45話 氷娘、再び
「ショートプログラム13位、ジュニアからの推薦です。中江萌仁香。昨日は素晴らしい演技を見せてくれました。本大会のシンデレラガールとなれるでしょうか?注目のフリーです」
「以前から表現力では評価されていましたが、今季はジャンプが非常に安定していますので、その部分でも評価が上がってくると思います」
私の演技に解説がついていたら、おそらくこんな感じだろう。もちろん現実の話ではない。私はテレビで放送される選手ではないからだ。
名前がコールされる。私の演技が終わった後は製氷のため休憩になる。その後表彰台、入賞争いの後半グループが登場する。もはや場内はまったりムードだ。がやがやと、観客席の人が移動していく。休憩時間に入る前に、先にトイレに行っておこうと言う訳だ。見てろよ、この場にいなかった事を後悔させてやるぞ、と気合を入れる。
「大丈夫そうだね。本当に立派になった」
コーチは私の両頬を包み、笑う。
「行ってきます」
昔よりずっとシワの深くなった指がすっと離れていく。私は背を向け、リンクの中央へ向かった。
昨日も帝都の夢を見たけれど、私に出来ることはスケート以外何もない。ただ、氷の中にいるアリョーシャが、ほんのわずかでも私と繋がっていて、彼も同じ様に私を見ているのだとしたら。自分は元気でやっていると、こんなに立派になったんだぞと、証明しなければいけない。めそめそ泣いて、引きこもっていたって何にもならないからだ。
さあ、行こう。今できる事を全てやるしかない。そう思って滑り出した、その時。
「もぉ〜にぃ〜か〜ぁ〜」
突然時が止まったようになり、全ての音が消える。
足元の氷から、今となっては懐かしいジェーニャが生えてきた。比喩ではない。ニョキニョキと、たけのこのように伸びてきたのだ。
「ぎゃーーーーーーーーーっ! 出た!!!!」
私はバランスを崩し、盛大にずっこけた。思い切りぶつけたお尻が痛い。
「でたよージェーニャだよー」
「なんで??」
なぜここで?溶けて消えた時のあのシリアスさはどこへ行った?最後に別れた時と変わらない服装で、変わらない笑顔のジェーニャだ。小首を傾げてとぼけた顔をしている。
「なんでといわれてもー。とけちゃったんだけど、聖霊様が、ジェーニャをもう一度、作り出したの。ちょっとおじさん成分が混じっちゃったけど」
「なんて???」
おじさん成分とはなんだ。ジェーニャが生きていた?生まれ変わった?
「あんね、ジェーニャがとけた後、ニコロがそこでヴァイオリンを燃やしちゃったでしょ。呪い殺そうと思ったけど、かわいそうだから許したのね」
「呪い殺すとかできたの?」
「できるよ?体温を下げまくるぐらいだけど」
「できるんだ……それならもっと早くやって欲しかったんだけど」
「まあ、できるようになったのは最近なんだけどね。それにほら、ちょっとかしこくなってるでしょ?」
ジェーニャは自分を指差して、にっこりと笑った。確かに、前よりずっと流暢に喋るようになっている。
「そんでねー、何もかもが灰になって天に召されたと思うでしょー?ところがどっこい、セリョージャが、私が燃え尽きた後の灰をかき集めて、祈ってくれたのね。せめてヌヌガフ村へ魂が帰れるようにって。それで、なんとか精霊様のところまで戻ってこれたの」
「いいひとだ……」
セルゲイは顔が怖いけど、本当にいい人だ。カーチャの息子なだけある。私が見たのはそのシーンだったのか。
「精霊様が言うには、いろんな人間たちの感情に触れて、その魂のかけらがおじさん成分を含んだ灰と混ざり合った事で、ジェーニャはただの氷娘じゃなくて、もう一段上の妖精としての魂の格を得たのね」
「そんな事できたの?」
話が難しくてついて行けなくなってきた。
「まあ、『シンカした』って思ってくれていいよー。そいで、帝都に戻って、大精霊様に許してくださいってお願いしたんだけど、駄目だったの」
「頼んだって、どうやって」
「ヴァシリーサに乗り移って、大聖霊様の前でスケートしたら、『下手すぎる』っておこられた」
「ええ……」
「それで、モニカに頼みにきたの。まあ、モニカと帝都が滅びそうな事は関係ありそうでないんだけどさー」
「わ、私にもう一度、あの世界に戻って、大精霊の前でスケートを披露しろって事?」
「うん」
「うまくいくのかな……」
「ジェーニャでも、一応は見てもらえたし、やる価値はあるとおもうー。アリョーシャも元に戻してもらえるかもー」
その言葉を聞いて、覚悟が決まった。それならやるしかない。
「よし、わかった。やる」
ジェーニャが差し出した手をぎゅっと握る。彼女の手はとても冷たい。
「そうこなくっちゃ」
「ところで、どうやって戻るの?」
そう、それが一番の問題だ。
「ジェーニャがなんとかするよ?」
「そんな事できるの?なんで?」
「それは、ここ代々木が世界の裂け目だから……」
「マジで言ってんの?」
「まあ、ホンポーハツコーカイの話だからね、仕方がないね」
会場の時は止まったままだ。足元の氷がどんどん溶けていくので、これちゃんと元通りになるんだよね、と妙な心配をしてしまう。私は棄権するけれど、試合はまだ終わっていないのだ。
「ちなみに、私が断ったらどうするつもりだったの?」
「さっき見た男の子を誘おうかなーと思ってるよ。よんかい回って跳んだら、せかいちゃんぴょんになれるんでしょ?あの子の方がモニカより上手だし」
「他の人を巻き込むのはよくないよ!」
ヤバい。それは非常にマズい。関係各所からお叱りを受けてしまう。
「じょーだんだって。綺麗な人も、スケートうまい人もいっぱいいるけど。今はモニカじゃなきゃダメなの」
突然目の前が真っ白になり、気がつくと私はゲームで見る様な、玉座の前に立っていた。足元はまっさらな氷だ。
「また氷娘かえ?さっきのはひどいものじゃった。お前はわらわを楽しませる事ができるのか?」
大精霊は、玉座に腰掛け、こちらを興味なさげに見ている。
部屋の隅に、氷漬けになったアリョーシャがいる。そのほかに居るのは、音楽家、セルゲイ、ヴァシリーサ、そしてニコロ。
「モニカ! 戻って来たのか?」
セルゲイがこちらに声をかけてくる。
「うん。アリョーシャを元に戻して貰わなきゃ……」
欲を言うなら、全部元に戻して欲しい。セルゲイに何かあったら、カーチャに合わせる顔がない。
「お前、馬鹿だと思ってたけど、本当に馬鹿だったんだな」
軽くセルゲイを小突いてから、玉座に近寄る。
「もう遅い。人間は脆い。まもなく魔力を使い果たし、無に帰るだろう。あれの父親もそうなった」
大精霊は無情にもそう告げる。
「お願いします!元に戻してください!」
私は土下座をした。
「断る。ここの人間にはうんざりだ。わらわの魔力を奪い取ろうなど、不敬にも程がある。この国は滅びるべきだ。なに、数百年も経てばまた新しい国ができる」
「おねがいします!」
「お願いします!」
ジェーニャと二人で土下座をするが、鼻で笑われる。
「お前の踊り、本当に酷かった。素人もいい所だ。魂の格が上がったと言うから、どんなものかと思えば」
そりゃあ、ジェーニャの技量はとても人に見せられるレベルではない。
「そのせつはすいませんでした!」
「私の指導不足です、申し訳ありません!」
土下座はなおも続く。私が悪さをした訳じゃないのに……
頼み込んで頼み込んで、やっとチャンスが巡ってきた。
「まあ良いぞ、暇になってきたしの。とりあえず、舞ってみろ」
大精霊は、顎でくいっと氷を指し示す。
「あ、ありがとうございます……」
とりあえず、状況は進展した。
「待ちくたびれたよ。もちろん、音楽は必要だろう?」
夢の中で見た、金髪の男性が声をかけてくる。後ろにはオーケストラの人達がいる。
「ラザレフ?」
「おや、久しぶりに僕のファンに出会った」
音楽家は軽くウィンクをしてみせた。
「お願いします。楽団の皆さんは大丈夫なんですか?」
「ありがたいことに、皆無事さ。芸は身を助けるって言葉、こんなに実感した事はないね」
「では、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でお願いします」
「え、君、あれに乗せて踊るの?さすがに無理じゃない?まさかこの短縮版の楽譜、そのために作られたの?」
音楽家はだいぶ引いた顔をしている。
「大丈夫。とりあえずやるだけ、やらせてください」
「ふうん、まあ、いいよ。ヘロヘロになっていても、皇帝お抱えの交響楽団。君に最高の音楽を届けよう。おいニコロ、暇なら手伝え」
ラザレフは、自分の足元にあるヴァイオリンケースをニコロに押し付けた。
「俺は……」
「もちろんコンマスじゃないぞ。それとも、自信がないのかな。君は耳はいいけど、演奏技術は中の上……」
ニコロは俯き、手をギュッと握る。
「弾いてよ」
「モニカ……」
ニコロは村でイキイキしていたのが信じられないぐらい、しおしおとしている。全部が嘘、って言うのはそれこそ嘘なんだと思う。
「演奏を聞いて、許すかどうか決める」
それだけ言い残して、開始位置に立つ。
「壊すなよ!それ、家より高いんだからな!」
後ろで、弾んだ声が聞こえる。
「は、はわわ……ぼ、僕でしゅか……ピアノ協奏曲って……そんな……」
ピアニストらしき禿頭のおじさんはビクビクしている。
「じゃあ、僕が弾くから指揮を替わるか?」
「ピアノひきましゅ」
少しの静寂の後、ポーン……と弱々しげなピアノの音が響く。やばい、弾く人によってこんなに変わるんだ、と今更ながらに思う。
プレッシャーはある。心臓がバクバクする。体が熱いのに、空気はぞっとするほど冷たい。自分が自分じゃなくなって、手足が棒みたいになってしまうのだ。今までずっと、そうやって失敗してばかりだった。でも、もう私は昔の私じゃない。
演技はあっと言う間に終わった。正直、集中しすぎていたのかここ数分の記憶が無い。転んでいないと言う事は、おそらくちゃんとノーミスで滑り終える事ができたのだ。
パチパチ……と拍手が聞こえる。観客、というか手が空いている人が二人しかいないのだからまばらなのは当然だ。
「あ……あの、どうでした……?」
おそるおそる確認してみるものの、大精霊は無表情だ。
「ジタバタして必死なのは伝わった。許してやりたい所じゃが、もうちょっと続けてもらおうかの」
その一言で、足元の氷が割れ、私は真っ逆さまに落下していく。
「そんなーーーーーー!!」
私の叫びは、闇にかき消された。




