旅立ちの日
夜が明け、出立の準備も整ったフランと側仕えの二人は魔王軍の兵士その数およそ5000名と共に、城の者たちからの温かい声援を受けつつ魔王城から旅立った。
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一方その頃人間界では、城の者たちが大騒ぎしていた。というのも、つい先ほど何者かから送られてきた書状にとんでもないことが書かれていたからだ。
最初に書状を開いた大臣はパニックを起こし、次とその次に見た大臣は茫然自失となり、何とか正気を保ったまま書状を読むことができた大臣でさえもあまりの衝撃に理解が追い付かず、その大臣が読み上げた内容を聞いていた国王は一瞬気絶するなどして、城内は大混乱に陥った。
手紙には「魔王軍人間界方面に向け進軍中」と短く書かれ、同封されていた、未知の技術でできた品がその証拠となる映像を宙に映し出していた。
それを見た誰もが自分の目を疑った。ここ数百年の間、魔界と人間界では平和的な状況が続いていた。その平和の度合いは今年10歳になる王子を見れば一目瞭然である。平和ボケという言葉がここまで似合う男子は王子を置いて他にいないだろうと賢者に言わしめたほど彼はふわっとしていた。王族特有の金髪碧眼を持ちながら、彼の性格は彼の祖父であるザザ国王とは真逆のものであった。
その王子だけが城内で唯一、手紙の内容に全く動揺していなかった。他の者は、手紙の文面から魔王軍が人間界への侵攻を企んでいると信じ込んだ状態、いや、手紙に植え付けられていた催眠魔法の力であたかもそれが当然であるかのように信じ込まされていた状態で映像を見ていたために手紙の内容をより一層信じ込んでしまったが、王子には幸いなことに魔法への耐性があった。
魔王軍侵攻の様子を映した映像は、王子にとってはどこか温かみがあるように感じられた。というのも、魔王軍に守られるように存在する1台の馬車の窓から時々顔を出す自分と同じくらいの年齢の少女が御付きの女性と楽しそうに外を眺めているのが見えたからだ。いくら身分が高そうに見えても、王子ならまだしも、これほど幼い少女を戦の最前線に連れ出すなんてことはないだろうと王子は思った。
それに、噂では100万以上の軍勢とされる魔王軍が侵攻を企てているにしては兵士の数があまりにも少ないというのは平和ボケした王子にもすぐにわかった。
しかしそうなると、どうして国王を含めた城の者たちがこれほど錯乱しているのかがよくわからなくなった。
王子は手紙からわずかな違和感を感じ取ってはいたが、それが何なのかわからなかった。彼は魔法を使うことはできたが、それを他人に向けて放ったことも、ましてや他人から魔法を放たれたことなど一度もなかった。それ故に、王子は魔法を解析することが苦手であった。
彼の性格が彼の祖父のようであったならば、彼は即座に手紙を燃やしただろう。そうすれば、城の者が錯乱している大本を断ち切ることに成功したはずだ。しかし頭がかなりふんわりしている王子にその発想はなかった。
結果として彼がとった行動は錯乱した大人たちを何とかするために別の大人の力を借りるというものだった。
王子は城の一室から3人の大人を連れて広間へと戻った。一人目は、赤い短髪に赤い瞳、頭に巻いた黒いハチマキ以外は全身赤色の服で身を包んだ男で名をヒダルマという。二人目は緑色のショートカットヘアーに緑色の瞳、黒地に緑色の刺繍をした帽子を被った魔女風の女で名をハーブという。三人目は、オレンジ色のお団子ヘアーにオレンジ色の瞳、口元を布で覆い、中華服のようなものを着ている女で名をラーシャンという。
ヒダルマは部屋に入って早々に違和感を感じた。先ほど王子が気づいたときよりも鮮明に。
ハーブは平然としていた。魔法への抵抗力が強すぎて魔法が発動していることに気づいていないのだ。魔女なのに!
ラーシャンはソワソワしだした。彼女は今、金目のものに目と心を奪われているのだ!
そんな3人の様子を見た王子は彼らが城の者たちと同様にならなかったことにほっとしたが、ラーシャンの様子には少し疑問を抱いた。
王子がこの状況について説明した後、ヒダルマは大臣が持っている手紙を何度かぺらぺらと裏返してみたり、光に透かしてみたり、踏んづけてみたりと謎の試行錯誤を繰り返していたが、あまりにも手紙の内容に対して無関心に見えるので王子は不思議に思ってヒダルマに尋ねた。
「……………あの、どうしてヒダルマさんはこの手紙の内容を見て驚かないのですか?まあ、驚いていないのは僕も同じなんですが…」
「ん?なんだ?なんで俺が手紙の内容に無関心なのかって??はっはっは!それは俺が文字を読めないからだ!!!」
そう高らかに宣言するヒダルマに王子はさらに不思議そうな顔をした。
「平民の間では文字が読めない奴なんかざらにいるぜ?なんせ俺がっ」
「ヒダルマの話は当てにしないでください。この人はアホなだけです。平民でも都市部の人ならほとんどの人が字を読めます。ヒダルマが読めと言ってくる字がな・ぜ・かいつも難しいので偶然、誰も読めなかっただけです!」
「そんなこと言うなって~。ハーブだって読めなかったから負け惜しみしてるんだろ~?あと急に殴るのは良くないぜ。そんなんだからお前はモテなっ」
「……………おだまりなさい」
「……………!!」
「まったく、幼い子どもの前でなんてことを言うんですか。私の聖人君主のようなキャラが崩れてしまったではないですか」
「……………王子をただの子ども扱いするの、良くないヨ」
「あなただって王子の前で金目の物を舐めるように見ていたではありませんか」
「……………コレ、人間の本能、仕方ないネ」
そう言いながらラーシャンはヒダルマの持つ手紙をじっと覗き込んだ。
「前から思っていましたけどあなたってなんで片言でしゃべるんですか。寝言では普通にしゃべれるくせに」
「……………何のことかわからないネ。それよりその紙、ただの紙ちがうヨ」
「「………え?」」
「ほら、よく見て、魔法陣見えるヨ」
ラーシャンにそう言われて目を凝らす2人。
「俺にはなんも見えねえな」
「あ!本当ね。こんなにくっきり見えるのに、なんで私気づかなかったのかしら?」
「それはお前がポンコツ魔女だかっ………………!!」
「あなたにだけは言われたくないわ」
「……………ハーブは魔法の才能、ありすぎるんだヨ。魔力は賢者並みだし、魔法の抵抗力、賢者超えてるネ。この手の魔法、一周回って気づかなくて当然ヨ」
「むしろなんでお前が最初に気づいたんだよ。お前俺と同じ肉体派だろ??魔力とは無縁のはずだろ」
「ワタシはエリートだからネ。その辺の格闘家と一線を画すヨ」
「ふーん、よくわかんねえけどお前すごい奴だったんだな。ところで本題にはいつ入るんだ?王子が今にも眠りそうだぞ?」
そう言われて慌てて頭を振り目を覚まそうとする王子。
「……………本題入るけど、別に王子、眠ってて構わないヨ」
王子はそう言われて安堵した顔で眠りに落ちていった。こういうところが平和ボケしているといわれる所以なのである。
「…………本題……………そうネ、この手紙自体、燃やしてしまえば魔法、消えるヨ。ただ、そっちの宙に絵、映し出す謎物体、ワタシ知らないネ」
「じゃあまずは私が紙を燃やせばいいのね?」
「……………そうネ。ただ、紙燃やした時こっちの謎物体、どうなるかワタシわからないヨ」
ラーシャンの言葉に思わず眉間にしわが寄ってしまう2人。
「えー!じゃあどうすればいいんだよ」
「じゃあ先にその謎物体とやらを燃やしてしまえばいいんじゃないの?」
「……………ウーン……火、より雷の方が効きそうネ」
「いや、ものを壊すときに使うのは火が定番だろ?」
「一般的にはそうよね。それに、雷ってかなり制御が難しい魔法なのよね」
「……………2人とも、古代遺跡で最近発掘されたばかりのこれに似たやつの話、聞いたことないネ?」
「「古代遺跡??」」
「……………アライラ湖の近くにある遺跡ヨ。いや、あったと言ったほうが正しいネ。あの遺跡、この前の大地震で壊れた、言ってたから」
「アライラ湖で地震なんてあったか?」
「ヒダルマって普段何をしてるのよ。アライラ湖から2000キロ離れたこの王都の人たちだって皆知ってるわよ。でも、遺跡の話は初耳ね」
「……………知らなくて当然ネ。ワタシも、ある筋の人間から聞くまで知らなかったヨ」
「なるほどな(『ある筋』っていうのがめちゃくちゃ気になるけど、これって聞いたらヤバイやつだよな。多分)」
「……………話をすすめるヨ。アライラ湖の遺跡から出てきた謎物体、遺跡の中で火魔法当ててみたり、水魔法当ててみたり、いろんな攻撃魔法当てたけど壊れなかったネ。壊すの諦めて遺跡から運び出した時運悪くその日、雷でネ、直撃して壊れちゃったんだヨ」
「あれ?魔法を使ったやつらの中に雷を使えるやつはいなかったのか??そういう調査をするのってその分野のエリートだろ?」
「……………エリートが調査する。確かにこれ、当たり前ネ。でも、エリート皆がハーブのような強力な魔法使いと思ったら大間違いヨ。いろんな属性使える、それだけでも立派なエリートだからネ」
ヒダルマはちらりとハーブの方を見た。ハーブは満足げな表情をして続きを催促している。
「……………雷の魔法も試したみたいだけど威力が足りなかったネ。だから、本物の雷に匹敵する魔法、使えればこの謎物体きっと壊せるはずネ」
「よし、そうと決まったら謎物体とやらを破壊するぞ!頼んだぞハーブ!!」
「ちょっと!ヒダルマ、まさかお城の中で雷落とさせる気?一度外に出ましょうよ」
「……………ワタシも室内反対ネ。外行くのが無難、思うヨ」
「そ、そうか?言われてみれば、そんな気もするな!はっはっは!」
「『はっはっは!』じゃないわよ!」
「っいてえ!暴力反対!」
ハーブとラーシャンは、ふざけているのか本気でアホなのかよくわからないヒダルマを引きずりながら外へと向かった。すれ違うお城の使用人や客人たちからは冷ややかな目で見られたが、一行はめげずに前へと進んだ。
外に出たヒダルマはさっきまで2人に引きずられていたことをすっかり忘れた様子でラーシャンに疑問を投げかけた。
「ところでさ、この謎物体を破壊して手紙を燃やせば一件落着なんだよな?結局この手紙の送り主は誰だったんだ?」
「……………そうネ。これらを壊せば一旦事態は落ち着くと思うヨ。ただ黒幕についてはわからない。お城の役人が調べることネ。ヒダルマは首突っ込まないほうが身のためヨ。本当のヒダルマにされても文句言えないネ」
「おお!そうか。本当のヒダルマってのがよくわかんねえけど………お前に脅されると怖いな」
「……………こわくない。こわくないヨ」
「そういうところが怖えんだよな」
2人がそうこうしている間にハーブは魔法の準備を整えていた。
「魔法陣良し、周囲の人払い良し、魔力も十分!さて、準備もできたことだしさっそく……………………あれ?謎物体は?手紙はどこ?」
ハーブの様子がおかしいことに気づいた2人はハーブのもとへ駆け寄った。
「どうしたんだ?急に慌てだして。さっきまでものすごく鼻息を荒くしていたじゃないか。もしかして、謎物体をどこかで落としたとか?」
「……………ハーブがそんなへまをするとは思えないヨ。それに鼻息が荒いのはヒダルマの方だと思うヨ」
「…無いの、謎物体も、手紙も無くなってるの!外に出たばかりのときは内ポケットに確かに入っていたのに!!」
「……ほう、ハーブさんこの期に及んで言い訳をっ…………………っいてえ!!」
「違うのよ、私は落としてないわ!急に消えたのよ!!」
「……………ヒダルマ、ハーブの言ってることは多分正しいヨ。ハーブの服に、つい最近発動した魔法の残り香ついてるネ」
「だから、なんで格闘家のお前がそんなことわかるんだよ!」
「……………エリートだからネ」
「そうか?(絶対違うよな!こいつ俺らになんか隠してるよな!でも怖くて聞けねえ!)」
「わ………私どうしたら、どうしたらいいの??」
ラーシャンに疑いの目を向けるヒダルマ、混乱するハーブをみてラーシャンはため息をついた。
「……………とりあえず城内に戻るヨ。もしかしたら犯人の痕跡、残ってるかもしれないネ」
「そ、そうね!それがいいと思うわ!多分!」
「ハーブ落ち着けって。多分これお前の落ち度じゃねえからさ。多分。」
「……………思いっきりハーブの落ち度だと思ってるネ」
一行は落ち着きを取り戻しつつ、広間へ向かった。
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「………なんだよこれ」
未だにうたたねを続けている王子を除く、広間にいた者たちのあまりの変化にヒダルマはもちろん、ハーブやラーシャンでさえも目を疑った。
国王や大臣たちは、つい先ほどまで錯乱していたのがウソであるかのように平然とただ公務を続けていた。すると、一行の存在に気づいた大臣の1人がヒダルマに近づいてきた。
「おお!勇者殿、参られましたか。国王様が御待ちです」
「ん?俺?勇者??そんなはずはないぜ。俺たちはしがない三流冒険者だからな!今日城に来たのも冒険者のライセンス更新のためであって…」
「ちょっと!私たちまで三流って言うつもり?三流なのはヒダルマだけでしょうが!」
「いや、お前らも三流だろ。だって俺ら冒険者になってから偉業らしい偉業はひとつも成し遂げてないぜ?」
「ぐぬぬ………」
「……………確かにワタシたち、ろくに成果をあげられていない三流冒険者ネ。特に、どうしてヒダルマが勇者なのか、ワタシわからないネ」
「おいっ!いや、俺も正直わからないけどさ、勇者って言われて悪い気はしないよな!」
「……………ヒダルマ、いつか詐欺に遭うネ」
「サギ?って大きな鳥のことか?確かに俺は会ったことないぞ。何でわかったんだ?」
「……………はあ。ヒダルマのアホさ具合にはいつも困らせられるネ」
「勇者様?どうされましたか?王様が御待ちです。さあさあ、あちらの方へ」
一行は混乱しつつも促されるまま、玉座の前へと歩を進めた。
先ほどの大臣からなにやら耳打ちされた王は一行の方を見て何やら考えているようであった。
「……ほう、そなたらが噂の勇者か」
「………そう、なんですかね?(いや、俺ら無名だよな?誰にも存在を認知されてないレベルの見た目だけ派手な底辺冒険者だったよな?)」
「自分のことであるのにわからぬのか?まあよい。そなたらには魔王の討伐を命ず。かの魔王は人間界への侵攻を企てている。魔王の軍勢が人間界にたどり着く前に奴らを世界から跡形もなく消し去るのだ!!」
「……はい?(え?俺らがやるの?弱い魔物ランキングトップ10常連のオークにも勝てるか怪しい俺らが??)」
「「「おまえ、いくら勇者といえども王の前で無礼であるぞ!!」」」
ヒダルマの態度にざわつく大臣たち、慌てるハーブ、動じないラーシャンを一瞥した王は、先ほどヒダルマたちが壊そうとした謎物体を懐から取り出した。
「これを見よ」
宙には再び魔王一行の映像が映し出された。
静まり返る広間。口をパクパクさせるハーブ。ハーブと国王を交互に見ながら混乱しているヒダルマ。
「今ここに映っているのはおそらく魔王の先遣隊だ。まずはこれを食い止め、その勢いのまま、可能であれば魔王城もろとも魔族たちを根絶やしにするのだ。失敗は許されぬ。さあ、行け!!勇者たちよ!!!」
「え~…(なんで王様がそれを持ってい)「……………わかりました」(………えええ???)」
ヒダルマたち一行は国王と大臣たちからいろいろと宝具やらなにやらを押し付けられ、そのままの勢いで城からつまみ出されたのだった。