振る。
「馬鹿ね……」
おかしいな。さっきからマリーさん、ママから聞いていた感じと違う。そんなことを思いながら、話を続ける。
「それでね、ママがよく、マリーさんもきっと、あの女をまだ憎んでいるに違いないって言っているの。だから持ってきました、悪魔の書です」
魔法で出した書をマリーさんに差し出す。
「ま、待って。悪魔の書? これ、本物? それよりも、そうよ、ここは修道院。どうして悪魔が入れるの?」
「あたしには半分、人間の血が流れているから、純粋な悪魔じゃないし。それにここ、本気で神を信じて祈っている人は少ないし。逆に不自由な生活に不満なせいか、負の感情が漂っていて、清らかな場所じゃないしね」
「そうね、ここは厳しいけれど、真面目に神様と向き合っている人は少ないわ。神の言葉を理解する研究だって、他にやれることがないから、修道院という場所柄やっているようなものだし」
あたしも最初は修道院と聞いて、体が耐えられないかもと思った。だけど心から神を信じている声は、ほとんど聞こえない。だから大丈夫だと判断し、マリーさんのもとを訪れることを決めた。
ここはマリーさんのように事情があり、無理やり閉じこめられた人が多いみたい。聖書の祈りだって、ただ書いている文章を読んでいるだけだし、見た目だけなんだよね。
「それで? その悪魔の書を使って、私にテーゼへ復讐しろと?」
「だって、テーゼさんのこと、嫌いなんでしょう?」
「好きか嫌いかと尋ねられたら、嫌いだわ。だけど、悪魔の書を使ってまで復讐するほど嫌いではない。理由もないしね。ねえ、リューナはなぜ復讐なんて望んでいるの?」
「一人勝ちが気に入らないって」
答えれば、マリーさんは一人で納得していた。
ママたち三人になにがあったのか、教えてもらっていない。だけどママがよく、マリーだってと言っていたから、受け取ってくれると思ったのに。見込み違いだったかな。
「……リューナ、いつまで子どものままなの……?」
寂しそうに言うマリーさんを見ていて、分かった。彼女は悪魔の書を受け取らない。だったら長居は無用。
「受け取りそうにないから、あたし、帰るね」
「そうしてちょうだい。悪魔の書で人生を振り回されるのは、もうこりごり。そうだ。リューナには、私と会ったことを黙っていてくれない?」
「なんで?」
「きっとリューナがこの結果を聞けば、彼女は私を許さない。だから彼女の中での私を、友人と呼ばせてあげたいから」
よく意味が分からないので、首を傾ける。
「つまりね、彼女にとって人間として付き合いのある人間を、これ以上減らしたくないの。私にとってもね」
「よく分からないけれど、ママに黙っておくのは分かった。だけどマリーさん。あたし以外にも兄さんや姉さんたちだって、マリーさんを頼って来ると思うよ?」
「え? 子どもって、一人じゃないの?」
「あたし、十三人兄弟なの」
教えれば、今日一番驚かれた。
「このやり取りを、そんなに繰り返すの?」
「嫌なら、心の底から神を信じて祈ればいいよ。神が守ってくれると思う」
「神なんているの?」
小馬鹿にしたように言われる。
「いるよ。だって、悪魔がいるじゃない」
神という概念はあるのに、存在を疑っている人間は多い。不思議だなあ。教会や修道院とか作って、神に祈りましょうと言っているのに、信じている人が少ないなんて。困った時だけ頼られる神も大変だよね。
「そうだわ、悪魔がいると知っていたのに。どうして私、神様だけは信じきれていなかったのかしら」
マリーさんが笑いながら言う。
「多くの人間がそうだと思うよ。パパが言っていたけれど、神は基本的、人間に手出しをしないから。だけど愚かにも、人間を信じているって」
「そう、私たちを信じてくれているの。……私も友を信じていれば、ここにはいなかったでしょうね。そして、悪魔の書を受け取る人間になったかもしれない」
途端に、肌が刺されているように痛くなる。同時に吐き気、頭痛にも襲われる。
祈りの言葉を唱えていないのに、マリーさんの心が神に寄って……! これ以上マリーさんの近くにいたら、清められて、あたし死んじゃう! 早く逃げなきゃ! でも体が重くて、気持ち悪くて、動けない……っ。
「マリー、こっちを手伝ってくれない?」
「はい、今行きます」
呼ばれたマリーさんは、さようならと言うと、桶を持って去った。
もう二度と、マリーさんに接触できない。私は弱いから、これくらいの信仰心でも堪える。
パパや伯父さんみたいに力が強ければ、一人くらいの信仰心なら、弾くことなんて簡単にできるのに。
「パパ、助けて……」
ぺたん。
力を振り絞り、震える手で悪魔の書に触れながら、声を出す。
これはパパに通じる書だから、きっとあたしの声が、書を通してパパに届くはず。
助けを求めれば、優しく黒い闇があたしを包みこみ始めた。
……ああ、パパの魔法だ。迎えに来てくれた……。
兄さんと姉さんたちに、注意しなきゃ……。マリーさんは、危険だって……。