8-2 バザール
「やっと、ひと息つけるかな」
ライラヴィラは全ての書類仕事を終えて、腕を伸ばして背伸びした。
次期魔王の執務室の窓から覗くと、城下町が眼下に広がっている。
広場のバザールも開城とそれに伴う復興につれて出店が増え、人の流れも満ちてきた。他国からの商隊も訪れるようになり、経済活動が本格化している。
予定よりもかなり早く城郭都市機能は戻りつつあると侍従たちから聞いた。スラム街に偽装されていた時も父の臣下たちの手により、ある程度の生活環境は維持されていたのが功を奏したのだ。
執務室に籠りっぱなしで、窓からの景色に心が躍る——。
ライラヴィラは久しぶりに自由に動きたくなって、お忍びでスペランザ領内を見て回ることにした。一応、出かける旨のメモは執務室に残して、覚えたての転移魔法で城下町に直接出た。
◇ ◇ ◇
即席仕立ての屋台が立ち並ぶ城下町のバザール。
ライラヴィラが立つ中央広場には大きな噴水が吹き上がっていた。魔導城郭都市の地下には豊富な水源があり、それを都市全体に魔導装置で送って利用している。
——この仕組みの根幹は魔王だった父が立国に際して作ったそうだ。何でも父は魔王となる前、元は魔導具の技師で『洞見の魔眼』による『奇跡の錬金術師』と呼ばれていたらしい。
スペランザを立国し魔王となってからは『魔眼の覇王』と呼ばれるようになったそうだが、深淵で最期に会えた父の姿は、どちらかというと『覇王』よりは『錬金術師』の方がしっくりくる。
ライラヴィラは噴水の縁に腰掛けた。ここから周りを見渡すと街の人の流れがよく分かる。子どもが広場で走り回って遊んでいたり、年老いた夫婦がベンチに座って話している。人気のある店には人だかりができていて、店の者があわただしく動き回る。
この活気ある街を両親が一から築き上げたのだと思うと誇らしく、自分もこの街を守りたいと思った。
喉が渇いたので何か飲み物でも買おうかと、ライラヴィラは屋台を探していた。
声をかけてきた店主がお勧めだと言う、酸っぱいサイダーに興味を持つ。買おうと財布を出したら、お金が足りなかった。
「あ、ごめんなさい、いいです」
店主に詫びて財布をしまう。人界の素材を換金して手にした魔界の通貨も、長い旅の間にとうとう底をついていた。
「ライラヴィラ」
黒い子猫姿の幻獣ロイが颯爽と現れ、彼女の肩に乗った。
見ると口に小袋をくわえている。
ライラヴィラはその袋を受け取ると、中には金貨含め貨幣が相当量入っているのを確認した。
「え、これは?」
予想外の中身に戸惑った。黒猫が彼女の肩の上で小さな足を踏む。
「ベルントからだ。そなたの小遣いだそうだ」
「こんなに貰えないよ」
「そなたは毎日、次期魔王として国のために働いている。その対価としては少ないくらいだ」
ロイに促され、袋から銅貨を数枚出してサイダーを買った。
「ロイも何か欲しい?」
「我は闇を食べて生きている。ヒトの食物は要らぬ」
ライラヴィラはその答えに少し気が引いた。
——闇の幻獣だから、言われてみればそうなのかもしれないけど。
「また用があれば呼べ」
ロイは言うと同時にライラヴィラの影に戻って消えた。
しばらく散策していると、バザールの端の方に書物を扱う露店を見つけた。
衣類や雑貨の店は多いが書物は珍しいと思って、店を覗きに近づいた。
店の前には売り物を吟味している者が数人いる。
品揃えをよく見ると、半分は何と人界文字で書かれた書物だった。
「これは人界の本ですか?」
ライラヴィラは店主に直接尋ねてみた。
「珍しいだろう? ゲートから流れてくるのを収集してるんだ」
「そうですか、貴重ですね」
その割には品が綺麗なので、人界で仕入れるルートがあるとライラヴィラは予想した。——まあ、あまり詮索はしない方がいい。
ふと横を見ると、エプロンを着けたままの少女が書物の前で唸りながら品定めをしていた。学び舎を出る十五、六歳くらいの年頃だろうかとライラは気になった。少女は濃緑色の三つ編みの髪を下げていて、丁寧に本を手に取り眺めている。
「ト……スタ……めい……か」
どうやら彼女は少しだけ人界文字が読めるらしい。
「『トラヴィスタ名物イカたま包み』って書いてますよ」
ライラは困ってそうだと思って、つい、読み上げた。
「お姉さん、読めるんですか!」
「多少は。それは多分、観光案内の冊子だと思います」
彼女の目が輝いたように見えた。
「あの、私、人界文字の勉強をしてるんです。でもいい教材がなくて。良さそうな本、分かりませんか?」
「あなたは学者さん?」
ライラヴィラは、彼女がどういう理由で人界文字を学びたいのか気になった。一般の魔族が人界文字を読めても、何の役にも立たないからだ。
「私、いつか人界に行きたいんです。その時に困らないように勉強しておきたくて」
「人界に行くって、それは、ちょっと」
ライラヴィラはあまり勧めたくはなかった。魔族には今の人界は過酷だ。
「そうですよね。でも私はこの目で、もう一つの世界を見てみたい……」
いつか魔界と人界が友好的に行き来出来れば——、それはライラヴィラも願うところ。彼女の気持ちがわかるような気がした。
「少し、見てみましょう」
ライラヴィラは露店の売り物をざっくりと見て、読みやすそうな人界文字の本を二冊選んだ。
「これなら比較的読みやすいかも。子ども向けの童話よ」
選んだ本を彼女に渡して、代金を店主に支払う。
「あなたの夢が叶うといいですね、それはプレゼントさせてもらうわ」
ライラヴィラは別の場所も見て回ろうと、その場を立ち去ろうとした。
「待ってください! お礼をさせてくださいっ」
彼女がライラヴィラを追ってくる。
「私、チェリスと言います。この近くのスペランザ領ケヒオンに住んでますが、良かったら家に来ていただけませんか? 家はルナリンゴ農家で、今ちょうど旬の採れたてがたくさんあるので、お礼に……」
ライラヴィラは思わぬ提案に心がくすぐられた。
——魔界で普通に暮らしている人の家に行ってみたいかも!
そう思った時に、黒猫な幻獣ロイが影から出てきた。
「良からぬことを考えておるな」
「えっ、呼んでないけどっ」
ライラヴィラがロイの方を見て呟くと、チェリスが声を上げた。
「うわぁ可愛い! お姉さんのペットですか?」
チェリスの言葉にロイは四本の小さなツノをピシッと立てる。
「あ、その、いえ……」
ライラヴィラが返事に困っていると、チェリスが訊いてきた。
「お姉さんのお名前は何て言うですか?」
「ああ、ライラヴィラよ、ライラって呼んでね」
スペランザの次期魔王の名前はまだ知られてないだろうと、正直に名乗ってしまった。
「あまり聞かない名前ですね、ライラか、カッコイイな」
「亡くなった父がつけてくれたの」
ライラヴィラは勝手に出てきて不機嫌な幻獣ロイのことは無視して、軽い足取りでチェリスについて行った。そのロイは小さな四本の細いツノを立てたまま、黒猫姿で主を追った。
「ライラは飛空魔法あります? 私は無いから、ホウキで行きますけど」
チェリスは飛空魔導具の長いホウキを、手に下げていた魔導カバンから引っ張り出した。
ホウキで飛ぶというのは、人界の魔導師が使っていると、ライラヴィラは聞いたことはあった。ただ実物を見たのは初めてだったので、凝視してしまった。勇者村サンダリットでは飛空魔法が無くても、基礎体力を作るために、こういった魔導具の使用は禁止されていたのだ。
「ライラ? これがどうかしたの?」
チェリスが訝しげに訊いたので、慌てて返事した。
「あっ、私は飛空魔法で付いていくわ」
ライラヴィラは風魔力を全身に纏う。ふわりと身体が宙に浮いて青銀髪が風になびく。
ホウキのチェリスが低空飛行で進むのに合わせて、ライラヴィラも飛んでいった。黒猫な幻獣ロイも主の肩に乗ってついてきた。
城郭都市を出ると、草地と所々に岩や木が点在していた。
間隔を置いて建屋と広大な畑があったり、牧場もあちらこちらで見かける。
スペランザ領はかつて荒地だったと侍女長ミリィから聞いていたので、きっと多くの人の協力と努力で開拓したのだろうと思いを馳せた。




