16ー4 魔王の矜持
ライラヴィラはゾンガルディ城下町のカフェを出ると、明日の魔王ロゼフィンとの会談に備えてアシュリトス領へと転移魔法で移動した。小さなツノの姿のまま、木造三階建の少し古びた宿に入る。
「魔王に頼めば、城で泊めてもらえるだろうが」
小さな黒ネコ姿の幻獣ロイから溜息が漏れた。彼はライラヴィラの肩に乗って退屈そうに伸びをする。ロイの首回りを手のひらで撫でつつ小声で応えた。
「こういう質素な宿がいいの。魔界の庶民の暮らしを体感したいから。民の日常を知らなければ、一国の魔王としてどう動けばいいのか定まらない」
「そなたは大魔王だぞ。魔王の上に立つ、たったひとりの魔界の統治者が、そこまでせずとも」
「爺さまからいつも言われてた。光の力を授かりし勇者たるものは、常に民に寄り添うべしって。勇者に対する闇の力を持つ魔王も、同じだと思う」
ライラヴィラは受付で宿泊手続きを済ませ、指定された部屋に入った。ベッドが一台と小さなテーブルと椅子、そしてシャワールームがあるだけの簡素な空間である。外で買ってきたジュースを飲みながら、彼女は宿に入る前に屋台で買った新聞に目を通す。
幻獣はライラヴィラの肩から降りると黒ヒョウの姿へと変化して、毛の長い絨毯が敷かれた床に寝転んだ。
「影に入らなくても大丈夫?」
「今回の旅はそなたが頻繁にリリスに戻るからな。我の魔力は満ちておる」
ライラヴィラは黒ヒョウがそのまま寝息を立てはじめたのを見て、寝間着に着替えて、そのままベッドで早めの眠りについた。
翌朝、ライラヴィラはシャワーを浴びて魔王と会うために身支度を整えた。軽く朝食を摂ったあと宿を引き払い、小さなツノの魔族の姿で先ずはアシュリトス国立植物園へと足を運ぶ。魔王ロゼフィンからリリスの力を魔皇樹ユグリツカに授与してほしいと依頼されていたからだ。
幻獣を伴って入った植物園の奥へ進むと、魔王ロゼフィンと彼女の従者である剣士の男がひとりだけ巨木の前で待っていた。
ライラヴィラは彼女たちに挨拶をして、その場で深淵の守護者へと戻る。大きく伸びたツノと広がる漆黒の羽根。リリスから放たれる覇気に従者の男が目を見開いて硬直したが、倒れないよう足を踏ん張って耐えた。魔王は目を細めて涼しげな顔でその場で佇み、口元が緩んだ。
「リリスの力は、底が知れないわね」
魔王ロゼフィンはリリスの姿に戻ったライラヴィラを眺めて、美しい微笑みを見せた。
「この姿で他国を訪れることは、これまでなかったから。どれくらい周りに影響があるのか、まだ掴みきれてないの」
ライラヴィラは巨木の前に立つと、長く大きな宝珠の入った立派な杖を召喚して両手で掲げた。
胸元にある深淵の鍵を開くと、円環を描く紋章が浮んだ。そこから虹色の光の筋がいくつも螺旋を描いて伸びていき、大樹の幹を巡る。遥か天まで伸びる魔皇樹の枝を彩光が伝っていき、生い茂る葉先までリリスの力アイリスフィアが行き渡る。ライラヴィラは大樹の息吹を受けて、自身の心臓と同化している深淵の鍵を閉じた。
輝きを纏った魔皇樹を見上げていた魔王ロゼフィンは、木の幹に右手をそっと触れさせて、精霊の力が巡っているのを確認した。
「花祭りの時期でちょうど良かったわ。きっとユグリツカも花をつけると思うの。咲いたらあなたにも届けるわ。『真紅の絆』のお祝いよ」
「ありがとう、楽しみにしてる」
ライラはどんな花が咲くのだろうと想像した。
きっとこの大樹に似合う、眩いばかりの大輪の花なのだろう。
そして愛しげに大樹を見上げるロゼフィンの姿から、彼女は植物を愛してやまない人なのだということが強く感じられた。
ライラヴィラの絆の指輪を見せて欲しいと、大樹の根元から下がった魔王に請われた。左手を差し出すとロゼフィンはその手を取った。指輪が湛える輝きを確認すると彼女は手を外した。
「金のトパーズ。これを選んだのはレグルスなの?」
「そうなの。彼がいつの間にか用意してくれてて。彼のものには真紅のルビーが入ってる」
「レグルスは狙った獲物は逃さないからね、ウフフッ」
「え、獲物って……」
確かに強引な時もあったとライラヴィラは振り返った。
あの強い金色の瞳で捉えるかの如く。
「だって初めてあなたに会ったときに、そうじゃないかと、わたくしはずっと思ってたわ。あのレグルスがこんなに女性のことを大事にするなんて。すぐ特別なんだって分かった」
「彼はみんなに優しいと思うけど?」
レグルスの幼なじみである彼女の言うことには半信半疑だった。
態度が尊大だったり口が悪かったりもするけど、心は紳士だと思っていた。
「何か秘密があるのかしら、あなたと彼の間だけのね」
秘密……それは心当たりがある。人界で子どもの頃に彼と出会っていたことは、目の前の魔王には内緒にしておこうと思った。
ロゼフィンは幼なじみのレグルスのことはよく知っているだろうけど、あれだけは私だけの思い出。
そう考えると、少し彼女に嫉妬してしまっているとライラヴィラは自覚する。
「図星かしらね、顔に出ちゃってるわよ」
そう言うとロゼフィンは知ったかのように柔らかく微笑んだ。
ライラヴィラは彼女に見透かされて何も言えなかった。
「あなたもレグルスも不器用で正直な人。紅化が発動したのもわかる気がするわ。わたくしも、あの人とそうなれたら良いのにと、羨ましくなるわ」
前にも聞いたことがあったが、彼女が想いを寄せる相手が気になった。いったい誰のことだろう。彼に大魔王のお鉢が回ってくるかもしれないと言っていたから、きっと魔王クラスの猛者。
「その人はロゼフィンのこと……」
「二度も振られちゃったわ。でも好きな気持ちにうそはつけないから」
ライラヴィラはロゼフィンの切ない気持ちが痛いほどわかる気がした。
好きな気持ちをごまかすのは無理だ。
「今日はゆっくりできるんでしょう? 城下町を案内するから、その羽根と尻尾は引っ込めなさい」
ロゼフィンに促されてライラは小さいツノの姿に変身した。足早に従者の剣士を連れて出ていく彼女を慌てて追いかける。幻獣ロイも黒ヒョウの姿で何も言わずライラヴィラに付き添った。
植物園を出ると魔王の従者が二人待っていて、彼らについてライラヴィラとロゼフィンは街へ出た。
魔王は幾つもある農産物のマーケットを巡り、商売人たちに直接作物の出来や今後の見通しなどを尋ねていた。
「あなたがリリスとして覚醒したおかげで、今年の夏は銀小麦が豊作になりそうよ。深淵の力がほどよく毒草を枯らしてくれてるし、深淵に呑まれる魔物も減ったから、畑を荒らされる頻度も減ったわ」
「魔界の麦は銀小麦っていうのね。わたしはまだまだ知らないことが多いな。このあいだ火山灰の土地で育つパナメロルって甘い果物をレグルスから貰ったんだけど、それも人界では見たこともなかった」
「あなた魔界に来てからまだ一年も経ってないでしょう。そんなの分からなくて当然。むしろなぜここまで魔界に順応できてるのか、不思議なくらいだわ」
ロゼフィンに言われて確かにそうだとライラヴィラは同意した。
親友アイリーンにも以前言われた。魔界の私の方が生き生きしてるって。
ただこれはきっと賢者の教育の賜物でもあるのだろう。人界魔界問わず、あらゆる知識を幼い時から詰め込まれたのだから。
人界ではダークエルフだと避けられ肩身の狭い思いをしていたが、魔界ではリリスの姿さえ封じておけば、今のように堂々と街歩きが出来る。魔族たちも対等に接してくれるし、魔王だから少し畏まられるのは仕方がないのだけど、人界人たちが自分に向けてきた呪うような視線はないから。
「わたし、魔界が好きなんだと思う。人界で二十年も暮らしていたのに、ここが自分の居場所だと思えるから」
「それは良いことね。そもそもそう思ってもらわないと。あなたは大魔王なんですから」
ロゼフィンはライラヴィラを見て苦笑いしつつ応えた。
ライラヴィラは少女のような可愛らしいロゼフィンが魔王として民と接する姿を見て、彼女に家族はいないのだろうかと気になった。これまで彼女の身内をひとりも見ていなかった。
「ロゼフィンもマスティロックの厄災がきっかけで魔王になったの?」
ライラは率直に尋ねたつもりだったが、彼女から笑みが消えて顔色が変わる。これは聞かないほうが良かったかと悔いた。しかし彼女は強い口調で語り始める。
「ええ、そうよ。まだわたくしは成人してなかったわ。レグルスもそうね、魔界各国はあの時に代替わりした国がほとんどよ。それくらい、あの忌々しい暴君が魔界に残した傷痕は深かったの。わたくしの両親も亡くなったし、魔王を継ぐはずだった兄も亡くなったの」
──やっぱり。しかも三人も身内を亡くしているなんて。
「ごめんなさい、辛いことを聞いてしまったね」
ライラヴィラは彼女の悲しき傷に触れてしまったことが申し訳なく、うなだれた。しかしロゼフィンは首を振った。そして眉を上げて強い目で見つめてくる。
「ライラヴィラ、顔を上げなさい。みんなあなたに期待してるのよ。正直者でちょっと抜けてるところのある、お節介で心優しき大魔王に」
──何だか少し悪口も乗ってる気がするけど。
ライラヴィラは顔を上げて彼女の方へ向いた。
「期待に応えられるかはわからない。でもわたしの精一杯を見せられたらいいな」
ライラヴィラを見てロゼフィンはケタケタと笑い出した。
「アハハハッ、あなた魔界最強のリリスなのに何を謙遜してるのっ! でもそれがあなたらしいわね。そうよ、精一杯、魔界のために働くことね」
ロゼフィンは近くにいた従者たちに何か指示して、ライラに告げた。
「わたくしは別の用があるからそろそろ失礼するわ。ユグリツカのことはありがとう。あなたはまだ行くところがあるのでしょう。きっと彼は首を長くして待ってるわよ」
彼女に促され、ライラヴィラは黙って聞いていた幻獣と共に、次の目的地へと転移魔法で移動した。




