その2 歌で仲直り
ジョルジュ先生の後をついて村の奥まった森の坂道を上がっていくと、高台に小さな家が一軒建っていた。平家で古びているが周りに雑草は生えてなくて、きちんと植木鉢が並べられて手入れは行き届いている。振り返ると山麓に村の風景が広がっていた。
「ここが賢者さまと、彼女、ライラヴィラが住む家だよ」
この時に初めてあの子の名前を教えてもらった。聞いたことのない、すごく珍しい名前。でもその響きが旋律のように耳に残る。
先生が扉を軽くたたくと、中から『入りなされ』と低く少しかすれた、でも身が引き締まるような声が聞こえてきた。きっとここに住む村の長老、賢者さまなんだろう。わたしは賢者さまに会うのは初めてだったから、猫耳を立てて緊張しながらジョルジュ先生と一緒に家の中に入った。
玄関から奥に入ると、何か薬みたいな匂いが微かにしていた。賢者というのは『エライ人』としか、わたしは知らなかったけど、初めて会った賢者さまは入ってすぐの部屋で立って待っていた。その隣には、わたしが魔族と間違えてたたいてしまった紅い目の子が並んで立っている。
「アイリーンを連れてきました、フォルゲルさま」
先生も賢者さまには堅そうな声で話していた。やっぱりエライ人なんだ。
目の前のお爺さんは肌も髪も真っ白。長い前髪の奥にある柔らかい翠の瞳でわたしを見た。耳が長くて尖っていて、多分、話に聞いたことのあるエルフという種族だろうと分かった。
「はじめまして、アイリーンです」
わたしは挨拶をしなくちゃと、できるかぎりの丁寧なお辞儀をした。
そして次に、目の前にいる少女に思い切って告げる。
「引っぱたいて、ごめんなさい!」
彼女の方へと腰が折れそうなくらい頭を低く下げた。それくらいしても足りないくらいだった。
「こちらこそ、ごめんなさい。あなたに会ってはいけないと爺さまに止められてたのに、あなたの歌が聞こえてくるのに惹かれて、近くまで行ってしまったの」
彼女の震える澄んだ声に、また疑問が出てきた。
なんでわたしに会っちゃいけないの?
それに彼女、やけに言葉がお嬢様風というか、丁寧語。私と年は近いだろうに違和感があった。
「ホッホッホ、もうお互いこれですっきりしただろう」
賢者さまは笑ってるけど、わたし、ちっともスッキリしないよ!
「賢者さま、申し訳ありません。治療院にひとり容体のよろしくない患者がいますので、わたしはこれで」
「うむ、用が済めばこの子はライラヴィラに送らせるから、仕事に戻るがいい」
ジョルジュ先生は賢者さまに少し話をすると「しばらくここに居させてもらいなさい」と微笑み、わたしを置いて出て行ってしまった。
わたしはひとりでどうしようと悩んだけど、賢者さまに促されて奥の部屋の椅子に座った。女の子は別の部屋に引っ込んでしまった。
「アイリーン、身体はもう大丈夫か」
わたしの向かいに座った賢者さまに訊かれた。私はそんなことよりも、さっきの女の子が言ってたことが気になって仕方なかった。
「はい、もう何ともないです」
「うむ。何か言いたげだな」
賢者さまがわたしを困ったような顔で見たけど、奥から女の子がカップの乗ったトレイを手にこちらへ運んできた。
「どうぞ……」
彼女はカップを二つ、賢者さまとわたしの前に置いた。わたしは出されたものは口にするのがマナーだと亡くなった両親から言われてたので、その通りにする。
「うぅ──っ、酸っぱい!」
その飲み物の強烈な味に思わず音を立ててカップを置いた。
賢者さまもひと口飲んで顔を歪めた。
「ライラヴィラ、またやってくれたな。これは別の棚に置いてあったギガレモネッド茶ではないか」
「あっ! ごめんなさいっ!」
彼女は慌ててわたしたちの前に出したカップを下げて、急ぎ足で部屋を出ていった。
「すまぬの、あの子はちょっとばかり、おっちょこちょいでな」
賢者さまは多分苦笑いしたんだろうけど、何を考えてるのだか分かりにくい顔で謝った。
まもなく彼女は再びお茶を淹れて持ってきてくれた。今度のは香り高いハーブティーだった。爽やかな風味が舌を通り抜けて、とっても美味しい。
「ライラヴィラ、ここにおれ」
賢者さまが彼女に座るように促したので、彼女は賢者さまの隣に座った。
わたしは斜め向かいの彼女を改めてよく見た。
ツヤツヤの緩くカーブした長い銀髪、美少女と言ってもいいだろうと思う端正な顔立ちに紅い瞳は澄んでいる。長く尖った耳に淡い紫の肌が、まるで絵で見る妖精みたいに映る。
ダークエルフってジョルジュ先生は言ってたから、隣に座る賢者さまも含めて、きっとエルフはみんなこんな感じなのだろう。そう、エルフは元から数が少なくてわたしは一度も会ったことがなかったから、神秘の存在だった。
「そなたがこの村に来てから半月を過ぎた。身寄りがないならこのまま遠慮せず村で暮らすが良い」
賢者さまがわたしの方をじっと見た。
そうか、その話をするために呼ばれたのか。
わたしは大魔王の厄災で家族がみんな死んでしまった。村ごと焼かれたから家も無くなったし、親戚のおじさんおばさんも、もう身寄りは誰もいない。
「暮らすって、ジョルジュ先生のところでですか」
わたしは大火災での怪我の治療の名目で、ずっと治療院でお世話になっていた。でも怪我はとっくに治ってたし、これからどうすればいいのだろうと悩んでたから、賢者さまの言葉は嬉しかった。
「うむ。ただ治療院は男のジョルジュひとりだからの。気になるなら修行宿のモニカのところで暮らすのも良かろう。あとで行ってみるといい。ライラヴィラに案内させよう」
「ありがとうございます」
わたしはペコリと頭を下げた。
「ふむふむ、そなた良い瞳をしておるな。水の精霊がそなたを優しく撫でているのもよく分かる」
「精霊?」
わたしはジョルジュ先生からも『水の精霊の守りが』と言われていたのを思い出した。
どういうことなんだろう。
わたしはただの獣人族だし、特に魔法の才能もない。学び舎でも普通の成績だったし、元気だけが取り柄だと思っていたから。
「うむ、そなた自覚がないのか。いやもしかすると、あの厄災の時に精霊の恵みが……」
賢者さまの言葉がわたしの疑問を解いた。
わたしひとりだけが生き残ってしまった理由と重なるのだろう。
「どうして、わたしだけが」
疑問が独り言となって漏れる。
どうせなら……魔族の軍団がわたしも見逃さず、『魂の園』に連れて行ってくれたら、こんな寂しい思いをしなくて済んだのに。
会いたいよ、父さん、母さん、みんな。
勝手に瞳から雫が頬を伝っていく。冷たい感触が落ちて手も濡らす。
「精霊は我々に恵みをもたらす存在だが、残酷な面もある」
賢者さまの重たい声が耳に入った。それはどうしようもないという諦めに似たものを感じさせられた。
わたしは目の前にいたはずの女の子がいないのに気がついた。
それと同時に、ハンカチを差し出す紫の肌の手。
振り向くと、それを差し出すダークエルフの少女の顔は俯き、わたしには視線を合わせず、それでもしっかりとわたしの方へと腕が伸ばされていた。
「ありがとう、えっと、ライラヴィラ、でいいのかな」
わたしはそのハンカチを借りて涙を拭いた。彼女が頷く。
「ハンカチ、返さなくていいから」
彼女はそのまま席を離れて、ハーブティーのおかわりを淹れてくれた。それをまた口にする。さっきより濃いけど、甘さも増したような気がした。
「そうじゃ、そなたにこの子のことをまだ紹介してなかったな」
賢者さまのカップにもハーブティーを注いだあと、彼女は再び斜め向かいに座った。賢者さまが彼女の方を向いた。
「この子はわしの家で暮らしておるダークエルフ。名前は聞いたであろうがライラヴィラという。年は十二じゃ。もしかしてそなたと近いか?」
「はい、わたしも十二歳です」
彼女は綺麗で大人びて見えたけど、最初に会った時に思った通り、同い年だった。
「このような魔族に似た見た目だからの。大魔王の厄災で焼け出されたそなたがこの子を見ると、辛い記憶を思い出して嘆き悲しむだろうと感じてな。それで会わぬようにと配慮したつもりだったが、すまなんだの」
わたしはもう、そんなことすっかり忘れていた。むしろたたいてしまったのを後悔しているくらい。
だって目の前の少女からは、人を大切に思う優しさを受け取ったから。
「ううん、私、彼女に謝りたくて先生に連れてきてもらったんだけど、お礼も言いたかったの」
わたしは言い忘れてた、彼女に伝えたかったもうひとつの言葉を口にした。
「わたしの歌を『素敵だ』って褒めてくれて、ありがとう」
彼女の人を惹きつける紅い瞳を見つめて、やっと伝えることができた。するとみるみるうちに彼女の顔面も赤く染まってきて、俯いてしまった。
「あの、また、聴かせてほしいです。その、あなたの歌を」
彼女から囁く声が聞こえた。背を丸めて縮こまり、固まってる。
ああ、この子はどうしてこんなに遠慮するの。
「じゃあ、今ここで、聴いて!」
わたしは立ち上がり、少し彼女から離れた。姿勢を正して、息を吸って胸に空気を取り込み、深くゆっくり息を吐く。
こういう時に歌いたいのはあれだと『奇跡の出会いに』という、有名な歌劇の曲を選んだ。
忌々しい魔族みたいな見た目なのに気持ちの澄んだ少女に、わたしはあなたの心にありがとうの気持ちを届けたいと思った。精一杯、全身に響かせようと声を底からお腹の底から発した。
歌い終わると彼女がずっとこちらを見ていてくれたのに気がついた。あんなに小さくなっていたのに、目を潤ませて、そして大きな拍手をたててくれた。
「ほお、そなた、なかなか良い歌声をしておるのじゃな」
賢者さまの声も柔らかく聞こえた。目尻が下がっているように見える。
「ありがとうございます!」
わたしは二人に向かって賢者の家の舞台で、感謝のお辞儀をした。




