十歳 本当の出会い
──十二年前、俺が十歳の時。
俺は親父から呼び出された。
父はソレイルヴァの魔王、ライアス。
この広大な魔界の火山国の支配者で、三人の子がいた。
姉はマティルダ、兄はレオノール。
ふたりとも俺とは親子かと思うくらい歳が離れてる。
ひと月前に母が病で亡くなり、幼い俺はいつも怒るか泣くか、時には暴れた。
母の面影を探した。
侍従の子が母親と一緒にいるのを見ると、部屋に閉じこもった。
母の作った料理が食べたいと、城の調理師に当たった。
そしてやがて、何をどうしても母は居ないのだと諦めた──。
「レグルス、来たか。支度しろ」
親父がいつもとは違う、見慣れない格好をしていた。魔王らしからぬ一般の民の軽装だった。
「支度? どこか行くのか? 姉貴や兄貴は?」
急に言われて訳が分からなかった。
「人界の賢者に会いに行くが、今日はおまえを連れて行く」
「何だって! ツノのない人間が住んでるという世界か?」
「早くせい」
俺は従者の手を借りて準備をし、親父について行った。
ミラリスゲートを通ったのは初めてだった。
この門で隔たれた向こう側が未知の世界、人界。
おまえが通れるかは分からないと親父から言われたものの、問題なく一緒に通ることが出来た。
「マティルダとレオノールは駄目だったが、おまえは通されたな」
そう親父は言っていた。なんでも門は生きており意思があり、認められないと通してもらえないと言われた。
子どもの俺は親父の広い背中におぶわれて、空を高く飛んで彼方の山の方へと向かった。
多様な色彩が鮮やかな魔界とは違って、一面が緑の森に囲まれた小さな集落が見えてきた。そのはずれの高台に建っている一軒の家の前で、俺は降ろされた。
親父は玄関の扉をノックもせず、手をかけて遠慮なく開く。
「フォルゲル殿、今日も生きてるか」
親父は冗談とも取れない言葉を年老いた賢者に投げかけた。
「生きとるわい。少し間があいたな」
老賢者と親父はどういう訳か相当親しいように見えた。
翁は真っ白な髪と肌をしていて、淡い緑の瞳に尖った耳をしている。
その頭にツノは無かった。
俺は魔界で無理やり被せられたターバンを取ろうとしたが、親父の手に抑えられた。
「息子だ。この子はゲートを通れた。名はレグルスと言う」
そして親父は俺の頭を押さえつけて、賢者に下げさせた。
「元気なのは良いが、度が過ぎて暴れん坊でな」
そう親父が笑いながら言うと、賢者は俺を見つめる。翁の眼が鋭く俺を刺してくるようで、恐れを感じるほどだ。
「良い瞳をしておる。ここへ連れてきたということは、この子に後を継がせる気じゃな」
「そうだ。上の二人にはない強い輝きと魔力がある。そして頭も良い。何より心が純粋だ」
俺は親父に褒められたような気がして、まんざらでもなかった。
「ただいまぁ」
玄関から子どもの声が聞こえた。
何やら大きなカゴを抱えた女の子が入ってくる。多分俺より年下だろう。
「だあれ?」
女の子は俺と親父の方を見た。
その子はほんのり青く光る銀髪を肩で切り揃えて、肌は淡い紫色。耳が長く尖っていて、こちらを見る瞳は魔族でも少ない真紅だった。
「ライラヴィラ、その荷物はわしの部屋に置いてきてくれ」
「はーい」
女の子は身の丈に合わない大きなカゴを持って、ふらふらしつつ奥へ入った。
「フォルゲル殿、人界で魔族の子を育ててるのか?」
親父が俺が感じたのと同じであろう疑問を投げかける。
ツノは無かったが、少女の見た目は魔族と言っても間違いない。
「あの子は人界のダークエルフじゃ。ごく稀に、わしのようなライトエルフから生まれる。ああいう見た目だからの。生まれてすぐにわしが預かり、この村で育てておる。ようやく八歳になった」
ダークなんとかライトなんとかは、よく分からなかった。人界の人間の種類だろうか。魔族はツノが頭にある以外、見た目に統一性がなく多様だ。人界に住むものたちもツノが無いだけで、様々な種族がいるのだろう。大きいのや小さいの、獣の耳や尾があるのもいると聞いたことがある。
「ライラヴィラよ、客人に茶を出してくれ」
賢者が言うと、奥から女の子の返事が聞こえてくる。
そしてトレイに四つのコップを乗せて持って来た。
「ひとつ多いぞ」
賢者が苦々しく注意する。
「え? だって、爺さま、おじさん、おばさん、男の子、よね」
俺はおかしなことを言うなと思った。おばさんに相当する人はこの場に居ないからだ。
「また見てはならぬものを見たな、ライラヴィラよ」
そう賢者が言うと、女の子の顔色がさあっと変わった。
「え……」
「しばらくジェイドの家で遊んできなさい」
賢者の言葉に女の子は俯いて、そして家を出て行ってしまった。
あの子は別に何も悪いことはしてないよな、お茶の数を間違えただけなのにと、賢者が叱るのは変だと思った。
「あの子の瞳は、まさか魔眼ですか? フォルゲル殿」
親父が訊いた。
魔眼というのは、魔族がごく稀に持って生まれてくる才能だと聞いたことがあった。
でもあの子はダークエルフだと目の前の賢者は言った。魔族ではない。
「うむ。見なかったことにしてくれ」
賢者が目を伏せた。
俺は無性に気になった。人界人なのに魔眼だって?
あの子が「おばさん」と言っていたが、本当に何か見たのだろうか。
俺は賢者の家を飛び出して、あの子を追いかけた。
「レグルス! 勝手に外へ行くな!」
親父の声は聞こえなかったフリをした。
賢者の家を出ると木々に囲まれた緑の小道が続いていた。
魔界の植物とは全く違う。
一面が緑、翠、みどり。地面と木の幹が茶色。
同じような色が延々と続いて、自分がどこにいるのか分からなくなりそうだ。
見上げると眩しい球と青い空が広がっていた。
あの球は少し前に学んだ『太陽』かもしれない。
ずっと見ていると目をやられると本に書いてあったのを思い出して、空から前方に視線を戻した。
息巻いて走ったが、魔界の空気と何かが違う。
吸うと少し喉がチクチクする。
人界の空気には光の粒子が浮いていると学んだ。
魔族の俺には毒なのか?
しかし、しばらくすると慣れてきた。大丈夫そうだ。
俺は集落の中へと足を踏み入れた。
人影はまばらだったが、みんな見た目が魔族とは何となく違っていた。
背の高いの、低いの、肌の色は褐色からオークル、もっと淡く白くて桃色がかった人もいた。
みんな頭にはツノが無かった。
そうか、だから親父は俺がターバンを外すのを止めたのか。
向こうのほうから子どもの声が聞こえてきた。
あっちにさっきの女の子がいるかもしれない。
一軒の大きな建物から子どもの声が聞こえている。
鍵はかかってなかったので勝手に入った。
そこにはさっきの女の子と、女の子より少し背が高い男の子がいた。
女の子は鉛筆やクレヨンを机の上に広げて何か描いていた。
「できた!」
女の子が紙を両手で持って、向かいの男の子に見せた。
「へえ、ライラが見たのはこの人?」
「そう。爺さまは見てはダメって言うけど、見えてしまう」
俺は彼女が見たものが気になって、いきなり頼んだ。
「おい、それ見せてくれよ」
ふたりは俺の方を向いた。男の子のほうは俺に眉を寄せた顔を見せる。
「あ、さっきの子」
女の子が応えた。少し丸い目をして俺に驚いていたようだが、すぐに普通の顔に戻った。確かに紅くて不思議な力を感じる瞳だ。
「俺はレグルス。おまえは?」
「ライラ。こっちはジェイド」
俺はライラにもう一度頼んだ。
「さっき見たものを描いたのか? 見せてくれ」
「いいよ」
彼女がそう言ったのですぐに紙を引ったくった。
そこには、亡くなった母の顔があった。
「これは……!」
そしてライラは俺の方をその真紅の瞳で見つめた。
俺と視線が合わない、いや俺の後ろを見ているのか?
「今も見えるよ。おばさんがレグルスの頭を撫でてる」
俺は母のその姿が、彼女を通して見えるようだった。
母が、居た。
「うわああぁぁぁ──!」
俺は泣き崩れた。亡くなった母がいま俺の後ろにいるのだと。
「ここに居たのか、レグルス」
親父が慌てて建屋に入ってくる。
俺はただ大声で泣き続けた。
ライラが描いた母の絵を握りしめる。
「これは?」
親父が俺が手にしていた絵に気がついた。
「私が、描いたの」
ライラが言った。
「泣くって、思わなくて」
そしてライラも涙が溢れだした。
「見ちゃダメって言われたのに、ごめんなさい……」
俺とライラはずっと一緒に泣いた。
親父が魔界へ帰ると言う。
目を腫らした俺は、ライラにこの絵をくれと頼んだ。
ライラは泣き腫らした紅い目で、あげると頷いた。
俺はそれを大切に懐にしまった。




