その7 治癒師の決意
「ライラ、危ない!」
わたしは無我夢中だった。
魔物の方へ駆け出し、身を乗り出して、両腕を前に突き出した。
上空に厚い雲が突然立ち上り、そこから大滝の爆流が降り注ぐと、ライラと魔物をカーテンのように隔てた。
激しい水流は魔物の方と倒れて伸し掛かると、後方へとその巨体を吹き飛ばしてしまった。
それを見たジェイドが飛ばされたドルムベアへ駆け寄って、とどめの一撃を与えた。私は倒れてしまったライラに駆け寄り、彼女をそっと抱き起こした。
「見つけたよ、ライラ!」
傷だらけの彼女は紅い瞳をうっすら開いて微笑んだようだった。
わたしは両腕でライラを包み込み、自分の腹側に彼女をもたれさせた。
心も身体も傷だらけになった、大切な友だちを守りたい。
誰かのために身を挺して戦った、お人好しのダークエルフ。
「リーン、見つかっちゃった……」
ライラの瞳からは涙が流れていた。
わたしは無意識に水の精霊の力を解放していたらしい。
彼女の怪我がみるみるうちに治っていく。
大火災から助け出されて、起きた時に飲んだコップ一杯の水。あの時のような細波が全身を駆け巡った。
やがて雨がさぁっとあたり一帯に降り出して、わたしもライラも、剣を収めたジェイドも水浸しになった。
ふと町の中心部へと顔を向けると、サンダリットの賢者さまがこちらへ歩いてくるのが見えた。
「アイリーンよ、もうよい。雨を止めよ」
賢者さまに言われた意味が分からなかった。
「わたしが?」
「うむ……仕方ない、今回はわしが止めてやる」
賢者さまは何か不思議な言葉を唱えて手にしていた杖を掲げた。たちまち雲は消えて晴れ渡り、空に虹がかかった。
衛兵たちが十数人、わたしたちの方へやってきた。
そうだ、彼らはライラの姿を見たら、きっと捕らえようとする。
──守らなくちゃ。
ライラは魔族じゃない。お人好しのダークエルフ。
わたしは友人を抱きかかえたまま衛兵の方を睨んだ。
「ご苦労じゃったな。この者たちはサンダリットの村人でな。わしが身柄を預かるゆえ、もう帰ってよいぞ」
「あなたは、まさか勇者村サンダリットの賢者、フォルゲル様でしょうか」
途端に衛兵たちが畏まった。ライトエルフで小柄な賢者さまは彼らを見上げて頷く。
「うむ、あとでトラヴィスタの王には連絡を入れておく。迷惑をかけたとな」
「はっ! 仰せのままに」
衛兵たちは互いに顔を見合わせて何か打ち合わせた後、どこかへと立ち去った。
賢者さまはわたしたちのそばに寄ると、再び杖を振って暖かい風を起こした。あっという間に雨で濡れていた服が乾いてしまった。
「三人とも無事じゃな。帰るぞ」
ひとことだけ告げて、賢者さまは巨大な魔法陣を足元に光で描いた。
その光に包まれると周りが眩しくなり、光が消えた時には私たちは全員、サンダリットの賢者の家の前にいた。
ライラはジェイドに抱えられて彼女の部屋のベッドに寝かされ、治療院からジョルジュ先生が診察と治療のため、すぐに駆けつけた。
「魔力が戻るのには、あと二日ほどかかるでしょう。しかし怪我があったであろう箇所はすべて完治していますね」
先生が手をかざしてライラの全身を触れずになぞる。彼女はまだ顔色が良くなかったけど、話はできるようだった。
「先生、ありがとうございます」
ライラは小さな声を発した。
「礼ならここにいるアイリーンに言うといい。彼女が行使した水魔力の術が全て丸く収めたのだから」
先生はベッドから少し下がった。
わたしはライラの寝ているベットの脇にある椅子に座っていたんだけど、彼女の手を取って緩く握った。
ああ、ライラがここにいる。生きている。
「ごめんなさい、迷惑をかけました」
ライラは瞳を閉じて呟いた。
「いいのよ、ライラ」
わたしは彼女の手を握る力を少し強めた。
「リーン、ありがとう。ごめんね」
彼女の瞳からまた涙が溢れた。
わたしもいつの間にか、雫をぼたぼたと流していた。
「ライラ、リーン。僕は仕事があるから戻るけど、とにかく無事にライラが帰ってこられて良かった。また元気になったら剣術の相手をしてね」
そう言うとジェイドは転移魔法でさあっと消えてしまった。
そうか、彼も転移ができるのかと、勇者の候補者であるのを一瞬忘れていたのを思い出した。
でもライラには転移魔法は無いってジェイドが言ってたな。逆にこれだけ強いのに使えないのが不思議なんだけども。
賢者さまが部屋の奥から静かにライラに問いかけた。
「なぜ、出て行ったのじゃ。まだ時期尚早だ」
「爺さま、ごめんなさい」
それだけ言って彼女は黙り込んでしまった。
わたしはこれまで賢者さまに思っていた疑問を、思い切ってぶつけた。
「ライラだってもう十六歳を過ぎたんだし、もっと自由にしてあげてください! どうして彼女だけこんなに村に縛られるんですか!」
賢者さまは少し困ったような顔を見せたような気がした。
「アイリーンよ、ライラヴィラはいつかここを旅立つことになる。それは長く険しい旅になるやもしれぬ。その旅路を耐えられるようにと、幼少の時から厳しい修行を課してきた」
「でも、そのいつかは、本当にあるんですか?」
わたしは賢者さまの答えに納得できない。そんな理由で年頃の女の子が剣を振り回して魔法の修行をしてるなんて、何かおかしいよ。
「ある。しかし今はまだその理由を語ることができぬ。それを語れば、この子の命に関わるかもしれぬからな」
それだけ言うと賢者さまはライラの部屋を出て行ってしまった。
「リーン、いいの。ありがとう」
ライラから囁く声が聞こえた。
「あぁもうっ! 賢者さまはいつもはっきりしないんだからっ」
わたしは腕を組んで天井を見上げた。
「リーンが怒ってくれて、わたし、嬉しい」
「え?」
ライラから聞いたことのない言葉が出てきて、わたしは耳を疑った。
「わたし、ずっと悩んでたの。どうしてわたしは生まれてきたのだろうって。こんな魔族みたいなダークエルフの姿で、親はどこの誰だか分からなくて、ただ毎日『光の申し子』と呼ばれて、勇者の候補者のひとりとして修行して」
彼女の苦悩は私が思っていたのとは違った。好きな人ができたのかなと思ってたのは酷い勘違いだった。
こんな重たい宿命の元に生まれてきて、それを受け入れるしかないなんて。
「だからわたしは自分の生まれた意味を探しに外に出たかったの。でもそれは見つからなかった。ただ、わたしは爺さまや村に守られてたの」
ライラは目を閉じて話を続けた。
「どこに行っても魔族だと勘違いされ、ダークエルフだからと拒絶された。宿にも泊まれないし、食べ物ひとつ買うこともままならない。山の中で野宿して、川の水を魔法で浄化して飲んで、川魚を獲って食べて、山の中の木の実を食べて、そうやって凌いだの」
あまりにも、悲愴だ。
人からそんな酷い扱いをずっと受けて、よく気持ちが捻くれないよ、ライラは。
わたしが見ただけでも二回も人助けしていたし。
こんなお人好しは、わたしが守るしかないじゃないの。
そう、こんな普通のわたしにも出来そうなことが、ひとつあった。
「ライラ、わたし、あなた専属の治癒師になる」
「え?」
彼女が目を見開いて、紅い瞳を私に向けた。
「そんな、わたし、一応、治癒術もあるよ? さっきはその、魔力が切れちゃってて。リーンがそんなことしなくても。あなたは歌を聞かせてほしい」
ライラがわたしの歌を好きでいてくれてることは嬉しいよ、でもね。
「歌は続けるよ。そうじゃなくてね。わたし、前からジョルジュ先生から治癒師にならないかって、ずっと言われてたの。どうしてしつこく誘われるのか分からなかったけど、今日、分かった。私の水の恵みはそのためにあったんだって」
次の日からわたしはジョルジュ先生の元で治癒術の修行を始めた。
本気だと認めてくれた先生は、普通の三倍のペースで課題を出された。それをわたしは無我夢中でこなして、普通より遅くから始めた魔法修行も、人に追いつき追い越さんと、必死になって頑張った。
そして二年後、わずか十八歳で治癒師としてトラヴィスタの国家試験に合格した。
ライラはその頃には一人前の剣士として認められていた。もうわたしの守りなんて必要なかったかもしれないけど、それでも大好きな親友を助ける手段を持ってることが、わたしの自信につながった。
ジェイドも勇者の候補者の一人として要人護衛の仕事が増えて、時々怪我をして帰ってくることもあった。こんな綺麗な青年の肌に傷跡を残したくないって、わたしは張り切って治療を頑張ってしまった。彼には爆笑されたけど。
さらに二年後、わたしが二十歳になったときに。
運命はその時とばかりに動き出す。
再び訪れた大魔王の厄災。
世界を根本から揺るがす、大きな潮流がわたしたちを飲み込んでいく。
新たなる大魔王と勇者と、それを見続けることになる治癒師。
わたしは何があったとしても大切な親友の味方でいると、その意思を生涯貫くことになる。
これにてアイリーンの過去編、および第三章【真紅の絆】完結です。
次回より第四章【大魔王の決意】が始まります。




