9話 精霊は実在しました
取っ手に手を差し込み、手前にパカリと開くと、中は棚のようになっている。これ、冷蔵庫じゃないの?
パーヴェルさんは神妙な顔でこちらを向く。
「精霊に捧げものをするための祭壇です。この中に供物を入れると、精霊様に届くんですよ」
ガチのお供えなのね。
「中のものがなくなるって事ですか?」
「そうです。たまに残るものがありますが、それは捧げ物をした本人への贈り物ということで、持ち帰って良いことになっていますよ」
「なるほど」
私は背中に背負っていたものを棚に詰め込み、扉を閉める。
数分してから棚を開けると、中はほとんど空になっていて、毛糸のポットカバーとお花のシュシュだけが残っていた。
「これは私のものってことですね」
振り向いて確認すると、3人は神妙に頷いた。精霊は男なんだろうか?穴が空いていて、下とか後ろにいる人が回収してるんじゃないか、って考えたけれど、それにしては何も音がしなかった。本当に精霊がわざわざお供えを回収しに来るんだろうか?
自分宛のプレゼントをいそいそと仕舞い込み、次のものを入れる。ジェーニャもカゴからジャムの瓶を出し、棚の端に置く。
「ジェーニャも、がんばってあつめてるんだよ。モニカはいっぱい集められてすごい。スケート練習したら、いっぱいになるのかな?」
そう言って、幼女とは思えない真剣な眼差しで棚の中を見つめる。そんな真面目にしなきゃいけない事だったのか……と、疑心暗鬼だった自分が少し申し訳なくなる。
ジェーニャとパーヴェルさんは目を閉じ、祈りのポーズをしている。不可侵の領域、って感じだ……ガチの宗教においがする。本当に神がいると信じている人の佇まいだ。
私はじっと白い扉を見つめて、時間が過ぎるのを待とうとした……が、好奇心に勝てなくてドアをパカリと開けてしまった。
冷たい風が頬を撫でる。
棚の奥には雪景色が広がっていて、お供物を咥えた真っ白いボルゾイがこちらを見ていた。
「うわーーーーーーーーっ!!!!でた!!!!!!!!!!!!」
声がかき消されるほどの大きさでビョオオオオオオ、と風が鳴る。吹雪が部屋の中に入り込んでくる。
「ちょっと!何してるんですか!!!!閉めて!ください!」
パーヴェルさんが横からドアをばたりと閉めると吹雪は止んだ。
「な、な、なんて事を!?何故にそんな事を!?」
「ご、ご。ごめんなさいっ!こんな事になるなんて思わなくて!すみません!」
思わず土下座をしてしまう。もちろん人生初土下座だが、意外とスムーズに動けるものだ。
「すいませんすいませんすいません」
「いえ、怒っているわけではないんです。ちょっと驚いてしまって」
顔を上げてください、と言われ、しょんぼりとしながら起き上がる。軽い気持ちで扉を開いたけれども、まさか犬……が居るとは思わなかった。
「犬だったよな?」
私の真後ろにいたニコロがこっそり耳打ちしてくる。
「犬だった」
あれはたしかにボルゾイだった。毛が長くて、鼻が長くて、高貴な感じの。
「うおっほん。精霊様は、様々な生き物の姿をとると言われています。今日は犬の気分だったのでしょう」
「へ、へえ、そうなんですか」
確かに、神様の類いなら自在に姿を変えられてもおかしくはない。
「あーびっくりした。ここの精霊様は非常に温厚だと言われていますから、特に何もないとは……思いますけど……何か追加でお供えておいた方がいいかなぁ……」
こめかみを揉みながら、パーヴェルさんはぼやく。
「なんか、すいません。好奇心に勝てなくて、つい……」
「子供は結構やっちゃうんですよね。実は私も、昔やらかしたことがあって。その時は小さい男の子でした」
おっと、意外な展開、あなたもお仲間だったんですか。
「へえ、真面目そうなパーヴェルどのでもそんな事を?」
「そりゃ、子供のすることですから」
「こんにちはー!」
ジェーニャが棚を開き、その中に顔を突っ込みながら叫ぶ。
「こら!!!やめなさい!ふざけていいとは言ってません!」
「おてがみあるよー!」
棚から引き剥がされたジェーニャの指の先を辿っていくと、確かに板のようなものが入っている。さっきまでは、確かになかったはずだ。
「どれどれ」
ニコロが棚から取り出したのは、薄い氷の板だった。つやっと磨かれた氷の上に、カリグラフィのような文字が書かれている。
「なになに。 氷娘のすること 怒ってはいない しかしウオッカがあればなおよし 本日から一週間は晴天 降雪の予定なし……と。たしかにずいぶん友好的な存在のようだ」
私のことを怒っていないうえに、天気予報までしてくれるとは。ニコロが読み上げると、氷の板はすうっと溶けて消え、後には何も残らなかった。水になったのではなく、蒸気になって無くなってしまったのだ。
「そうでしょう。ここの精霊様は非常に温厚なんです。ちょっと、酒を取ってきますね」
そう言って、パーヴェルさんは奥に引っ込んだ。すぐ戻ってきたけど。
「聖職者なのに、お酒を飲むんだ?」
てっきり、ああいう人ってお酒を飲んじゃいけないんだと思っていた。
「当たり前だろ。お前、ここがどこだと思ってんだよ」
どこと言われても、ヌヌガフ村ですよねという事しかわからない。ここはどこなんだろう。私は首をひねる。
「酒は体を温めるのに必要ですから。この辺りでは聖職者も飲みますよ」
「それで酔っ払って、外で転がって凍死してたら世話ねーけどな」
パーヴェルさんはウオッカの瓶を棚にしまい、簡単に祈りのポーズを取ったあと、こちらに向き直った。
「さて、今日の出来事を日誌に書かなければ。いえ、ご心配なく。貴女の事は書きますけれど、それによって叱られるとかはないですから。後世に話の種にされるだけです」
「日誌につけているんですか?」
「はい。先ほどの通り、たまにお手紙をいただくのですが、読むと消えてしまうんです。なので、紙に書き起こして残しておくんですね」
「その日誌、何年前からあるんだ?」
「さあ、少なくとも数百年前からは。でも、ここ十数年はかなり多いですね。精霊の子がいるからでしょうか」
「精霊の子?精霊にも子供がいるんですか?」
「いるよー。おとこのこ!」
ジェーニャはキャッキャと笑って、外に走って行ってしまった。よくわからないお年頃だ。というか、精霊って増えるんだ。氷娘とは違うのかな。
「とは言っても、目撃されたのは2、3回ですけれど」
「このあたりじゃ有名な話なのか?」
ニコロが話に乗ってくる。彼は知らなかったみたいだ。
「ええ。ある程度の年齢の人は知っていると思いますよ。長くなりますので掛けてください」
私とニコロは顔を見合わせ、一番前のベンチに腰掛けた。