15ー5 ふたり
暇になったので、ライラヴィラは広場で開催されているという武術や魔法技術の実演を観覧しようと足を運んだ。
参加者は多かったが初歩的な技や術を披露する者がほとんどで、そこそこの手練れは減っていた。あまり見応えはなく、退屈さを感じる。
天候異変とそれに伴う不況で、人界中からやたらと食い扶持を求めて人が押し寄せたり、魔族の出現騒動──これはライラヴィラの正体が暴かれた時のことだが──、他にもいろいろあったのかもしれない。それなりの実力がある者は勇者村に見切りをつけて離れたのだろうと推察した。
しばらく広場の片隅で見学していると、ひとりの剣士が最後に現れた。
長剣を手にした男。頭にはターバン、皮の手袋とブーツ。そして顔を覆う銀色のマスクをしている。
黒髪で背が高く、やや細身だが半袖から覗いた腕は褐色で、鍛えられた身体。
──あれは、もしかして……?
ローブ姿の勇者ディルクが広場の中央へ出てきた。巨人族の彼はずば抜けて背が高く、短い赤髪も目立つ。
「模擬戦をする、希望者は出るといい。村外の者も歓迎する」
周りで控えていた修行者が次々と名乗り出た。斧や槍などの武器や、魔法媒体に適した杖などを手にして、順にマスクの男に立ち向かう。
ライラヴィラはその様子を見守った。誰も男に触れることは叶わない。どんな武器を手にした相手でも、男の一閃ですぐに勝負が決まってしまう。
魔法戦であっても、男は長剣を魔法媒体にして防御壁を展開し、時には長剣で魔法を切り裂き、あっという間に術師の懐に踏みこんで相手を戦闘不能にする。
あの動き、剣の捌き方。大剣ではなく長剣を持っているが、よく知っている。
それが証拠に、左の薬指の指輪から……ほんのり魔力を感じる。
「もう挑戦者はいないか?」
誰一人マスクの男に勝てないまま、挑戦者が途切れた。ディルクがその場で見物していた人々へ順に声をかけた。
ライラヴィラはマスクの剣士と、ふと視線が合った気がした。
男が彼女の前まで迷いなく進み、無言でその手に持つ長剣を真っ直ぐ向ける。
──勝負しろってことか。
ライラヴィラは一歩前に進み出た。了承と男は受け止めたようで、彼女に向けていた長剣を下げて背中を向け、広場に中央へと戻った。
周りからはどよめきが立った。まさかその場にいた女性が指名されるとは誰も思わなかっただろう。しかもその姿は銀髪に淡紫の肌で長い耳。この世界に滅多にいないとされるダークエルフ。ただし今ではツノのある魔族だが。
ライラヴィラは広場の石畳をしっかり踏み進み、彼に対峙する。絆の指輪は紅い光を帯びていたが、彼女は構わず訊いた。
「今日は短剣しか持ってないから、魔力付与してもいい?」
ライラヴィラはディルクとマスクの男に確認した
男は無言で頷いて勇者の方を向き、ディルクが返事をした。
「構わない。修行者の皆にあんたの剣技を見せてくれ、ライラ」
ライラは二本の短剣を取り出し、氷晶の力を付与して長剣と同じ長さに整える。
彼女は魔法で作られた二剣で構えた。魔力を帯びた剣に小さく深淵の紋章が浮かんだが、この場でそれとわかるのは勇者と、おそらく目の前の男だけ。
彼ならば手抜きなどできない。魔界最強の『紅蓮の剣王』なのだから。
ふたりは同時に動き始めた。
マスクの剣士は炎と大地の力を纏い、長剣を薙ぐ。それをライラヴィラは氷晶の剣で受け止めて払う。
炎と氷のぶつかり合いは、見学していた者たち全員を一瞬で黙らせた。
ふたりの剣が当たる音だけが、その場で響き渡る。
速さと威力と立ち回り、その技術の高さに、皆は息を飲んで見守った。
ライラヴィラは少し前に、魔界の荒野でリリスの姿のままで彼と剣を交わしたのを思い起こした。今はリリスの姿を封印しているから、剣技の邪魔になる羽根や尻尾はない。今度は彼に勝ちたい。
何度も離れてはかち合い、切り結ぶ。
彼は器用にライラヴィラの二本の剣を一本の剣で捌く。
ライラヴィラはわざとタイミングをずらして予測しづらい剣筋を描いた。
彼の動きを見て、遂に一瞬の隙を見つける。
右の剣で彼の剣を払いつつ、彼の喉元に左の剣を突きつけた。
「勝負あり!」
ライラヴィラは審判を務めるディルクの声と共に剣を引いた。氷晶の長剣が普通の短剣に戻る。それを魔法収納で手元から消した。
マスクの男も構えを解いて、手にしていた剣を立ち会っていた勇者に渡した。
広場に静けさが漂ったあと、一斉に大きな拍手喝采が上がった。
男は腕を上げて無言で歓声に応えると、背を向けて退場する。ライラヴィラも両腕を振って観衆に応えた後、慌てて彼を追いかけた。先を進む男は早足で広場を抜けて、両脇に低木が並ぶ小道に入っていく。
彼はうしろから駆けてくる人の気配にとっくに気付いてたかのように、突然振り向いて立ち止まり、そこに飛び込んできたライラヴィラを抱きしめた。
彼女は走ってきた勢いで彼の胸元に当たってしまったが、そのまま頬をつけて彼の背に腕を回す。体温と少し汗のにおいがするのを感じて、ライラヴィラは愛しい人の感触であるのを確かめた。
「今日は負けだ。さすがだな」
マスクの下から発せられた声は、やはりレグルスだった。
彼はマスクを外すと金の瞳を向けて満足気な笑みを浮かべる。
ライラヴィラは彼が頬に軽く触れてくるので、疑問を投げかけた。
「いつ、こっちに来たの?」
「ついさっき。あそこの勇者に面白いことしようって誘われて」
レグルスが広場の隅で佇んでいるディルクの方へ目線をやった。
その勇者は複雑な笑みを浮かべつつ、向こうからふたりを見ている。
ライラは恥ずかしさが湧き上がり、慌てて彼の背中に回した腕を外した。
「わたしも彼から声をかけられたけど、断ったのよ。なのにあなたが乗ってたなんて、意外というか、びっくり」
レグルスがなぜあの場に出てきたのか、理由が考えつかない。疑念の声に彼はライラヴィラの肩を撫でつつ答えた。
「あいつ、武器を置いたと言ってたからな。いろいろ思うところあるんだろう」
「そう、聞いたのね……」
「少しでも強いやつの技術を新入りに見せたかったんじゃないか。さっきも見ていたが、それなりにやれる者は僅かだったからな」
「うん、まだしばらくサンダリットは大変だと思う」
広場から今度は音楽が流れてきた。
昨夜、酒席を共にしたジャンとブルーノが演奏を始めたのが見える。
ライラヴィラはレグルスの手を取り、彼らの演奏が見やすい場所へ行こうと誘った。
「彼らはリーンの音楽仲間なのよ」
「そうか、なかなか良い音だ」
ふたりは目立たないよう人波を避け、広場の周りに植えられている樹々の影に立って彼らの演奏に耳を傾けた。
奥からジェイドに促されて、前に出てくるアイリーンの姿があった。
舞台に彼女があがると奏でられる旋律が変わり、歌姫の口が開かれる。
それは一度も聴いたことのなかった恋の歌。
きっと歌で彼に答えようとしている。
ジェイドはリーンにきちんと告白したのだろうとライラヴィラは確信した。
次は未来への希望が歌われた。観衆が手拍子で盛り上げていく。
歌姫の声も高らかに紡がれていった。
ライラの脳裏にこれまでの思い出が次々と巡っていく。
勇者の修行者として村を出て、帰ってきたときには大魔王になっていた。
自分はもう勇者になることはないけど、この村のみんなの仲間である気持ちは変わらない。勇者たちへの賛歌はこうして空へと響いていくだろう。
色々あったけども勇者村サンダリットで育ってよかったと、ライラは感謝の気持ちで感極まり、涙が滲んだ。
彼女の様子に気づいたレグルスがそっと肩に手を回してきたので、彼女は彼にもたれかかり身体を委ねた。
「いつ帰ってくる気だ?」
レグルスが拗ねたような声を出した。
「まだこっちに来てから、たった二日よ? 明日のオレンジ農園の収穫を手伝ったら、帰ろうかなと」
「自分の国のこともあるだろ。全く呑気な魔王様だ」
「じゃあ、あなたはどうしてここに来たの?」
ライラは逆に彼に聞き返した。そもそも彼は「魔界の花祭りの準備があるから来られない」と言っていたはず。
「来ちゃ、悪いか?」
「いいけど、びっくりした」
「じゃ、俺も今夜は人界で泊まって、明日おまえと一緒に帰るかな」
彼はライラの手をしっかりと握りしめる。
「見張っておかないと、また逃げられそうだ」
「もう逃げないわよ……」
ライラは何かごまかされたような気がしたが、この安らぎに今だけでも浸っていたいと願った。日がすっかり暮れて祭りが終わったあとは、ふたりで人界の空を飛んで、思い出の場所でもある隣町トステルで泊まった。
翌朝、ライラヴィラとレグルスは勇者村サンダリットのはずれにあるオレンジ農園へと出向いた。既にジェイドとアイリーン、ディルクやジョルジュ、キャロルも来ていて、村民総動員である。
「今日は全部採るから、みんな頑張れーっ」
アイリーンの掛け声で一斉に収穫が始まった。
ある者は風魔法で飛びながら丁寧にオレンジをもぎ取り、風に乗せてバケツにオレンジを入れていく。別の者は水魔法で綺麗に表面を洗い、竹のカゴにオレンジを移し替える。
体力のある戦士たちがカゴを担いで、村の計測場へと運んでいく。魔法も体術も未熟な新入り修行者は草刈りや掃除をしていた。
農作物は勇者村の貴重な収入源であるが、農作業は鍛錬でもある。慣れない者はオレンジを落とすなど失敗もするので、商品価値を落とさぬよう熟練者が傍らについて見守っていた。
見る見るうちに樹々に点在していた橙色が減っていき、カゴには見事なオレンジが盛られていった。
オレンジが運び込まれた倉庫では、大きさ色あいや糖度が光魔法により測定され、等級ごとに分けられていった。
「この山盛りのオレンジ、全部バザールとか青果店に卸すの? それとも、もう取引先は決まってる?」
ライラヴィラはディルクに訊いてみた。彼女が村で暮らしていた時は、おもに光魔法での測定を担当していたので、村の商取引については全く知らなかった。
「全部は決まってない。それがどうかしたか?」
「その、売ってくれないかな」
ライラヴィラはスペランザ城で何か人界のものが欲しいと言われてたのを思い出していた。従者の要望には出来るだけ応えたい。
「生だと日持ちしないから、加工用の、マーマレードに出来るのがいいかな」
「それならこの辺りのならどうだ」
ディルクがオレンジの山を示した。色合いは良いが酸味が強く、生よりも加工向きと仕訳けられたものだ。ライラはその質と量に納得した。
「人界の現金は足りないから、今回は物々交換でもいい? ここでは出せないから向こうで」
ライラヴィラはディルクと共に倉庫から離れ、芝生が広がる地面に厚手のリネンを広げた。宿に預けてあった大容量の魔導カバンを持ってくると、魔界から持ち出した素材や資材をカバンから取りだして、次々と並べていく。
「商売熱心だな」
ライラヴィラの楽しそうな様子を見ていたレグルスの口が開く。そのまま彼は勇者にも声をかけた。
「スペランザだけでなく、ソレイルヴァとも取引する気はないか?」
「今回はライラとの分だけしか無理そうだが、次は頼む。こちらとしても魔界の素材は貴重な治療薬が作れたり、魔力を帯びた武具を製作できるから助かる」
「そうか、次の機会に頼む」
ディルクの返事に頷く彼の笑みが、ライラヴィラには何かを狙っているように見える。彼も一国の魔王である。自国の利益になるものは欲しいだろう。
「レグルスも商売熱心じゃないの」
「人界との貿易独占は卑怯だぞ、大魔王リリス殿」
「こういう時に、その名前を持ち出さないでよっ」
「真実を言ったまでだ」
「もうっ、レ……!」
しかしライラヴィラの抗議の言葉はディルクが向こうを向いた時に、レグルスの唇で塞がれてしまった。
この時の彼の強引な口づけを何人かに目撃されてしまったのを、後でアイリーンから聞かされて赤面することになった。
ライラヴィラは鍛冶師マナリカの姿がないのを、村に来た時から気になっていた。一昨日からサンダリットにいるが、鍛冶工房を訪ねても扉はきっちり閉められており、彼女を全く見ていなかった。
取引を終えて、持ってきていた魔導トランクにオレンジを詰め込みつつ、同じく取引で入手した魔界の素材を仕分けしているディルクに訊いた。
「マナリカはどこかの工房に籠ってるの?」
「ああ、彼女は師匠の工房へ戻っている。そのうち帰ってくる」
「そうか、頑張ってるのね」
ライラヴィラはマナリカに深淵の紋章入りの武器について話したかったが、またの機会を待つことにした。
オレンジの収穫作業をすべて終えて、ライラヴィラとレグルスは魔界へ帰る前に賢者フォルゲルの家へと立ち寄った。今日は翁は在宅している。
「よく来た、ゲルナータから連絡がきておる。指輪を見せてくれぬか」
フォルゲルは椅子から立ち上がると、ふたりの前へと進んだ。ライラヴィラがそっと指輪が見えるように左手を差し出すと、レグルスもそれに合わせて左手を前に出した。
賢者が二人の左手を両手で取ると、絆の指輪が共鳴して紅く輝く。翁の淡い緑の瞳に紅い光が照り返す。
「良かったの。わしは、そなたらに詫びねばならん」
「絆を切ったことか」
レグルスは憤りを隠さず、重さを声に乗せる。しかし賢者は魔王の態度には全く動揺せずに頷いた。
「うむ、そしてそなたらが再会した時も、黙っておったことをな」
フォルゲルは手を離すとふたりを交互に見やった。
レグルスから漏れた溜息にライラヴィラは同情しつつも、翁がしたことを責める気にもならなかった。賢者の行動は全て何かの意味があるのだと、長らく共に暮らしていた彼女は理解していたからだ。
「そなたたちが再び出会った時に『二度目』があるかもしれぬとは予想していたが、それはまさしく現実となった。そなたたちふたりの強きつながり、きっとこれから必要になる。ひとりでは為し得ないことがある。太古のリリスが天主に勝てなんだ理由はそこじゃ。互いを大事にせよ」
翁は語り終えると、いつもの机の前に座って、幾つもの書物を同時に開く。そのまま彼女たちの方へ向くことはなかった。
「わしも、おのれの役割を果たそう。すべての未来のために。もう今日は魔界へ帰るがいい」
「……今はそれだけしか言えないってことか、頑固ジジイ」
レグルスは賢者の背中を睨んだが、賢者は答えない。彼は舌打ちして玄関の扉に手をかけた。ライラヴィラはそれに気がついて慌てて翁に挨拶をした。
「爺さま、また来ます」
ライラヴィラは玄関の扉を開けたレグルスと一緒に賢者の家を出ると、その場で広い転移魔法陣を展開する。彼と一緒に大賢者ハニンカムの住居近くのゲートへと移動し、そこから魔界のスペランザ城へと帰った。
◇ ◇ ◇
ふたりはスペランザ城のゲートに戻ると、地下階段を昇って城内に入った。そこには大魔王に仕える臣下たちが八人も並んで、主の帰りを待ち構えていた。
何やら春の花祭りでの目玉商品で揉めていたらしい。
ライラヴィラは持ち帰ったオレンジを魔導トランクから取り出して見せた。
「人界のオレンジよ。マーマレードに加工して売るといいわ。日持ちするから」
「陛下! 持ち帰ってくださると、信じてましたっ」
調理長オイゲンが満面の笑みを見せた。彼は早速オレンジを部下の調理師たちに運ばせる。
「スペランザの職人技術を披露する、またとない機会なのに」
鍛冶師マウニが溜息を漏らして呟く。前魔王ランダステンが魔界に名だたる錬金術師でもあったために、父を慕ってスペランザに仕えている職人が多いのはライラヴィラも知るところだった。
「そちらもすればいいのに? なんで揉めたの?」
「場所が足りないという話がありまして」
「そこは譲り合いでしょう」
ライラヴィラは従者たちに折衷案を示し、ようやく彼らは落ち着いた。城下町はまだ父の代のころの規模には戻ったとは言えない。もう少し建屋を増築するなどの対応をしなければと、彼女は考えを巡らせた。
「俺も帰るか。祭りの時はいつも従者たちがあれをやりたい、これをやりたいと喧嘩を始めるからな」
人界から一緒に戻ってきたレグルスからも珍しく愚痴がこぼれた。
「どことも同じなのね」
「それだけ皆、真剣だということ。そこは分かってやれよ」
レグルスは仕事に戻ると言い残し、即座に転移魔法で消えた。
「私も頑張るかな」
ライラヴィラは執務室に戻ると、机に積まれた書類の山を手にした。




