マーケットの最奥で
翌日、今回は前回より早く目を覚ましたハーブを見て、ハーブを気絶させた元凶であるラーシャンはほっと胸をなでおろした。彼女にも一応良心というものがあるのだ。他の人より薄いだけで。
ハーブはどうやら昨日のことをよく覚えていないようだった。相当な恐怖だったようだ。もう彼女に対してザンサツバッタバッタの話はすまい、とラーシャンは決意したが、その手はザンサツバッタの佃煮を持ってうずうずしていた。
そこに、先ほどまで筋トレをしていたヒダルマがやってきて、ラーシャンの持っていたザンサツバッタの佃煮をひょいと持ち上げた。そして、昨日はあんなにも怖がっていたにもかかわらず、佃煮を口の中に放り込んだ。
「うっ………なんだこれは……」
自分で口の中に放り込んだにもかかわらず、ヒダルマは渋い顔をした。
しかし、しばらくするとヒダルマの目はだんだんと輝いていった。
「………意外とうまいな。食感はなんか……とげ?があるけど。なあ、ラーシャン、そのザンサツバッタ、もう一匹と言わず全部俺にくれないか?」
ヒダルマは、ラーシャンと同じかそれ以上のゲテモノ好きだった。あの好き嫌いのわかれるスライムの、しかも毒のあるやつを食べようとするくらいに。
一方、『ザンサツバッタ』という単語をきいたハーブは身震いしていた。本人はその理由が何なのかはわかっていないが、生理的に受け付けないということだけは確かだった。
その様子を見ていたラーシャンの表情は凍り付いた。これは、自分が思っていたよりもはるかに重症かもしれない、と彼女は思った。ラーシャンを蟻の涙ほどの罪悪感が襲う!!そう、これは彼女が今までの人生で一番罪悪感を抱いた瞬間だった。
「……………ヒダルマ、ちょっと、こっち来るネ」
手招きに気づいたヒダルマがラーシャンの方を向くと、顔の向きを変えている途中で、頭の上にはてなマークを浮かべながら震えているハーブの姿が見えた。
ヒダルマは全てを悟った。そう、彼は今まで、ハーブが目を覚ましているということに気づかずにしゃべっていたのだ。彼女が起きていることを知っていたなら、空気を読める彼は決して『ザンサツバッタ』のことを口にしなかっただろう。
ハーブを除く2人のまわりは葬式のような空気で包まれた。あの、底抜けに明るかったヒダルマの顔でさえやつれて見えた。
どんよりとした空気の2人は一度頷き合った後、荷物をまとめてそろりと部屋から出ようとした。次の瞬間!2人の背後からにゅっと伸びた手が2人の首根っこをつかんだ。
「ちょっと!あんたたちまさか私を置いていくつもりじゃないでしょうね?………ってあんたたち具合でも悪いの?何か悪いものでも食べた?」
「……………………」
「……………………」
沈黙する2人。状況がよくわかっていないハーブは顔を曇らせた。
「本当にどうしたのよ。あんたたちみたいな打たれ強そうなのがそこまで元気をなくすなんて……あんたたちの身に何があったのかはわからないけど、そんなに辛いなら今日は休みましょうか?」
「……………一人になりたいの」
普段から小柄なラーシャンはさらに一回り小さくなったように見えた。
「ちょっと!ラーシャン、どうしたの?語尾が普通だなんて昼間のあなたらしくないわよ?本当に何があったのよ?」
ラーシャンはハーブの問いに答えることなくふらふらと部屋を出ていった。そんな彼女を引きとめることなど、ハーブにはできなかった。
「そ、それよりハーブ、お前はだ、大丈夫なのか?」
ヒダルマは変な汗をかいている。ハーブは怪訝な顔をした。
「私?私はいつも通りよ。あなたたちの方がよっぽど様子がおかしいじゃない。…………………まさか!!」
「な、なにか思い出したのか?」
「………?ねえ、もしかしてこの部屋、出るってこと?思い出すって何?」
「………そ、そうだな!お、お化けが出たんだよ!それでお前は昨日気を失って…………はっ!」
ヒダルマは、これ以上ぼろを出すまいと唇をくいしばった。
「そう……なのね。道理で昨日の記憶があやふやなわけだわ。なんだか記憶が途中でプツンと途絶えちゃっているような気がしていたのよね」
「……………………」
ヒダルマは唇をくいしばっている。
「ねえ、その変な顔は何?なんていうか………鼻の下と顎が伸びているように見えるからやめたほうがいいわよ?」
「ごふっ」
ヒダルマは笑いながら崩れ落ちた。
「あご……顎が伸びる………ははははは!」
ヒダルマは笑い転げている。
「何なのよ、筋トレしてると思ったら急に元気なくすし、あまりにも元気がないから心配してあげたのに今度は笑い転げるし………ラーシャンも様子がおかしいし」
「………!!はあ、はあ、はあ」
正気に戻ったヒダルマは息を整えている。
「息が上がっているじゃない!どれだけおもしろかったのよ?私にはさっぱりわからないわ」
ジト目をするハーブ。笑っているうちに『ザンサツバッタ』の件についてきれいさっぱり忘れたヒダルマ。
「はあ、俺何してたっけ。あれ?ラーシャンはどこ行ったんだ?」
「ラーシャンならさっき部屋を出ていったまま戻ってきていないわよ。…あんた大丈夫なの?」
「………?俺なら何ともないぜ?どうしたんだよ、そんな心配そうな顔をして。お前らしくなっ…………っいてえ!」
「………あんたを心配した私がバカだったわ。それと、ラーシャン、隠れているつもり?頭のお団子が見えてるわよ。」
「……………な……なんでわかったの?」
「いや、さっき説明したでしょ。口調も戻ってないし。あんたたちに、本当は何があったのかは知らないけど私は聞くつもりもないし、どうせなにか悪いことをしたんでしょうけど、私は怒ったりしないわよ」
「……………………(怒られるやつだ!)」
「やれやれ、こんな緊張感がない状態で魔王のところまでたどり着けるのかしら」
ヒダルマは長い溜息をついた後、ぼそりとつぶやいた。
「俺は別に魔王なんて…………!いや、俺たちが魔王を倒せるなんて思えないな」
「どうしたのよ。そんなに弱気になるなんて。やっぱりあんた調子悪いんじゃ………」
「調子は悪くないさ。ここに来るまでの道中で改めて気づいたんだよ。やっぱり俺らはオークにさえ苦戦する三流冒険者だってことに。確かに装備が貧弱だっていうのもある。でも、本当に強い奴らは弱い装備を使ってても強いんだぜ?
まあ、道中でオークの群れを突っ切ったことはあったけど、あれは逃げに徹してたからな。群れの中心に突っ込んだとはいえ、な。逃げ足だけは速いんだよな。俺ら。」
「……………ワタシたち、逃げ足遅かったら生き残れてないネ」
「そうね。私も今のままじゃいけないとは思っているわ。でも、一から鍛えなおす時間なんて私たちには残されていないのよ。魔王軍は私たちが立ち止まってるこの瞬間も進軍を続けているんだから」
「……………魔王と戦っても、逃げても今のワタシたちが生き残れる保証はないネ。ワタシたち王命で動いてる。逃げたい気持ちはやまやまだけど、魔王と国王両方から逃げるのは得策じゃないヨ」
「まあ、距離的には俺らが境界へたどり着くほうが早いと思う…からまっすぐ進めば時間には余裕があるけどな」
「そうね。王都では防犯上の理由で使えなかったけど、人間界には空間転移装置があるものね。まあ、それも大都市と大都市の間でしか使えないけれど」
「ここから、空間転移すれば魔王軍が境界にたどり着く前に2カ月くらいは余裕ができるな。向こうについたら、その間に準備するか」
「……………そのことだけど、アライラ方面の空間転移装置、地震で壊れて修理中らしいヨ。復旧には1か月半はかかるって聞いたネ」
「ええ……じゃあどうすればいいんだよ」
「予定をずらすしかないわ。私たちの基礎体力の向上は急務だし、どこかで修行して、魔王軍が境界にたどり着かないうちに転移装置が直ることを祈るしかないわね」
「ええ……確かにここらへんで修行するしかないんだろうけどさ、この辺の魔物なんて、境界の魔物と比べたら赤子みたいなもんだぜ?………噂でしか聞いたことないけど」
「そうね。魔物って何故か、境界に近づくほど強くなるのよね。境界から何千キロも離れた魔王城の周辺なんてスライムくらいしかいないって言われているわ。だから、人間も魔族も居城を構えるのは『世界の端っこ』なのよね」
暫くの間おとなしかったラーシャンは意を決して口を開いた。
「……………2人とも強い相手と戦いたいのネ?」
「ああ」
「ええ、まあ、いや、正直なところ、できることなら戦いたくはないけれど」
「……………ワタシに案がある。つべこべ言わずついてくるネ」
ヒダルマとハーブは顔を見合わせた。ラーシャンは口をぎゅっと結んでいる。心なしか震えているようにも見える。2人はそんな彼女の様子を不思議に思ったが黙って後をついていくことにした。
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常夏の日差しが照り付けるマーケットはとても人でにぎわっていた。
一行は人の波にもみくちゃにされながらただ黙って右へ左へ進んでいた。ヒダルマとハーブの2人は行き先もわからないまま黙ってラーシャンの後についていった。路地裏に入ったと思ったら別の道から表へ戻り、また路地裏に入って右往左往することおよそ1時間。ヒダルマが迷子になりかけた時は必ずハーブが彼の首根っこをつかんで引き戻した。
そんな一行は表通りの、ある店の前にいた。ただ黙って店の前で立ち止まること5分。その時間はとても長く感じられた。しびれを切らしたヒダルマとハーブはラーシャンの顔を覗き込んだが、彼女はピクリとも動かなかった。落ち着きのないヒダルマはラーシャンの前にある古い時計の存在に気づいた。目を凝らしてみても特に変わったところはない、ごく普通の時計だ。
一行はただ、時計の方をじっと見続けた。一行が店の前に来てからおよそ30分が経過した。ヒダルマが足元の蟻をプチプチし始めたその時、突然、ラーシャンが店のドアを開いた。奥には先の見えない階段がある。ラーシャンは迷いなく建物の中へ入っていく。蟻をつぶすのに夢中でラーシャンが移動したことに気づいていなかったヒダルマはハーブにチョップされて我に返った。ヒダルマが前を見るとすでにラーシャンの姿は消えていた。焦る2人。目を凝らしてもラーシャンの姿は見えない。
2人は意を決して階段へと一歩を踏み出した。先が見えないことを除けば、別段何の変哲もない階段だ。なんてことはないなと、どんどん先へ進んでいくヒダルマをハーブが急に引っ張った。ヒダルマの足元でさらさらと砂の落ちる音がした。青ざめる2人。侵入者用のトラップだろうか。こんなものをしかけているところなんて碌なところじゃない。2人の胸中はぴったりと一致した。
元来た道を慌てて引き返す。すると先ほど通ってきた道の前の方から何かがこちらへ迫ってくる。よけきれない!二人は反射的に目をつぶった。しばし宙に浮く感覚がして、目を開けた二人の前にはあきれ顔をするラーシャンと見知らぬ大男の姿があった。
「え………俺たち…ここは天国…………じゃないな。こんなムサイ男がいるところなんて地獄に違いねえ!」
ヒダルマは大男を指さした。
「ちょっとお!ひどいじゃないの!レディーに向かってムサイとはなによお~」
大男の攻撃!ヒダルマに往復ビンタだ!クリティカル!ヒダルマに5000ダメージ!
「…………ぎゃあああああああああああああ!!!……ギブ、ギブ、やめろおおおおおおお!!!………………………ガクッ」
ヒダルマは力尽きた!GAME OVE……
「もう!アタシのこと知らないでここに来たわけじゃあるまいし!まあ、大柄なのは認めるけど………仕方ないじゃない!アタシだってこんな見た目に生まれたくはなかったわよおおお」
気絶するヒダルマ。大泣きする大男。間に挟まれたラーシャンの口はきれいなひし形になってパクパクと動いている。そんな彼らを見ているハーブの目の形は見事な点だ!
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とりあえずお茶を飲んで気分を落ち着かせた一同。
ヒダルマも目を覚ましたところでラーシャンが口を開いた。
「……………ごめんなさい。先に紹介しておくべきだったネ。この筋骨隆々なオネ……ごほんごほん、こちらのたくましいレディーはジアムースーだヨ。ワタシと同じ地方出身の頼れる大おと……ごほんごほん、大女ヨ」
「なんかところどころ気に食わない紹介だけれど、まあいいわ。アタシはこの家の主のジアムースーよ。チャムスでもジャムスでもチャム―スーでも好きなように呼んでくれたらいいわあ。
ところであなたたち、いくらラーシャンの案内とはいえ、ここまでたどり着くのは大変だったでしょう?なんせこの家にたどり着くまでにはとてつもない数のトラップが仕掛けられているんだから。全部避けようと思ったら2時間近くかかるものねえ」
「あ、はい(急にいろんなあだ名を紹介されたから、どれが本名か忘れちまった!どうしよう。こいつ……ごほんごほん、この人からは、なんかラーシャンと同じ雰囲気を感じるな…敵に回さないほうがよさそうだ。変なあだ名をつけるのはマズいよな。何て呼ぼうか………そうだ!)えーっと、ラムスさん!」
ヒダルマはとてつもない殺気を感じた。ラーシャンが髪の毛を逆立てているのが見えたが、ヒダルマは口笛を吹いてごまかした。
「あら、そのあだ名もいいわねえ。でも、『ラ』から始まると『ラーシャン』と混ざるかもしれないわよお?」
「いえ、ラムスさんとお呼びさせていただきます!」
「…………………!(あの、王に対してさえいつも通りの態度をとっていたヒダルマが敬語を使ったわ!世紀末かしら)」
すると、何を思ったか、ラムスがヒダルマにすすすと音もなく近づいた。
「あらそう、ふふふ、そっちのお嬢さんは気づいてないみたいだ・け・ど、あなたはやっぱりなかなか察しがいいようねえ。でも、そんなにおびえなくてもいいわよ?アタシはもう『現役』じゃあないからねえ。いつも通りにしていてちょうだい。」
ヒダルマは、瞳孔が開いた状態で壊れた操り人形のようにカクカクと頷いた。
「…………………(怖え…怖えよお!怖えのはラーシャンだけで十分なのに!ガクガクブルブル)」
言いたいことは伝えることができたのか、満足げな顔をしたラムスは3人を一瞥して咳払いした。
「ところであなたたち、ラーシャンから話は聞いているけれど、依頼内容は『基礎体力の向上をしたい』、っていうコトでいいのよねえ?」
「そうです!(………依頼?ラーシャンが何か頼んだってことかしら)まあ、これから何をするのかは全く聞かされてないんですけどね」
「ふむ、可愛らしいお嬢さんねえ。貴女がハーブ、で、あっちの頼りなさそうなのがヒダルマね?」
「むふふっ………そうです(きゃー可愛いって!可愛いって言われたわ!!ふふん、やっぱり私は可愛いのね!)」
「ぜってえお世辞だから真に受けるなよっ………っいてえ!」
「あらあら、ケンカしちゃあ駄目よお?これからあなたたちが受ける特訓のメニューをこなすには並大抵の体力じゃあ足りないんだから。ちゃんと温存しておかなきゃ!」
「ラムスさん(って私も呼んだほうがいいかしら)特訓ってなにをするんですか?」
「そうねえ、この家の地下空間にはひろ~い訓練場があるんだけど、まあ、見てもらったほうがはやいかしらねえ」
そう言ってラムスは何の変哲もない壁をべしべしと叩いた。
読んでくださってありがとうございます!
出来れば本日1月27日中にもう一話投稿したいと思っております。