7-2 勇者村を目指す少年たち
二日後——。
ライラヴィラは全身を映す大きな鏡の前に立っていた。丈の長いコートに細身のパンツとロングブーツ姿である。
魔導城郭都市スペランザの主の印である、ツノ髑髏のペンダントを服の内側に隠した。
長く幅広のマフラーを首に巻いて端を前に垂らし、青銀髪から覗く小さな二本の黒いツノが隠れるようにバンダナを丁寧に頭に巻く。
両手の尖った黒い爪を隠すよう、革のグローブをはめる。
そして紅い魔眼を隠すようにゴーグルをかけた。
「ギリギリ、ダークエルフで誤魔化せそう」
ライラヴィラは鏡の前でひと回りして再度、姿を確認した。
必要な荷物を収め、魔導カバンのリュックを背負う。
二本の長剣に魔力を流したあと、ひとつに重ね合わせる。すると二本だったはずの剣が溶け合うように一本になった。
「これで持ち歩きの邪魔にならないかな」
重ね合わせた長剣を腰に下げる。ライラヴィラの瞳には、鍛冶師の手により剣身に刻まれた『闇の深淵の紋章』が鞘を透けて映った。
——余程のことが無い限り、もう折れはしないだろう。ただし、これを見ることが出来る手練れには注意しないといけないけど。
深淵の紋章を持つ者は、すなわち魔界の大魔王であるという証——。
ライラヴィラはスペランザ城の地下深くにあるミラリスゲートへと向かった。すぐ後を背の高い紺が混ざる灰髪の男、侍従長ベルントがついていく。
螺旋階段が高き扉のような壁の周囲を回るように、地下へと岩盤を巡っている。様々な色に変化しながら輝く、その壁が立っている奥底の地に足を踏み入れた。
「いってらっしゃいませ、姫様。お約束通り、あちらに着いてから三日間ですぞ」
「わかってる。では、行ってきます」
ライラヴィラが右手をかざすと、ミラリスゲートが光をさらに強める。
ゴーグルを通した魔眼でゲートの向こうの景色を見た。
「向こうは人界でも行ったことない場所かな、見覚えがない」
「姫様は行き先が分かるのですか?」
ライラヴィラは人界の大賢者に教わった話をした。自分の魔眼の力でゲートに景色が浮かび上がって見えるのだと。
「勇者村まで、距離がなければ良いのだけど。三日間で帰ってこられるかな」
「善処なさいませ」
「努力はするよ」
そうして彼女はミラリスゲートの中へ、ひとり踏み込んだ。
◇ ◇ ◇
ライラヴィラは二月ぶりに人界へ帰ってきた。
どうやら知らない街のはずれにあるゲートに出たようだ。
両腕を伸ばし、ゆっくり深呼吸した。
「人界の空気!」
勇者村サンダリットから魔界へ旅立った時には夏の終わりだったが、今ではすっかり秋が深まっていた。
木々が黄金や深紅に染まり、落ち葉が地面を彩る。風は乾いていて冷たく当たり、首に巻いたマフラーを揺らす。空から注ぐ日の光は青みのある魔界の月とは違い、眩しく黄色味を帯びていた。
ライラヴィラは近くに見えていた街へと歩いて向かい、ほどなく到着した。早速、雑貨屋で周辺の地図を手に入れ、持っていた魔導コンパスを当てた。
——サンダリットまでかなり遠い。これでは馬車だと三日間では村に着けない。飛空魔法では魔力が持たないし。
街の建物から少し離れて人目につかない場所を探し、自分の足元の影を無言で見つめる。
「お呼びで、ライラヴィラ」
幻獣ロイが主の影から小さな黒猫の姿で現れた。
「位置は指示するから、乗せて飛んでくれないかな」
ライラヴィラは魔眼で地図を見て、その映像をロイの思考に送った。
「無理だ。我は闇の幻獣。光の眩しき人界ではあまり力が出ぬ。途中までで良いなら送ろう」
「そうなのね、途中まででいいわ。お願い」
ライラヴィラは勇者村までの最短ルートを考え、幻獣ロイに乗せてもらって人界の空を高く飛んだ。
眼下に見慣れた色合いの景色が広がる。緑と青が交互に覗き、白い雲の上をすり抜けていく。闇の幻獣は漆黒の翼を広げ、魔眼の女剣士を背に乗せて人界の空高く駆けた。
「我はこれが限界だ。しばらく休ませてもらう」
ロイは地表に降り立つと小さな黒猫の姿に縮まり、主の影の中へ消えた。
「ありがとう、助かったわ」
ライラヴィラは向こうに見える港のある城下町を眺めた。遠くの高台には大きな城がそびえ立ち、周りにはぎっしり建物の詰まった街並みが広がっている。人間族の国で最大級の都市だ。
——トラヴィスタまで来られたから、何とか三日間で魔界に帰られるかな。
目立たぬよう飛空はせず、歩いて街並みへと向かった。
◇ ◇ ◇
城下町の中心地へと足を踏み入れる。ひときわ高く目立つサンユノア教団の教会が見えてきた。建物の前に緑のローブ姿の僧侶が五人並び、その周囲を民衆が囲んでいる。どうやら大きな集会が催されているようだ。
「今こそ人界の『光の原点』を強めるために、魔族を滅ぼすべし!」
「原点の力の弱まりし原因は、魔界にあり!」
「二度と大魔王が生まれぬよう、魔族は全て排除すべきだ!」
僧侶が何かを宣言するごとに大きな歓声が上がる。
ライラヴィラは集団から距離を取りつつ、早足で通り過ぎる。長く尖った耳をそば立てて彼らの主張を聴いた。
——嫌な予感がする。
前来た時は、ここまで派手な演説や人々の群れは無かった。
町の雰囲気が違う。殺気立ってる。
人界を支える力の根源『光の原点』を唯一神の如く信仰し、魔界を支える力『闇の深淵』及び魔族、魔王と大魔王を排除せよと訴え続けるサンユノア教団。彼らはライラヴィラが生まれる前から存在した。
ただ大魔王を実際に討伐した者を『勇者』として称号を与え、英雄として祭り上げているのは宗教ではなく、人界の国家群である。
ここ人間族の国トラヴィスタの王家には、光の力を受け継いでいるという伝説があった。ライラヴィラの乳兄妹ジェイドが悪鬼と為った大魔王ザインフォートを討伐し、勇者の称号を授けられたのはトラヴィスタの国王からだ。
一般の人々の光の信仰は、深淵に呑まれた大魔王すなわち悪鬼アモンの厄災が起こるたびに広がっていて、人界では定番の宗教で信者も多い。しかしここまで声高に活動を広げてきたのは、ここ十年ほどのことである。
ライラヴィラは魔界へ旅立つ前にトステルの町で教団の教会に仕事で赴いたが、魔族ではなくダークエルフだった彼女への当たりが強かったのは、そういう事情である。魔族となった今、彼らに正体がバレると命の危険が伴うだろう。ましてや深淵の鍵をその身に施されし『大魔王』なのだから。
ライラヴィラは勇者村近くの町、トステル行きの馬車に乗ろうとしたが、人界の貨幣は銅貨数枚しかなく、ほぼ尽きていた。地図を購入したり食事をしたため、宿代すら怪しかった。
——このままでは移動もままならない。
初めて魔界の地に足を踏み入れた時も、魔界の通貨を全く持ってなくて、レグルスに奢ってもらったな……。
魔界では人界同様に素材収集をしていて、それなりの量を持っていた。しかし人界ではどれも貴重品とされる物。あちこちの店に売り捌くと目立って、国の衛兵の足がついてしまう。魔族が、ましてや大魔王が人界をうろついていることが国家に暴かれたら、それこそ世界戦争になる。
——困ったときは身元を特に問われない日雇い労働だ。
ライラヴィラは求人の掲示板のある酒場へと向かう。育ての親である賢者から酒場で仕事を受けることを禁じられていたが、今はそれどころではない。このままではスペランザの侍従長ベルントとの約束である、三日間で身辺整理を終えて魔界へ帰ることが出来ない。
張り出されている求人票を見ると、得意の素材採取の依頼は無く、旅の護衛や魔物討伐の依頼ばかりだった。
その中でひとつ気になる依頼を見つける。
『サンダリットまでの護衛任務。
勇者を志す若者三名を無事送り届けること。
報酬は前払いで銀貨十枚』
ライラヴィラはその求人票を掲示板から取り、酒場横にある案内所へ出向いた。
「この依頼は報酬がかなり良いけど、どういうこと? 勇者を志すなら、ここからサンダリットくらい自分一人で行けないと。向こうへ着いても力不足だと追い返されるだけでしょう」
ライラヴィラは不審に思ったことを尋ねた。
「今は各国の推進もあり、猫も杓子も勇者村へ向かっているんだ。護衛が必要な弱い者も多くて人手不足でね」
そして案内所の男はそっと耳打ちしてくる。
「今は不況でな、勇者村に行けば取り敢えず食いっぱぐれないと、若者が大挙して押し寄せてるらしい。本当に勇者になる気のある奴などおらんよ」
ライラヴィラは爺さまたちがさぞ困ってるだろうなと思いつつ、この依頼を受けることにした。トステル行きの馬車に無料で乗れて、その先のサンダリットまで依頼者に付き添って行けば報酬が得られる。願ってもない依頼だ。
しばらく案内所で待つと、護衛任務の対象の若者三人を酒場の斡旋人が連れてきた。斡旋人はライラヴィラにレンズの入った魔導具を向けて、何かの測定をしていたようだったが、ニヤリと笑みを浮かべて「身体能力と魔力は申し分ないな」と呟いた。
どうやら魔力隠蔽は上手く働いたようだと、ライラヴィラの緊張が解ける。大魔王の常闇の力は底無しだ。そんなものを見破られたら危険人物だと見なされて、せっかく見つけた依頼を受けられなくなる。
「左から、バリー、マイク、キャロルだ。あんたの名は?」
「ライです」
敢えてライラヴィラとは名乗らなかった。
どこで大魔王としての自分の名が漏れるか分からない。
「ダークエルフだ……」
十三、四歳くらいの三人が怯えるような目で見る。
ライラヴィラは青銀髪に淡紫の肌は人界ではまず見ないだろうと、自分に向けられる恐怖の視線を受け入れた。
「この姉ちゃんは相当な手練れだから心配無用だ。さあ行ってこい」
報酬を前払いで受け取り、斡旋人に見送られ、ライラヴィラは少年二人と少女一人の三人を連れて馬車に乗り込んだ。
◇ ◇ ◇
ライラヴィラはまだ学び舎にいる年齢であろう少年たちが気になり、馬車の中で話しかけてみた。
「あなたたちは勇者になるためにサンダリットへ行くの?」
三人はしばらく返事しなかった。
間を置いて、少女キャロルが小さな声で呟く。
「私たちは、人減らしなの」
そして彼らの集落が貧しくて食べていけず、護衛を雇うための銀貨だけ与えられて城下町に置いていかれたのだと、身の上を明かした。
「そんなに今、不況なの?」
「お姉さんみたいな人にはあんまり影響無いだろうけど。人界の光の力が徐々に減ってきてて、作物の育ちは悪くなるし、魚も減って獲れにくいし、魔物が増えて食肉を得るための狩りもままならない」
ライラヴィラはあまり意識したことのなかった、人界の『光の原点』について思い巡らせた。
——深淵の中で父さまが言ってた。
『光の原点』と『闇の深淵』の調和をって。
大賢者ハニンカムも問題があると言っていた。
そして今は解決不可能だと——。
「ライ、何ぼんやりしてるの?」
少年バリーに声をかけられて、ライラヴィラは三人の顔を見た。
「いや、大変だなと、考えていただけ」
それからはライラヴィラは会話せず、ただ馬車に揺られていた。




