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第二幕:師と同輩

挿絵(By みてみん)

●『巫女、千歳の日記』


 呪禁じゅごん博士さまの北の方から、今年で三つになる姫君の髪置かみおきを行いたいので吉日を見てほしいと、野分のわきの者にお声が掛かった。

 姉巫女さまは呪禁じゅごん博士さまとその周辺は手癖の悪い方が多いから行かぬ方がよいと仰ってくださった。生真面目なお前を妬んで、誰かが押し付けた仕事だと。しかし頼んできたのは北の方さまだ。それを理由に断るのは悪い。

 十六になっての初仕事。このくらい一人で出来るところを見せねば、鬼祓いを任せてもらうことなど叶わぬ。

 そう思ってのことだったが、帰る際に宴にいらしていた少納言さまに見付かって、そのまま組み敷かれるところだった。


 危ういところを萌木という巫女に助けていただいた。少納言さまが、道中の鬼祓いにと連れ添った方らしい。

 壁際に追いつめられた時、廊下に出てきた彼女と目が合った。瞬間、萌木の君は手を叩き、少納言さまにしなだれかかった。


「わたくしというものがありながら、そのような小娘に心移りなさるのですか。今宵はあなたさまの隣で眠ろうと思うておりましたが、家に帰ってあなたさまを呪うことにいたしましょうか」


 そう言って二人はわたしの目の前で唇を合わせたが、萌木の君は抱き合った少納言さまの背中越しに『早く逃げろ』と門を指してくださった。小さく頷き返してくださったから、間違いない。


 帰ってから姉巫女さまにお尋ねしたが、萌木の君は「野分のような寄り合いに属さぬはぐれ巫女ながら、やり手の方。そちらの方も、こちらの方も」とのこと。実力はあるが、貴族とねんごろになっていることを悪く言う者もいる、と。

 しかしあの時、萌木の君は確かに身代わりになってくださった。わたしをあそこで助けなければそのまま帰れたはずなのに。

 人をはね付けるような風を装っていらっしゃるが、本心はお優しい方なのだ。

 しかし悔しいなあ。実力があっても、心優しくても、ああして女は下に見られて。その上、わたしの失態を拭うために彼女に嫌な想いをさせてしまった。


 思いついた。文を出そう。わたしに出来ることなど何もないが、いずれ萌木の君のように力をつけて、何かの折にはわたしが救って差し上げたいと。

 姉巫女さま、紙を分けてくれるかなあ。




●時氏邸~母屋


 壺に折った袿を解いて、一息ついて。裾を引きずり、萌木は軒に立った。

 時氏は文机から目を逸らし、庭に咲いた薄紅の牡丹を見つめている。相変わらず柔らかな顔に複雑な表情を浮かべていた。


「鬼祓い、終わりましてございます」


「……しろと言ってはおらぬ」


「言われてから膳の支度をするような女では、お師さまのお世話は勤まりませぬゆえ」


 師は何か反駁しようとし、苦い声音で「確かにな」と笑った。


「それでどうした? そんな格好のまま」


「火急のことゆえ先にお伝えに参りました。屋敷西門の灯り桃の影に鬼が巣食っておりました。母様の鈴が知らせてくださり、祓うことが出来ました」


「なに……?」


 師の顔から、笑みが消えた。


「あの方の鈴が? 馬鹿な。そうだとすれば、それは小鬼程度では……待て。日中とはいえ、灯り桃にだと……いや、確かに鬼の気配がする。本当なのか」


「狼の如き鬼で、悪知恵はなく、血に飢えて暴れ回る手合いでございました。すでに片は付けましたが、日中にあの大きさで現れるとなると夜は油断できませぬ」


「莫迦者……! 独りで身を危険に晒すなど。何故、私を呼ばなかった」


「急なことでございました。申し訳もございませぬ。あれほどの鬼が灯り桃の下に出るなど思わず……母と師より術を学んだおかげで、切り抜けることが出来ました。感謝いたします」


 半分、嘘である。母の鈴が反応した時すぐに身を翻せば、鬼を逃がしたかもしれないが、時氏には報せられたはずだ。だが、萌木はそうはしたくなかった。


 萌木が主に使う巫術は、簡単に言えば世に満ちる神霊の力を身や物に降ろしてその力を借りる術。対して、時氏の用いる陰陽術は世の理を紐解いてその力を利用するもの。自身に力を宿すより、印や符に霊気を込めて用いる技術が多い。


 萌木の母は神霊を宿す力を使って、人々から憑きものを落とし、呪いをほどき、守りを施して、都中を巡る女であった。鬼と人との間に立ち、その巫術を存分に振るった。彼女の下で、萌木はすでに一人前の巫術の使い手になっている。

 時氏は反対で、書と向かい合って理を紐解くことを好む。学識の深さは評判で、祓いや鎮めの術を始め、数学、天文などにも詳しい。勤めを終えた後も、家で調べものに没頭し、よほど乞われなければ術を使うことを拒む性質たちだ。


 どちらが優れているということはない。姿勢の違いがある、というだけだ。

 鬼祓いの上でも、時氏は準備さえ重ねれば自分より強い。


(「だが咄嗟に鬼と対峙する際には、わたしが出た方がよい」)


 萌木は、そう思っている。

 鬼祓いにおいて、己に力を宿して直接に魔を祓う力を振るう自分に対し、力を宿した符などを用いて調伏する師。後者の方が間に一つ工夫を重ねなければならぬ分、強い代わりに動きが重い。

 それは時氏自身も認めるところである。

 であるから術師は鬼祓いの際に師弟で動く者もいる。巫女と陰陽術師という組み合わせも、稀にある。


(「恐らく、母巫女さまと師も若かりし時には、同じようにしていたのであろうな」)


 と、萌木は思っている。鬼祓いの際、時氏は己が術を放つまでの間、鬼を引き受ける相棒がいることを前提とした動きをすることも多い。


「はやまった点は褒められはせぬ。私と共にことに当たるべきであった」


 時氏はそう言ってため息を落とした。こちらの内心を見抜いているのかもしれないが、何も言わなかった。


「次からはそう致します。申し訳ございませぬ」


 額づきながら「もしお伝えしたら、本当にわたしと『共に』ことに当たりましたか?」と問いたい気持ちを呑み込む。

 依頼として引き受けたものでないなら、恐らく師は一人で鬼を祓おうとするだろう。萌木の身を危険に晒さぬために。


「……だが、それほどの鬼を一人で祓えるその腕は、評価するしかない。さすがに、あの方の娘だ」


 と、意外にも褒められて、萌木は首をひねった。


「ありがたき幸せにございます……して、そちらの書状は如何なるものでありましたか」


「お前は頭の回る女だ。大方、見通せることであろうが……」


 彼が差し出した書には、達筆な字が並んでいた。術師には学識も求められるため、萌木は漢字も読める。


「朝廷お抱えの博士どもは、この騒ぎが天変地異ではなく人の起こしたるものではないかと訴えたようだ」


「……わたくしもそれは考えておりました。新年に吉凶を占った際、天に凶兆が出たとは聞いておりませぬ。本来であれば鬼どもが荒ぶるはずがなかったのなら、すなわち人が起こしたことかもしれぬと。お師さまは、どう思われますか」


「私も同じように思っていた、が、証拠はない。仮にそうだとして、誰の仕業かはまだわからぬ。そこが問題よ」


「読む限り、これほどの呪法を都の内で使われたとあって、主上は痛くご立腹のご様子ですが」


「その原因を見付けることの出来ぬ我ら術師に、そのお怒りは向いておる」


「そして、命があったということですか」


「そうなる。名うての術師は流派も信仰を問わずその全てを以て原因の究明にあたらせよとな。更にその弟子の内からこれといった者を選び出し、都の鬼どもを祓わせよとの仰せじゃ」


「そしてこの書状によりますれば、名うての術師のうちに師のお名前が入ってございます」


「そのようだ」


 何の気なしにそういうが、立場上、萌木は流すわけにはいかない。都は惨憺たる有様ながら、これは嬉しい話でもある。


「師の勤勉と功績とが認められたのでございます。おめでとうございます。此度の仕事で手柄を上げれば、出仕のお声も掛かるかもしれませぬ」


「嫌味を申すな。朝廷の博士どもはそう易々と新参に席を空けなどせぬ。在野の者に下働きをさせ、成果は己のものに、何か失敗があれば責任をこちらになすりつける魂胆であろう」


「それも博士がたに恩を売る機会のひとつと捉えればよろしいではございませぬか。それに、見る限り妥当な人選と思えます。わたくしも耳にしたことのある高名な巫女や陰陽術師の方々……術の腕には問題なきよう見受けられまする」


「その陰陽術師とやらは弟子を都の鬼祓いに出さねばならぬ」


「ええ。それも含めて、妥当かと」


 師には弟子に当たる人間が一人しかいない。萌木である。


「これほどの怪異を起こす呪法が如何なるものかはわかりませぬ。鎮めるのにわたくしの腕では心許ない。しかして、鬼祓いならば、わたくしにも……ああ、なるほど。それで先ほど、わたくしの腕をお褒めくださったのですね」


 師は複雑そうに顔を歪ませた。いつもの苦笑は伴っていない。


「まあ、な。お前の腕は確かだ。話をする前にわざわざ証明してくるとは思っていなかったが」


「お師さまは鬼を調伏しながら歩きまわるよりも、呪法の研究を行っている方が性に合ってございましょう。そこも、わたくし共にはちょうどよい割り振りの仕事にございますな」


「皮肉を申すな」


「これは皮肉ではございませぬ。お師さまは、世の理に通じておいでの方。わたくしにできぬこともお師さまであればできましょう。それとも、何か心配ごとでも」


 師は適当な書物をぱらぱらと開いて、それを閉じ、溜息を落とした。不安になると手のものを弄る、いつもの癖である。


「……わからぬ。しかし、胸騒ぎがする。何かを見落としているのに、それが何かわからぬような感じだ。これはただの勘だが、こういう時は慎重に動いた方がよい」


 その不安は根拠のないものらしいが、師の見識と技量は萌木が一番よく知っている。日々の雑事についてはともかく、萌木は時氏という術師を信頼していた。


「……何か忠告や、御命令などあらば、萌木はそれに従いまする」


「出来ることならばこの度の件こそ、二人で共にことに当たりたいと思ったのだが……」


「はい、喜んで……と、しかし……それは、厳密にいえば命に背くことになってしまうのでは」


 萌木は驚いた。時氏が萌木を教え導く意味を含めず、共にことに当たりたいと言い出すとは。

 彼は苦々しく「わかっている」と答えた後、しばらく押し黙った。


「……よいか。決して持ち場を離れるな。寄り道をしてはならぬ。今日のことは見事であった。だがもう一人で鬼と対峙しようとは思わないでくれ。何かあればすぐに私に報せよ。弟子が師に対処を乞うという体裁ならば命に反することにもなるまい。いいか。次は、共に立ち向かおう」


「かし、こまりましてございます……」


 萌木の胸の奥に、痒いような疼きがあった。

 つまり師は、自分の身を案じつつも、相棒として認めているのだ。


「この件が終わったなら……今後の身の振り方も考えよう。もう、お前は一人前の術師よ」


「はい……では、膳の支度をしてまいります」


 その目に、娘に対するものではない情が滲んだのを、女の目が見逃すことはない。

 萌木は身を引きながら、それを舌の上で転がすように味わった。

 廊下を裾が擦れる音が、いつもより深く響いて聞こえる。

 くふっと笑みが零れ、同時にため息が漏れた。




●洛中~御所前


 翌日、呼び出しがあった。

 都にて鬼祓いを行う者たちは御所前に集まれ、割り振りを定める、ということだった。

 日中、辻を巡りながら鬼祓いをし、時に勘が鋭く鬼を見てしまった者から瘴気を、憑かれてしまった者から鬼を祓ってやる。

 まあ大体いつも通りの、どちらかというと術師としては使い走りのような仕事である。


(「ご公儀であるから支払いを踏み倒されるような心配がないのはありがたいが、金払いの良い貴族からの依頼の方が実入りはよいのよな。ま、わたしの働きで師の名と顔を売れれば、それでよい」)


 萌木は、清廉な同業者たちから目を細められるような勘定をしている。だが手段を選ばず名を売ると割り切るほど業突く張りでもなく、身の丈にあった仕事と思っている。

 その点、良くも悪くも彼女は中道であった。


「行ってまいります」


 屋敷を後にする際、時氏は己の印が押された紹介状を萌木に手渡し、指で手を包み込んで言った。


「私の言ったことをゆめゆめ忘れるな。気をつけよ」


 御所前まで行くとあって、今日も藤の袿を壺に折った姿である。

 精いっぱい着飾っているときにこんなことをされると、どうにも胸の内がくすぐったい。

 萌木は、頭も心も鈍くはない。時氏の想いは女としての自分に向いている。それに気付かぬほど初心であれば、むしろ楽であったかもしれないけれど。


(「とっとと抱いてくださればよいものを。本当に生真面目な朴念仁……」)


 萌木は夜ごと、当然にそう思ってきた。

 男女の妙を掴むことが出来ず、師弟の在りように固執しているのか。それとも母との約束に義理立てして自分を一人前と認めるまで手を出さぬつもりか。はたまた倍ほどの歳の差から、気後れしているのか。その全部か。


(「師自身、二十はたほど違う母巫女さまと良い仲であったろうに……」)


 時氏と母の仲について聞いたことはない。だが若いころに色めいたことがあったのだろうと、感じ取ってはいる。

 しかしすでに母は他界しているし、彼に萌木を預けたのには(これも別に母に確認を取ったわけではないが)、この子を女として頼む、という意味を含むと思う。


 ……多分だけれど。


 萌木は時氏の性格にいらだちを覚えているが、その心配を身に受ければ胸の疼きを覚えてしまう。


(「わたしも、わたしだ。お師さまばかりを責められぬ」)


 と、その時ふと、隣を歩いていた娘にぶつかった。


「あ、失礼いたし……あらっ。萌木の君……!」


 思わずといったように相手が呟いた。

 下げた視界に映るのは、女郎花おみなえし色の小袖に深緑の袴。

 顔を上げれば、丸い線を描く顔に垂れた眦の、流行りの顔をした娘が、弓袋を持って立っていた。


「……千歳の君。これは、お久しぶりにございます。いつも文をくださってありがとう。最近はご活躍のようですね」


「いえ、そんな! 萌木の君にはまだ遠く及びません。あなたさまのお噂こそ、よくお聞きいたします。先日もどなたかの家人に憑いた鬼をお祓いなさったとか。もしよろしければ、その辺りのお話を詳しくお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。あ、先にご挨拶を……!」


 千歳は、自分が挨拶をしていないことを思い出したのか慌てて頭を下げる。

 萌木の方はひょいっと身をひねって、一緒に下がって来る弓袋を避けた。


「……いつでもお聞かせいたしますよ。下がって来る梓弓まで相変わらずのご様子で、安心しました」


「え? あ、失礼いたしました! もしかしてわたくし、また頭を叩きました? お召し物を汚したりは……」


「いいえ。わたくし、同じ手は喰らいませぬ。出で立ちも変わりませんね。守り刀を鞘走らせないように、お気をつけてくださいませ」


 慌てて頭を下げ直す彼女は、同業である。ある屋敷で妙な形で出会ってから、文のやり取りをしつつ稀に顔を合わせている。


「どうにも萌木の君を前にすると、姉巫女さまたちより緊張いたしまして……」


 萌木の祓い具は扇と鈴であるのに対し、彼女は祓い具として小刀と梓弓を用いる。野分という名は、力を借りる神霊からだけでなく、武者のように武具を用いることからも来ているらしい。

 母も昔、野分にいたことがあったが、時氏と出会ったころに抜けたと聞いている。野分は女同士の寄り合いであり、男と組んで仕事をする者を厭う傾向があった。

 母の流れを引き継いだ萌木は、生まれついて派閥に属さぬはぐれ巫女。千歳は同業の中で唯一、付き合いのある娘である。


「何を仰います。野分の方の中でも修行に熱心で、もう一人前だと聞いておりますよ。確か、もう十九でしたね。ご立派になられました。文にも書きましたが、わたくしなどすぐに追い抜かれてしまいましょう」


 萌木は、口を押さえて微笑む。莫迦にしているつもりはないが、人によっては萌木の態度を見下していると取ることも多い。その点、千歳は素直に受け入れてくれる。


「いえ……わたくしなどまだまだ及びはいたしません。ええと。萌木の君も、お呼ばれですか。あの……えっと」


「お師さまですか?」


「あ、はい。先生は、ご一緒ではないのですか?」


 夫と言おうとしたな、と、思いつつ、萌木はそこははぐらかすことにした。千歳は己の業にどこまでも真っ直ぐで、萌木が男と蟄居を共にしていることを、どう扱っていいのかわからないらしかった。


「お師さまは、別な命を受けましたゆえ」


「ああ! そうですか! あちらの方へ……羨ましい限りです。野分の巫女は数多いですが、あちらに回された者はほとんどいないと聞いております」


 彼女は頻繁に文を出しては来るものの屋敷を訪れてきたことはない。萌木と時氏は師弟を超えた仲だと誰もが思っているし、遠慮をしているのかもしれない。

 萌木の方も、ひとえうちきで多少なりとも着飾ることの出来る今の身の上で彼女と会うと、少々、申し訳ない気持ちになる。野分の巫女で、洒落た着物を着ている者を見たことはない。

 要するに萌木のような女は、色をかけて男の庇護に入ったものと見られやすいのだった。


「わたくしどもはわたくしどもの仕事を精一杯行えばよいのですよ。お会いしたころは、早く鬼祓いの出来る術師になるのだと張り切っておられました。今、それが出来るようになったということではありませんか」


「ええ……まだまだですが、いずれはわたくしも、もっと重い仕事を任されたいものです。では、とりあえず集合場所に参ります。姉巫女さまを待たせるとお小言ですので……あ、あとで、最近のお仕事の話は聞かせてくださいませね」


 だが千歳は困惑しつつも、素直に慕ってくれている。純粋で、才能があって、業に熱心。身を安く売ることもせず、技で独り立ちしようと心がけている。真面目すぎて物事を逸るきらいがあるが、そういう姿勢も、冷めた萌木からすると好ましい。

 だが、肩に力を入れている後輩を見て、萌木は何故か師の言葉を思い出していた。


「……千歳の君。その……仕事の件について、一つ」


「はい?」


 何かわからぬが胸騒ぎがする、というのはこのような気持ちだろうか。

 言葉が出そうで、出てこない。


「あの、萌木の君。なにか?」


「……あ、いや。実は先日、日中でありながら灯り桃の影に、大きな鬼が潜んでおりました。狼のような姿をした、恐ろしい鬼にございました」


「灯り桃に? え、だって……あれは、鬼を祓います。そんな」


「日中、灯りの燈らぬうちは魔除けの力は薄いですから。それにしても異常なことにございますけれど。わたくし一人でも祓うことは出来ましたが、油断をしていれば危なかった。千歳の君、持ち場を離れず、より道などせぬよう、お勤めくださいませ。くれぐれもお気をつけて」


「一人で、ですか……流石にございます。お言いつけ通り、気をつけるようにいたします。しかしなるほど。都の瘴気はそれほど……」


 そんなことを呟きながら、千歳は離れて行った。


 自分は一体、何を警告したかったのか。よくわからないが、師の言葉を借りれば勘というやつだった。


(「……まあ、あの子はすでに一人前になりつつある。共に暮らしている男が抱いてくださるのはいつかとばかり考えているような女に心配されることもないか。実際には手も出されず、噂ばかりが先走る蓮葉女はすはめと、一途な彼女とでは大違いだわ」)


 萌木は自嘲しつつ、御所前の衛士に師の紹介状を渡した。

 そろそろ、持ち場の発表がある刻限である。




~つづく

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