44話 哀愁
夜にあと2話更新できるかと思います。それで最終回になります。最後まで読んでいただけると嬉しいです。
「モニカ、ほんとにそんなのでいいの?」
「うん」
私はソーラー電池のついたバッグを買ってもらった。太陽光で充電できるものだ。このバッグにモバイルバッテリーと、タブレットと音楽プレーヤーを入れておけば、いつどこで異世界に飛んだってみんなに見せてあげられるのに、と思う。
こちらの世界に戻ってきてからも、断続的に夢を見る。帝都が凍りついて、みんながどんどん弱っていく夢だ。アリョーシャの姿は見えない。私は、あの世界が自分の妄想ではなく、本当にある世界だと信じる様になっていた。何度もリンクで試してみたけれど、普通に転倒するばかりで、帝都に戻る事は出来なかった。
考えても仕方がないのはわかっている。向こうにいる時はあんなに帰りたいと思っていたのに、いざ戻してもらってこんな気持ちなのはわがままだ。第一、私に出来る事は何もない。この経験を生かして、生きていくだけだ。
私は今シーズン、とてもいい成績を収めている。
「中江萌仁香、昨年の全日本ジュニア最下位から、今年は6位入賞の大躍進。全日本への推薦枠を勝ち取る。元々優雅な所作が持ち味の選手だったが、今季はぐっと大人の雰囲気に。フリーではラフマニノフのピアノ協奏曲に合わせて情感たっぷりに滑り、観客を沸かせた」
私の事が書かれたネットの記事だ。こちらに戻ってきてから、全てがうまくいっている。東日本選手権を通過して臨んだ全日本ジュニア。SPでは50点、FPでは100点を超えることができた。お茶の間では70点とか160点とかとんでもない数字が飛び交っているが、あれは世界の頂点の話だ。
冬でも新鮮な食べ物があるし、お風呂はお湯がたっぷりだし、移動は車か電車だ。読み書きにも不自由しない。新しい靴にも交換した。フリーの衣装はお下がりのものだったので、全日本へ出場できたご褒美に新調してもらった。衣装屋のおばさんとうちのお母さんが夜なべしてラインストーンを貼り付けてくれたのだ。生活に不満は何もない。
今日は、全日本選手権の日だ。北海道から、東京へ家族総出でやって来た。
早朝の公式練習の時、取材の人がリンクに来ていて、私も何枚か写真を撮られていた。全日本選手権はリアルタイムで演技の結果を記事にされる。私が今晩どうなったか、明日の地元の朝刊に載るだろう。一般の観戦者も、すぐにSNSで感想をネットに載せる。一週間かけて手紙でやりとりなんて、ここではもう誰もしない。
『5番、中江萌仁香さん』
私の出番が来た。滑るのは最初の方なので、まだ客席も半分くらいしか埋まっていないし、もちろんテンションも温まっていない。皆が見たいのは中高生のクラブ活動ではなく、世界レベルの選手の戦いなのだ。
知ってる、知らない、無関心、頑張って。色々な視線が飛び交う。その中で、両親の姿を見つける。二人のために滑ろう、と思う。
はじめの旋律に耳を傾けて、懐かしいな、とすら思う。初めてアリョーシャと会ったのも、この曲で滑った時だった。あの時は、ずいぶん変な人だなと思ったっけ。
演技に不安はない。よく『全日本選手権のプレッシャーは独特』と聞いていたけれど、むしろリラックスして演技に臨むことが出来た。
全ての要素を危なげなくこなし、演技が終了する。
観客の何人かは、すぐに立ち上がり拍手してくれる。つられて、様子を見ていた他の観客たちも立ち上がり、拍手をしてくれた。
「萌仁香!すごかったよ!先生、コーチやっててよかった……」
田中コーチは涙ぐんでいる。もう10年も一緒にいる。親戚のおばさんぐらいの距離感だ。
50点台後半が出た。この点数なら、ほぼ間違いなくフリースケーティングに進める。通過できるのは24人。その中で真ん中ちょっと下ぐらいの順位になるだろう。シーズンが始まる前は、ジュニア選手権の時点で、いやもしかするとそこにすら出場できないのではと危ぶまれていたぐらいだから、大躍進である。
「見て見て!萌仁香、衛星放送で流れたんだって!地上波でも映っちゃうかも!」
テレビカメラが早い時間から入っていたのは知っていたけど、撮られているとは思わなかった。
「13位だもん、放送されないよ」
「んもー!大物っぽくなっちゃって!」
「見て!SNSの感想もいっぱいある!『ノーミス、クリーンな演技。人生二週目みたいな落ち着き』だって!」
親馬鹿ここに極まれり、って感じだけれど、お母さんが喜んでくれたのなら良かった。でも、コーチとお母さんがはしゃげばはしゃぐほど、これでいいのか?という思いが押し寄せてくる。私はストレッチをしてから、布団に潜り込んだ。スマホの画面はメッセージの通知がぴこぴこと忙しなく点滅している。友達も、わざわざ私の試合結果を調べてくれたのだろう。こんなにいろんな人に良くして貰っているのに、私は自分勝手で、薄情な人間だなと自己嫌悪に陥る。
まどろみの中で、私はまた夢を見る。
すっかり真っ白になってしまった宮殿に、セルゲイとヴァシリーサが立っている。目の前には、大きな氷の塊がある。目を凝らすと、その中に何かが入っているのがわかる。布に包まれた……あれは、人間の赤ちゃんだ。
『くそっ、昨日よりさらに縮んでいやがる』
『記録の上では、彼の父親もこのような状態になって、消えてしまったのですよね』
『そうだ。魔力を使い果たし、体が大人の姿を保てなくなって消滅する。普通なら痩せるぐらいで済むんだが、一気に使いすぎたんだ』
そう腹立たしげに答えるセルゲイの頬は、げっそりとこけている。向こうで何日経っているのかわからない。あんなに健康そうだったのに、今では病人のようだ。
『どうすれば……』
『分からん。ただ、感覚的なものなんだが、世界の裂け目を通して、まだ二人には繋がりがあるんじゃないかと思うんだ』
セルゲイは白くくすんだ氷に手をかざした。熱で、わずかに表面が溶け、中で眠っている赤子の姿がはっきりと見える。
そうだよ、私はここにいる。そっちに戻りたい。どうすればいいのか、教えてほしい。そう必死に話しかけようとするけれど、声が出ない。
『では、まだ助かる可能性はあるかもしれませんわね。人ではどうしようもない状況も、同じ様な存在で打開できるかもしれませんし』
ヴァシリーサの前向きな発言を聞いて、セルゲイは苦笑する。
『あんた、こういう状況なのにしっかりしてるよな。令嬢ってのは、すぐに卒倒するものだと思っていたよ』
『多分ですけれど……わたくしも、大精霊様に遊ばれているのだと思いますわ。この前、すれ違いざまに『その胸の炎、よう燃えるの。浅ましい』って笑われましたもの』
『根性があるって事か?いいことだ』
扉が開き、指揮棒を持った青年が顔を出す。
『お二人さん、演奏を聞きに来てくれないか。どうも、観客がいないと身が入らない。僕、今まで自分は孤高の音楽家だと思っていたけど、どうやら違ったみたいだ』
『最近、夢を見る事が多くてさ。その物語に触発されて、新しい曲を作ったんだ。結婚式にぴったりな曲だと思うんだけど。リハーサルがてら聞いてほしい』
『まあ。是非聴かせてくださいな』
『本番で演奏する機会があればいいな』
『芸術家って、基本夢みがちだから。僕はいつでも大団円を願ってる』




