朝——陛下と臣下
二章ラストの数日後を描いた番外編です。
いつもとは違い、大魔王の第一の従者ベルントの一人称になってます。
大魔王付きの侍従の朝は早い。
夜明け前に起きて身支度を整え、先に軽く食事を済ませた。
勤務表を見て、産休が一人、有給休暇が二人いるのを確認する。城に仕える従者を適切に休ませるのも大事な仕事だ。
昨日の業務が滞りなく済んだのか確認して、今日の仕事を確定させた。
早速、私は主の執務室へと向かった。間もなく朝食のお時間。その時に本日のご予定を報告に上がるのが私の最初の仕事である。
「ああっ! ごめんなさいっ!」
若い女性の澄んだ声が聴こえてくる。そちらへ顔を向けると、漆黒の大きな羽根を生やした青銀髪の主君が、空調魔導具番の侍女を抱えて背中をさすっていた。
「あ! ベルントっ、彼女が突然倒れてしまって」
声の主、大魔王ライラヴィラ陛下が青ざめた顔で私の方を向いた。私は足早に向かう。
「覇気に当たってしまったのでしょう。私が医務室まで彼女を運びますので、陛下は一旦お部屋にお入りくださいませ」
しかし陛下はそのお優しい性格から来る申し訳なさからか、ご心配なさってその場をなかなか離れられない。
「陛下。先ずはあなた様の覇気から彼女を離しませんと、このままではますます具合が悪くなりますので」
こういう時は率直に申し上げることにしている。
どうも陛下は何事も自分が責任を取らねばならないと思い込むようで、もう少し魔王らしく堂々と『任せた』とでも申してくだされば、臣下も仕事が捗るのだが。
「……頼みます」
小声で呟くようにお応えになった陛下は執務室に入られた。私は向こうから朝食の用意されたワゴンを押してきた妻、侍女長ミリィに倒れた侍女の世話を任せた。
ミリィから食事のワゴンを引き継ぎ、朝食をお出しするため執務室の扉をノックして開ける。案の定、責任を感じた主が暗い顔をして執務室の椅子に座って俯いておられる。
「朝食をお持ちいたしました。先程の侍女はミリィが医務室へ連れていきましたので、ご心配なさいませんよう」
ここまで申し上げないと陛下は安心してくださらない。もう少し臣下を信頼していただきたいものだ。
「ありがとう」
ようやく声色に強さが感じられた。私の気持ちも引き締まる。
陛下の前に食事を並べ、お好きな紅茶を淹れて、私は今日の予定を申し上げた。
「午前中はひとときほど、各部署より上がってきております要求予算の決済をしていただきたく。昼食後は久しぶりに何も業務がございませんのでごゆっくり、とはいきませんか」
陛下の深いため息が漏れてくる。
「さっきもだけど、ばったりすれ違うだけでも人が倒れたり腰を抜かされてしまうから、外出は出来ないわ」
主は数日前に天からの襲撃を見事に退け、その折に『闇の深淵の守護者リリス』という存在に覚醒なされた。
陛下の今のお姿は我々魔族の中でも異質。頭には莫大な魔力を示す長く伸びた大きな二本の黒いツノ。背中にはコウモリのような形の背を超えるほどの大きな漆黒の羽根が二枚、そして細長く伸びて先が矢のように尖った黒い尻尾が垂れる。
リリスの誕生は魔界の長い歴史で脈々と続く、歴代の大魔王で二人目だと深淵の魔女殿から教わった。魔界を支える『闇の深淵』の莫大な常闇の力を直接行使することができ、いわば深淵そのものと言ってもいいらしい。
そのため常に周囲にその力が覇気として漏れ出ており、その力に耐えられない者たち、いや、この世界に生きるほとんどの者が陛下の覇気には耐えられず、倒れたり失神してしまったりする。
陛下は臣下や国に住まう民たちとの交流を積極的にされるお方だったため、人と会えないことは相当堪えておられるようだ。
しかし我々従者は誰一人として解決手段を持っておらず、こうして陛下のすぐ近くで仕えられる者もごく少数しかいない。現に城内では私か妻のミリィしかまともにお相手できない。衛兵長ですら昨日はめまいを起こして業務を離れる始末である。
「ごちそうさま。決済の必要な書類はいつでも持ってきて。どうせ人に会えなくて暇だし、あ、そうだ」
何か思いつかれたのか陛下の表情が明るくなった。
「身体が鈍っちゃうから、ベルント、昼から武術の相手をしてよ」
「今の陛下のお相手となりますと、私いくつ命があっても足りませぬ」
かつては魔王の右腕と呼ばれた私だが、もう五十もとうに過ぎて伝説の存在であるリリス様のお相手など務まらぬ。
おそらくまともに陛下の武芸のお相手ができるのは、世界中探しても魔界の魔王様方か人界の勇者のみであろう。それすらも怪しいくらいである。
途端にガッカリ肩を落とされた陛下を慰めようと、お声をかけた。
「魔王レグルス様にお願いされてはいかがかと」
伝説の大剣デュランダルを擁する『紅蓮の剣王』である、あのお方ならばと私は提案してみた。
レグルス様はどうやら陛下にただならぬ想いを抱いておられるようで、特に我ら臣下が頼んでもいないのに面倒ごとを引き受けてくださる。陛下のお父君であられる、かつての魔王ランダステン様が愛された魔王妃リーヴィー様のために、数々の困難を承知の上でミラリスゲートのあるこの地に立国築城を決意なさった時のように。
「彼は自国のことで忙しいから、頼めないわ」
そう仰ると、ライラヴィラ様はご自分で食べたものの片付けを始められた。私は慌てて陛下の手を止める。
「私の仕事を奪わないでくださいませ」
「自分のことくらい自分でするよ。食器を洗って片付けるくらいどうってことは」
「我々、大魔王陛下の臣下一同、あなた様のお役に立ちたいのでございます」
陛下は二十年もの長きにわたって人界で平民として生きてこられた。魔界の統治者たる大魔王と為られてまだ半年も経っておらず、どうにも頂点に立つ王者としての自覚が足りない。
「あっ! やっちゃった」
皿が割れる音が部屋に響いた。陛下がご自身の尻尾を椅子の足に引っ掛けてよろめいた時に落とされたのだ。
「だから私が片付けますと」
私は淡々と手早く割れた食器を片付けた。側には目を伏せがちにご覧になる陛下が立たれている。部屋が綺麗になったのを確認された陛下の口が開いた。
「ムスタの森に出かけてくる。書類は机に置いておいて、後で目を通すから」
そう仰って、お顔を逸らしたまま転移魔法で消えてしまわれた。
きっと気持ちを切り替えるために、誰も近寄らぬ深淵近くの森へとお隠れになられたのだろう。今の陛下は覇気に加えて、羽根や尻尾の生えた慣れぬ身体で人との交流がままならぬ。きっとおひとりで武芸や魔法の鍛錬をされるのだろう。
こういう時、自分の至らなさを痛感する。
ライラヴィラ様がどれほど過酷な人生を送って来られたのか、想像に難くない。スペランザの正統たる魔王位継承者でありながら、何と人界の忌々しき勇者の候補者として幼い頃から教育と修練を課せられていたのだ。先日まで城に滞在していた若き勇者から少し耳にした。
二十年前、私かミリィが人界へ渡ることが叶っていれば、ランダステン様の大切な、お生まれになられたばかりの姫君を、かような苦難の渦中へ放り出すことなどさせなかったのに。
しかしあの憎らしいミラリスゲートは意思があり、選びし者しか二つの世界を渡らせない。魔王たる資格は第一にゲートを通過できる者と、暗黙の了解が魔族の間では通っているくらいだ。そこは強固に人をなかなか通さない。
ところが先日の人界の襲来ではゲートの意思とやらが天の意思に従ったらしく、ただの寄せ集めの兵団が大挙して押し寄せた。
陛下が天主の遣いというクロセルとか申すものを追い返したあと、魔王様方が攻めてきた兵団を人界へと押し返して下さらなければ、天からの刃以外にも魔界中に多大な被害が及んだであろう。
「失礼いたします」
扉をノックする音が聞こえ、財務官長コルネリアが現れた。
「春からの予算の執行についてですが、ベルント様」
赤髪のカールした短髪を揺らして、切れる瞳を携えた女が私の前に立った。
「陛下はお出かけになられた。要件は机の上に置いてて欲しいと」
「はっ、いらっしゃらないのを確認して参上いたしました。申し訳ありませんが私は陛下の覇気には耐えきれませんで」
「城内の者、全員に闇耐性訓練を課さねばならんな」
「我ら文官には限界がありますゆえ」
「ふむ……」
錬金術師の血統であり、ある程度の魔力を保持しているコルネリアでさえこれである。リリス様の覇気問題は根深い。
「ベルント様、こちらの文書を陛下にお取り継ぎ願いたいたく」
財務官長が去ったと思えば、今度は兵士長であるアレックスだ。全くこいつは防衛兵団の長でありながら、陛下の覇気を極力避けようとする魂胆が見え見え。不甲斐ない。
「陛下に直接お願いすればよかろう。話は聞いてくださる」
「万が一、陛下の目前で私が倒れましたら、陛下に気を遣わせてしまいますので」
「馬鹿者、それでも兵団の長か! 鍛錬が足りんぞっ」
「も、申し訳ありません」
そう言いつつも、兵士長は書類を陛下の机に置いて、逃げるようにそそくさと立ち去ってしまった。
まあ、陛下の守護者たる覇気にまともに対応できるのは魔王クラスだけだ。いやしかし、アレックスは今度絞るか。
それから空調魔導具の魔力補充や清掃のために、侍女が何人か入れ替わり立ち替わり執務室に訪れた。皆、陛下がいらっしゃらない気配を察して足早に仕事を済ませていく。
そうこうしているうちに陛下が転移魔法でテラスに現れて、執務室に入ってこられた。
「ただいま。今日の仕事は揃った?」
陛下が執務室の机をご覧になる。そこには各部署からの決済要求書類が積まれていた。
覇気に耐えられない臣下たちが執務室に入ってこられるようにと、わざと部屋を出て外に出かけられたのだろう。どこまでも人を大事になさるお方だが、もっと従者には厳しくしてくださっても良いのに。
「ひと通りの顔は見ました」
「わかった」
陛下はサッと机の前に座られると書類を手にして目を通され、次々と必要な署名をされる。陛下を育てられたという賢者の教育は魔界の学問にも及んでおり、魔界文字の読み書きも難なくこなされる。
「このガラシワーズ被害の修繕とは何?」
人界軍が攻めてきてた時に魔界各地で魔物の通常討伐が疎かになり、あちこちの集落で小型だが獰猛な竜系の魔物の集団による被害が出てしまったのだと報告した。
「じゃあ昼食後に時間があるし、私が片付けに行く」
「は?」
「魔物討伐が追いつかず増えてるのでしょう。それの殲滅をする。私ひとりでいい」
「いやしかし、陛下のお手を煩わらせる程のことでは」
「私が出れば早いし、皆は他の、光の刃からの復興事業があるでしょう。書類をひと通り読んだけど、天界襲来の復興関連が七割を超えている」
陛下は書類を全て片付けて、別に魔物討伐の命令書を書かれた。
「じゃあ、ベルントがついてきて」
私の目の前に大魔王の署名が入った書類が示された。




