砕ける薄氷の姿
「お姉様はアイスを食べたこと、ある?」
お母様と一緒に、教会から帰って来たリューナがそんな質問を投げてきた。
答えなど言わなくても、分かっているはずなのに。わざと問いかけてリューナの顔には、いつもの意地の悪い笑みが浮かんでいる。けれどその表情は、私にしか見せない。お母様たちには、絶対に見せない。だから皆、騙されている。
「ないわよね。私だって今日、初めて食べたのだから」
それからリューナは得意そうに、アイスというお菓子について語り始めた。
冷たい、甘い、美味しい。
実際に食べたことも見たこともない。だから余計に、その話は魅力的だった。ついノドを鳴らすと、それに気がついたリューナは笑みを深めた。
「お姉様にも食べてもらいたかったけれど、溶けやすいから、お土産には不向きなの。それに残念。お間からお店に行っても売り切れていて、食べられないの。私とお母様がいただいている最中、店員さんが売り切れたと言ったから、間違いないわ」
またこうして、悔しがる私を見て、貴女は楽しむのね……。
分かりきっていたことなのに、どろりとした真っ黒いなにかが頭から垂れ、全身を包んでいく気分になる。
「それにアイスは、毎日売られてはいないそうなの。今日、偶然食べられたのは、きっと神様が悪魔に狙われている、かわいそうな私を慰めてくれるため出会わせてくれに違いないわ」
その言葉が聞こえたお母様が、体を震わす。
今の言葉でお母様が、どれだけ怯えたことか。この妹は分かっていない。
今日だって教会へ二人で行ったのは、貴女のその手に浮かんでいる紋様を消そうとしたからじゃない。悪魔から貴女を守ろうと……。それなのに、祈りが効いていないと貴女自身が平気に言うなんて。私は両親をさらに辛い思いにさせたくないから、黙っているのに……。
左手を隠すよう、右手を重ねる。
私にも左手の薬指に、リューナと同じ紋様が現れる時がある。それを両親が知れば、さらに二人の心に負担がかかるかもしれないと考え、秘め事としている。
私たちは双子。二人ともに紋様が現れているということは、どちらが本当に狙われているのか分からない。それどころか、二人とも花嫁として連れ去られる可能性だってある。でもなぜだろう……。花嫁として選ばれるのは、一人だという自信にも似た確信がある。
……それが私だとしたら、なぜリューナと違い、紋様が現れたり消えたりするのか。紋様が現れる時は、いつも一人でいる時ばかり。誰かに見せようと思っても、消えてしまう。
本当に私は、両親を心配して打ち明けないのだろうか……。
怖い。本当は、信じてもらえるか、怖い。だって紋様が現れていないのに、現れる時があると言っても、信用してもらえるか。だっていつも私より、両親はリューナばかり構っている。
幼い頃よりリューナばかり優先され、寂しく思うことは多かった。なぜ扱いに、こうも差があるのか。私は愛されていないか不安だったけれど、理由があることを知り、その内容に納得もできた。
いつ悪魔に連れ去られるか分からない恐怖により、家族はリューナから離れない。仕方がない。分かる。だけど……。
やっぱり私も抱きしめてもらいたい。愛情を言葉や態度で示してほしい。私を優先してほしい。そう願ってしまうけれど、願いすぎて、心はすり減っている。
不安なの……。理由があると言っても、リューナばかり……。私は本当に、家族に愛されているのか……。亡くなったおばあ様は、私たち姉妹に対し平等だったから、余計に怖いの……。本当に、愛されているのか、必要とされているのかって……。
リューナだけいれば、良いと思っていないのか……。
重ねた手の中、左手薬指がほんのり温かくなり始める。
きっと今両手を離せば、この温もりは消えてしまうだろう。それが惜しく、手を離せない。
私の紋様は、こうやって寂しくなったり不安になったりした時、まるで慰めてくれるように現れる。まるで姿は見せないけれど、悪魔が、自分だけは常に私を見守っていると主張するように……。
「リューナ、おじゃべりはそのくらいで終わりよ。家庭教師の先生が到着されたわ」
お母様に言われ、リューナは渋々と部屋を出て行った。
リューナは私とだけではなく、同年代の子と比べても、勉強が遅れている。というのも紋様を消すため、教会に通うことが多く、勉強する時間が周りより少ないからだ。だからお母様は、少しでもその差を縮めようと教師を呼ぶが、勉強嫌いのリューナは仮病を使い、休むことが多い。結果、ますます差は開く。
リューナが体調不良を訴えれば、悪魔の影響を疑われる。だけど今日は、冷たいアイスを食べて体を冷やしたことも理由の一つとなってしまうかもしれない。そうなれば、いくらリューナに甘いお母様でも、二度とアイスを与えることはない可能性がある。
だってアイスを食べ体の調子を悪くし、その隙を狙って悪魔に連れ去れるかもしれないと、両親は怯えるから。
勉強は遅れていても、そういう悪知恵は働くのよね……。
本当に妹が戻ってこないと確信すると、動く。自分から動かないと、私はお母様と距離を縮められない。お母様から、私に近寄ることは少ない……。
「お母様、アイスというお菓子があるのは、本当?」
両手を離せば、瞬時に温もりが消える。だが微笑みを返してくれたお母様の態度に喜び、温もりが消えても気にしない。
「ええ、もちろん。珍しいお菓子だから、まだルジーは食べたことがなかったかしら。興味ある? 今日は売り切れたけれど、次にいつ売られるのかリューナが尋ねていたから、販売日は分かっているわ」
「いつ? 私もアイスを食べたい! お母様と一緒に、アイスを食べたい!」
たまには私と二人だけで、出かけてほしい。アイスという未知の食べ物への憧れも手伝ってくれ、素直に願いを口にすることができた。
「おや、珍しいな。大声が聞こえたから、てっきりリューナだと思ったよ。ルジーがそんな声を出すなんて、なにかあったのか?」
これから出かけようとされ、挨拶に来たお父様が声をかけてきた。
とても偶然なこと。それも本当、滅多にない。リューナが邪魔できない場所で、今、両親を独り占めできている状態。これだけでも嬉しいのに……。
「今日、教会からの帰りにリューナとアイスを食べたの。それを聞いたルジーが、アイスに興味を持ったらしいの」
「アイスか、僕も久しく食べていないな。販売される日は限られているよね? 次はいつ売られるのかい?」
お母様が日にちを伝えると、その日は両親ともに予定が入っていないと分かった。
「僕も食べたいから、そうだな……。三人で行こうか」
「本当?」
お父様の提案に、跳ねたくなるほど喜んだ。しかしあることに気がつき、すぐ顔を伏せる。
「でも……。リューナ……」
「リューナも一緒に行かせたいけれど、勉強が遅れているでしょう? その日は色々な先生が来られる予定なの。リューナはできる時に、勉強をさせないと。いつ悪魔のせいで体調が悪くなるかも分からないし」
そう言ったお母様の肩を抱き寄せるお父様の姿を見ると、すっと心が冷える。
……なんだ。結局リューナがこの場にいてもいなくても、結局二人はリューナが一番なんだ……。
それでも三人だけで出かけられることは、嬉しかった。いつ以来だろう。思い出せないほど、私にそんな機会が訪れることはほとんどない。だから今回は仮病を使われ、絶対リューナに邪魔されたくない。
「じゃあ、リューナに黙っていた方が良い? だって、知ったらリューナ、行きたがるでしょう? そうしたら、勉強の時間が減っちゃう」
「そうね。リューナ、アイスを気に入っていたから、行きたがるわね」
私の腹黒い考えからによる誘導でも、お母様は気がつかない。普段からリューナの嘘を疑わない両親の性格に、この時は感謝した。
二人は“娘”の言葉を疑わない。特にリューナが絡めば、なおさらだ。
「仕方がない、リューナには内緒にしておこう」
お父様も納得してくれたので、私はその日が訪れることを楽しみに、毎日を過ごした。それなのに……。
「お母様、どこかへお出掛けするの? 私も一緒に行きたい」
「駄目よ、リューナ。貴女は今日、語学勉強、音楽、ダンスのレッスン等、予定が沢山決まっているでしょう? 家庭教師の先生たちと勉強を頑張ってね。お土産を買ってくるから」
そのやり取りを聞き、支度を整え浮かれていた心にヒビが入る。
お土産? 私はそんなこと言ってもらったことも、買ってもらったこともないのに? なんでリューナとは、そんな約束をするの?
出発前に水をさされたが、家を出てしまえば、きっと……。
そう信じていたのに……。
「……お母様、頭が痛い……」
突然リューナが頭を抱え、そんなことを言い出した。
「なんだと?」
両親は慌ててリューナへ駆け寄る。そして心配するあまり、私との約束を簡単に反故しようとする。
「ああ、駄目だわ。これではこの子を一人にさせられない」
「ルジー、今日の約束は無しにしよう。分かったな」
そう言われても、この日、ことの時ばかりは許せなかった。
どれだけ今日を楽しみにしていたか……!
いつも私だけ我慢して……。私だって、お母様やお父様と仲良くしたい! それなのに、いつも仮病で邪魔をして……!
両親も両親だ。どうして仮病だと疑わないの? 私の気持ち、考えたことがある? リューナへ向ける言葉も態度も私に示さず、放って……。やっと向き合ってくれたと思ったら、こんな……。酷い!
だから自分にも紋様が現れると訴えたのに、信じてくれなかった。私が二人のことを思い黙っていたことは、無駄だった。私が二人を思い考えるほど、二人は私のことを思い考えていなかった。
姿を薄氷で形作られていた、『両親の愛を求めるルジー』はこの時、砕け散った。
部屋に戻るとそれでも悔しくて、ベッドにうつ伏せると泣く。
髪の毛に隠れた左手の薬指がほんに温かくなるが、今の私を慰めるには弱い。
使用人の態度も変わらない。泣いている私に用があったら呼ぶように伝え、全員が退室した。
使用人たちはそう言いながら、呼んでも来てくれない。それを両親や祖父は把握しているのだろうか。壊れたルジーなら、把握していないと言ったかもしれない。
けれど新しく形作られようとしている今の私は、把握しつつ、放置していると考え始めている。私をぞんざいに扱って良いと、三人は無言で認めているのだろう。
「おばあ様ぁ……」
会いたい、私を愛してくれた方。どうして亡くなったの? どうしてあんな祖父じゃなくて、おばあ様のような方が亡くなったの? 今ここに悪魔の書があれば、私がおばあ様を生き返らせるのに……。
そんなことを思っていると、突如、黒い薔薇の花弁がベッドに落ちた。
「………………」
濡れた顔を拭いながら起き上がり、どこから落ちたのかと天井を見上げれば、黒い薔薇が降ってきた。
「なに、これ……」
黒い薔薇を見るのは、これが初めてではない。けれど、こんな風に部屋を満たすほど降るのは初めてだ。良い香りが部屋を包んでいく。
ベッドに落ちた中から、一輪の薔薇を手に取る。
「……良い香り」
ああ……。ルジーには、黒薔薇の悪魔がいるのね……。きっと悪魔なりのやり方で、私を慰めようとしているのだろう。
私が求めるものを、この悪魔は与えてくれる。でも……。薔薇を手放す。
迷いがある。このまま悪魔に甘えても良いのか。だって、悪魔は悪魔。それに私にはまだ、大切な友人たちがいる。それを捨てて、本当に良いの?
翌日、朝食の席でのリューナは元気そうだった。
「ルジー、昨日はごめんなさいね。リューナも元気に戻ったし、また今度皆で、アイスを食べに行きましょうね」
母がそう言ってきたので、頷いておくが、両親がどんな反応を示したのか気にしない。
だって、期待していないから。
その場しのぎの口約束、誰が信じられるというの? ……ああ、リューナの前だから、良い母親を演じたいだけか。
父は昨日のことを一切口にせず、黙々と食べている。リューナへのアピールだ。自分はルジーの嘘を信じない。打ったことも必要だった。紋様で苦しんでいるお前を、さらに苦しめる悪者を退治してやった。そんな勝った気持ちでいるに違いない。
馬鹿な奴。それで勝ったつもり? しかも嘘を吐いているのは、お前の大好きな可愛い可愛いリューナちゃんなのに。
両親はどうでも良くなったが、アイスを食べてみたい気持ちは変わらなかった。けれど、その機会は訪れないまま、冬を迎えた。窓の向こうに見える積もった雪を見て、あのふわふわとした雪に砂糖とふりかけたら、アイスになるのかしらと考えていると……。
「ルジー、以前約束したでしょう? アイスを食べるって。今日は予定、なにもなかったわよね。アイスを食べに出かけない?」
そう声をかけられ、笑いが出そうになった。
この女、正気? 確かに私もアイスを思い出していたけれど、こんな寒い日に、どうして好んで冷たいものを食べようと思える? 嫌がらせ? 馬鹿じゃないの?
「……昨日出された宿題がまだ出来ていません。難しい内容なので、仕上げるのに時間がかかるので、外出できる余裕はありません」
「そう。ではまたの機会にしましょう」
話しかけてきた割には、あっさり引き下がるものね。リューナ相手なら、違うでしょうに。
阿呆な奴。記憶力になにか問題があるのではないかしら。それともあの女、わざと私にアイスを食べさせ体調を崩させたいの? 私がベッドで寝こめば、誰も世話をしてくれないから、そのまま死んでしまう可能性が高いものね。
そんなに殺したい娘に対し、いずれレックス家を継ぐのだからと勉強させる意味が分からないけれど……。人の目を気にしているだけね、きっと。
「理解しようとするのが、無理よね」
それでも不快な気持ちを発散させたく、日記へ本心を書きなぐる。
それが数年後、本人たちに読まれるとも知らず。
お読み下さりありがとうございます。
こちらは「悪魔×花嫁~選ばれた娘はどっち?」二巻に書き下ろしました題材と同じですが、視点と漫画、原作それぞれの設定に合わせ、内容はちがっております。
漫画への書き下ろしには、漫画設定で。
小説家になろう様では、原作設定で。
差があるからこそ書けましたが、こちらの原作版は、昔書いた自分の作品を読み返し、セリフも取り入れてみました。
漫画「悪魔×花嫁~選ばれた娘はどっち?~」も、どうぞよろしくお願いいたします。
令和5年11月24日(金)
村岡みのり