16ー6 あなたの呼び名
侍女たちが夕食の支度ができたと告げた。ソレイルヴァ王家の三人に促され、ライラヴィラはリリスの姿のままで食堂に移動して、会食が始まった。彼女に付き添っていた幻獣ロイは、邪魔にならぬようにと主の影に入った。
ライラヴィラは彼らと共に食事を楽しみつつ、自らの生い立ちをレグルスの姉マティルダと兄レオノールに語って聞かせた。
元々はダークエルフで人界の『勇者』と共に育ったこと。育ての親は『原点の賢者』と呼ばれるフォルゲルで、年老いたライトエルフ。
生まれつき光と闇の両方の魔力があったが、闇の力は最近まで賢者の手で封じられていた。物心ついたころから、勇者の候補者としての修行暮らしをしてきた。
前大魔王ザインフォートの討伐に立ち会い、それがきっかけで大魔王になった。
実父である魔王ランダステンから受け継いだ瞳は『覇者の魔眼』。
そして、レグルスと初めて会ったのは八歳の時だったことも。
「為るべくして為ったリリスというところか。それだけの覇気、魔力。そしておそらく武術も相当な腕前だろう? まさしく選ばれし者」
領主レオノールが話を聴き終わった感想を言った。
彼の言葉にレグルスが反応する。
「ライラの剣術の腕前は俺と互角だ。腕力は男の俺が優位だが、こいつは女ならではのしなやかな動きで、剣舞を揮う」
「ハハハッ、それでは俺は彼女には勝てんな。街で会った時にも感じたことだが、俺が手刀を構えた時の反応は余裕満々だった」
レオノールは笑いながらライラヴィラを興味深そうに見た。
「いいえ、私はまだまだです。レグルスの剣筋に追いつくのが精一杯で。いつも手合わせをすると必死です」
ライラヴィラは苦笑した。こんなに持ち上げられては逆に居心地が悪い。領主マティルダも微笑を浮かべた顔を向けた。
「レグと良いペアね。あなたたちは魔界史上、最強のふたりかも」
「いえっ、そんなっ」
領主たちから褒め殺しされてるようで逆に緊張が高まりつつも、悪い気はしなかった。そこにレグルスが口を挟む。
「そうでもないぞ。こいつは天然お節介で、くだらん失敗を常にやらかすし、何かと世話が焼ける」
「そんな言いかたしなくてもっ」
ライラヴィラはちょっと気持ちが削がれて文句が漏れた。どうしてこういう場で意地悪なことを言うの。
レグルスは彼女へ子どもを見るような視線を投げてくる。
「でも俺は、それくらいがいい」
「まぁ、のろけるわね。フフッ」
ライラヴィラは魔王のあやすような視線を受けたうえに、マティルダにも笑われて、恥ずかしくなり俯いた。不器用なのは自分自身よくわかってるけど、そんな目で見ないでほしい。
「ライラヴィラに会えて良かった。どんな豪傑かと最初は想像してたが、こんな可愛らしい娘っ子だったとは。レグのこと、よろしくな」
レオノールは席を立ち、控えていた従者たちに耳打ちしてから指を鳴らすと、その場から消えてしまった。
「わたくしも今日は失礼するわ。また会いましょう。あとはふたりで、ごゆっくりどうぞ」
マティルダも領主の弟が席を立ったのを見て合わせるように、食堂から転移魔法で去ってしまった。
「あっ、気を遣わせてしまった……」
ライラヴィラはもう少し彼らと話をしたい気持ちもあった。レグルスの姉と兄が弟である彼をどれだけ大切にしてるのか、この短い時間の会話だけでもふたりの人柄と共に強く感じられたから。
「やれやれ、二人ともおまえのことを気に入ってくれて良かった」
レグルスが力が抜けたような声を珍しく出したので、彼も年の離れた姉兄に対して緊張していたことをライラヴィラは察した。
「素敵な姉さまと兄さまね。私は一人っ子だし、まぁ乳兄妹がいるけど、ちょっと羨ましいかな」
「心配せずとも、ライラのことも妹のように思ってくれるだろう」
レグルスがいつもの満足気な笑みを見せた。ああ、いつもの彼だ。
ふと彼が何かを思いついたように顔色を変えて口を開いた。
「それはそうと、頼みがある。ちょっとおまえの魔力を借りるぞ」
彼は大きな転移魔法陣を敷いて、ライラヴィラも包み込んで同時に移動した。
◇ ◇ ◇
転移の光が消え去ると、そこは真紅の絆の儀式をした日に、ふたりが一夜を過ごした場所だった。ソレイルヴァ王宮の別棟で、彼が言うには代々の魔王とその配偶者しか使えないらしい。
ここには四季折々の花で彩られた美しい庭園と、温泉の湧く広い露天風呂がある。応接用ソファーのある小部屋に、簡単な会議が出来そうな広いテーブルセットの部屋。大きなベッドの据えられた広い寝室もあちこちにあった。ライラヴィラはソレイルヴァに仕える者たちが、ここを『楽園』と呼んでるのを耳にしていた。
「よし、ここなら人の目もない」
レグルスはライラヴィラに向かい合って立った。ふたりの視線が交差する。
「あのさ、そろそろ……」
彼の真剣な眼差しを受けたライラヴィラは怪訝に思った。わざわざこの場所に移動してまで伝えたい事とは何だろう。大抵のことは伝えあったはず。隠しごとも、もう無い。
「どうしたの? 急にそんな顔して」
ライラヴィラは鼓動がどんどん早くなってくるのを感じた。
城下町で彼の兄とやり合ってしまったことを、あらためて叱られるかと心を据えた。あれは自分の失敗だ。
しかし彼はまったく違うことを頼んできた。
「おまえも、俺を『レグ』って呼んでほしい」
「え?」
突然言われて、ライラヴィラの頭の中をあらゆる思考が巡った。
絆の儀式をしたあとも、彼を愛称で呼ぶのは控えていた。そう呼んでいるのは領主である姉兄と、古い友人であるソフィーだけなのを知っていたからだ。彼の師匠ゲルナータですら『レグ』とは呼ばない。『レグルス』と呼び捨てにしているだけでも、一国の魔王である彼との親密な関係が本人や周囲から認められていると、それで満足していた。
「俺だって『ライラ』って呼んでるのに、しかも昔から。なぁ?」
彼の顔が返事を迫った。真剣な金の視線に息が詰まりそう。
「だって、その、あなたをそう呼ぶのって、特別すぎて恥ずかしくて、気持ちがどうにかなりそう……」
「おまえは『ライラ』って、誰彼構わずみんなに気軽に呼ばせるくせに。しかも今のおまえは魔界のトップ、当代の大魔王様だ」
彼は更にジリジリと迫ってくる。ライラは思わず後ろへと下がった。しかし彼はますます距離を縮めようと寄ってくる。詰められた距離を空けようと更に後方へと下がった。
ライラヴィラの背中の羽根が壁についた。もう逃げられない。仕方なく、言い訳をしてみる。
「ライラヴィラって長いし、その、呼びにくいでしょう?」
「おまえの呼び方のことを言ってるんじゃない。ほーら『レグ』って呼んでみろ」
彼は微動だにしない。そして彼の手がライラの背後にある壁についた。
「おまえは俺の特別だ」
そして彼の煌めく双眸が更に迫る。
──そんなの、そっくりそのまま、あなたに返すよ。私の特別な人。
でもやっぱりそう呼ぶのは、こそばゆい感じがする。
人界ではダークエルフという偏見の目で見られ続けていたから、親しく付き合いのあった人は数えるほどしかいない。だから愛称で呼ぶのもごく僅かな人だけで、どうにも慣れなかった。
「この口は、こんな簡単な名が言えないのか?」
彼はライラの顎に手を添えると、唇を寄せてゆっくりと深い口づけをしてきた。
そしてそのまま、離してくれない。更に腰に彼の手が回ってきた。
「言えるようになるまで、何度でもこうするぞ?」
「そんなの……」
ライラも迫る彼に遂に観念した。その呼び名を口にするのを許されているのだ。
もう許してもいいのだ。
「……レグ」
「やっとかよ」
彼は溜息をついたあと、勝ち誇る魔王の微笑を湛えた。そのまま彼女をそっと抱きしめて帰さないと囁く。その夜、彼はライラヴィラを傍らから寸時も離さなかった。
翌朝──ライラヴィラはレグルスに連れられてソレイルヴァ城下町を散策していた。彼女はリリスではなく小さなツノの姿で、黒ヒョウ姿のロイも付いてきていた。彼から街を案内してくれるとは聞いていたが、朝食後に突然城下へ行くと言われて、慌てて身支度をして出てきたのだ。
国の当主である魔王が城下を視察しているとあって、住民たちの視線が常にふたりへと向けられていた。
「ねえレグ、もう少し目立たずに動けない? 幻惑魔法をかけてもいい?」
ライラヴィラはあまりにも注目されるので居心地が悪かった。魔王と連れ添う女性を見ない民は一人もいなかった。ふたりが向かう場所は自然に人が引いて遮るものがなくなる。
「俺がこの国の魔王だから当たり前だ。むしろ皆におまえを見てもらいたい。この絆の指輪と共に」
彼はライラヴィラとつないでいた手を強くした。
「見てって、それは」
「おまえが俺の相方だと、民に知らしめる」
彼の言葉はつまり、国民に対する魔王の婚約者発表みたいなものだ。
ライラヴィラは背筋に緊張感が走った。
「そもそもおまえは深淵の大魔王だぞ? 更にはスペランザの魔王だ。もっとこういうのに耐性つけろ。慣れるのも大事だ」
彼の正論に彼女は反論できなかった。
幻獣ロイも追い打ちをかける。
「今回ばかりは、我もこやつの意見に賛成だ」
「……努力はするわ」
ライラは暖かな彼の手を握り返した。




