9-1 統治者
ライラヴィラの戴冠式からひと月が過ぎた。
スペランザの魔王としての仕事は多かったが、それなりに余裕も生まれ、臣下から『大魔王陛下』と呼ばれるのにも、ようやく慣れてきた。
深淵の鍵の宿主、すなわち大魔王が新たに現れたことで、常闇の嵐や浸食といった災害は起こらなくなった。
魔界は雪の降る季節になり、静かで穏やかな日々が続いていた。
魔王の私室で、ライラヴィラはスケッチブックを取り出して表紙をめくった。
真っ白な紙が外の雪景色を映すかのように表れる。それをイーゼルに立てかけて固定した。
戴冠式のパーティの最中にプレゼントされた新品の色鉛筆の箱を開くと、二十本ほどの様々な色をした鉛筆が詰まっていた。送り主のレグルスからは『魔界の』と聞いていた通り、人界では見たことのない材質で作られているようだ。その色合いは人界のものよりは鮮やかに感じられた。
まずは顔の輪郭線を引こうと、茶色の鉛筆を手にする。
紅い魔眼で彼の戴冠式での姿を思い起こし、それを白い紙の向こうへと写すように見つめた。
——ダメだ、眩しすぎて、描けない。
彼の姿はいつも煌めいているように思う。金の瞳が更にそれを強調する。
部屋の窓をコツコツたたく音が聞こえたので目をやると、カラスのような黒い鳥が封書を咥えて羽ばたいていた。
ライラヴィラがそっと窓を少し開けると、カラスは隙間から冷たい雪風と一緒に部屋に入り、彼女の手のひらに手紙を落とした。とたんにカラスは黒い霧となって消えてしまった。
——魔女さまからか。
手紙を読み終えると、白紙のままのスケッチブックと使われなかった色鉛筆を片付けた。
◇ ◇ ◇
ライラヴィラは連絡を受けて、深淵の里ムスタに住む魔女ゲルナータのもとを訪ねた。彼女の家に入ると、先客の魔王レグルスがいた。
「よく来た」
ゲルナータは暖炉の近くに座り、木製の杖で自分の肩をたたいてる。ライラヴィラを見ると、子どものような笑顔を向けた。
レグルスもライラヴィラに視線を送り、無言で手を軽く上げて合図してくる。
「あれ、レグルスも呼ばれてたの?」
ライラヴィラは自分だけの用かと思っていたので意外に思った。
「うむ、今日はライラヴィラへの話が主だが、レグルスにも居てもらわんと用件が終わらぬのでな」
ライラヴィラは魔女のすぐ近くに置かれてるスツールに腰掛けた。
「まずは大魔王の鍵を見せてもらうかの」
ゲルナータはライラヴィラの胸元にある、深淵の鍵を杖で照らした。すると赤紫色の紋様が浮かび上がる。
「うむ、機能しておるな。ただランダステンが残した光が少し減っておる」
ゲルナータが杖を下ろすと紋様が消えた。
「おそらく先月の嵐の折、深淵の鍵の力を使ったからであろう」
「どういうことですか?」
ライラヴィラはそのことが自覚出来てなかった。
「鍵の宿主であるそなたを闇の浸食から守るために、すなわち『悪鬼』にせぬために残された虹色の光。それが鍵の力と反発して光が減ったということ。大魔王はその鍵の力を使う度に、代償としてその身に闇の浸食を受けていくからな」
「父の残した光はそういうものだったのですね。私を守るために……」
ゲルナータの説明で、ライラヴィラは父が残してくれたものの重大さを初めて知った。
「うむ。ただ今まではそのような光で大魔王を守る方法は取られてなかった」
小さな魔女は身の丈を超える長い杖で床をコンコンと突いた。
「ザインフォートの時もそうじゃったが、大魔王が力のある魔王と『盟約の楔』を結ぶことで、ある程度は浸食を緩めることが出来る。今回二人を呼んだのはそのためじゃ」
「『盟約の楔』って、それを結んだ相手にも浸食が行くとか、犠牲を強いたりしないですよね⁉」
ライラヴィラはゲルナータの言葉に不安がよぎる。
「全く無いとは言わぬ。しかし、太古よりこの手段が取られてきたのは、大魔王と契約せし魔王は膨大な魔力を分け与えられるという恩恵が大きいからな。
契約で大魔王は魔王に常闇の力を貸し、魔王はその力を以て自国を支配統治する。その代わりに大魔王を蝕む浸食の影響を魔王が少しばかり負担し、浸食を修復する。
大魔王が魔界を統べるという意味は、そういうことなのじゃ」
——それが魔界の大魔王の威厳で統治力なのか。
ライラヴィラは大魔王とは魔界の人柱だと考えていたから、魔界の支配者だという魔族たちの認識はどこから来るのかと疑問に思っていた。
大魔王が魔界各国の魔王に莫大な力を与えるのだから、それなら魔王は大魔王にひれ伏すだろう。
「では負担してもらった闇の浸食は、魔王を蝕む前に無くなると?」
ライラヴィラはどうしてもそこが気になった。
「そこは魔王の受容力次第。それと魔王がどこまで常闇の力を欲するか次第でもある。力を欲すれば、それだけ代償として浸食を受け入れねばならん」
ライラヴィラは理解はできたものの、もう一つ気になったことがあった。
「先の大魔王ザインフォートは、なぜ悪鬼アモンになったんでしょうか。盟約の楔が効かなくなったとか?」
ゲルナータはライラヴィラの言葉に口をつぐんだ。
そして眉間にシワを寄せた顔を見せる。
「それは、ザインの奴が魔界を守るために『鍵』の力を使い過ぎたことと、俺たち魔王との『楔』を自ら切ってしまったからだ」
レグルスが伏し目がちに答えた。
「ザインは『遠望の魔眼』で見た何かを阻止するために、常闇の力を使い過ぎた。ただ何を見たのかは最期まで教えてくれなかった。
ザインが楔を悪鬼になる直前に切ったのは、おそらく俺たち魔王を巻き込まないためだ。アモンとなった大魔王は楔の契約せし魔王を配下に置いて拘束し、その意思まで支配するからな。悪鬼アモンが人界へ赴く時に配下を連れているのは、これが理由だ」
ライラヴィラはザインフォートの真実を知り、衝撃を受けた。
——たったひとりで『勇者に倒されに来た』ということなのか。そして彼はおそらく人界の民を巻き込まないために、勇者村近くの森林に現れたのだろう。
そこまでして魔界を守ろうとした、その『見たもの』とは。
「『盟約の楔』は魔王側から切ることも可能だ。ただしそれは大魔王が悪鬼アモンでないことが条件。俺は限界ギリギリまで切らないつもりだったが、先にザインが切ってしまったんだ」
三人は何も言えなくなり、そのまましばらく黙った。
「このままでは時間ばかり過ぎる。本題の『盟約の楔』の儀式を行おう」
ゲルナータが口を開いた。
「でもそれは、レグルスはそれでいいの? 私は……正直言って、したくない。避けたい」
ライラヴィラはレグルスに負担を負わせたくなかった。
——今まで散々助けてもらったのだ。
このまま頼りっぱなしではいけない。
「元々、俺は次の大魔王になるつもりだった。自分が魔界を支える役目を引き受けようと。だがおまえが深淵と精霊から大魔王に選ばれた。それならば、せめて『盟約の楔』でおまえの負担を減らしたい。俺もおまえから魔力を借りられるようになるしな」
そしてライラヴィラの方を向き、真っ直ぐ彼女を見つめる。
「これは、俺の願いだ」
そしてゲルナータも告げた。
「ライラヴィラよ、そなたがレグルスを心配する気持ちは理解する。しかし『盟約の楔』が全く無い大魔王は過去に存在したことがない。即ち、その方が危険ということ」
「……わかりました。お願いします」
二人の言葉を受け止め、自分がもっと覚悟を持たねばと、ライラは彼に楔を施すことを決心した。
魔女ゲルナータから『盟約の楔』の術式の説明を受けた。
聞いただけで、どれほど重いものか理解した。
——私が支えてもらうだけではなく、逆にこの契約でレグルスに力を貸そう。
ライラヴィラとレグルスは向かい合わせに立った。
深淵の鍵へと意識を集中し、胸元に赤紫の紋章が浮かび上がる。
レグルスが右手の手のひらを上にしてライラヴィラに差し出した。
ライラヴィラは彼の右手に自分の右手を乗せる。
大魔王の持つ深淵の鍵から魔王へと、紐状の魔力の流れが彼の首に巻きついた。
レグルスの首を取り巻くように紋様が浮かび、消えた。
「ライラのはザインとは感触が違うな」
レグルスは首元を手でかざして契約の魔力を確認する。
「繋がった感触はわかるな?」
ゲルナータがライラヴィラに訊いた。
「わかります。今は僅かしか力を引き出されてません」
ライラヴィラは胸元の奥から彼へと流れる魔力を微かに感じた。
「うむ、よろしい」
小さな魔女は杖を立てて床をトンと突く。
「まずは一人目。あと何人か、各国の魔王と大魔王が契約ができれば『盟約の楔』は魔界を守る強力な絆となろう」
「私、魔界に来てあまり間がないし、魔王の知り合いなんて僅かです」
ライラヴィラはそもそも魔王になりたてで、そういう当てが無かった。
レグルス以外では、旅の途中でロゼフィンとネウレディドと知り合ったくらいだ。戴冠式の時も知らない領主や長が殆どだった。
「それはここにいるレグルスを頼ればいいではないか。わしもこやつも、人界から来てまだ半年も経っておらぬ、前代未聞の二つの世界のルーツを持つ大魔王に一人で全てやれとは言わぬ」
そしていつものようにゲルナータは手にしている木製の杖で弟子のレグルスの背をぎゅうっと押した。
「師匠! 何でつつくっ」
彼が師の杖を手で持つと、魔女は悪びれずに笑った。




