16ー2 魔族の結婚観
前大魔王ザインフォートの国、ウルカドン魔導国では魔王崩御という大不幸があったため、今年の花祭りは開催されず、水の都は春の花が咲き誇っているにもかかわらず静粛の中にあった。
そもそも魔界では国の支配者である当主の魔王が崩御したとき、正統たる魔王の血筋の後継がなければ、その国家は解体されるという太古からのしきたりがあった。それは人命の犠牲が伴う戦争や革命を防ぐためと、実力ある魔族に対して新たなる魔王と為る機会を与えるためでもあった。
ただウルカドンでは魔王妃ソフィーがザインフォートの後継となる子を妊娠していた。ライラヴィラは国家滅亡による民の混乱を避けるため、当代の大魔王として胎児の後見人となることで、国家解体を望む野心溢れる魔界各国の諸侯を納得させた。ウルカドン魔導国は寸前のところで国の滅亡を免れた。
その魔王妃ソフィーから無事男子を出産したと連絡を受けていたので、ライラヴィラは花祭りの周遊に合わせてウルカドンを訪れた。
リリスの姿で来て欲しいと依頼されたので羽根と尻尾を出したまま部屋に入ったが、生まれて間もない子に覇気の影響がないのか心配しつつ対面する。
幻獣ロイも四本ツノの小さな黒猫の姿を見せ、赤子の傍らで見守った。
「ソフィー、出産おめでとう。まだ身体が大変でしょう」
ゆりかごに小さな赤子を寝かせ、彼女は前開きのゆったりとしたワンピース姿でくつろいでいた。
「ありがとうライラ、早速こちらに来てくれる? リリスで来てとお願いしたのは、この子を視て欲しかったからなの」
「え? 私が?」
「ええ。この子の魔眼にどんな力があるのか知りたいから」
ライラヴィラは、魔眼を持つ者はこれまで実父ランダステンと魔王アルトバルンしか会ったことがなく、果たして自分ができるのだろうかと不安になる。
ソフィーはライラヴィラの戸惑いを感じ取ったのか、優しい声で伝えてきた。
「あなたが視た、そのままを教えてくれたらいいわ」
ライラヴィラは彼女に促され、小さな赤子を視た。
紅い魔眼だった父親のザインフォートとは違う、蒼い魔眼。吸い込まれてしまいそうな力がある。この色はソフィーの瞳を受け継いだんだろう。
「どう言ったらいいのか、あらゆるものを小さな粒子にして分解して、また組み立てる物が見えるわ」
「きっとそれは『顕然の魔眼』よ! ザインみたいに未来を見て苦しむことは無いのね」
ソフィーは喜びを隠さなかった。ライラヴィラは未来予知能力を与える『遠望の魔眼』であったザインフォートの苦悩を改めて彼女の言葉でうかがい知る。
「ライラ、この子を抱いてくれない? リリスのあなたの守護が授かれるから」
「まさか『盟約の楔』じゃないよね?」
ライラヴィラはあれを魔王の子とはいえ、生まれたばかりの赤子にするのはとんでもないと焦った。『楔』なのだ、莫大な常闇の力という対価を得られるとはいえ、魂を縛ることになる。
魔王妃は赤子の頭を撫でつつ、大魔王を見つめる。
「魔界ではね、終焉の力たる闇の深淵の影響で、子どもが授かりにくいの。だから子どもはとても大切なのよ。人界では夫婦に三人以上の子も普通だと聞くけど、魔界ではなかなか……全く授かれないこともよくあるの。だからレグはソレイルヴァ王家の三人目で、とても大事にされたのよ」
「知らなかった……」
ライラヴィラはあまり意識したことがなかったが、人界より魔界は子どもが少なく感じる。それに従者のベルントとミリィ夫妻には子どもがいないと聞いた。
「だから私もザインが亡くなったあとに、この子を身籠ってるって分かったときは、精霊に心から感謝したわ」
ソフィーは我が子をゆりかごから抱き上げた。赤子はそっと母の顔を見つめる。
「この子の名前は『フォソアノス』、古代語で『知恵を継ぐもの』という意味よ」
ライラヴィラは彼女から男の子をそっと渡されて両腕で抱いた。
フワフワで壊れてしまいそうと緊張する。
「魔王に子が生まれた時は、大魔王からの祝福を受けるのよ。だから、お願い」
頼まれてライラヴィラは少し考えた。
この小さな子に祝福とは、きっと父が残してくれた虹色の光。
「ここ麗しき水源地ウルカドンに生まれしフォソアノスよ、そなたにアイリスフィアの祝福を与えん」
ライラはそっと胸元の深淵の鍵を開き、虹の粒子を腕に抱いた小さな子に降らせた。魔王の子は蒼い魔眼を細めて眩しそうに七色の光を受けた。
「ありがとう! それがリリスの光なのね。きっと丈夫で聡明な子になるわ」
ライラヴィラは光が拡散して消え去るとソフィーに赤子を慎重に返す。
彼女は息子を抱いたまま座った。
「さっきの話の続きだけど。そういう事情で魔族はできるだけ早く結婚するのよ。ひとりでも多く子どもを授かるため。私は十九歳で同い年のザインと結婚したわ」
「十八で成人したらすぐってこと?」
「そうよ。だからほら、レグは魔王で二十二歳なのに相手がいなかったから、周りはうるさかったわよ」
ライラヴィラは以前、魔族になる前にソレイルヴァ城を訪れた時、そこの侍従や彼の姉、領主マティルダに彼の特定の彼女だと勘違いされたことを思い出して、なるほどど納得した。
「でも私、結婚はまだ、その」
ライラヴィラは人界とは違う事情に戸惑いを感じた。
結婚は早い人も遅い人も、しない人もいるが、人界では特に定まっておらず、結婚しろと周りから言われることもあまりない。
ライラヴィラはレグルスと出会うまでは特に異性と付き合ったこともなく、ましてや結婚なんて考えたこともなかったのだ。
ダークエルフと結婚したいなんて人は、一生現れないと思っていたから。
「何言ってるの? 『真紅の絆』は結婚よりも強い、精霊の祝福を受けた番の二人のこと。もうあなた達は魔界では結婚したもの同然だと見なされるわ」
「ええっ⁉ そんな一足飛びにっ」
ライラヴィラは目を見開き、顔面も沸騰しそうになった。ソフィーがクスクスと小さな声で笑う。
「出産前に、あなたに紅き光があるのを見つけた時は驚いたけど、そのあとレグが書庫に来たときに彼にも紅い光があったから、すぐあなたたち二人なのだと分かったわ。儀式が間に合って良かったわね」
「私、発熱のことも知らなかったの。期限があるなんて」
笑顔だったソフィーの表情が真剣に変わり、何だろうとライラヴィラは怪訝に思う。
「ライラ、あなた人界育ちだから──まさか避妊薬を飲んでないでしょうね?」
「えええっ?」
「人界では出産時期を調整するのが一般的らしいけど、魔界ではそれは余程の事情がない限り、ご法度よ。結婚前に子どもを授かろうが、一夜限りの関係で授かろうが、子どもが一番大事なの。だからレグのお姉さんは未婚の母でしょ」
「そうなんだ……」
あけすけなソフィーの発言に面食らった。
どうやら魔族の女性は妊娠すれば、婚外子であろうとも精霊の恵みとして必ず出産するらしい。魔界ではそんなに子どもが生まれにくいなんて知らなかった。
人界の常識が魔界の非常識だなんて。従者のミリィにこっそり相談しよう……。
ライラヴィラは彼女の追及には曖昧に返事をして、出産のお祝いにスペランザ領クレイアトで作られた特産の布地を数巻渡した。
「赤ちゃんはすぐ大きくなるから、必要な時にこの生地で服を仕立ててあげて。魔力を帯びていて、きっとこの子の助けになるから。……って、城のみんなの受け売りだけど」
ライラヴィラは正直に贈り物に何かいいかを従者たちに相談したことを話して笑った。ソフィーも嬉しそうに笑って礼を言った。
「ザインの書庫は今日は見なくていいの?」
彼女に訊かれて、一応見ておくかと書庫の鍵を開けてもらった。
新たに読めるようになった本があった。
——闇が選びし光——
光の守護には闇が必要である
闇の中でこそ光は輝く
その光は闇から選ばれしもの
闇の守護がありし時に
光の鍵は生まれる
ライラヴィラは意味がよくわからなかった。
光の鍵? この間の欠片という名の紛い物ではなくて?
闇の守護はリリスの事?
——天界マデーレア——
天主アーソグリーダが住う場所
その名を天界マデーレアという
人界ライトガイアと魔界ダークガイアの
遥か向こうにある場所
何もない無の世界であり
全てがある万能の世界
天主の名前! 天界って初めて聞くかもしれない。
無で万能って?
ライラヴィラには謎が深まるだけだった。
今回読めた二冊はレグルスにも確認してもらうことにして、ソフィーに礼を告げてウルカドン城を出た。
「ライラヴィラ」
幻獣ロイが黒ネコから黒ヒョウの姿に大きくなった。
「ソフィーの言うことは、あまり気にするな。結婚や出産は個人の時期というのがあるだろう。そなたには深淵の守護者リリスとしての役割がある」
どうやらライラヴィラが魔族の結婚観に戸惑っていたのを見られていたようだった。
「うん、びっくりしただけ。ありがとう」
まだまだ魔界の風習はわからないことが多い。
ロイの気遣いが嬉しかった。
「そんなに子どもが生まれないなら、じゃあ魔界の人口ってどうやって維持してるのかな。夫婦に子どもがひとりかふたりなら、いつか魔族はいなくなるよね」
「深淵の魔女もそうだが、人界からやってきて魔界に居つき、そのまま魔族になる者が時々いる。純粋な魔族の血統など、もうどこにもないのが本当のところだ」
ライラヴィラの疑問に幻獣が答えた。
それならば魔族は魔界の闇の大気に適応しただけで、ツノが生えてツメが黒くなった以外は、人界人とさほど違いはないのかもしれない。二つの世界に住む人々は分かりあえるかもしれないと、希望を持った。




