1-4 勇者村の仲間たち
翌朝、ライラヴィラは昨日収穫した素材とジャムの瓶を大小ふたつの魔導カバンに分けて持ち、自宅を出た。
賢者フォルゲルは朝食は共にしたもの、すぐにいつもの机の前で本の要塞を築いてしまった。
翁が随分前から何らかの研究をしてるらしいことは、長年共に暮らし、近くで見ているライラヴィラには分かっていた。だが何の研究なのかは尋ねても一切教えてくれなかった。
高台から続く小道を下ってサンダリットの集落に出たライラヴィラは、昨日山火事を消してくれた親友、アイリーンが働く治療院へと向かった。
治療院では村で勇者と為るべく修行をしている者たちの支援をしている。怪我をした人への治療施術、病人の診察と調薬処方。健康な人に対しても、個々の魔力の分析や調整に体力測定など、その支援は多岐にわたる。
ライラヴィラは玄関ではなく裏口へ回って扉をノックし、治療院へ入った。事務所ではアイリーンが患者の治療記録の束を持っていて、忙しそうに整理していた。
「リーン、昨日は助けてくれてありがとう。これ、お礼にどうぞ」
ライラヴィラはアイリーンに紅いジャムの瓶を数本渡した。昨日、精霊の森で収穫した果実はすべてジャムに加工し、百本以上の瓶を魔導カバンに詰め込んでいる。
「ワオ! 昨日はムルットも採れたの? これ栄養満点で甘酸っぱくて大好き。ジョルジュ先生も喜ぶわ」
アイリーンは受け取った瓶を目元まで持ち上げて光で透かす。紅く輝くジャムに彼女は目を細めた。ライラヴィラは嬉しそうな彼女の様子に笑みが零れる。
「ムルットの樹上に具合の良いのがたくさん実ってたから、欲張って取ってきたの」
「飛空魔法で? あれ森であんまり使っちゃダメなんじゃ?」
「空から落ちるようなヘマはしないわ」
そう彼女に言ったものの、昨日は見知らぬ旅人レグルスをうっかり魔眼の眼力で拘束してしまい、空中落下で怪我をさせるところだった。眼力や魔法の扱いは油断禁物である。
「さすがね。わたしも風魔力欲しいなぁ、空をヒューッと飛んでみたい」
ライラヴィラとアイリーンは同い年だ。ライラヴィラは赤子の時に賢者フォルゲルの元へ引き取られたが、アイリーンは八年前の十二歳の時にあった、魔界から襲来した大魔王の厄災で両親を亡くし、この村に戦災孤児として引き取られた。
「なんだ、ライラヴィラが来てたのか」
患者の治療がひと段落した治療院の院長ジョルジュが事務所に入ってきた。彼は治癒師であるアイリーンの師匠であり、最上級治癒師として人間族最大の国トラヴィスタからここ勇者村へ十数年前に派遣されてきた。ボサボサに乱れた髪に無精ヒゲ。ただ単に忙しかったのか、身だしなみを整えるのが面倒なのかは、見た目では分からない。着ている白衣はシワが多かったものの、汚れはシミひとつもなかった。
「先生、昨日の収穫を持ってきました」
ライラヴィラはふたつ持っていた魔導カバンのうち、小さめの方をそのままカバンごと渡した。
「おお、いつも助かる。代金は中身を確認してから賢者様に渡しておこう」
「ありがとうございます。またご注文いただけると嬉しいです」
ライラヴィラは薬草薬石をはじめ、魔法や錬金術で使う素材の収集を仕事にしていた。勇者村で暮らす者は、要人の護衛や魔物討伐、犯罪者の追跡などを生業にしている者が大多数。それらの任務は報酬が高額のうえ、武芸魔法の修行にもつながり、無駄がないからだ。しかしライラヴィラはダークエルフで目立つからと、それらの仕事に就くのを賢者フォルゲルに禁じられていた。
「ところでライラヴィラ、魔力の流れがいつもとは違うようだが」
ライラヴィラは昨日の闇の精霊との契約のせいだと、すぐ気づいた。ただ闇魔力は禁忌の力。そう気軽に口には出せない。
「昨日、爺さまから術を施されました。ただ、よくわかりません」
「そうか。賢者様には認めし者に力を与える役割があると聞く。きっと何か授かったのであろう。良かったな」
ジョルジュはライラヴィラの背をトンと軽くたたいて、再び診察室へと戻っていった。
「え、ライラずるーい! 何かもらったの? いいなぁ」
仕事をしつつ話を聞いていたアイリーンが猫耳を少し震わせ、羨ましがった。
「ライラは光魔力と風魔力、ふたつも精霊の繋がり持ってるのに、それ以上何が要るっての? 賢者様のエコ贔屓っ」
「でもリーンの水魔力には昨日も助けられたよ。魔力はいくつ持ってるとか威力じゃなくて、使いようだと思う」
「良いこと言うねぇ、それよ。わたしは水魔法のエキスパートになる!」
アイリーンは機嫌良く仁王立ちになって息巻いた。
ライラヴィラはこれまで彼女の強き水魔力に何度も助けられたことを思い起こす。怪我の治療から魔力切れまで数え切れない。単属性しかなくとも、彼女は立派な治癒師だ。親友の宣言が心丈夫に感じた。
ふたりの仕事の邪魔にならないよう、ライラヴィラは話し終えると治療院を後にした。
◇ ◇ ◇
昨日魔力を流しすぎて壊してしまった短剣の修理を依頼しようと、ライラヴィラは村の鍛治工房へと向かった。
途中の広場では木刀を振って基本の剣術の型を練習する者たちや、村の周辺を走りこむ者。なにやら草木に向かって魔法を唱えて実践をしている者もいる。サンダリットならではの勇者を志す修行者たちが集う、いつもの光景だ。
「マナリカ、お願いがあるの」
ライラヴィラは工房の中に入ると、奥に向かっておそるおそる声をかけた。
ここは小人族ドワーフの女、マナリカがたったひとりで経営していた。彼女は小柄な少女のように見えるが、ライラヴィラよりも七歳年上で、良き相談相手でもあった。
「またぁ? あんた何本壊したら気が済むの」
マナリカが呆れつつ工房奥の作業場から出てきた。ライラヴィラが何を依頼しに来てるのかは読まれていた。
「その、また。この短剣、お願い……」
ライラヴィラは昨日壊した短剣を鞘から取り出して見せた。何度も修理を依頼してるので申し訳ないけど、凄腕の鍛冶師である彼女にしか直せないだろう。素材採取に必要な仕事道具である。その辺の安物では切れ味が足りなくて仕事に支障が出る。
「うっわ! いつにも増して酷いねぇ。これ直らないかもしれないよ。いったい何をやった?」
ひび割れて何箇所も大きく欠けた短剣を見て、マナリカは深い溜息をついた。
「昨日、森で魔物の大群に襲われちゃって、仕方なくこういうのを」
ライラヴィラは昨日試みた術、光魔力で作った剣を見せた。しかしひととき発現したと思ったら、短剣はバキンと鈍い音を立てて折れてしまった。
「あっ、ごめんなさいっ」
「危なっ! そんな無茶したら、あたしの武器でも折れちゃうよ!」
マナリカは驚いて後退りする。ライラヴィラは折れた短剣の破片を慎重に集めた。
「あんたの光魔法は卑怯な強さなんだから、もっと加減なさいって! もうこの短剣はダメね、新しいのに買い替えな」
マナリカは刃が折れた短剣を箱に入れて持つと、工房の奥に引っ込んだ。ガタガタと何かを探す音がする。
ライラヴィラがそのまま少し待っていると、奥から金属の反射がライラヴィラの視界に入る。空を切る一閃を魔眼で見切って片手で捉えた。
「マナリカっ、危ないわっ! いくらなんでも刃物を投げて寄越さないでっ」
咄嗟に掴んだのは、魔力をよく通して保持量も多いイデアット鋼の短剣。鞘から抜くと水色の照りを返す鏡のような刃が現れる。一般的な短剣よりやや長く、素材採取用というよりは魔力媒体としても人気のある戦闘用である。
「そいつなら折れたミゲネゾ鉱のより、あんたの魔力を受け止められるだろ。超お得意様だから金貨五枚のところ三枚で負けといてやるよ」
「きっ、金貨三枚……予定外の大出費になるけど……破格ね。それで買うわ」
ポケットにしまっていた小袋から金貨を三枚取り出して、マナリカに一枚ずつ投げた。彼女は工房の奥から出てきたところでそれをしっかり手で受け止めて、歯を見せた。
「毎度ありぃ──って、あんたも金貨を投げんなよっ。頑固ジジイに見つかったら飯抜きにされるよ」
「マナリカは目が良いから落とさないかなって。もし爺さまに見つかったら、マナリカが短剣を投げてきたからって言うわ」
「それは言いっこ無し!」
彼女は苦笑いしつつ頭を掻いた。
工房の広間に戻ってきたマナリカは、台に据え置かれてあった長剣をひと振り持ち上げて、ライラヴィラに示した。華美な装飾は無いが、職人の丁寧な仕事ぶりが感じられる。
「それは?」
「賢者様からあんたの為にって前から依頼されてたやつ。仕上がったら渡しておいてくれってさ。代金は先に賢者様から頂いてるから、持って行きな」
マナリカから長剣を受け取ると、ライラヴィラは鞘から抜いて片手で軽く振ってみた。細身で扱いやすい長さと手に馴染む重さ。材質は魔力を付与しやすい高価なイデアット鋼。これは自分専用のオーダーメイドだとすぐにわかる。それを発注したのは、まさかの翁。昨日、翁が言ったことと関係あるのだろうか。
「わたし、爺さまから特殊な術を施されたの。そのあと『もう教えることはない』って言われて」
マナリカは目を丸くして大声で返事した。
「ええっ? あの頑固ジジイっじゃないや、賢者様がそんなこと言ったのか? ということは、あんたはもう村を卒業ってことか」
「え? まさか村を出ていけと?」
ライラヴィラには卒業の言葉が信じられなかった。頭の中が真っ白になって考えが乱れる。
勇者村サンダリットでは外部からの修行希望者をはじめ、各種族の国家や兵団などから推薦されてきた者を幅広く受け入れている。しかし村にいる意味がないとされた者は容赦なく追い出される仕組みになっていた。
赤子の時に村の賢者に引き取られたライラヴィラは身寄りが無く、村を追い出されるということは居場所が失われることを意味した。疎まれし種族のダークエルフだから、そう簡単に住まいを借りたり仕事を見つけることもできない。
「わたし、ここに二十年近くも居るのよ。どこにも行く当てがないし……」
「違う違う! ライラは出て行けとは言われてないでしょ?」
「う、うん」
ライラヴィラのほうを見据えて、マナリカはいつもとは違う厳しい顔になった。
「近いうちに、何かあるわよ」
それは気になっていた。賢者の「時が来た」という意味。それに合わせたかのように用意された、自分専用の長剣。
特別な何かが起こるというならば、昨日出会った旅人レグルスのこともあるのだろうか。偶然の一致にしてはタイミングが合いすぎるし、翁とジェイドの彼を拒否する態度も気になった。
「ねぇマナリカ、炎の柱から生まれる大剣って鍛冶で打てるの?」
ライラヴィラはレグルスが炎の柱から見事な大剣を出現させていたことを思い出した。そのような自然現象から召喚できる刀剣を扱う戦士や騎士は見たことがない。少なくとも勇者村にはいない。魔力付与をすれば似たようなものにはなるかもしれないが、彼の大剣はそうではなかったように思う。
「あるかと言われたら、ある。精霊の自然魔力から召喚するやつ。でもそれは相当な職人の銘のある、いわば伝説の業物だね。普通は打てない。あたしも目下研究中ってトコロ。行ったことないけど、魔界にならある可能性も……まぁそれは現実的じゃないか」
「昨日たまたま会った旅人が、そういう炎の大剣を持ってたの。彼は炎と風の精霊の護りもあったし、相当な手練れの剣士ってことかな」
「へえええっ! それは見てみたかったなぁ。もしもまた会うことあったら、紹介してなっ」
マナリカは鍛冶に関係ある話になると、目をキラキラさせて好奇心を剥き出しにする。そんな彼女も知らないとなると、言う通り伝説級なのかもしれない。
ライラヴィラはレグルスにもうひとつ、別の魔力があるのはわかっていたが、それは安易に触れてはいけないだろうと思い、マナリカには言わなかった。
「それはそうと、ライラぁ」
小柄な鍛冶師が物欲しそうに甘えた声を上げた。
「お、み、や、げ! あるんでしょ?」
彼女はライラヴィラが持っていた魔導カバンを指した。
「ああ! ムルットのジャムがあるの。持ってきてたの忘れてた」
言われて思い出して、マナリカにジャムの瓶を数本渡した。
「やったぁ! 予感的中! 言ってみるもんね。ライラが作ったジャムは美味いんだぁ」
瓶に頬擦りするマナリカにお礼を告げて、ライラヴィラは工房を後にした。