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今年僕に起きた三つの奇跡について(2)

 太一の話が出てきたので、昔の事を思い出した。中学三年の時のあの事件だ。

 当時、僕と太一は同じクラスだった。

 十一月で、受験生で定期試験前で、クラスの皆んなもどことなくピリピリしていた。

 そんな中で、僕はさらに落ちていた。

 数日前に母親が家を出て行ったのだ。


 小学校の時から両親は不仲だった。もう限界に来ていたのは息子の僕にも分かっていた。

 母親が出て行って、家の事は当時近所に住んでいた祖母がしてくれていた。なので生活の中で困る事はなかったが、その時はさすがに精神的にまいっていた。


 そして、その日は朝から寒気が止まず、身体中が軋むように痛かった。

 やばいとは感じたが、母親のいない家に居るのが苦痛で、無理に登校した。


 その無理がいけなかった。授業中に耐えがたいほど気持ちが悪くなり、僕は嘔吐した。

 とっさに手で口を抑えたが、間に合わず、嘔吐物が床に落ち、隣の席の榎本さんの鞄と脚に少しかかった。


 あの時の榎本さんの顔を今でも忘れない。憎悪と恐れが混じり合ったような表情。

 僕はその頃、榎本さんに少し好意を持っていた。なので、その反応を見て奈落に落ちるような気分だった。

 気分の悪さとゲロの臭さと、冷たい視線。最悪だ。


 それから僕は十日程学校を休んだ。インフルエンザだった。

 本当はもっと早くに登校できたのだが、精神的に行けなかったのだ。

 ずっと布団にこもっていたかったが、定期試験が始まるというので、仕方なしに学校に行った。祖母に心配かけたくなかったのもある。


 登校中もクラスの皆んなに見つかるのが怖く、下を向いてゆっくり歩いていた。足も心も重い。遅刻ぎりぎりになりやっと教室にたどり着き、必死の思いで教室のドアを開ける。


 その時だ。

 太一のでっかい声が廊下にまで響き渡った。

「おぉー!ゲロ隆久!ゲロ臭さは取れたか!」


 僕は一瞬、ショックのあまり言葉につまった。

 太一の事は親友だと思っていた。なのに何だ。


 そのうちクラスの何人かの笑い声が聞こえ、ショックが一気に怒りへと変わる。

「太一!お前は一生ゲロするなよ!死ぬまで絶対にするな!」

そう言い捨てて、ドアを思いっきり閉めた。


 その事件後、しばらく、僕は教室に入れなくなった。定期試験は保健室で受け、試験後もしばらく保健室ですごした。

 そうこうしてると丁度冬休みになった。冬休みが明けてからは、担任の親身な対応のおかげもあって、何とか教室に入る事はできた。


 でも、僕の心が浮上する事もなく、教室の隅で卒業までうつむいて過ごしたのだ。



 黒歴史だなぁ。

 あらためて、中学時代を思いだし、ため息がでる。あんなに不幸が重なっていいものだろうか。

 何か良くない物が僕に付いているのかもしれない。

 今もだけど。


 それにしても太一は今さら僕に何の用なのだ。

 高校でも三年で同じクラスになったが、ほとんど話さなかったのに。

 僕は出席番号が一つ前の、物静かな菅原君と過ごしていたし、奴は目立つグループで友達も多く、さらに彼女までいた。お互い接点が無く、特に関わる事が無く過ごしたはずである。

 まぁ、このまま何もないだろう。




 翌週も、川崎さんとシフト終わりがかぶる日に公園に行く事になった。

 川崎さんは僕の言葉を社交辞令とは受け取らなかったようだ。ポジティブさがうらやましい。


 公園に着くと川崎さんは手に持っていた保冷バッグからビールとカマボコと除菌スプレーを取り出した。嬉しそうにカマボコを僕にも分けてくれる。僕の飲み物はコーヒーなんだけど・・・。

「何を持っているかと思ったら。流石ですね。」

 僕の嫌味をもろともせず、かんぱ〜い、と缶を開けてごくごくと喉を鳴らす。

「仕事の後の一杯は最高だな〜。」

 言動はおっさんなのに、残念ながら可愛らしく見えてしまう。


「鈴木君って普段何している人?」

 そう言えばお互いの事を何も知らないな。

「僕は浪人生です。」

 二浪だとはあえて言わない。

「川崎さんは何している人ですか?」

「私は今のところフリーターかな。お互いパッとしないね、フフ。」

 川崎さんは優しく笑う。

 その優しい笑いが僕の口を軽くした。


「正直、このまま大学に行こうかは迷っているんです。大学行かずに働くのもいいんじゃないかと思ったりします。早く自立できるし。」

「ふーん。それもいいんじゃない?学歴社会という世の中でも無いでしょう。」

 優しい返答だ。


 そうだよなぁ。

 だいたい父親のスネをかじり続けているのもしゃくなのだ。しゃくとも思うし、親なのだから子供のために金を出したらいいとも思う。


「教師になるためには大学に行かないと資格が取れないと思っていたけど、そもそも教師に本当になりたいかと聞かれると、そうでも無いというか。向いてるとも思わないし。」

 なんだか自分の事を話し過ぎている気がする。なのに止まらない。

「鈴木君、先生になるの!夢あるじゃない!」

「いや、だから今はなりたい訳でもないので。」

「確かに、先生というタイプじゃないかも。」

 はい、そうですよね。僕もそう思います。

「でも、目指した理由があるんでしょう?」

「まぁ、そうなんですけど。」

 僕はぼんやり、中学三年の時の担任を思い出す。亀やん先生。今となっては遠い記憶の中だ。


「鈴木君は浪人生かー。」

 川崎さんが嬉しそうに復唱するので、僕はちょっとムッとした。

「一応、模試ではずっとA判定だったんですけどね。」

 そう、高校三年時から本命の大学はずっとA判定だ。

 それを聞いて川崎さんは楽しそうに笑った。

「鈴木君、よっぽどメンタル弱いんだなー。」

 うるさいよ。そんなの一番僕が分かっている。去年も一昨年も敗因はメンタルだ。

 「はぁ。」

 自然とため息が漏れる。

 川崎さんは、嬉しそうににやにや笑っている。その笑顔に腹が立つ。

「まぁ、呑みたまえ。迷える若者よ。」

「だから、僕はまだ未成年なんですって。」

 僕は、やけくそにコーヒーを飲み干してみせた。まあ、後一月半で二十歳ですけどね。言わないけど。




 川崎さんとの公園呑み会が楽しすぎる気がする。僕はそもそも、そんなに自分の事を話すタイプで無い。なのに、こないだはベラベラと喋ってしまった。


 ちょっと整理してみよう。

 川崎さんは、バイト仲間で、おそらく年上で、ちょっと美人で、ちょっとおかしな人だ。

 そう、おかしな人なのだ。だからだろうか、他の人に言われたら腹が立つ事も、川崎さんに言われるとすんなり受け入れてしまう。

 腹を立てているふりはするが、実際、怒りは無いのだ。

 まずい気がする。だいたい川崎さんは僕の事、どう思っているんだ?

 二人で公園に行くくらいだから嫌ってはいないだろう。あの態度を見ていると、お気に入りのおもちゃみたいな物か?

 

はぁ、と、ため息が漏れる。


 取り敢えず、また三日後、シフトが合うので公園に行く事になった。

 まずいまずいと言いながら、ちょっと楽しみな自分がいた。



 最近、僕は勉強に身が入らない。でも予備校には行く。あの家に居たくないからだ。


 公園呑み会の約束の日。その日も予備校経由でファミレスに向かった。店に入る前にスタッフルームに行くと、端の方にクーラーボックスが置いてあった。

 蓋に紙が貼られている。『川崎私物』。

 どんなけ呑む気なんだよ。僕は笑いが込み上げてきた。


 何事も無く、その日もバイトが終わる。僕達はいそいそと公園に向かう。

 僕は公園の自販機でいつものようにコーヒーを買い、ベンチに腰掛けた。

 川崎さんもベンチに腰を掛け、クーラーボックスを肩から下ろした。

 僕が持つべきだったな。こういうところに気がつかない自分が嫌いだ。


 突然、川崎さんが「フフフフフ・・・。」と笑い始めた。

 えらい機嫌がいいんだな。その機嫌の良さに僕はドキドキする。

「鈴木君。今日は何と!」

「何と?」

「なっ何と!!」

「何ですか!?早く言って下さいよ。」

 僕はそわそわして我慢ができない。


「ゲストがいます!」

 ゲスト?

「ゲストはこの方でーす。」


 川崎さんの拍手とともに、木の影から人が現れる。金髪頭の坂上太一だ。

 僕は呆然と太一を見る。


 太一は何故か踊りながら僕達の方に近づいてきた。手元が明るいのはスマホのせいらしい。

 どうも、歌ってもいるようだ。


「今が戦う時だろ お前が決めた道だろ おお

今が戦う時だろ お前以外誰がいる おお」


 こちらに近づくにつれてスマホからも歌が流れているのが聞こえた。

 ラビットと歌だ。数年前にワールドカップのテーマソングに使われてていたやつだ。

 これは戦う人の歌ですね。誰と戦うつもりですか。僕ですか?僕と戦うデスカネ?


 そんな僕の前に立ち、太一はくるりと回り、両手を上げた。

「よう、隆久!久しぶり。」


 その頃には僕はげんなりしていた。登場シーンがしつこすぎて、驚きもうせるわ。


「何してんだよ、太一。」

 自分が思っていたよりドスの効いた声が出た。

 その低音に太一も顔が引きつる。

「いや〜、この前ファミレスに行ったら瑞希さんからお誘いいただきまして。」

 瑞希さんとは川崎さんの事だ。名前呼びかよ。

 僕は川崎さんの方を見る。

「どういうつもりですか、川崎さん。」

 太一に言うよりもトーンが柔らかくなったが、仕方がないな。


 川崎さんは動じずにニヤニヤしている。

「鈴木君、そんなに怒らないでよ。太一君とは昔から仲がいいんでしょ?」

 僕は苗字呼びで太一は名前呼びかよ。

「仲良くなんて無いですよ。」

「えぇ〜、幼馴染じゃ無いか、俺たち。」

 太一が何か言っているが無視だ。


「何で太一を呼んだんですか!?」

「うーん、私、鈴木君との公園呑み会が楽しいんだよね。本当に。」

 ドキッ。

「だから、呑み会を続けて行きたい訳ですよ。」

 ぐはっ、ドキドキが増してきた。

「彼に言ったら、鈴木君とはいえ男と二人で公園で呑むのは如何なものかと言われましてね。」

 ん?彼?

「私は大丈夫だと言ったんだけど、せめて複数人にしなさいと言うことでして。」

 彼?

 僕の頭はフリーズしたままだ。

「彼ですか?」

 思わず声に出してしまった。

「そうなのよ。普段は放任なのに、変なとこで口出してくるのよねー。」


 隣りで太一が心配そうに様子を伺っているのを感じる。ここで僕の動揺を見破られたら、最悪だ。僕は慌てて取り繕うため話し出す。

「それで何で太一なんですか?他にはいないんですか?」

 他の心当たりは僕にも全く無いけど。

「数人バイト仲間にも声掛けたけど、皆んな主婦してたりで忙しそうで。そもそも今人少ないし。なので、丁度よく暇を持て余していそうな太一君に声を掛けて見ました。」

「ひどいな〜、瑞希さん。確かに俺は暇人ですけど。」

 全然、酷いこと言われた反応では無い。へらへら笑いやがって。


 川崎さんはクーラーボックスからマイビールを取り出した。

「太一君は呑む?」

「はい、頂きます。ありがとうございます。」

 川崎さんは眉を少し上げる。太一が呑むので嬉しいのだろう。いそいそとビールと魚肉ソーセージと除菌スプレーを手渡す。

「鈴木君は呑む?」

「僕はコーヒーがあるので。」

と断ると、僕の手に除菌スプレーをかけてチーカマをくれた。

 川崎さんが「そうそう」と思い出したように、クーラーボックスを再度あさりだす。

 中から出てきたのは、フェイスシールドだ。

「百均でいいのが売ってたのよ。やっぱり若いからと言って油断はだめよね。」

 そんな訳で、三人ともフェイスシールドを装着。なんだこれ。太一はゲラゲラ笑っている。


 取り敢えず、かんぱーいと三人で缶を持ち上げる。

 フェイスシールドをしての、公園での飲み食い。そんな珍妙な光景も僕はさぼど気にならない。

 そんなことより、だめだ。『彼』と言う単語が頭をぐるぐる駆け回っている。


 あぁ〜だから恋愛事など僕には向いてないのだ。まだ何も起こっていないのにこのダメージ。


 いや、別に僕は川崎さんの事を何とも思ってなかったけどね。本当に全然、こんな変な人をそんな風に思ったりする訳無い。

 僕は僕に言い聞かせる。

 目の前で川崎さんと太一が仲良く話してたって、腹が立つ訳無いじゃないか!ちくしょう。

 あーもう、このモヤモヤ、これただの嫉妬だ。でも認めるわけにはいかないのだ。


 その時、自転車のライトが公園の前で止まった。

カチャカチャと自転車を停める音がする。誰か公園に来たようだ。

 こんな時間に?

「遅くなりましたー。」

 可愛らしいアニメ声。現れたのは、いつぞやの女子高生だ。

 川崎さんがベンチから立ち上がる。

「本当に来てくれたの!?ありがとう。」

「川崎さん、このコにも声掛けたんですか!」

 もう、十一時近いぞ、大丈夫なのか、女子高生?

「あの、大丈夫です。ここの公園、家からすぐなんで。」

いやいや、それでもこの時間に女子高生が外出したらまずいだろ?

 太一も考えている顔をしている。様に見える。


「あれ?君、三好さん?」

ん?知り合いか?

 女子高生の眉が下がった。笑うと眉が下がるらしい。

「はい、坂上先輩。お久しぶりです。」

「太一、彼女の事知ってるのか?」

「ほら、吹奏楽部で。俺らが三年の時、一年生だった。」

 そう、僕と太一は中学時代、同じ吹奏楽部だった。

「えっ?そうなの?」

 全然思い出せない。吹奏楽部って全員で五十人くらいいたっけ?自分と同じパートの一年生は覚えているけど。たぶん。名前は出てこないけど・・・。


「なんだ、やっぱり後輩じゃない。鈴木ぱいせん。覚えてないなんて薄情な先輩だねー。」

 川崎さんが僕を見てニヤニヤ笑う。

 はい、自分でも他人に興味が薄い方だという自覚がありますよ。

 横で太一が眉をしかめているかと思ったら、はっと目を開いた。

「みよしともかちゃん。三好智香ちゃん。だよね!?」

 まじか、フルネームで覚えてるのか。

 照れた表情で彼女がうなずく。


「ほら隆久、覚えてないのかよ。ほら、お前このコをかばって一年男子を叱り飛ばした事あっただろ。」

 はて?そんな事あったっけ?騒がしい後輩の注意をした事はあったような気もするけど。

「あの時はありがとうございました。」

 律儀に頭を下げる。

「ごめん。あんまり覚えてないや。」

「なんだよ隆久。あの時のお前、かっこよかったのになー。」

「だから覚えていないって。」

 なんだよ、かっこよかったって。太一に言われても気持ち悪いだけだ。

 

 そう言えば、僕は昔は自分の思った事を割と素直に言葉にするタイプだった。中学の吹奏楽部でも後輩たちが騒いでいたら注意していた。

 そんな自分忘れてたな。高校では、いかに教室の隅で目立たず生きるかを考えて過ごしていたし。


 ふと、川崎さんを見ると優しい笑顔で僕を見ていた。僕は急いで視線をそらす。直視できない。


「そんで智香ちゃんは、どうやって瑞希さんと知り合ったの?」

 太一が話しかける。

 もう下の名前で呼ぶのかよ。

 その智香ちゃんは、どう答えようか迷ってるようだ。「えっと、」とだけ言って、次の言葉に詰まっている。

 そりゃ、あの告白ゲーム?の話しはしづらいよな。

「ファミレスのお客さんだよ。よく家族と食べに来てくれる。」

 仕方がないので僕は助け舟を出した。嘘ではないはずだ。

「ふーん。」

 太一が納得したような、していないような返事をする。

「さあさあ、皆んな揃った事だし、再度乾杯するよ。

 そう言って、川崎さんはクーラーボックスから、コーラとあたりめを取り出し、除菌スプレーをした智香ちゃんに手渡す。(僕はすでに智花ちゃんの苗字を忘れてしまった。)

「ではでは皆さん。今日の出会いに、かんぱーい。」

「かんぱーい」

 僕達は近所迷惑にならないよう、小さく乾杯した。

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