8-3 ケヒオンの集落
さほど時間はかからず、ルナリンゴの畑が一面に広がる土地に着いた。ここがケヒオンの集落なのだと、すぐ分かった。収穫時期を迎えたリンゴが微かに甘い香りを漂わせている。
農業用の大きな倉庫がある木造の家にライラヴィラは案内された。空のカゴがたくさん積まれて、果樹を手入れするための農具も置かれてる。
「ただいまー、お客さん連れてきたよ」
チェリスが玄関の扉を開けて呼びかけたが、誰も返事しなかった。
「お父さんもお母さんも畑に出てると思うわ。どうぞ座って」
ライラヴィラは促されるままに入り、すぐ近くに置かれていた狭いテーブル脇の椅子に座った。
少女チェリスは奥の部屋へ引っ込んだが、手にパイの乗った皿を持って戻ってきてライラヴィラに勧めた。
「うちのリンゴで作ったパイよ。どうぞ」
「ありがとう、いただきます」
甘い香りが食欲をそそる。目の前で少女がパイを切り分けて皿に乗せた。
ライラヴィラの肩の上からゴクリと喉を鳴らす音が聞こえる。
「ヒトの食物は要らないんでしょ?」
ライラヴィラは小声でロイに呟いた。黒猫は声を出さずにその意思を主に流した。
〈我は甘味を好む〉
「それって、ただのワガママ……」
ライラヴィラがそう囁くと、ロイは小さな手で自分が乗っている彼女の肩をペチンと叩いた。
「分けるから待ってよ……」
ライラヴィラはフォークで取り分けて、ロイの口にリンゴパイを運ぶ。
その様子を見たチェリスが再び奥に引っ込むと、生のリンゴをスライスしたものを用意して持ってきた。
「猫ちゃんにもどうぞ」
ロイはまたツノをピシッと立てたが、リンゴを掴んで食べると喉をゴロゴロ言わせた。
「ゲンキンなんだから」
ライラヴィラの小言をロイは舌で手を舐めつつ無視した。
リンゴパイをご馳走になったあと、チェリスがさっきライラヴィラが渡した本とは別の、人界文字の本を持ってきた。
「実はこれを解読するのに困ってるんです。ライラは読めます?」
チェリスからその本を借りて目を通す。中身は人界の料理のレシピだった。
「これは料理の本ね。人界の食材を知らないと分かりにくいかも。少し翻訳してみようか」
ライラヴィラはチェリスから紙と鉛筆を借りて、彼女が分からないと言う場所の人界文字を魔界文字に書き換えた。
「うわぁ、凄い! ありがとうございますっ。この文字知らなかったわ」
チェリスはライラヴィラの書いた文字を本の文字と見比べて、目を大きく開く。
「これがあれば人界の料理が作れるかも! でも見たこともない材料ばかり。どうしよう」
「似たもので代用すればいいのよ」
ライラヴィラは城のミリィから教わったことを思い出しつつ、魔界にあるもので代わりになりそうな食材をノートに書いていった。
「ライラって、ものすごい物知りなのね」
「そんな大したことないよ」
ライラヴィラはそう言いつつも、少し教え過ぎたかもと思った。人界に行ったことが無ければ知り得ない事だったからだ。いつものお節介虫が湧いてしまった。
「チェリス、帰ってたのか。リンゴの取引は終わったか?」
ドアが開く音がして、中年の男女が入ってきた。どうやらチェリスの家族のようである。農民らしく二人とも作業着に身を包んでいる。
「おかえり、お客さんが来てるの。バザールで会って、人界の文字を教えてもらってたの」
「お邪魔してます」
ライラヴィラは立ち上がり、彼らに会釈した。
「これはどうも。あの、どちら様で……」
彼らはライラヴィラを見ると困惑した表情を浮かべた。
「はじめまして。最近開城したというスペランザに旅の途中で立ち寄った者です」
ライラヴィラはいつもの癖で、旅の冒険者のフリをした。
しかし彼らの表情がやや怯えたような驚きを見せる。
「チェリス! このお方はきっとどこかの高貴な身分の方だよっ。身なりが違う! あ、すみません、私はこの子の父で、こちらはこの子の母です」
少女の両親は慌ててライラヴィラに頭を下げる。
身なりが違うと言われて、ライラヴィラは城で用意されてた普段着に着替えてたんだったと思い出した。今は一般冒険者の服ではない。城を出てきた時は、まさか民家を訪問するとは全く考えてなくて、ついうっかりしていた。
「ええ? でも彼女は普通にバザールで買い物してたけど」
チェリスも父親の話を聞いて、困惑した顔を浮かべる。
「すみません、チェリスの厚意に甘えてしまいました。私はそろそろ失礼します」
ライラヴィラはこれ以上長居するのは良くないと思って、チェリスの両親に挨拶した。肩に黒猫を乗せたまま、テーブルから離れて玄関へ向かった。
家の扉を開けて外に出ると、けたたましい鐘の音が集落中に鳴り響いている。
「畑の西方に青酸鼻猿の群れだ! 追い払え!」
集落の家々から人がたくさん出てきて、手には棍棒や鎌、クワなどを持って駆けていった。
「いけない、我々は行ってくる。チェリスは留守番を頼む」
チェリスの両親も、手に武器になりそうな農具を手に持って走っていった。
集落の警報を告げる鐘は今も鳴り響き、止まる気配がない。
ライラヴィラはそっと魔眼で西方を確認した。
青酸鼻猿は魔界では珍しくない四つ腕の小型魔物だが、なんと三十匹は超えるであろう大群が視える
「青酸鼻猿が人里に出るの?」
ライラヴィラはチェリスに尋ねた。
「時折ね、今はリンゴの旬だから狙ってくるのよ。いつもみんなで追い払うから大丈夫よ」
チェリスはいつものことだと静観している。
しかしライラヴィラに視えたのはボス格が率いたかなりの大群で、戦闘力を持たない農民が追い払うには危険だと判断した。
「あれはマズイわ」
ライラヴィラは風魔力を纏い、肩に黒猫なロイを乗せ、空へと一気に飛んだ!
「ライラ!」
チェリスはライラヴィラが慌てて飛んだのを見て、長いホウキに乗って追いかけてきた。
「危ないから、ついてきてはダメ!」
ライラヴィラは後方を飛ぶ少女に怒鳴った。
「いつも大丈夫だし、戻ったほうがっ」
追いかけてきたチェリスにライラヴィラは飛び続けながら叫んだ。
「あれは、大丈夫なんてものではない!」
「ええっ?」
ライラヴィラはチェリスに構ってられくなり、さらに速度を上げて、青酸鼻猿の群れの手前で地表に降りた。
◇ ◇ ◇
リンゴ畑の向こうで集落の農民たちが群れと戦っていた。
数匹程度なら問題ないのだろうが、今回は三十を超える大群。
農民は既に何人かが怪我をしており、ジリジリと青酸鼻猿の大群に迫られて下がりつつある。
ライラヴィラは前に早足で出て、彼らの方へ振り向いた。
「あれは私が追い払います。皆さんは下がってて」
ライラヴィラはもう少し前に出ると、魔物の群れを凝視する。
「居るべき場所へ、帰れ!」
ライラヴィラは紅き魔眼の眼力と魔力を乗せた覇気を前方の大群に放った!
魔物たちは突然現れた強大な魔力の波動に当たり、恐怖で震えながらバタバタと散っていく。
しかし大きな個体がその場に残り、居座っていた。
青酸鼻猿を率いてたボスだ。
毛むくじゃらで人の数倍もの体格があり、一つ目で六本の腕、大きな牙とツメ。盛り上がった筋肉がバチバチと音を立てる。
その姿があらわになって、農民たちは畑の手前まで更に下がった。
なにか青黒い煙のようなものがボスを取り巻いている。
ライラヴィラの肩に乗っていた黒猫な幻獣ロイが地面に降り、大きな黒ヒョウの姿に変化した。
「ライラヴィラ、ここスペランザは深淵に近い領域。時にああいう深淵に呑まれた凶悪な魔物が現れる。ランダステンが自国を三重もの城郭を有する都市にしたのは、民を守るためだ」
幻獣ロイが説明しつつ魔物を凝視する。
「周辺の集落にも亡き魔王の手による魔導結界が設置されてはいるが、田畑や家畜の牧場までは守られておらぬ。後方の農民を守る結界までは距離がある。一気に奴を始末しろ」
「わかった」
ライラヴィラは街歩きと思って護身用の短剣しか持ってきてなかったが、腰に下げていたその短剣を抜いた。
一本の短剣を両手で裂くようにして、二本に戻す。
長剣と同じ構えで短剣を持ち、片方に闇魔力、もう一方に水魔力を乗せた。
二本の短剣を交差するように刃を当てると、氷魔法が発動して長剣のように伸びた!
「なんだ! あの姉ちゃん!」
「魔物の大群を睨み一発で蹴散らした!」
「あの大きいのも倒す気か?」
集落の農民たちがどよめいた。
ホウキを降りたチェリスや彼女の両親も恐る恐る氷晶の女剣士を見つめる。
幻獣ロイは農民たちを守るためにライラヴィラから離れて身構えた。
『魔眼の剣姫』はその紅き瞳で魔物を捉える。
氷晶の長剣と化した短剣二本を淡紫の手に持ち、構えた。
間合いを取る。長い青銀髪が風になびいて、小さな黒いツノが見え隠れする。
風魔力を纏って全速で駆ける!
「これで終わり!」
二剣の剣姫が舞い降りた。
一瞬で十数手の斬撃を与えて走り抜け、振り返ると魔物は既に倒れていた。
巨体は青闇色の霧となって消えていった。
ライラヴィラの両手に握られた剣から氷晶魔法が抜けて短剣に戻り、一本に重ねて腰に収めた。
畑の向こうから兵士長アレックス率いるスペランザの兵たちが順に飛空魔法で到着した。そこにはライラヴィラが討伐した魔物が残した、地面の青黒いシミが残るだけだった。
彼らは主君に気づき、畏った。
「姫様が魔物を討伐してくださったのですか」
「たまたま居合わせたの」
兵士長アレックスにライラヴィラが応えた。
「到着が遅くなり申し訳ありません。皆さん無事ですか?」
スペランザの兵たちが農民に尋ねた。
怪我人が数人いると知ると、ライラヴィラは彼らの方へ寄った。
「これは応急処置をした方が良さそうね」
彼らは青酸鼻猿のツメにやられたらしく、皮膚が黒くただれていた。
ライラヴィラは手のひらから水魔力のシートを作り、それを怪我の部分に張り付けていった。見る見るうちに彼らの黒かった皮膚が元通りになった。
「私は治癒魔法はそこまで使えないから即席仕立てよ。あとは治癒師に診てもらってね」
城から来た兵の中にいた治癒師が兵士長に呼ばれ、ライラヴィラの施した治療痕を丁寧に確認した。
「いえ、もう完治しております。我々の処置は不要です。姫様のお手を煩わせ、重ね重ね申し訳ありません」
ライラヴィラは彼らの怪我が治ったのを見て安心し、ようやく顔を緩められた。
両親に付き添われてチェリスがライラヴィラの元へ進み出た。
「あの、両親から聞きました。ライラヴィラ様。あなたが次のスペランザの魔王様だということ……」
「もっと早くお名前をお伺いするべきでした。大変ご無礼を」
彼らが詫びようとするのをライラヴィラは止めた。
「今日は本当にお忍びだったの。ただバザールを見て回ってて、たまたまチェリスと出会っただけ。リンゴパイ、ごちそうさまでした」
ライラヴィラがお礼を言うと、幻獣ロイも黒豹から黒猫の姿に変化し、主の肩に乗った。
「我も礼を言う。美味であった」
そして喉をゴロゴロ鳴らして感謝の意を表す。
ロイが喋ったので、チェリスも農民たちも驚いた。
「え! 猫ちゃんじゃなかったの?」
「そうなの。彼は幻獣ロイ。私の眷属でスペランザを守る守護獣よ」
ロイは主の肩から降りると、翼のある大型のライオンのような姿に変化した。ライラヴィラは彼の背に乗った。
「そろそろ帰るね。また人界の話でもしましょう」
ライラヴィラはケヒオンの農民たちに別れを告げると、ロイに乗ってスペランザの空を駆け、城へと戻った。
◇ ◇ ◇
城のテラスに降り立ち、魔王の執務室に戻ったのは日も暮れた夕食時だった。
渋い顔をした侍従長ベルントが部屋で待ち構えていた。
「姫様。兵士長アレックスから報告は受けております」
これはかなりお怒りだなと、ライラヴィラは身の毛がよだつ心境だった。
「スペランザの民を守るため、魔物を討伐なさったのは宜しかったかと。ただし、このようなメモひとつで勝手にお出かけになられたことは、我ら臣下の信頼を損なう行為です」
「そ、それは、ごめんなさい……」
ベルントがライラヴィラの方へと足を踏み鳴らす勢いで寄った。
「次からはっ! お忍びであっても! 行き先と帰りの予定はっ! 私かミリィにご伝達くださいませっ!」
「わ、わかったわ」
「あと六日で、姫様は魔王陛下となられるのですぞ。お忘れなきよう」
ベルントが肩を揺らしながら部屋を出ていき、入れ替わりでミリィが夕食が乗ったワゴンを押して入ってきた。
「姫様、ベルントはとっても心配してたのですよ。どうか察してくださいませ」
ライラヴィラはその言葉にちょっぴり罪悪感を持った。
「姫様がお金を持たずにお忍びで出ていることに気づいて、慌てて幻獣ロイを呼んで頼んでました。あの時の彼は顔面蒼白でしたわ」
ライラヴィラはそれを忘れていたのを思い出した。
「あれは助かったわ。魔界のお金を長旅の間に使い果たしてたから」
「それに関しては我々臣下の不手際ですから。どうか黙っててくださいませ」
ライラヴィラはミリィが持ってきた食事の中に、リンゴを飾り切りしてあるのが添えられてるのに気づいた。
「あ、リンゴ……」
「ケヒオンの今が旬のルナリンゴです。皆さんからのお礼だとアレックスが預かってまいりました」
一片のリンゴにフォークを刺す。その香りを感じ、今日の事を振り返った。
「チェリス、また会えるといいな」
甘く口の中に広がった味を感じつつ、しっかりとリンゴを噛み、飲み込んだ。




