6-2 深淵の里ムスタ
ロイは大型の翼獣の姿になり、ライラヴィラとレグルスを乗せて空を飛んだ。
魔界の空気中に含まれる、闇の深淵由来の成分『暗蝕』が徐々に濃くなる。眼下に広がる景色も彩りが失われ、青と紫が所々で発光する薄闇へと変化した。
「ライラヴィラ、通りすがらに『紅き誓いの谷』があるから寄るか? ランダステンとリーヴィーを連れて行ってから、どうなってるかは知らぬが」
珍しくロイが声をかけてきた。
「そこはどんな場所なの?」
ライラヴィラはロイがわざわざ誘うのだから、特別な場所であろうことは容易に想像できた。
「おまえの持ってる指輪の『真紅の絆』の儀式をする場所だ」
レグルスが答えた。
「もしかして魔族が夫婦の誓いを立てる場所?」
「まあ、そんなところだ。中には絆の資格がある二人しか入れんから、入口近くまでになるが、行くか?」
「行ってみたい」
ライラヴィラはまだ見ぬ両親のことを少しでも感じたいと即答した。
幻獣ロイは誓いの谷のすぐ近くに降りて、二人を下ろした。
周囲の山々の薄暗かった景色から目の前が一変した。赤く輝く樹々が生い茂り、遠くに澄んだ湖が月の煌めきを映す。色とりどりの花が咲き乱れて蝶も舞い、小鳥が囁く声も聞こえて神秘的な場所だった。
「あの大きな岩が二つ並ぶところが精霊の結界で、そこから先は『真紅の絆』となりし資格のある二人だけが通るのを許される」
レグルスが指を差して説明した。
「では魔力の源の、精霊が認めた二人ということなのね」
「まあ、そんなところだ。『真紅の絆』になる番の二人というのはなかなか珍しくてな。ここには大体十年に一組程度しか訪れることはない。周囲は闇が深いから、たまに近くを探索に来た者が立ち寄るくらいだ。俺はこの近くの森で修練を積むために時々来ていた」
「真紅の絆は、魔族だけなの?」
ライラヴィラは母が人界のライトエルフなのに、魔王の父と『真紅の絆』になったのはどういうことなのか、疑問に思った。
「さあな。普通は魔族だけで人界人には無いと言われてるが、精霊の意思というものがある。おまえの両親は精霊から特に目をかけられてたってところか」
二人はこれ以上は先に進めないので、再びロイの背中に乗って空へ上がった。
誓いの谷を後にし、しばらく飛んでいると、黒い森の樹々の中に小さな集落があるのが見えてきた。その向こうは暗闇で何も見えない。
「あの向こうが深淵のある場所だ。手前の里で下ろしてくれ」
レグルスが命じると幻獣ロイはブツブツと文句を言った。
「我はライラヴィラの従属。そなたの言うことには関せず」
「フンッ、お堅いな、同行してるってのに」
ライラは彼の拗ねた顔を見てクスッと笑みがこぼれてしまった。いつもは鋭い表情の魔王なのに、なんだか幼く見えてしまう。
「ライラ! 面白がってないで、コイツに命令しろよっ」
レグルスは口をとんがらせて怒鳴った。
ライラヴィラは笑いを堪えてロイに頼んだ。
「彼の言う通り、里に下ろしてちょうだい」
「承知」
◇ ◇ ◇
ライラヴィラとレグルスは旅の最終目的地である、闇の深淵の里ムスタに遂に到着した。
幻獣ロイは二人を下ろすとライラヴィラの影へと消えた。
目の前には黒い葉と紺色の幹の樹木が生い茂り、灰紫の草が地面には広がっていた。所々で赤い葉も見え隠れする。
里とはいえ、建屋は五軒ほどしかなく、あとは井戸や池があるくらいだった。
向こうから長い杖を持ち、大きなとんがり帽子を被った子どもくらいの背丈の者が歩いてきた。
「やっと来たか! 遅い!」
その者はいきなりライラヴィラたちに怒鳴った。
「師匠、色々あったんだ。とは言え、お見通しってところか」
レグルスが頭を掻きながら応える。
彼の言葉で、ライラは目の前の小柄の老婆が彼の師であることを知った。
「はじめまして」
「フォルゲルから連絡は来ておる。ライラヴィラじゃな」
丁寧に礼をしたライラヴィラを老婆はじっくりと眺めた。
魔界に住む老婆が人界の賢者と知り合いであるのをライラヴィラは不思議に思った。賢者が先に連絡をしていた事も気になる。魔界までどうやって手紙を送ってきたのだろうか。それとも自分の知らない不思議な術で通信したのか。
「彼女はなかなかのベッピンではないか、のぉレグルス」
老婆はいきなりレグルスの背中を木製の杖でペシペシと軽く二度たたいた。
「師匠! たたくなよっ」
「変な色気を出さぬための、おまじないじゃ」
ライラヴィラは二人の会話に呆気に取られた。
老婆は彼女の方を向いて弾けるような笑みを見せた。
「何がどうだか分からぬ、という顔じゃな。わしの名はゲルナータ。おぬしの育ての親フォルゲルとは長い付き合いじゃ。長話は家でしよう」
ゲルナータに促されてライラヴィラたちは彼女の家に入った。
藁葺きの屋根に土造りの小さな家の中は、家具もあまり置かれてなく素朴な作りだった。
三人は幾つかバラバラに置かれていた、背もたれのない樽のような小さな木製の椅子にそれぞれ座った。
「ザインフォートの事は、気に病み過ぎるな」
ゲルナータが二人に語りかける。
「わしとて、大事な弟子を亡くしたのは心が痛い。しかも手に掛けたのも弟子じゃ。かような運命を避ける手段は無く、そうするしかなかったのは承知しておるし、罪には問わん」
レグルスは視線を落としたまま黙って聞いている。そんな彼を見てライラヴィラも目を伏せた。
「それほど、魔界の大魔王の宿命というのは重いものなのじゃ」
ゲルナータはライラヴィラの近くへ寄り、杖を彼女の胸元へとかざした。
青紫の淡い光が浮かび、彼女の額に紋様が浮かぶ。
「確かに、これはザインフォートの鍵じゃな」
ゲルナータが杖を下ろすと浮かんでいた紋様と光が消えた。
「フォルゲルが我らの師ハニンカムより預かりし子、ダークエルフのライラヴィラよ。おぬしは自らの出自については知ったようじゃな。影に『魔眼の覇王』の元におったはずの幻獣がおる」
レグルスが驚いたように顔を上げた。
「師匠はあの頑固ジジイと同門ってことか!」
「これっ、口が汚いぞ」
レグルスの尻をゲルナータが杖でパシッとたたく。
「痛っ」
レグルスはたたかれた尻をさすりつつ、ゲルナータには頭が上がらない様子だった。
「レグルスには言うておらんかったが、フォルゲルとわしは師を同じくしておる。師とはハニンカム。人界で二人は会ったであろう。そしてじゃ」
ゲルナータがとんがり帽子をそっと取る。
頭には魔族のツノは無かった。
「わしは元は人界のドワーフ族。今は深淵の闇に永きに晒されて、ほとんど魔族みたいなものじゃが。ツメは黒くなったし肌も青くなった。ただわしはこの姿が気に入っておる。わしは魔界と魔族が愛おしいからの」
「魔族が、愛しい……」
ライラヴィラはゲルナータが言う言葉に考えさせられた。
──わたしは自分の魔族に似た姿が大嫌いだった。
普通のエルフになりたかった。
でも目の前の老婆は自らの魔族っぽい姿が好きだと語る。
魔界を旅してきて、わたしも魔族に愛着が湧いている。
魔王ロゼフィンは自分を面白がってくれた。
魔王ネウレディドは人界が好きだと言う。
領主マティルダはとても親切にしてくれた。
大魔王の妻、魔王妃ソフィーは心優しき人だった。
スペランザの魔王であった父の従者たちは誇り高き信念の持ち主が揃っていた。
そしてずっと人界から魔界の旅に付き添ってくれた彼。
ソレイルヴァの魔王レグルス。
彼は自分が次の大魔王になるためだと言っていたけど、それだけでわたしにここまで良くしてくれるなんて、余程のお人好しだと思う。
態度はちょっと強引で、尊大な俺様魔王だけども。
それに彼が時折り見せる金の瞳の微笑みは、度々人界を襲った、おぞましき魔族とは違う。
穢れなき崇高な魂の持ち主とすら思える──。
「さて、話を戻そう。本題じゃ」
ゲルナータは続けた。
「深淵へライラヴィラの元にある鍵を返すことが上手くいくかは、正直分からぬ。先に次の大魔王が決まれば良いのじゃが……」
「師匠、次は俺が大魔王になる。そのつもりでここへ来た」
レグルスがゲルナータを真っ直ぐ見つめる。
「そう言うであろうことは分かっておった。ザインフォートのことがあるしの。しかし」
ゲルナータはライラの方を向いた。
「そもそも、深淵の鍵はふたつ同時には存在できぬはず。いつもなら大魔王が崩御せし時に鍵は消える。間も無く次の深淵の鍵が精霊によって生み出され、選ばれし者を深淵の奥にて待つのじゃ。それが消えぬままあるというのが不可解」
ゲルナータは立ち上がり、窓から外を見た。
「わしは精霊に問うたのじゃ。何故次の鍵が生まれぬのかと。精霊は一言だけ返事をよこした。それは」
〈時が来る〉
「それ以上は何も教えてはくれぬ。いつもなら次の大魔王が大体どんな奴かなど、伝えてくるのだがの」
ライラヴィラはフォルゲルの言葉を思い出した。
「爺さまも『時が来た』と、言ってました。ただそれ以上何も教えてはくれなくて」
三人はしばらく黙って考え込んだ。




