8話 教会へ
次の日も朝日と共に目が覚める。柔軟体操をして、昨日もらったワンピースに袖を通す。
朝食は水餃子のスープだった。
「今日は、精霊の話を聞きに行こうと思って」
本当に願いを叶えてくれる精霊がいるかどうか、他の人にも聞いてみようと思っている。カーチャは完全に信じているみたいだし、自分の今の状況を考えると、ここは本当に異世界なのかもしれないと思い始めてきたのだ。
「そうかい。今日は婦人会の集まりがあるんだ。一人で行けるかい?もう村中の人があんたを知ってると思うしさ」
「わかった、大丈夫。おつかいとかある?」
「ん?大丈夫だよ。でもそうだね、このカゴを背負っていきな」
そう言って、カーチャは巨大な背負いカゴを持ってきた。いわゆる「山へ柴刈りに……」的なアレである。
新しい靴を履き、カゴを背負う。服装だけならば、この村の風景に完全に馴染んでいると言えるだろう。
昨日覚えた道を、てくてくと歩いて行く。北海道出身なので雪の上を歩くのは慣れている。道すがら、いろんな人が話しかけてきて、差し入れをくれる。おお、ちょっとした人気スケーターの気分だ。
カゴが半分くらい埋まりはじめた頃、宿屋みたいな建物から、昨日のヴァイオリニスト、ニコロが出てきた。
「よう、氷娘さん。そんな荷物を持って、山にでも帰るつもりなのかい」
「あなたも私が氷娘だと思ってる?」
「はは。違うのかい?確かに、目撃情報とは全然違うな。噂じゃ、サウナに入っても溶けないそうじゃないか。あんたなら夏でもピンピンしてるだろうなってもっぱらの噂だよ」
「女性のお風呂の噂話をするなんて、ひどいと思わない?」
あっと言う間に噂が広がっている。これが田舎か……。変な事は言えないね。
「精霊、もしくは妖精は人々に認知される事によって現世での影響を強め、存在を確かにする。少なくとも、この地ではそう思われている。村人たちも、悪気があってやってるわけじゃないさ」
私は立ち止まり、ニコロの顔を見た。ブルネットの巻き毛に、蜂蜜色の瞳。垂れ目の甘いマスク。この村の人とは、少し人種が違うように感じる。
「あなた、この村の人じゃないの?」
「そう。俺は旅芸人だからな。雪があると移動が大変だから、この村で冬を越すんだ。春が来ればまた別のところへ行って、あんたの話をして日銭を稼ぐさ」
「悪口じゃないなら、まあいいけど?」
「『爆炎のエカテリーナ』のもとに現れた風変わりな氷娘……悪い話になりようがないさ。きっとこの国のどこに行ってもウケるぜ」
え、エカテリーナってたしかカーチャの本名だったはず……その厨二病っぽい二つ名、一体なんなんだ。脳内で、まーるいふかふかの後ろ姿を思い浮かべる。考えても、考えてもそんなバトル漫画みたいな感じの人ではない。
私が考え込んでいると、ニコロが拍子抜けしたような声を出した。
「なんだ、本当に何にも知らないんだな。こっちが調子狂っちまうよ」
「だって一昨日起きたばっかりだし……」
そう。今の私は異世界生活三日目なのだ。
「それもそうか。ま、ここの宿屋に泊まっているから、演奏が必要な時はいつでも呼んでくれ」
「わかりました」
確かに、音楽があった方がずっとやりやすい。これはありがたい申し出ではある。
「ねー!教会にいくのーー!?」
甲高い声を上げ、トテトテと走りよってきたのはジェーニャだ。手に小さいカゴを持っている。
「そうよ。ひとりなの?」
「そうだよー!」
「ひとりだと危ないから、みんなの所に帰ったら?」
彼女は4.5歳くらいだろうか。一人で行動できなくもない年齢だけど、ちょっと天然ぽいところがあるので心配だ。
「えー、ジェーニャも教会にいきたい。いきたいのよ」
「え、まあいいけど」
手を繋いで教会へ向かう。何故かニコロもついてきた。まだ用事があるのか聞くと、「取材」と短く言われた。昔、何かの社会科見学で、商人とか芸人は貴重な情報源だった、みたいな話をどこかで聞いたっけ。まあさっきも言ったけど、悪口じゃないなら許そう。何せ私、フィギュアスケーターだけあって、わりと目立ちたがり屋なのだ。
そうこうしているうちに、教会に到着する。ずっと鐘は見えていたのだけれど、実際歩くと結構遠いのだ。
ドアを開けると、赤い絨毯が見える。礼拝用であろうベンチを通り抜け、祭壇の前に立つと、右手側のドアから穏やかそうな鷲鼻の男性が現れた。
「ああ、貴女でしたか。はじめましてと言うべきですね。私はここの司祭、パーヴェルと申します。よろしくお願いします」
「はじめましてこんにちは、モニカです。今日は、精霊様の事でお話をお伺いしたくて来たんですけど」
「なるほど。この地の精霊信仰について、ですね」
私とジェーニャは、ベンチに座る様促される。ニコロは先に座っていた。
「氷娘は精霊のため人里に降り、村人から信仰の証の捧げ物を受け取り、冬の精霊に送ります。伝承の通りですが、こんなにはっきり自我がある氷娘は初めて見ました。暖かい部屋でも元気にしていると」
「えっ、ちょっとまってください、氷娘って本当に実在する生物なんですか?作り話ではなく?」
「え?」
パーヴェルさんは私をまじまじと見た。
「あなたは、ご自身が氷娘だと自覚がないのですか?」
「だって、違いますもん」
「モニカは違うよ!」
「らしいぜ」
「うーん。ではどうしてそのカゴを背負っているのですか?てっきり、精霊様への贈り物とばかり」
「えっ」
これ、神様にお供えするためのもので、みんな私がそれをすると思って渡してくれてたんだ!恥ずかしー!私への差し入れじゃないんだ!
頬が赤く火照るのを感じ、思わず顔を覆ってしまう。
「だいじょーぶ?」
ジェーニャがポンポンと私の膝を叩く。ごめん、いまちょっと対応できない……
「ほら。見てくださいよ」
パーヴェルさんは本棚から一冊の本を取りだし、中の挿絵を見せてくれた。
たしかに黒い髪で、似たようなワンピースを着た女の子がカゴを背負っている絵や、雪の上で踊っている絵がある。その他にも妖精のような服をきてかまくらの中で眠る絵……
「これは完全に私ですね」
たしかに、これだと誤解するなという方が無理っぽい。
「そうだろ。突然なんの前触れもなくお前が受け入れられたのはこの伝承のおかげだよ」
「他の地方の伝承によると、自我がないっつうか、自分が『そう』だと認識してないのも大勢いるって話だぜ。子供が死んだり、元々いない夫婦の子供として紛れ込んだりするらしい。よくある、うっかり溶けて消えちまう、ってのはそういう個体だろうな」
ニコロの説明を聞く限り、イメージとしては座敷童のようなものなんだろうか。なんだかだんだん、自覚がないだけでそうなのかもと思い始めてきた。もしかすると、異世界転移してきたフィギュアスケート選手っていうのがもう私の妄想なのかも……?
「と、とりあえず、背中のものをお供えしてみてはどうでしょう?」
私がうんうん唸っているのを不審に思ったのか、パーヴェルさんが教会の奥にある、小さい扉を指差した。