ルジーの祖母リゼと、悪魔モリオン
「さあ、薬だ。飲みなさい」
「いいえ、大切な薬だもの。私よりも他の方へ……」
「案じるな。薬は、まだ沢山ある」
その時はなぜ急に薬が湧いたように現れたのか、深く疑問を抱かなかった。てっきり国や他の貴族から、支援が届いたと思いこんでいた。
全てを知ったのは、体調が回復してから。
その話を聞いた時、そっと両目を伏せた。
私にも責任がある。あの時、息子夫婦へ領主としての心構えを教えるべきと判断し、領民を一番に考えるよう、伝えた。まさかその場にいた夫にもその言葉が、響いてしまうなんて……。
確かに夫の行動により、助かった領民は大勢いる。
それでも神を信仰する者として、夫の選択は間違いだった思いが拭えない。でも大勢が助かり、夫も私欲ではなく、領主として願った。責めることは、できなかった。
私は……。罪を償わなくては……。
誰もいない屋上に出ると火打石を鳴らし、持って来た書へ火を移す。
夫の部屋からみつけたそれは、表紙に悪魔の絵が描かれているものの、ただの本にも見える。しかしこれは、恐ろしい悪魔に繋がる書。他の誰かの手に渡ってしまう前に、この世から消してしまわなければ……。
ゆっくり、ゆっくり。小さかった炎は表紙だけではなく、全てを燃やすように広がっていく。私はただ、それを眺めていた。
「……なにも望まないのか?」
その時、急に男の声が響いた。
驚き、咄嗟に立ち上がる。なにしろその声は、燃える書から聞こえてきたのだから。
動揺しつつも、この書は夫が悪魔と契約に利用した書物。だからこの声はきっと、その悪魔に違いないと考える。
落ちついて、大丈夫。私は契約するため書を手にしたのではない。こうして処分しようとしているだけ。望みを口にさえしなければ、大丈夫。
とにかく落ちつこうと、冷たい夜の空気を吸い、吐く。それを数度繰り返し、答える。
「……私だけの命が代償なら、可能性はあったかもしれません。しかしあなたは、夫の血縁に連なる女性を欲した。きっと私が望みを口にすれば、あなたはまた別のなにかを対価として要求してくるでしょう。そんな恐ろしい相手に、願うことはなにもありません」
「……望めば、夫の契約が無効になるかもしれないのに?」
「すでに代償として求めた花嫁を、そう簡単に諦めるとは思えません。夫の契約を無効にすれば、私の血縁者の女性を求めるでしょう。さらに無効にしてしまえば、夫に与えた全てを消すこともあるでしょう」
「……ふっ。ははははははははは」
悪魔の笑い声に呼応するように、火が揺らめく。
「そうだ、よく分かっているではないか。お前の夫との契約を無効にすれば、与えた全てが無効になるのだ、消える。さらにそれを叶えた代償とし、違う形で花嫁をもらうつもりだった」
「言葉を選べば、あなたに花嫁を与えないことも可能でしょう。しかし人智を超えた存在であるあなたなら、私が思い浮かばない手で、必ず花嫁を手に入れることでしょう」
なぜ悪魔が人間を花嫁として望むのか、アイン様にも見当がつかないと言われた。けれどこのやり取りで分かった。この悪魔はただの酔狂ではなく、本当に花嫁を欲しているのだと。
「これ以上、誰も道を誤らないよう、この書を燃やして処分すると決めました。悪魔の書がどれだけ世界に現存しているか分かりませんが、この一冊だけでも無くなれば、悲しむ人が減ります」
そう言えば、一際大きく悪魔が笑う。火は勢いを増し、顔のようなものを作る。
「悲しむ? あれだけの災害が発生すれば、悪魔に頼りなんとかしようと考えるのは、珍しい話ではない。悲しむのなら、悪魔の書が消えたことだろう。一方的に祈らせるだけで、願いを叶えない神。代償を払えば、願いを叶える悪魔。願うならどちらへ願う? 人間は叶えたいから、願うのだろう?」
神を信仰する行為そのもの、馬鹿げている。そう言われているようだが、だからと私の信仰心は揺るがない。
「……そういった考えを持つ方を、否定しません。しかし願いは他人の力だけではなく、己の努力や行動にもよって得られるものです。ただ祈るだけでは、願いは叶いません。願いを叶えるため、人は生きて努力する。私はそう考えています」
「……リゼ・レックス。お前が私を呼び出していたら、お前の魂だけで満足しただろう。神を信仰するその善なる魂は、さぞ美味であろうな」
それは違うと、首を横に振る。
「私はあなたが思うような善人ではありません。私だけではなく、人間はどこかに醜い感情を持つ生き物です。だから、夫の血縁者を花嫁として望むあなたを憎く思っています」
「謙遜するな。お前の魂は、高貴だ」
これまで願いを口にしないよう気を配っていたけれど、それももう終わりに近づいている。書が燃えつきそうだ。
「最後にあなたへ伝えます。私も夫も、息子夫婦も抗います。それでもあなたが勝ち、少女を連れ去ったとしても、私はどこからだろうとあなたを見ています。そして花嫁を無下に扱えば、仮に神の近くにいたとしても頼みこみ、あなたが暮らす世界へ向かい、その頬に手をあげることでしょう」
火の残りは少ない。だから返事はないと思ったが、ふっ。短い笑い声が聞こえた。
「リゼ・レックス、愉快な時間だった。お前に打たれないよう、気をつけよう」
それを最後に書は全てが灰となり、燃えつきた。途端に強風が吹き、闇夜に灰が消える。
「神様……。私たちは抗い、勝てるでしょうか……」
夜空を見上げ、呟く。
どうすれば悪魔との契約を無効にできるのか。そもそも、そんな方法はあるのか。不安しかない。
自身の年齢を考えれば、約束の時まで生きていられるか分からない。それに、花嫁として選ばれる少女と生きているうちに、会えるか……。
その子は生まれた時から多くの人に注目されたり敬遠されたりするかもしれない。だったら私だけでも、その子に対し、普通の女の子と同じように愛し、言動で示したい。
「神様、どうかお願いします……。どうか選ばれる少女を、お守り下さい……。私は生きている間、あなたと共にその子を愛し守ります。でも約束の時を迎え、悪魔が勝てば……。せめてその子が幸せになれるように……。どうか、どうかお願い致します……」
この願いだけは、自分の努力だけではどうにもならない。だから神に祈るしかない。
神は見守って下さっている。お願いです、どうか奇跡を、お見せ下さい……。
お読み下さりありがとうございます。
原作では悪魔の書は使用後、処分されたという設定でして、漫画と異なっています。
それを絡め、ルジーの祖母、リゼが悪魔、モリオンと会話する場面を原作版として書いてみました。
漫画でも二人はやり取りを交わしますが、こちらの内容とは違いますが、リゼの優しさや信仰心は共通しています。
漫画ではどんなやり取りがされたのかは、ご覧になってお楽しみ下さい。
その回が収録された「悪魔×花嫁~選ばれた娘はどっち?~」二巻を、よろしくお願いいたします。
令和5年11月25日(土)
村岡みのり




