3-2 アシュリトス魔導国
モックの集落を旅立って丸一日。ライラヴィラは馬車で揺られて幌の中でひと眠りした。念のため身を守る魔法結界を自分の身体に纏わせていたが、何も問題は起こらなかった。
同乗していたレグルスとふたりの馭者の頭には魔族特有のツノがあるが、怖いと思ったのは最初だけ。すっかり見慣れて平気になっていた。
夜が明けて目が覚めた時、周りの景色が色とりどりの畑が広がる農業地帯に変化していて驚いた。魔界にもこんな豊かな農地があるのだと知る。ライラヴィラは人界と魔界はそんなに変わらないのだという印象を持ち始めていた。
ようやく大きな街に到着する。魔王が住まう城のある城下町だとレグルスから聞いた。ここまで送ってくれたモックの村人に礼を言って別れた。
レグルスはライラヴィラにこの地のことを説明した。
「ここアシュリトス魔導国は若き女魔王ロゼフィンが治めてる。魔界では珍しい、農業で国の経済が回っている、比較的温暖な国だ」
「でも農業国の割には、バザールに農産物が少ないような?」
ライラヴィラは疑問を口にする。見慣れた人界のバザールと比べて、穀物や野菜、果物が少ないように感じた。日用雑貨品は揃っているのに、誰も買わない。人垣ができているのは食料品を扱う屋台ばかりだった。
「おそらく深淵の暗蝕が魔界中に漏れ出ている影響だろう。大魔王が悪鬼と化して亡くなって、深淵を支える人柱が不在だからな」
レグルスもバザールを見渡した。彼から溜息が漏れる。
「人柱の大魔王がいるというのが、魔界ではそれだけ大事なのね」
「ああ。だからこそ、俺は深淵を目指す」
レグルスが大賢者ハニンカムに大魔王になる決意を表明したのは、それだけ魔界の状況が悪いのだろう。
ライラヴィラはアシュリトスのバザールで素材を売れば良いという、彼の言葉を思い出した。背中の魔導リュックの中には手作りの保存食が詰まったままだ。
「私、売れ残りのムルットジャムをそこそこ持ってるんだけど、魔界の人ってジャムを食べるかな?」
「ジャム? 果実を砂糖で煮たやつか、それは高級品だな。金のある奴しか買わんな」
「でもこんなにバザールの農産品が少ないなら、みんな困ってるでしょう。売れ残りだから安くするつもりだったし、どうかな」
レグルスは少し考えて言った。
「何なら、アシュリトスの魔王に直接掛け合うってのはどうだ?」
レグルスのとんでもない提案にライラヴィラは驚いた。バザールの元締め人ならともかく、いきなりそこに考え至るって。
「ま、ま、まぉ、魔王! ちょっとそれは、怖いかも……」
彼は戸惑う彼女を見て大笑いした。どうやら彼は本気で魔王に会おうとしているようだ。
「だって、ま、魔王よ?」
「ああ、ロゼフィンなら話のわかる奴だから大丈夫だ。俺の幼馴染みだし、きっとジャムは喜ぶぞ」
レグルスは向こうに見えてる城と思われる巨大な石造りの建物の方へと、口笛を吹きながら軽快に歩き出した。ライラヴィラは不安で気持ちがついていけずとも、土地勘や知り合いのない魔界では彼に従うしかなかった。
レグルスが魔界ではどんな仕事をしてるのか、どう暮らしてるのか、全く聞いたことがない。魔族で手練れの剣士だという意識しかなかった。
大魔王に魔王までもが友達ってことは、彼も……まさか魔王だったりして。
でもこんな長期間、自国を空ける魔王はいないだろう。
ただ人界の文字が読めたり、魔王であった父さまのことを知っていたり知識は豊富で、炎魔力を纏った剣術は達人の域だと思う。
たとえ魔王ではなくても、魔界の有名人である可能性は高いのかもしれない。
ライラヴィラは彼を追って歩きながら、レグルスの人となりを想像した。
◇ ◇ ◇
レグルスが城の門番に声をかけるとしばらく待つように言われ、そのあと中から出てきた侍女らしき人に城内へと案内された。
客間らしき部屋のソファーでレグルスと並んで座ってると、奥から桃色の髪に丸く巻いている黒いツノが二本生えている小柄な女性が駆け寄った。
「レグルス! 人界に行ったって聞いたから心配したわよ!」
「ああ、戻ったところだ」
「大魔王のこと、もう魔界中に知れ渡ってるわよ。亡くなってしまったのね」
「アモンを止められなかった……すまない」
ライラは二人の会話を聞いて、魔界にとっての大魔王の存在の重さを再び実感させられた。
ただ、可愛らしいこの女性は誰だろう。持てし魔力を隠蔽しているようだが、相当な闇魔力を秘めていそうだ。
「あら、こちらのかたは?」
ライラヴィラを見て彼女がレグルスに尋ねた。
「ああ、珍しいジャムを安く売ってくれると聞いて、ここに連れてきた。彼女の名はライラヴィラという」
ライラヴィラは紹介されたので、ツノ無しを隠している平たい帽子は外さず、立ち上がって丁寧に彼女へお辞儀をした。
「礼儀正しいのね。教育は受けてそう」
彼女はライラヴィラを凝視したあと、驚いて後退りした。
「この人、魔眼じゃないの!」
「ああロゼフィン、彼女はとある有力者の娘なんだ。内緒な」
目の前の女性こそがこの国の魔王なのだと知って、ライラヴィラの背中に緊張が走った。彼女から感じた闇魔力は魔王ならではだろう。魔界の魔王とは、やはり強大な存在だ。見かけに騙されてはいけない。
「ライラ、品物を出してくれないか」
レグルスに促されて、震える手を悟られないように、ゆっくりと魔導リュックからジャムの瓶を百本ほど取り出して並べた。
「まぁ! 綺麗な紅い色。これは何?」
ライラヴィラは緊張しながら、はっきりと答えた。商売だ、ここで怯んでいられない。
「こちらは人界で採れるムルットという赤い果実を潰して、砂糖と共に煮詰めたものです。甘酸っぱい実と香ばしい種が混ざってて、栄養満点なんです」
「人界ですって? レグルス、どういうことよ」
ロゼフィンは流し目で彼を見た。
「たまたま人界で会って、一緒に魔界に来たんだ」
「訳有りなのね。わかったわ」
それ以上は聞かれなかった。
「わたくしはここアシュリトスの魔王、ロゼフィン。名乗るのが遅くなったわね。レグルスとは昔馴染みよ」
「お初にお目にかかります」
ライラヴィラは再度、丁寧に礼をした。相手は魔界の魔王、とにかく礼を欠いてはいけない。
「魔眼持ちに礼をされるのは気分がいいわね」
ロゼフィンは目を細めて笑みを浮かべる。
「おい、おまえ詮索する気、満々だな! 先にこれを買ってくれよ」
レグルスは呆れつつ、ジャムの瓶を指した。
「金貨三枚でどう?」
ロゼフィンが小袋を差し出した。
「いいか? ライラ」
レグルスが目配せしてくる。
「十分です、ありがとうございます!」
思ったより高く買ってもらえたのでライラヴィラは嬉しかった。そっと魔王から直接、金貨の入った袋を受け取る。緊張したが手の震えはようやく止まった。
「では早速」
ロゼフィンは瓶を一本開けて味見し、一瞬目を見開いたあと微笑みを浮かべた。残りの瓶は全て侍女たちに別室へと運ばせた。
「これは素晴らしいわ。今、食材はいくらあっても足りないの。城下の民に配るわ。持ってきてくれて、ありがとう」
魔眼で見える嘘のない感謝の笑みに、ライラヴィラは衝撃を受けた。
魔王が民に直接食料を配らなければならないほど、食糧難なの?
人界でも作物が不作の年はあるが、ここまで酷くなったことはない。
「あ、あの、お聞きしたいことが……」
ライラヴィラは緊張しつつも、魔王の言葉が頭から離れなかった。
「そこまで作物が育たないのでしょうか」
どうしても気になって、つい口出しをしてしまった。
「おい、それ以上はダメだ」
レグルスがライラヴィラの発言を止めた。
「でも、人界ではここまで酷い飢饉はなかったから! 魔界がこんなに大変なことになってるなんて!」
ライラヴィラは思わず本音をぶちまけてしまった。
「ねえ、あなた、もしかして人界の人?」
ロゼフィンはライラヴィラに歩み寄り、被っていた帽子を素早く掴み取って投げてしまった。
「ツノが無い! レグルス! 訳有りにも程があるってものよ!」
彼女はライラのツノの無い頭を指差した。
「あーあ……」
レグルスは頭を抱えた。
「ごめんなさい、黙ってられなかった……」
ライラヴィラは頭をうなだれる。
「バレちまったのは仕方ない」
レグルスはロゼフィンが投げた帽子を拾い、埃を払ってからライラヴィラに被せた。
「魔眼持ちなのにツノが無いのは混血ってことよね。レグルス、もしかして彼女は『魔眼の覇王』の忘れ形見とか?」
ロゼフィンはライラヴィラの出自をズバリ言い当ててしまった。
「やっぱり分かるか。魔眼持ちは少ないからな」
「だって人界人と結婚した魔眼持ちは、わたくしの知る限り魔王ランダステンしかいないわ」
ライラヴィラはふたりの会話から父親が今でも魔界では有名人なのだと察する。
何も言えずに俯いていると、ロゼフィンがライラヴィラに指差して睨んだ。
「あなた、魔王の娘なんだから、もっと堂々となさい! 礼義正しいのは良いことだけど、風格ってものを持たないと恥よっ!」
そう女魔王が怒鳴ったときに、衛兵らしき者が二人、慌てて入ってきた。
「ロゼフィン様! 植物園が深淵の浸食を受け始めました!」
「何ですって! あそこはこの国で一番大事な所なのよ! すぐ行くわ!」
彼女は転移魔法を展開して、あっという間にその場から消えてしまった。
「深淵の浸食って?」
ライラはロゼフィンの慌てぶりから、ただ事では無いのを悟った。
「深淵から溢れる闇が終焉の力と化して大地に流れてきて、命あるもの全て終わってしまう現象だ」
レグルスの言葉を聞いて、ライラは恐ろしい光景を想像した。
──全てが死に絶える──。
「私をそこに、連れてって!」
ライラの必死の形相にレグルスは無言で頷き、外へと導いた。




