13ー3 身体感覚
──その頃、ライラヴィラは。
スペランザ城の自室で憂鬱になっていた。魔女ゲルナータの家でいろんな物を壊してしまったからだ。
大魔王はやっぱり城から出ない方が良かった。迷惑をかけてしまった。
侍女長ミリィが食事を持ってきてくれたが、ほとんど手をつけなかった。彼女には心配されたが「動いてないからお腹が空かないだけ」と誤魔化した。
ふと、部屋の外のテラスから転移魔法の気配を捉えた。知った体格、黒髪と褐色の肌、頭には立派な二本のツノ。誰なのか察したときに心がときめく。
「おい、人界から届け物だ。預かってきた」
レグルスが執務室にテラスの窓を開けて入ってきた。両腕で何か大きな紙袋を抱えている。
──どれくらいぶりに彼の姿を見ただろうか。
いつもの眩しい、凛々しくて背の高い眉目秀麗な魔王。
「なんだ、今日は冴えない顔をしてるな」
ライラヴィラは彼のいつになく優しい声に安心して、思い切ってさっきの出来事を打ち明けた。
「少し前に魔女さまの家に行ってたんだけど、失敗しちゃって。羽根や尻尾で色々壊してしまった……」
レグルスは躊躇なくプッと吹き出し、ニヤリと口の端を上げる。
「おまえ、まだリリスの身体に慣れないのかよ。そろそろ慣れてもいい頃だろ」
──優しいは撤回。彼の言葉にちょっと頭に来た。人がこんなに悩んでるのに笑うなんて。
「よく言えるわねっ、あなたは羽根も尻尾も生えたことないでしょ!」
「まあ、ないけどな」
彼は抱えていた包みをライラヴィラに差し出した。柑橘系の爽やかな香りがする。
「早春のオレンジらしい。サンダリット近くの農園で収穫したからと。あと伝言も預かってる」
「わあ、これ好きなのよ」
ライラヴィラは包みを受け取り、中身を確認してから棚の上に置いた。
きっとアイリーンからだろう。親友の心遣いに気持ちがほぐれた。
「ディルクの身体や記憶は問題ないと。近いうちに謝罪に来たいとも言ってた」
レグルスは大魔王の執務室に置かれている長ソファーに深く腰掛ける。
「謝罪なんていらないのに。でもレグルスはどうしてわざわざ人界に?」
魔王の仕事を優先する彼がする行動ではないと、ライラヴィラは疑問に思った。
「今のおまえは、人界に行きたくても行けないだろ? 気にしてるかなって。俺も勇者があの後どうしてるか、ちょっと気になっただけ」
「そう、ありがとう」
ライラヴィラは彼はやっぱり優しい人だと思い直した。きっと今のリリスの姿でサンダリットに自分が行くと、また騒動が起こると察してくれたのだろう。
「それはそうと」
レグルスはソファから立ち上がり、窓辺に立って外を眺める。
「いい天気で暖かいし、大魔王様に剣技の手合わせでもお願いするかな? おまえ、ほとんど外に出てないだろ」
ライラヴィラは外と聞いて、一気に不安になった。また周りを壊したり、彼を傷つけるかもしれない。
「今の私だと、どうなるか……」
「俺をみくびるなよ。身体なまっちまうし、おまえくらいの手練れじゃないと修練にならん」
ライラヴィラはこちらへ振りむいて頼んできた彼に、いろいろ言い訳をしてみたが全て否定された。そして半ば強引に、城から引っ張り出された。
◇ ◇ ◇
ふたりはソレイルヴァ領のはずれに来た。この辺りは火山帯からは少し離れており、砂と岩肌が剥き出しの荒れ地が広がる無人区域だ。
「良い場所だろ。ここなら多少ぶっ放しても大丈夫だ。そうそう剣技の修練だから魔力を乗せるのは無しな」
「うん、わかった」
ライラは修練用の細身の長剣二本を両手にそれぞれ持って、構えた。
レグルスも大剣だが愛用の業物デュランダルではなく、普通の鋼のものを手にしていた。
「いいから手抜きは無しな。俺のプライドが許さん」
彼の合図でふたりは剣を切り結んだ。
ライラヴィラはリリスの羽根や尾があることで、身体のバランスが取りにくかった。軽く細やかないつもの動きは出来ず、大雑把になり、レグルスの剣を受け流すだけで精一杯だった。打ち返すこともできない。
「少し休憩にする」
レグルスは大剣を魔法で収納した。持ってきていた魔導カバンから瓶を取り出して、透明の液体をごくごくと飲んでひと息つく。ライラヴィラも長剣を収納する。
「ほらっ、おまえの分」
彼が手にしていた瓶に栓をして放り投げたので、ライラヴィラは割らないように慌てて両腕で受け止める。背中の羽根の重みでバランスを崩しそうになって、足元が少しよろめいた。
そっと栓を外すと軽く空気が抜けた。口をつけると瓶は魔法で程よく冷やされていて唇を落ち着かせ、中の炭酸水が喉を程よい刺激で潤した。
「自分の手足のように、羽根も尾も感覚的に捉えられないと、元のようには動けんぞ。おまえのそれは身体の神経や筋肉に繋がってるもので、取って付けたようなものではないだろ」
彼の指摘は全くその通りだった。だからあちこちに羽根や尻尾をぶつけてしまうのだ。今ももう少しで炭酸水の入った瓶を落として割ってしまうところだった。
「だからこうすれば……覚えが早いかな」
レグルスはライラヴィラの背後に来て、両手で二枚の羽根を掴んだ。
「ひゃあぁっ!」
ライラヴィラは羽根という慣れない場所の触覚と、彼が触れたという二重の驚きで叫んでしまった。思わず手にしていた瓶を滑らせて放してしまい、慌てて受け止める。
「そんな大声出すなよ。俺は真面目にやってるんだぞっ」
「そんなの、予告なしに触られたら、声も出るわっ」
しかしレグルスはライラヴィラの抗議を無視して、羽根から手を離さない。
「触覚で、どこまで自分の羽根や尾があるのか覚えるんだ。ツノの長さもこれまでとは違うしな。あとはとにかく身体を動かす。それしかない」
レグルスは説明しながらライラヴィラの羽根を位置を変えて掴み、触れてなぞる。彼女にゆっくり動かしてみるようにと指示した。ライラヴィラは緊張から身を固くしたが、少しずつ伝わってくる彼の手の感触で、自分の背中に生える羽根の大きさを自覚する。
——この早まる心臓の鼓動が、彼に聞こえてしまいそうで怖い。
彼の手で二枚の羽根がひと通り撫でられると、今度は頭に二本生えている長いツノに触れてきた。今までは銀髪から少し見えているだけだったので、ツノが何かに触れることは無かったのだ。
「あとは尻尾だが……そこは自分で触って確認しろ」
「あ、うん」
ライラはなぜか安心した。
羽根はともかく、尻尾を彼に触られるのは妙に恥ずかしく思った。
「触ってもいいなら触るけど」
「それはダメっ」
「そうだろうな」
彼が小さな笑みを浮かべたので、さらに羞恥心が加速する。
レグルスが再び大剣を構えたので、ライラヴィラも長剣を構え、再び切り結ぶ。
リリスの全身に感覚が戻ってきた。
自分の身体を隅々まで意識して動かす。背中の羽根も、臀部に生えている細長い尾、そして頭の長く伸びたツノがどこまであるのかも。
二本の剣で宙を舞う。足取り軽く踏み込んで彼に飛びかかる。
しかしレグルスの剣筋は素早さと重さを兼ね備えており、ライラヴィラは二本の剣のうち一本を吹っ飛ばされて降参した。
「さすがは『魔眼の剣姫』、身体感覚を身につけるのが早いな。もう羽根や尻尾をぶつけることは無いだろう」
「うーん、悔しいけど楽しかった! レグルスのおかげね。外に連れ出してくれてありがとう」
「やっといつもの顔に戻ったか」
彼はそっと歩み寄りライラヴィラの頬に軽くキスをしてきた。
「えっ、そのっ、うん……」
ライラヴィラは顔面から熱い気持ちが吹き出しそうになり、彼の顔をまともに見られなくなって俯いた。
──頬の火照りを抱え、彼の心遣いを強く感じる。
いつまでも落ち込んでいられない。
彼だって魔王だ。忙しい時間をぬって付き合ってくれたのだから。
どうしてこんなに自分の気持ちを見透かされてるんだろう。心を隠したくなるけど、彼と過ごせる嬉しさが溢れてしまう。
二人はきりの良いところまで剣技の修練を続け、夕暮れ時にそれぞれの城へと帰った。
◇ ◇ ◇
──レグルスはソレイルヴァ城に戻った。転移魔法で直接奥へと現れる。
領主マティルダが珍しく顔を見せていた。美しい黒髪を纏め、小麦色の肌に紅い唇。女性らしい体の線を惜しみなく出している麗しき姉。弟である魔王とは親子ほど年が離れているのに、年齢を全く感じさせない。
「姉貴か、こっちは特に問題ないぞ。人界からの襲撃の騒動も収まった。しばらくは俺も溜まってた通常業務に取り組む」
レグルスは自分の執務室に積まれていた文書の束を手に取った。
「リリスの誕生を祝うための、国家行事はやらないの?」
マティルダに訊かれた。
「ライラがまだ落ち着いてないからな。まずはあいつが普通に人に会えるようにならんと、何も出来ない」
レグルスは長いため息をついた。
──リリスの力が莫大なのは理解していたが、今のライラでは何かと不自由だ。
今日会ってみて、身体の感覚は戻ると確信できた。
ただあの覇気は俺一人ではどうにもならない、無力感が苦しい。
「人に会えないって、彼女のパワーのこと? それならあなたが肩代わりすれば良いんじゃないの?」
レグルスは姉からの助言に、良い方法があるならと考えたが、しかし。
「そんなもの、思いつかん。『盟約の楔』は大魔王から深淵の力を借りる契約だし、他に何があるのか?」
レグルスは姉を疑問の目で見た。彼女は妖艶な微笑みを返してくる。
「簡単よ。あなたがライラヴィラと結婚すれば良いのよ」
「はあぁぁぁ──────っ⁉」
レグルスは手に持っていた書類の束を床にぶちまけた。
「姉貴! いくら何でもそれは非現実的だぞ! そりゃ、けっ、結婚すれば、夫婦間で力を共有したり出来るのかもしれんが、俺はあいつとは、そこまで……!」
レグルスは慌てて書類を拾い集めた。
「あなた、気がついてないの? ツメが紅みを帯びてるわ」
マティルダがはっきり告げた。
姉の指摘に、魔王は書類を拾う手を止めた。
「ああ? これはこの間のクロセルとか言う、ややこしい人界の僧侶と戦った時の後遺症だ」
──あの時から、ツメが時々紅いツヤを帯びるのは気がついていた。
でもこれを認めると、彼女に決断を迫らないといけなくなる。
それは、今のあいつには負担になりすぎる。
「レグ、彼女のためにも、素直になりなさいな」
マティルダは流し目で微笑むと、レグルスの執務室を出て行った。




