『テロル・チョコ』
自分がVOCALOIDを使用して制作した楽曲『テロル・チョコ』(niconico→ https://www.nicovideo.jp/watch/sm38270639、Youtube→ https://youtu.be/af16Wh2vcS8)のセルフノベライズ版です。
ほの暗いリビングには、わたしの浅い呼吸と、ちっ、ちっ、ちっ――と掛け時計が寸分の狂いなく時を刻むかすかな音だけが、響いていた。わたしには、その針の動きが自身の寿命を示すカウントダウンのようにも思えて、先刻から目を離すことができなかった。
3、
2、
1――。
やがて、すべての針はひとつに重なる。その瞬間、二月十三日が終わりを迎えた。
かつて若者の結婚が禁止された時代。彼らのために密かに結婚式を執り行っていた司教ヴァレンティヌスは、その行いが皇帝に露見し、処刑されることとなった。そんなドラマに由来する、年に一度の決戦日。バレンタインデーが、とうとうやってきたのだ。
わたしは手の甲で額の汗をぬぐい、背中側で結んでいたエプロンの紐をするりと解く。
そして、目の前の机上に置かれた〝チョコレート〟を見下ろす。
これを作るのも一苦労だったけれど、何とか今日という日までに完成させることができた。あとは、これを君に届けて、わたしの真意を知ってもらうだけだ。教室の片隅から君に羨望の視線を向けるだけの日々とも、今日でお別れだ――。
自然と、自分の口元がゆがむのが分かった。
それは、長い作業を終えた達成感から込み上げてきたものなのか。
あるいは、自分が犯罪者になろうとしていることへの開き直りなのか。
……まあ、どちらだってかまわない。これが、たったひとつの冴えたやりかたであることには、変わりない。
完成したチョコレートを手に取ると、持ち重りがした。それを銀紙で包み、慎重に木箱の中に入れる。
そして、〝犯行予告〟をつづったラブレターを添えることも、忘れない。わたしはそれを封筒に入れる前に、再度文面に目を通すことにした。
『黄昏の君へ
はじめまして。そして、ハッピーバレンタイン。
これは、わたしと君とのゲームです。
この箱の中には、君への愛を込めた爆弾が同封されています。
ルールは単純明快。君が差出人であるわたしの正体を見抜ければ、それを解除します。できなければ、そのときは――言うまでもないですね。
タイムリミットは、日付が十五日に変更されるまで。
君がわたしのもとにたどり着く瞬間を、愉しみにしています。
それでは、何卒よろしく』
拙い文章だが、言いたいことは伝わるだろうから、これで十分のはずだ。
わたしは手紙を折りたたみ、茶封筒に挿し込んだ。そして糊付けを施し、チョコレートの上に添えると、箱を閉ざした。
包装紙で包むと、とくん、と心臓がひとつ、高鳴った。
今ならまだ、引き返せる。こんな子供じみた真似はやめて、ストレートに想いを告げればいいに決まっている。それは、わかっていた。だけど、これぐらいしか、冴えないわたしが彼の気を惹く術はない。わたしにはもう、これ以外に道はないはずなのだ。
リボンでラッピングを仕上げようとする指先が、ひどく震えた。もう、春の気配が近づいてきているというのに、うすら寒い感覚が背筋を貫いた。
君がこれを冗談として受け取らない性格であることも、大人や警察に頼らない性分であることも、理解していた。だからこそ、これはゲームとして成立する。成立、してしまうのだ。
もしも、君が気づいてくれなかったら、どうしよう。
それ以外はどんなことにだって聡いのに、人間関係や感情の機微にだけは鈍感な君が、わたしの真意に気づいてくれなかったら――。
君を知ったのは、ちょうど一年前。学校でのイジメのターゲットが自分に回ってきたことを気に病んで保健室登校になりはじめたわたしに、他のクラスであるにもかかわらず、同じ委員会で見かけたという理由だけで、君は声をかけてくれた。
「図書委員。最近きてないけど、どうしたの?」
教室内でのカーストの空気感。家族との折り合いが悪いこと。この先の人生に希望が見いだせないから、いっそのこと、すべてを終わらせてしまおうと考えていること。わたしは己の事情をすべて君に打ち明けていた。
君を信頼したわけじゃない。ただ、だれかに話を聞いてほしくて、その役が偶然、君という他人に当てはまっただけの話だ。
けれど君は、神妙な面持ちで、わたしの独白の一言一言に相槌を打ってくれた。
そして、わたしが長い告白を終えたあと、君は言った。
「君がつらいのは、わかるよ。……いや、わかるなんて言葉はよくないかな。理解はできる、ぐらいにしとくよ。けれど、僕には何もしてあげることはできない。君と入れ替わってやることもできないし、いじめをなくすことだって、無理だ。死んだらいけないなんて無責任な励ましの言葉を送ったところで、ほんとうに君がそれを決意したら、止めることはできない。
でも、話を聞いてあげることぐらいならできるから、それで少しでも楽になるのなら、また、話を聞かせてほしい」
それじゃあ、と言って君は去ってしまった。
それだけの言葉に、わたしはひどく救われる思いがした。
最初は、そんな単純な言葉に救われる自分がいることに驚いて、否定しようともした。
わたしの気持ちなんて、だれにもわかりはしない。わかったような口を聞いたって、結局、何もしてくれやしない。そんな、自暴自棄にも似た気持ちがあった。
けれど、わたしの言葉に耳を傾ける君の瞳は、どこまでも真摯で純粋で――誠実だった。
それ以来、きみと直接言葉を交わすことはなかった。
学年があがって同じクラスになったにも関わらず、わたしは君に話しかけることができなかった。
だからきっと、わたしはこんなことをしているんだ。
わたしはひとつ、深く息を吸い込み、君への挑戦状をバックパックに詰め込んだ。
そして静まり返った家を抜け出し、閑静な夜の街へと駆け出す。
向かうは、君のもと。
きっと気づいてくれるはずだと信じて、わたしは無心で足を動かし続ける。
もう一度、振り向いてほしい。
わたしの話を、聞いてほしい。
そのときにはきっと、ほんとうの想いを伝えられる気がするから。
だから、どうか――。
だれに向けたか分からない祈りを携えて、わたしは、走り続けた。
(了)