地震
「それ」は魔界歴37280年に起こりました。
数年前から、人間界と魔界の境界にあるアライラ湖で起きていた巨大魚の大量死事件は、アライラ湖大地震の前触れでした。地震による建物倒壊での直接的な死者は少なくとも3560人以上とされ、それだけでも甚大な被害であるにもかかわらず、追い打ちをかけるように、広大なアライラ湖の水が津波となって近隣の村々へと襲いかかりました。
建物倒壊による死者、津波による死者、火災による死者、それらに行方不明者を含めると、この災害の犠牲者は18000人にのぼるともいわれ、これは、アライラ湖周辺に住む人々のおよそ9割にも及ぶ数でした。
地震発生から数分後、魔界では大規模な妨害電波が観測されました。これは、魔界での主な情報伝達手段であるクリスタルの使用を大きく制限するほどの規模で、クリスタルが使える通常時ならば情報交換には数分もかからないのですが、魔王城の大臣たちがアライラ湖地震についての状況を把握できたのは地震発生から9日後のことでした。
物語は、大臣たちが旧時代のハトを用いてアライラ湖地震の情報を入手したところから始まります。
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「………め……………ま
…めさま
姫様!起きてください!寝言を言っている場合ではありません!!」
騒々しい大臣たちの声がする。
せっかくいい気分で寝ていたのに、と魔王アギルの娘、いや先代魔王アギルからつい先日魔王の座を受け継いだばかりの新米魔王フランはジト目で大臣たちを見た。
さっきフランを起こそうとした、おそらく最近染めたのであろう黒い短髪で、魔族に多く見られる金色の瞳をもつ、見た目だけは若々しい齢570年の初老の大臣は、ため息をついている。彼の名はセルバといい、大臣たちをとりまとめる立場であるだけあって大臣の中でもかなり落ち着きがあるほうだ。
その他大勢の大臣たちは慌てているが、寝起きの新米魔王フランは状況を把握するまでの数分間、自慢の長く美しい銀髪を華奢な指でくるくると弄りながらくだらないことを考えていた。
(私だってもう魔王になったのにどうして未だに『姫様』扱いなのかしら。側仕えのライラとメイサでさえも私のことをフラン姫と呼んでいるし…私には魔王としての威厳が足りないということかしら?
でも、私は女だからお父様みたいに立派なひげで威厳を醸し出すことはできないしなあ…
どうしたものか…)
「『どうしたものか…』ではありませんぞ!一刻を争う事態なのです!!」
(あら?声に出ていたかしら。恥ずかしいわ)
「はあ…やれやれ、フラン様、さては関係ないことを考えていましたな?大臣たちの報告をしっかりと聞くことも魔王としての立派な務めですぞ。それに、此度の災害はフラン様の魔王としての技量が試されておるのですよ!」
「「「そうです!これはフラン様の魔王としての初仕事ですぞ!!」」」
「災害?初仕事?(しまった!思っていた以上に大事な話だったんだわ。なんとか挽回しないと………)」
「………何も聞いておられなかったようですな?」
(ひいっ)
(大臣たちの目から光が消えているわ!!私の魔王人生、「万事休す」かも??どうにかして信用をっ信頼をとりもどさないとっ)
「き…………」
「き?」
「き、聞いていたわよっ。アレでしょ!アレアレ!!アライラ湖の話!!!数年前から様子がおかしかったものね!」
「………ふむ」
「な…何よ。まさか間違っているとでもいうの?(やってしまったか?私は間違えてしまったのか???)」
「…まあ、聞いていた、ということにしてさしあげましょうか」
「………ふふんっ!私が臣下の話を何も聞いてないと思ったら大間違いよ!(やったわ!及第点はもらえたみたいね!)」
フランには悪い癖があった。気分が高揚するとすぐにぼろを出してしまうのである。この場にいる大臣たちはフランを幼いころから見てきたためにそのことを知っているが、残念なことにフランには全く自覚がなかった。
現にフランはベッドの上に立ち上がり、ニタニタしながらガッツポーズを決めているが、本人はそれを無意識のうちにやっているのである。
まあ、今年106歳となるフランでも、人間でいうとおよそ10歳に相当するため、年相応な態度ではある。しかし、先代魔王が急逝してから6年、王族、しかも魔王として魔界の頂点に君臨する立場であるフランがこのような態度をとるということは大臣たちにとっては好ましくないことなのである。
「お喜びのところ大変申し訳ないのですが、あからさまにそのようなポーズをするのは王族としての恥、ですぞ。それに、今の態度で姫様が話を聞いていなかったということが丸わかりになってしまいました。姫様に魔王が務まるかどうか我々は不安で仕方ありませんぞ」
(そんなあ………せっかくの及第点があ……)
空気が抜けていくバランスボールのようにへなへなと崩れ落ちていくフランを見て初老の大臣はしばらくの間何も言わず、ただあきれ顔をしていた。
「………こほん。話を元に戻しますぞ。姫様が予想した通り、災害はアライラ湖で起きた模様です。
災害の種類は地震、火災、津波で未だに具体的な犠牲者の数はわかっておりませぬ。少なくともアライラ湖周辺住民の8割は此度の災害で犠牲となったと思われます。
大規模な地震はアライラ湖から400キロ離れたカラムの町でも確認されており、現地の人々は崩れた道の土砂や家屋の撤去作業に追われているようです。
復旧作業はすべて現地の人々による自助的、あるいは共助的なものでいつ終わるかというめどは全く立っておりませぬ。
また、被害のひどかった地域ではたくさんの難民が出て、物資や資金や人手の不足、治安の悪化が懸念されています。
我々にとって一番恐ろしいことは、治安が悪化して一部の人々が暴徒と化したり、国家転覆をもくろむ者たちが勢力を拡大することです」
「……ほうほう(わー。もう何言ってるかわかんないわ。うちの優秀な大臣たちが何とかしてくれないかしら)」
「……………であるので我々は………ところで姫様、聞いておられますか?」
(ぎくっ)
「き、聞いてるわよ。今度こそはしっかりと!
要約すると、アライラ湖で大きな地震があって被害があまりにも甚大だから、治安の悪化を防ぐために魔王城からなにか支援をしろってことでしょ?」
箱庭のような環境で育ってきて、両親を早くに亡くしたフランには、自助や共助、国家転覆という言葉はよくわかっていなかったが、それでも、フランは要約だけは得意であった。
「……………ふむ」
(この大臣、さっきから私が何か言うたびにふむふむ言うわね)
「……………まあ、姫様も話の大筋はわかっているようですし、セルバ大臣もここは良しとしてあげたらどうでしょうか」
(ミネア大臣ナイス!)
ミネア大臣とはフランが数多い臣下の中でも一番気に入っている大臣である。黒い長髪を後ろで一つにまとめており、背は高いが華奢で、戦いよりは事務的な作業を好んでいる。大臣の中では若手で、堅物の多い大臣たちの中で、幼いフランの気持ちを汲み取る力に一番優れており、普段は優しく、時に厳しく、飴と鞭の使い分けのうまさは他の大臣どころかフランの乳母たちさえも唸らせるほどのものである。
(同じ黒髪金瞳の大臣でも気遣いの出来はこんなにも差があるのよね。この優しさがセルバにもあったらいいのになあ)
「姫様がまた何かくだらないことを考えているようですが、ミネア大臣がそういうなら今回は良しとしましょうか」
(『今回は』って何よ!いつも良しとしてくれたっていいじゃないの。それよりも、『くだらないこと』って何よ!!私にとっては大事なことなのに!)
フランは、ドングリを山ほど詰め込んだリスのようなふくれっ面をしながら駆け足でミネアの背後に回り込み、そこからセルバに向けて10歳児ができる限りの威嚇をした。
「まあまあ、姫様、落ち着いてくださいな。あとで愚痴は聞いて差し上げますからね。
お話はまだ終わっていないのですから集中しましょうね」
「…………はーい(セルバのやつ、絶対に許さないわ!)」
「やれやれ、困ったものですな。ミネア大臣、いつもご苦労様です」
「いえいえ、姫様は聞き分けのいい子ですからね。うちの子よりは」
「……………こほん。それでは、姫様にこれからの復興計画を立てていただきます。とはいえ、姫様は細かいことや難しいことは考えなくともよいですぞ。細かい調節は我々の方で致しますからな。
ところで姫様、『災害派遣』というものはご存じですかな?」
「……………?」
「ご存じないようですな。災害派遣とは、災害が起きた地域に軍や役人を派遣し、現地で難民たちが暮らすための仮の家を作ったり、危険な場所で行方不明者を捜索したり、軍の力がなければどかすことのできない土砂や瓦礫をどかしたりして復興を助けることをいうのです。
これをするのとしないのとでは現地の住民からの好感度に天と地ほどの差が出るのですぞ。
もし、我々がこのまま魔王城で事態を静観し続けていれば、いづれ臣民たちに我々に対する不信感が広がり、最悪の場合国家転覆に発展する恐れもあるのです」
「…………………」
「まあまあ、姫様、それはあくまでも最悪の場合であって、必ずそうなるというわけではありませんよ。まあ対策はしておくに越したことはないですが、軍をあのような辺境まで派遣するには多額の経費が掛かりますし、増税は避けられないものと思われます。近年は作物が不作なこともあって、増税をすれば此度の災害の被害にあっていない者たちからは不満が出るかもしれません。
そのような可能性があるということを頭の片隅に置いておいてくださいな」
「…………………」
「まあ、判断を下すのは我々ではなく姫様ですからな。年若い姫様にこのような重い決断を強いるのは我々にとっても心苦しいところではありますが………」
「……………決めた」
「私が軍を率いて現地へ行くわ」
「「………………え?」」
「ひ、姫様、お気は確かで?
災害のあった地域へ行くには魔王城から一番近いところでも3月はかかりますぞ!魔王に即位されたとはいえ姫様はまだ10歳。長旅は難しいのではないかと……。せめて我々が姫様の代理として現地へ…」
「いえ、私が行くわ」
「姫様、私もセルバ大臣に同意します。もし、魔王である姫様が軍を率いて境界へ向かっていることが知れたら人間たちが大騒ぎしますよ。ひとたび『魔王が人間界への侵攻を企てている』と認識されれば魔王討伐のために勇者が現れる可能性もあります。
そうなってから火消しに走るのは我々でも難しいのです。どうか今一度御考え直し下さいな」
「……………むう
でも、私が行ったほうが軍の皆もやる気になるかもしれないし、現地の人も私が行けば活気づくかもしれないし…………
私は現地でできる限りのことをしたいの!これは私の『魔王としての初仕事』なんだから!!」
「だが………しかしだな……」
「姫様がそこまで言うのなら、やってみますか?」
「おいっミネア大臣!今答えを出すのは時期尚早だぞ!!」
「お言葉ですがセルバ大臣、今この瞬間にも多くの民が飢え、苦しんでいるのですよ。一刻も早い決断が多くの民を救うことにつながるのです。
姫様、私はあなたの志に感動いたしました。あの右も左もわからなかった姫様が立派に成長されて…感無量でございます。私は姫様の意見を尊重いたしますよ。
……………ただし、側仕えのライラとメイサを旅に同行させること!これだけは譲れません」
「ありがとうミネア。やはりあなたは私の一番の理解者だわ!」
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会議が終わり、上機嫌で自室を出たフランは昼食を取り、側仕えのライラとメイサと共に広い廊下を歩いていた。ライラとメイサは双子の悪魔で見た目はほとんど変わらず、二人ともたれ目をしており、甘い香りが漂う桃色の長髪をし、魔族特有の金色の瞳を持った美人な姉妹である。見た目における唯一の違いはその前髪で、姉のライラはぱっつん前髪、妹のメイサは真ん中で分けた長い前髪をかき上げている。
前髪のおかげで妹のメイサのほうが大人っぽい外見をしているが、そのことに触れるとライラが怒るため今日もフランはそのことについては何も言わなかった。
姉のライラは『婚活』というのをやっているらしいが、まだ10歳のフランには、婚活とは何なのか、どうしてライラは婚活に失敗し続けているのかがよくわからなかった。しかし、そのことでライラをからかってはいけないということだけはしっかりと理解していた。
フランと側仕えの二人は廊下の突き当りにあるフランの自室へと入った。そして執事が部屋のカギをしめた瞬間、ライラがため息をついた。
「もう!フラン様ったらどうしてあんなめんどくさそうな仕事をしようと思ったのよ!側仕えの私たちの気持ちも考えてよ!」
「お姉さま、主君に対してそのような言葉遣いをしてはなりませんわ。陰でいうのならまだしもこんな日向で言うなんて!」
「いやいや、メイサだって今とんでもないことを言ったよ?主君の愚痴は陰でなら言ってもいいなんて側仕えとしてあるまじき発言だよ?」
「これくらいの腹黒さは側仕えを続けていくには必須スキルですわ」
主君の前であるにもかかわらず側仕えの二人はああでもないこうでもないと言い合いを始めてしまった。そんな二人を見ながらフランは今後のことを考えていた。
(ミネアはライラとメイサを連れて行けと言っていたけれど、この二人って私以上に懸念事項が多いんじゃないかしら。私、明日からこの二人と一緒に旅なんてできるかしら)
そう考えるフランの顔は少しばかりの不安な気持ちとは裏腹にどこかキラキラとしていた。
「ちょっと見てよメイサ!私たちにいろいろとひどいことを言われているのにフラン様の表情が輝いて見えるよ!これは幻覚かな?」
「いいえ、お姉さま、私にもフラン様の顔が輝いて見えるわ。もしかしてこの年で新たな扉を開いてしまわれたのかしら」
「ちょっとメイサ!それはいくら何でもひどすぎるよ。これはきっと、そう、私たちは夢を見ているんだ!!」
(…………そもそも、この二人はどうしていつも水着なんだろう?私の側仕えをやっている以上、普通の服を買えないわけではあるまいし。
何か特別な事情があるに違いないわ!今度さりげなく聞いてみようかしら)
「あら?お姉さま、フラン様の表情が曇りましたわ。なにか良くないことの前触れかしら」
「そうだねメイサ。きっとメイサに天誅がっ」
「あら?何か言ったかしら?」
「な………何も言ってないれす」
(そろそろいい時間だし出発の準備をはじめないと…)
「あら?お姉さま、フラン様がなにやら引き出しをごそごそとし始めましたわ。お姉さまへの天誅の準備でしょうか」
「…………………!!」
「あら?お姉さま、どうされましたか?」
「………ごほっごほっ『どうされましたか?』じゃないよ!!!メイサのおかげで窒息しかけたよ!このおっメイサの悪魔っ!!」
「私たちは生まれた時から悪魔ですわよ?」
「…………………そうだった!!」
「これが悪魔ジョークっていうやつかしら」
「そんなの聞いたこともないよ!」
「あら?お姉さま、ご存じないの?」
「え………そんなに有名なの?」
「…………………(ちょろいわね)」
「二人とも~何話してるのよ。明日の準備はできてるの?」
「できてるよ!」
「できてるわよ」
「二人とも早いね!私はまだ何を持っていくか決まらなくて………
あ~あれもこれも捨てがたい!!」
ぱたぱたと部屋の中を駆け回るフランに対するライラとメイサの眼は驚愕で見開かれていた。
「え………お姉さま、まさかフラン様は…………」
「うん、部屋にあるぬいぐるみを全部持っていくつもりみたいだね」
「……………………」
「……………フラン様、いくらぬいぐるみが軽いからって馬車にはそんなに詰め込めないんだよ?」
「…………………えっ?」
フランの体はそれを聞いてゆらりとし、しばらく硬直した後、ガシャンと音を立てそうな勢いで崩れた。
涙目になるフラン。フランはぬいぐるみに埋もれていないと眠れないのだ。お子様だもの。
フランは一番のお気に入りの猫のみいちゃんのぬいぐるみを抱えて絶対にこれだけは離すものかと歯を食いしばった。
「…………………フラン様、私たちは別に全てのぬいぐるみを置いて行けとは言っていないんだよ。
みいちゃんを持っていってもいい。けれど、旅の途中で汚れたり無くしたりしても文句は言えないからね?」
「…………………」
「そうだ!あえて、2番目に好きなぬいぐるみを持っていくのはどうかしら。あれならサイズもほどほどだし材質も汚れに強い、魔物の糸でできているわ。」
「……………わかった」
フランはみいちゃんを大事そうに抱えてベッドまで運び、代わりにカエルのけろけろをかばんに詰め込んだ。
そして、そうこうしているうちに夕食の時間になった。
フランと側仕えの二人は部屋を出て食卓へと向かう。
「このお城ともしばらくの間お別れするのよね………」
柄になくしんみりとするフランの頭をなでながらメイサはライラにそっと耳打ちした。
「例のもの、準備できているわよね?」
「もちろんだよ!根回しもばっちりさ!」
「………さあ、フラン様、もう食堂につきますから涙をぬぐって下さいな」
渡されたハンカチで涙を拭ったフランが顔を上げると、そこには笑顔の使用人たちと大きなホールケーキが待っていた。
「「「「フラン様、魔王としての初仕事頑張ってください!使用人一同フラン様の旅路がよいものとなるようお祈りしております!」」」」
「わあ!すごい!きれい!」
「これは思った以上の出来だね、メイサ」
「そうね、お姉さま」
いつにもまして豪華な料理、きらびやかな装飾、使用人たちの笑顔に囲まれてフランたちの旅立ちの宴はフランが眠ってしまった後まで続いた。