15ー2 杖の勇者
久しぶりの元、我が家である。
ライラヴィラは賢者フォルゲルの住う小さな建屋の扉をノックした。
すると背をかがめて出てきたのは大きな身体の勇者ディルクだった。
「ライラ、か?」
「あ、こんにちは……」
彼女は予想しなかった人物の登場に戸惑いつつも、家に入った。
白きエルフの翁は留守のようだった。
「ディルク、もう大丈夫なの?」
ライラヴィラはあの激しかった魔界での戦いでの彼を思い返す。
全身が目に刺さる光に包まれて正気を失っていた。
彼を助けるためではあったが、彼のみぞおちにあった光の欠片を破壊するときに重傷を負わせた。
でも奥に戻って何か作業をしている彼はいつもの穏やかな顔に見える。
「あんたのおかげだ。あの時は悪かった」
ディルクが台所で何かしながら応えた。
彼は以前はいつも戦士の格好をしていたのに今はローブを着て、まるで魔導師か治癒師のようだった。
「ディルク、いつもと格好が違うけど、どうしたの?」
ライラヴィラはリュックを脇に下ろして、応接用のソファーに座った。
「俺は武器は置いた。今は杖を手に、賢者様の元で新たな修行をしている」
ディルクは彼女の前に紅茶の淹れられたカップとマドレーヌが乗ったトレイを置いた。ほのかにオレンジの香りがする。
「どうして? あなたほどの勇者が」
「俺は勇者失格だ」
彼はライラヴィラの向かいに座った。手を組み、伏し目がちに口を開く。
「同じ勇者であるジェイドや仲間であるアイリーンにも刃を向けた。そして村の仲間であった、あんたにも」
「それは、あなたのせいじゃない」
彼女はディルクに視線を向ける。仕方なかったことで罪ではないと彼女は続けた。
「いや、俺は自ら、あのクロセルの元へと行った。望んで『光の欠片』の施術を受けた。その結果どうなるかなんて考えてなかった。ただ魔族への恨みと憎しみだけで動いていた」
彼もライラヴィラのほうへ強い意志を感じさせる瞳を向けた。
「俺は自らの過ちを糧にする。これからは人界の人々のために、恨みや憎しみからではなく、平和と調和のために尽くす」
ライラヴィラは彼が出してくれた紅茶を口にし、マドレーヌをかじった。
「おいしいね、ディルクって料理上手いから。私はダメだったな。いつも失敗してしまう」
ライラヴィラは作り笑いをする。彼の言葉にどう応えようかと迷って、ごまかした。ディルクの決意は立派なものだが、そこまでしなくても、すでに彼は勇者である。もう十分すぎるくらい、世界のために力を尽くしたと思う。
「賢者様からあんたのことは説明された。真の大魔王、闇の深淵の守護者リリス。遠い時代から幾度となく起こった、悪鬼アモンの厄災を収める調和の存在なのだと。もう悲劇は繰り返すことはないとな」
ディルクは手を組み、顔を上げてライラヴィラを直視する。
彼女も勇者の意思に応えようと、ゆっくり無言で頷いた。
「そういえば、少し前に森の湖の方から莫大な覇気を感じた時があったが、こっちに来ていたのか?」
彼にはレグルスからの逃亡劇がバレていた。
リリスの覇気はそれと分かる者にはすぐに探知される。目の前の彼も勇者だ。
「少しのあいだだけ……リリスのままで人界に来てしまった。あの時はリリスの力を封じることが出来なくて。今は大丈夫よ。この通り、小さいツノが生えてるだけで、ダークエルフの時とほとんど変わらないから」
「それでもあんたからは奥底に眠る物凄い力を感じるな。並の術者や闘士では分からんだろうが」
ディルクが席を立った。玄関へと手招きをする。
「今日明日は村中で宴があるんだ。見ていかないか。時間があればジェイドの家にでも泊めてもらえばいい」
「春の還元の祝祭?」
「ああ。ただ、すまないが頭のツノは隠してくれ。まだまだ魔族や大魔王に対する偏見は強いものがある。この村は新しい人間が増えすぎた」
「うん、わかった。じゃ、また後で」
ライラヴィラは賢者にも会うつもりだったが、待ってても翁は帰ってきそうにないので勇者の邪魔にならないよう家を出た。
彼女は外で魔導カバンからつばの広い帽子を取り出して被り、厚手のリネンの手袋をはめた。魔族であることを隠すためである。
彼女はリュックを背負い、高台の家からのんびりと集落の中心へと降りていく。
春の柔らかい空気を楽しみながら治癒院の扉に手をかけようとしたら、親しんだ歌声が聞こえてきた。
親友、アイリーンからの響きだろう。彼女が密かに教えてくれた夢の音楽。
ライラが村の風景の絵を描き、その隣で歌うアイリーン。それが昔の村での光景だった。
今では彼女は治癒術のエキスパートで、自分は大魔王。
とんでもない運命である。
透き通る歌声が途切れたので治癒院の裏口の扉を開けた。
「やだっ、練習聴いてたの?」
アイリーンがライラヴィラの顔を見つけた。
「いい歌声、聞いちゃった」
ライラは心躍る気分で声をかけた。
「今日は夕方から還元の祝祭があるから、歌を披露することになっちゃったのよ。友人の音楽家も二人来てくれるの」
「そう! 私いいタイミングで来たのね」
アイリーンは仕事がひと段落してるらしく、片付けの途中のようだった。
「ライラ、時間あるなら泊まっていけば? ジェイドのところのモニカおばさんが、あなたのことをずっと心配してたわよ」
「うん、そうする。おばさまには去年の夏からずっと会ってなくて。久しぶりに会いたいな」
ライラヴィラは仕事中のアイリーンにまた後でと告げて治療院を出た。
裏道から表通りに出てしばらく歩くと、三階建ての大きな建物の前にライラヴィラは立った。ここが勇者ジェイドの生家だ。
ライラヴィラは赤ん坊の時に離乳するまでの数ヶ月、賢者からここに預けられ、ジェイドの母モニカに授乳され育てられた。
モニカは勇者を志す修行者のための宿を女手一つで経営するおかみである。彼女はここサンダリットの仲間たちの世話をしていた。
──宿には今でもきっと勇者修行をする誰かがいるはずだ。私が魔族であることは事情を知らない人には伏せねばならない。
「こんにちは、お邪魔します」
ライラヴィラは玄関から広いロビーに入った。
案の定、知らない顔が二人あった。
そして、以前トラヴィスタからライラが護衛した少女、キャロルの姿もあった。
「あっ! まさかライ?」
小柄のくせ毛が肩にかかる少女はエプロンをしていて、宿で何かの手伝いをしているようだった。手を止めてライラヴィラの方へ早足で歩いてくる。
「久しぶり、こんにちは」
ライラヴィラは彼女を村まで送ったあと、どうしていたかと思っていたので元気そうな姿を見て安心した。
「私、ここで働きながら、学び舎にも通わせてもらってるんです」
「そうなの! 良かった。それと私の名前、ライラヴィラというの。村のみんなはライラって呼ぶわ。ライってのは仕事用に使った偽名」
そうキャロルに告げると、彼女の顔が曇った。
「……知ってます。秋に魔族が村に現れた後に聞きました。遠目でしか私は見てないけど」
ライラヴィラは彼女にも魔族の姿を見られていた可能性を忘れていた。
「そう。見られちゃったか」
「でもライラさんがそんな悪い人だなんて思えなかったし、ここのモニカさんから聞きました。勇者の乳兄妹だって」
「少年たちはどうしてるの? ほら、一緒にいたでしょ」
「ふたりは村での生活が合わないって、あれからすぐ出て行ってしまって」
修行宿のロビーでキャロルと話していると、階段から大きな音を立てて勢いよく降りてくる大柄の中年の女が現れた。
ライラヴィラの方へ迷うことなく駆け寄り、満面の笑みを浮かべ、たくましい腕で思いっきり抱きしめる。
「ライラ! ああ、無事だった!」
勇者ジェイドの生母、モニカだった。邪魔にならないよう短く纏めた髪は金髪で、目元も勇者に似ている。
「もう半年以上も見てなかったから心配したのよ」
「連絡できなくて、ごめんなさい」
ライラヴィラは彼女に抱きしめられた感触を懐かしく感じた。
「ジェイドから聞いてるよ。こっちへおいで」
ライラヴィラはキャロルにまた後でと告げて別れ、モニカについていく。彼女に促されて宿の空き部屋に入った。
「よく頑張ったね。姿を見せて」
ライラヴィラは乳母である彼女には魔族になったことを打ち明けようと、被っていた帽子を外し、手袋も外した。
「ジェイドから聞いてるよ、ツノがあるって。ツメも黒いのね。あら?」
モニカはライラヴィラの左の薬指の指輪に気づいた。
「いつの間に、いい人ができたの?」
「あ、えっと、最近……」
ライラヴィラは指輪の彼が魔界の魔王だとは言えなかった。さすがにそれは乳母である彼女にショックを与えてしまうだろう。
「ジェイドが言ってたわよ。あんたを命懸けで守った男がいるって。きっと贈り主はその男ね。あぁ素敵ねぇ!」
モニカは夢見るようにつぶらな瞳をまばたきさせてライラヴィラを仰ぎ見る。ライラヴィラはジェイドがどこまで彼、レグルスのことをモニカに教えたのか気になった。でもあまりこちらから探ると具合が悪い。
「部屋は空いてるから好きなだけ泊まっていきな。今日から還元の祝祭が始まるから、ゆっくりしておいき」
ライラは久しぶりということもあり、モニカの言葉に甘えて数日この空き部屋を借りることにした。
部屋が空いてるのは、勇者村を訪れてもすぐに修行を諦めて去る者が圧倒的多数で、キャロルのように村に残る子は今はほとんどいないからだと聞いた。




