43話 氷の都(別視点)
別視点での話になります。読まなくても、大筋のストーリーに影響はないかと思います。
「くそっ、巡回してるだけで1日が終わっちまう」
セルゲイ・コーチは分厚い毛皮のコートと帽子を身につけ、宮殿内を歩き回っている。柱にも、壁にも、天井にも豪華な彫刻や絵の施された廊下を、どしどしと音を立て、歩く。彼の事を田舎者、成り上がりと陰口を叩く役人も、貴族ももう居ない。一際豪華な金色の扉を開くとそこは音楽ホールになっていて、オーケストラの人々が椅子に腰掛けていた。その中で、一人だけピンと背筋を伸ばして立っている金髪の青年がいる。彼は振り向き、眩しげにセルゲイを見つめた。
「よう、騎士様。元気そうだね。今はどんな美女より、あんたが来てくれるのが嬉しいよ」
「ラザレフ殿がそんな情熱的な事を言うようになるとはね」
セルゲイは、か細く燃える暖炉に手をかざす。すると、暖炉の火がごうごうと燃え始めた。音楽家達はその火の周りで身を寄せ合う。
「ここは変わりがなさそうだな」
ぐるりと全体を見渡して、変わらない顔ぶれなのを確認する。
「そうだね。頭数が減ると演奏できる曲も限られる。大聖霊様は我々に手心を加えてくださっているようだ。才能がありすぎるのもいいのか悪いのか……」
ラザレフはため息をつき、楽譜をパラパラとめくった。皇帝お抱えの宮廷楽団は、今や大精霊のための音楽を奏でる事が仕事だ。
「セルゲイ様、おはようございます」
隣の部屋から、冬服を着込んだヴァシリーサが現れる。
「あんたも元気そうだな」
「はい。なんとか」
ヴァシリーサは、二重にしていた手袋を脱ぎ、セルゲイに手を差し伸べた。その手を、無言で握り返す。令嬢の手は、日毎に冷たくなっていく。
「昨日より、悪くなっているな」
「そうでしょうか……」
大精霊が現れた日、帝都は一瞬にして雪と氷に閉ざされた。猛烈な吹雪が襲い、帝都に入ることも、出ることも不可能になり、冬支度の最中だった人々は凍え、あっと言う間に倒れていった。
「でも、凍死って訳でもないんだろう?」
そう。弱った人々は、死んではいない。ただ、眠っているのだ。まるで春を待つ獣の様に、静かに眠っている。
「体力がどうこうって話でも無い。団長はとっくの昔におやすみだからな」
すでに帝都の大多数の人間は眠りにつき、残った人々は宮殿や教会、貴族の館など大きな建物に避難し、身を寄せ合っている。
「俺なんてまっ先に消されてもおかしくないんだがな……」
『それはのう、わらわはお前をなかなかに気に入っているからの。すこぅし前に暇つぶしに使っていたあの番と同じ匂いがする。魔獣と戦わせたりして、よく遊んでやったものよ』
ふわりと冷たい風が吹き、暖炉の火が消える。音楽家達はペンギンの雛の様に固まり、震える。
「それは俺の両親です」
セルゲイは普段と変わらず、ぶっきらぼうに返答した。彼はこの性格なので、初対面の人間には大抵怖がられていたが、別段直す気もなかった。そもそも大精霊に媚びた所でなんの意味も無いのだ。
『おやおや、そうか、どうりで。案ずるな、鼠よ。死んだ後はわらわの宮殿で飾ってやるからの』
大精霊の、甲高い笑い声がホールにこだまする。
「ありがたき幸せ。そのうち両親が斧を持ってやって来るでしょうから、家族一緒に飾ってくださるとありがたいですね」
セルゲイはせめてもの反抗を口にして、その場を去った。次の巡回場所に行かなければいけないからだ。
『ほほほ。わらわの宮殿を、火鼠がやっきになって走り回るのを見るのは面白い。そら坊主、次の曲だ。何だったかの、『天国と地獄』だ。あやつが走り回っている間、それを演奏しろ』
「御意。大精霊様の御心のままに」
『案ずるな。喉も、指も痛めつけはせぬ。小夜啼鳥が壊れてしまっては、わらわも悲しいからの』
ラザレフは、訓練に訓練を重ねて会得した、営業用の笑みを顔に貼り付けた。もちろん媚びなどなんの意味もない事はラザレフも理解しているが、彼の今までの人生がそうさせた。
『よい。その顔。よく躾をされておる』
再び、機嫌の良さそうな笑い声が響き、オーケストラの演奏が始まった。その音楽を背に、セルゲイは走り回っていた。
もはや、大多数、いやほぼ全ての人は公爵家の庶子や、それについて来た風変わりな娘の事などすっかり忘れ、日々、いつ来るともわからない眠りに怯えている。
セルゲイは炎の魔法が使える。母エカテリーナが偶然手にした魔力が、何の因果か息子にも遺伝した。
毎日、毎日、宮殿中を駆け回り、火の消えた暖炉に火を灯す。大精霊にとって、人間一人が作りだす炎など、一息で全て消し去ってしまえる。それをしないのは、ただの戯れだ。『火鼠』と揶揄されたように、自分が躍起になっている様を眺めて、楽しんでいるのだ。
一日毎に、身体中の肉がげっそりしていくのがわかる。自らの生命力を魔力に変換して、炎を燃やしているからだ。しかし、宮殿のそこかしこに固まって震えている人々は、毎朝セルゲイが炎を灯しにやってくるのを心待ちにしている。彼にはそれが、無意味な事だとは到底思えなかった。
中庭に出る。そこには、氷漬けにされた風変わりな異国の男女の像があり、これまた氷でできた看板で『道化』と書いてある。なんとも悪趣味な話である。自分がここに飾られる時は、何と名前を付けられるのか、と考えただけで血が冷えていく。
その像を眺めている、一人の男がいる。ニコロと名乗る、公爵家お抱えの役人だった男だ。もはや公爵はこの世におらず、事務仕事も全く機能していない。大多数の人間にはやる事がない。ただ、じっと春が来るのを待っているだけだ。
セルゲイはこの冷たい空気を纏った男が元々気に食わなかった。じっとりと、じめじめして、女々しい雰囲気の官僚が、何が楽しくて生きているのかわからないこの男が、嫌いだった。
春が来て、彼が自分の故郷へ調査に行き、様々なものを持ち帰ったと聞いた時は肝が冷えた。
「おい、ぼーっとつっ立ってないで、何かいい案の一つでも出せないのかよ。公爵の首でも満足しないんだから、お前の首なんぞいらねえだろって事で一発逆転の妙案が出る方に賭けてんだぞ」
セルゲイはイライラしながら声をかけた。元々低い好感度が、今や氷点下だ。なにせ、自分の家が襲撃されて、家は焦げ付き、村からやってきた妖精は溶けてしまい、妹分は連れ去られる。ひとつとして良い印象が無い。仕事と言っても限度がある。
「俺たちは、一山いくらの芋だ。自分で自分の運命を切り開く事なんて、できやしない」
ニコロは、セルゲイの方を見ずに、地獄の底にいる様な声でそう呟いた。
セルゲイは、自分は流石にじゃがいもより良いものだと反論したかったが、いい返しが思い浮かばなかった。
「お前は芋を甘く見過ぎだ。これだから都会の人間は困る」
ジャガイモだって、出るところに出れば美しい宝飾品より価値があるのだ。そう自分を奮い立たせて、セルゲイは宮殿の中を再び巡回し始めた。
あと3話です。今日中に完結したい……




