4-4 ザインフォートの書庫
三人はかつてザインフォートが座した玉座の間に立ち入った。暗い部屋の奥に主を失った立派な椅子が据え置かれている。
「やっぱり、寂しいな」
レグルスが左の腕輪を右手でさすりながら呟いた。
「彼がね、悪鬼アモンになる少し前に、レグルスがいつか困ってここに来るって言ってたわ」
ソフィーが玉座を目を細めて眺める。
「それはどういうことだ?」
レグルスには特に心当たりがなかった。
「その時は、自分の書庫を開けてあげてと」
「……書庫! そうか、あいつ、太古から現代に至る記録を大量に集めていたな!」
「ええ。だってライラヴィラは、何か訳ありなのでしょう?」
ライラヴィラは急に話を振られて焦った。
「えっと! その、あの……」
「人界の人なのに魔眼で、光と闇の両方の魔力があるから」
「!」
ライラヴィラは自身に光と闇の力が同時に備わっているのを見抜かれて驚いた。
「ソフィー! おまえが優秀な魔術師だっての、忘れてた」
レグルスは頭を掻いて苦笑いする。
ソフィーも口元に手を当ててクスクスと声を出した。
◇ ◇ ◇
魔王妃に案内されて、ふたりは大魔王ザインフォートの書斎に入った。
壁面は全て書棚になっており、天井から床近くまで書物が詰まっている。机の上にも本や紙の束が積まれ、床に直接積まれている本も大量にあって、足の踏み場に困るほどだ。
「この部屋の隣が書庫よ」
ソフィーが奥にある扉の鍵を開けた。
「彼の言葉から、多分必要なものはこちらにあらかじめ纏めてくれていると思うわ。だってこの本の山ですもの、わたしなら一生かかっても探しきれないわ」
亡き大魔王の妻は愛おしそうに目を細めて書物の山を眺めた。
ライラヴィラはレグルスと一緒に隣の書庫へ入った。
そこにもおびただしい量の書物があったが、幾つかある木の台の上には何冊かずつ分けて、きちんと揃え置かれてあった。
「いかにも『これを読んでくれ』って置き方だな」
レグルスは一番目につく場所に置かれてた一冊のノートを手に取った。
それはザインフォート自身の手で綴られたものだった。
──『大魔王たる者の資格』──
大魔王とは、その身に闇の深淵の鍵を宿すことで
魔界を支える人柱である。
その身は滅びにいずれ至ることが決まっている。
それは魔族なら誰もがそう認識しているであろう。
しかし、そこに私は疑問を呈する。
太古からの万年もの長きにわたり繰り返されてきた大魔王の歴史。
その在位期間はかなりの差がある。
千年以上の長期にわたり深淵の浸食を受けず
存えた者もいたことがわかってきた。
ただ単に闇の耐性が高く魔力が強いということならば
代々の大魔王は全員、その条件を満たすだろう。
おそらく、別の何かが必要なのであろう。
魔界には存在しない力だと、私はそう予測する。
既に魔界にあるならば、これだけの歴史だ。
とうに見つかっているはず。
その力を持ちし者こそが、唯一
『真の大魔王』たる資格があると私は思う。
──『アモン』──
深淵に呑まれた大魔王、アモン。
魔界を半壊させたこともあり
人界を滅亡の危機に晒したこともある
恐ろしき悪鬼。
私はアモンにはならない。
『最後の大魔王』になる決意をもって
深淵の鍵をこの身に受けた。
しかし私の中の闇は確実に私を蝕んでいる。
万が一ということもある。
私は決して人を害しない。
その時が来れば『勇者』に倒される為に
強き意志を以って一人で人界へ赴こう。
──『深淵の鍵』──
精霊が生み出した、闇の深淵と繋がる鍵。
何故精霊がこれを作ったのかは分からない。
そもそも人柱たる大魔王を何故生み出さねばならなかったのだろう。
他に方法は無かったのだろうか。
他に、深淵を抑える存在は無かったのだろうか。
深淵を大魔王不在のままで放置したため
魔界が大規模に侵食された歴史も存在したが
魔族は滅びに屈しないために再び大魔王を置いた。
他に、他に手立ては無かったのか。
「他のも読んでみよう」
二人はザインフォートの手記を読み終えたあと、他にも何か参考になるものがないかと探した。
「ここに纏められてるのも、読んでくれってことか?」
レグルスは別の本に触れようとする。
「おっと!」
本が一瞬で厚い氷に覆われて触れられなくなってしまった。
ライラヴィラもその仕掛けの発動に目を大きく見開く。
「ザインの奴、これは読むなってことかよ。ご丁寧に魔法の時限発動まで残してるとは、やってくれるな」
「凍ってカチコチね」
ライラヴィラは指先で凍った本を突いてみる。
ますます氷の厚みが増した。
「さすがは『氷晶の賢王』だな」
「氷魔法って、水魔力では発動できないのに、これどうやってるのかな」
ライラヴィラは自分の知識には無かった氷魔法について疑問に思った。
「人界では複合魔法の研究は進んでないのか? これはザインの得意技でさ。水魔力と闇魔力の合体技さ」
「そうなのね! 爺さまからは聞いたことなかったわ」
「賢者のジジイか? あいつ知ってそうだったけどな。おまえにはわざと教えなかったんじゃないか?」
「ええ? そんなことは無いと思う。だって『もう教えることは無い』って言われて、それから旅立ったのよ」
「ライラにこんなこと言うのは悪いが、あのジジイはクセ者だ。俺の勘だが。俺が最初に勇者村に行ったときの返事も、あらかじめ分かってる風だったしな」
そう言われて、ライラヴィラは確かにあのときの爺さまは変だったと思い返す。
「きっと何か理由があるのよ。そういう時は、何を訊いても爺さまは教えてくれないから」
ライラヴィラは再び読めそうな本が無いかと探し始めた。しばらく探すと奥にもうひとつ、人が一人やっと通れるくらいの小さな扉を発見する。
「レグルス、扉があるわ」
ライラヴィラは彼に声をかけたあと、その扉にそっと近づいていった。
「何、これ!」
扉の前に突然、防御壁が現れ、ライラヴィラの身体が少し痺れた。
そして扉の前に何やら紋様が浮かび上がってくる。
「これは……大魔王の、闇の深淵の紋章!」
レグルスが驚いて大声を上げた。
「大魔王の紋章が何故ここに? でも彼は大魔王だから、あっても不思議じゃないわ」
ライラヴィラはその荘厳な紋様を見つめた。
自らの胸元に妙な魔力の発動を感じる。
「ライラ! おまえの額に紋章が!」
「ええっ⁉」
ライラの胸元にある深淵の鍵が反応して、ほのかに光る。
しかし、しばらくすると額の紋章と胸元の光は消えて、扉にあった紋様も消えてしまった。
ライラは再び扉に手をかけてみた。
破裂音と共に再び防御壁が作動し、扉にこれ以上触れることはできなかった。
「大丈夫か!」
レグルスが傍らに寄る。
「ちょっと痺れただけだから、大丈夫」
ライラヴィラの返事に彼は安堵の表情を浮かべた。
「どうしてこんな仕掛けを設置したのかしら。おそらく大魔王自身が居なくなった後を想定して、この書庫を整理してあるのに」
レグルスは腕を組んで少し考えた。
「これは次の大魔王の為に用意されたものかもな。おそらく正当たる深淵の鍵の持ち主にしか、この扉は開けられない」
そして彼は宣言した。
「それは、俺だ」
◇ ◇ ◇
魔王妃ソフィーの好意で、ライラヴィラとレグルスはウルカドン城の別々に用意された部屋で泊まらせてもらい、夜が明けた。
早朝、ライラヴィラはひとりで、水の精霊の力に触れた滝のもとへ訪れた。
その場に座り込んで魔導リュックからスケッチブックを取り出し、魔界に来る前に人界で買った鉛筆で滝のスケッチを始めた。
昨日、ザインフォートの意思により水魔力を授かったこと。そのときに溢れそうになった感情を描きとめておきたいと赴いたのだ。
大体の形になると、クレヨンで青や緑の色を加えていった。
「このままだと、少し、寂しいかな」
ライラヴィラは赤いクレヨンを手にする。
「ここにいたのね、ライラヴィラ」
ソフィーだった。
「あ、おはようございます」
ライラヴィラは手を止めて振り返り、魔王妃に挨拶した。
「絵を描いていたの?」
ソフィーはライラヴィラの手元のスケッチブックを覗きこむ。
「はい、素敵な場所だから、描きたくなったんです」
「そう。あら、赤いクレヨン」
ライラヴィラが手にしていたクレヨンにソフィーは気付いた。
「ここはね、花の季節になると、一面に美しい赤い花が咲くのよ。滝壺の水面に赤い花びらが一杯になって染まる瞬間はとても鮮やかで。ザインはその季節をいつも楽しみにしていたわ。彼の瞳もその花と同じ赤い色だったの」
「そうなんですね。足りないと思ったのは、それだったんだ」
ライラヴィラは魔眼の力を使って滝を注意深く視た。
ソフィーの言う季節の滝が見えてきたので、赤い色を絵に足していく。
「凄いわ、そうそう、あなたのこの絵の通りよ。もしかすると、あなたには今これが見えるのね。素晴らしい力ね」
ソフィーはライラヴィラの手元に現れた花の季節の滝に見入った。
「魔眼というのは大変だとザインは言っていたわ。でもそれは与えられし力の代償だから受け入れると、彼は言ってた」
ライラヴィラはその言葉に心が疼く。痛いところを突かれた。
「人界には、わたしみたいな真紅の目の人はいないんです。だからおぞましい目だと怖がられて……ずっと嫌でした」
「ここ魔界では魔眼は大切にされるわ。その力を持ちし者は魔界に恩恵をもたらすから。今もわたしはあなたのその力で、彼が一番好きだった季節の滝を見せてもらえて嬉しかった。その絵、いただけないかしら」
ライラヴィラはスケッチブックから慎重に絵を切り離してソフィーに渡した。
「どうぞ。わたしの眼のこと、そんなふうに言ってくれる人は……いなかったです。ありがとうございます」
ソフィーにそう言ってから、自分の瞳のことを言った男のことを思い出した。
「でも、レグルスが、宝石みたいだと言ってくれた……」
思わず漏れた呟きをソフィーは聞き逃さなかった。
「レグがそんなこと言ったの? あのレグルスが! ふふふっ」
その時、後ろから声がした。
「俺が何か言ったって?」
当の本人のレグルスだった。
「内緒! ね、ライラヴィラ」
ソフィーは笑いながら言ったので、ライラヴィラも微笑み返した。
レグルスはソフィーが手にしていた絵を見た。
「ライラがここの絵を描いたのか。でも花はいま無いぞ?」
「花の季節をこの目で見て描いたの。人界で赤いクレヨンを買っておいてよかった。あなたのおかげかな」
「そうか。赤、良かっただろ?」
レグルスはいつもの得意げな笑みを浮かべた。
滝の前で三人が話をしていると、城の方から衛兵が一人駆けて来た。
「魔王妃様! 城下で怪しい二人組を捕らえたのですが、人界の者のようなのです」
ライラヴィラとレグルスは顔を見合わせた。
「一人は金髪碧眼の中肉中背の男、もう一人は猫タイプの獣人の女です」
二人には心当たりがあった!
「その二人に会わせてくれ、もしかすると知った奴かもしれない」
「これは魔王レグルス様、承知しました!」
三人は衛兵の後に続いて、急いで城内に戻った。




