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41話 冬の大精霊

R15ほどでも無いと思いますが、一部過激な描写があります。

「え……」


 背後の人は何なのか。何故そんなに冷たい目をしているのか。声が出ず、数歩後ろに下がる。


「かえれ!うらぎりもの!」

 ジェーニャがふわふわの金髪が逆立ちしそうなくらいの勢いで声を出すが、ニコロの表情はピクリともしない。衛兵が持っている松明の火が、ジェーニャに向けられる。彼女は身じろぎをして、怯えの色を見せた。


「子供はいい。女だけ連れていけ」


 その言葉を聞いて、兵士達が室内に雪崩れ込んでくる。


「やっ……」

 腕を強く掴まれる。怖い。ジェーニャ、ベルを取ってきて。そう言いたいのに、口が動かない。


「はなしてー!」

 ジェーニャが私と男の間に割り込み、引き剥がそうとする。もちろんそんなこと出来るわけもなくて、小さな体は蹴り飛ばされ、暖炉にぶつかる。


 危ない。


 火傷をする。そう思った瞬間。


『しゅっ』と嫌な音がして、部屋の中が水蒸気でいっぱいになる。


「ジェーニャ!」

 何が起きたのかはわからない。でも、何か恐ろしい事が起きている、そんな予感がする。動揺している兵士の手を振り払い、暖炉の方に手を伸ばす。



「も、もに。もにか」



 水蒸気の向こうから、ジェーニャの手がこちらに伸ばされる。指の先から、ぽたぽたと滴が落ちている。その手を掴むと、ぬるりと冷たい水が指の間を流れていった。


「ジェー……?」


 だんだん視界がはっきりしてくる。


 そこに確かにいたはずのジェーニャは、春先の雪だるまの様に半分溶けかかっていた。


「え……」

「も、に、にげ」


「ひっ!溶けた、溶けたぞ!」


「なんだこいつ!化物か!?」


「落ち着け!これが『氷娘』だ。戦闘能力はない。放置すれば消える」


「ジェーニャ!ジェーニャ!」


「も……」

 ぼろりと腕は崩れ落ち、目には光がなくなった。


 何、これ。何なの?コオリムスメ?ジェーニャが『氷娘』だった?


 何とか、何とかしなければ。誰かに助けて貰おう。雪と氷でできているのなら、そう、アリョーシャに頼もう。そうすれば、きっと、何もかもが元通りのジェーニャに戻るはず。


 どんどん溶けていく氷を、床にシミの様に広がっていく水を、かき集める。けれど、全く何の手応えもなくて、後には彼女の着ていたワンピースと靴だけが残った。


「何……これ……」


 連れていけ、という声と共に私の体に縄がかけられる。抵抗する気力がわかず、大人しくされるがままになる。


「ジェーニャ……どうして……」


「見てわからなかったのか?あいつこそがヌヌガフ村の氷娘だ。ずっと人間のフリをしていただけだ」


「何が……目的なの?どうしてこんな事を……」


「それが俺の仕事だ」


 ニコロは手に持っていたヴァイオリンを暖炉に投げ捨てた。か細い炎が嘘のように、ヴァイオリンはメラメラと燃え始めた。


「旅の音楽家なんて、嘘だよ。俺は公爵家に仕える諜報員。アレクセイの情報を探すためにあの村にいた。それだけだ」


「嘘……」


「嘘なもんか。これが現実さ。ま、楽譜は高く売れたけどな。お前を公爵様の元へ連れて行く」


 私を見下ろすニコロの目は、びっくりするほど冷たい目をしていた。



 私はぐるぐるに縛られ、麻袋に突っ込まれて馬車に乗せられた。やがてどこかの建物の中に運ばれ、床に乱暴に転がされる。


『そら。お前を追ってきた村娘だ。こいつを殺されたくなければ大精霊を呼び出すのだ』


『村娘……!?まさか』


 見知った声がして、袋の口ががさがさと開けられる。眩しさに目を細める。


「モニカ……」

 袋を開けたのは、アリョーシャだった。布で口を縛られているので、喋る事ができない。布をほどかれ、抱き抱えられる。服装が変わっただけで、変わらないアリョーシャがそこにいた。


「ジ、ジェーニャが……扉を開けるな、って言われてたのに、わたしが」

 言いたい事は、叫びたい事はいくらでもあるのに、それを言うだけで精一杯だった。優しく背を撫でられ、ほっとしたのと、自分の馬鹿さ加減に涙が出てくる。


「大丈夫。精霊様の元へ戻っただけだから……彼女は妖精だから、僕たちとは違うんだ」



「さっさとしろ!精霊を呼び出せ!」

 いらいらと、足を揺らしている男性がいる。この人が公爵だろうか。アリョーシャは彼に冷たい視線を向ける。


「何度説明すればわかるんですか?大精霊はすべての冬の精霊の全てにして頂点。貴方の感情で制御できるような存在ではありません。皇帝陛下はこのことをご存知なのですか?」


「ふん!そもそも、皇帝になるべきはあの青二才ではなく、本来はこの私のはず。父は私が生まれた時王太子だったのだぞ。それを叔父上なぞに……」


「まだその様な事を仰っているのですか」


 アリョーシャの声には、今まで聞いた事が無いような怒りの色を感じる。


「大聖霊の力を意のままに操る事ができれば、帝都を掌握することなぞ容易い。弟は使い物にならなくなったが、お前がいる。栄光あるヴィニャフスキ公爵家の一員として、一族の繁栄に努めるのがお前の使命だ」


「貴方は、本当にご自身が大精霊の力を制御できると思ってらっしゃるので?」

「そのために、火事のどさくさで宝物庫から神器を盗み出したのだ」


 公爵は、手に持った鏡をちらつかせる。


「昨日の火事、わざとだったの……?」


「何て愚かな事を。人間は、ただ、精霊の庭で勝手に生活しているだけに過ぎない。人間から見た、庭にいる小鳥のようなものです。『害』とみなされれば、駆除されかねない」


「貴方は貴族だから、精霊……いえ、自然の恐ろしさを理解していない。人ならざるものにとっては、身分や財産など、なんの価値も無いものなのですよ」


 公爵は腰に下げていたサーベルを引き抜き、切っ先をこちらに向けた。


「ええい、売女の腹から産まれた庶子の分際で、偉そうに。魔法が使えるのがそんなに偉いか?美しい、それだけで愛されるべきなのか?弟は確かに美しかった。魔法の才もあった。しかし、『ただそれだけ』だ! お前もそうだ! 代わりに努力し、人知れずこの国を支えて来たのは私、この私、私だ! 認められるべき、崇められるべきは私だ! 不敬罪で二人とも殺してやろうか!?」



『そんなことはどうでもよいわ』



 聴き慣れない声が突然響き、室内の気温が急激に下がる。思わずアリョーシャにすがろうとするが、縄で縛られているのでうまくいかない。



『わらわにとっては、お前が不愉快。ただそれだけじゃな。騒がしいと思って出てくれば、まあ醜いこと……』



 神器と言われた鏡から、美しい女性が現れた。一目で『人間ではない』と分かる。


「大、精霊……」

 アリョーシャが絞り出すような声で言う。



『おや、あの老いぼれが育てていた赤子かえ。田舎臭い顔をしておるの。まあ、ちょうどよい。『使う』ぞ』



 大精霊はそう言うと、アリョーシャから視線を外した。その途端、「ぐっ」と小さなうめき声が漏れる。


「ど、どうしたの?」

「大丈夫……魔力を持って行かれただけ、だから」


 アリョーシャは無理に笑ってみせたが、額には脂汗が浮いている。どう見ても大丈夫ではない。


「な……何かされたの?」

 背中を撫でてあげたいが、芋虫の様なこの状態では何もしてあげられず、ただ見つめることしかできない。……あれ、こんなに若かったっけ?なんだか違和感がある。


『わらわは冬の全てを司る大精霊。すなわち、他の精霊、その末端にいたるまでわらわそのものと言える』


『お前がこの国を統べるべきというのなら、部下がしでかした事にも責任をとって貰わねばならぬ。わらわのお気に入りの宮殿と教会を壊した罪、あとは、一応は我が眷属である氷娘を溶かした罪もつけておこうかの』



「し、知らない!私はそんな事やっていない!」


 公爵は私たちの影に隠れようとする。そんな事をしたって無意味な事ぐらい、私にも本能で理解できる。


『統治者というものは、全ての責任を負うものなのだろう?』


 部屋の窓ガラスが割れ、吹雪が部屋の中に入り込んでくる。目が開けられない。


「な、な、何がどうなってるの」

 真夏のはずなのに。ひどい吹雪で、体があっと言う間に半分ほど埋まってしまう。


「モニカ。急な話だけど。今から君を元の世界へ返す」


「へっ」


「ずっと、考えていたんだ。可能かどうか不明瞭で、何も言えなかったけど……」


「ま、待って!これからどうなるの!?」

 私、まだなんの説明も受けていない。話さなければいけない事が、たくさんある。


「大丈夫。僕がなんとかする。ここに残っていると……」

 氷の粒が肌を刺す。痛みに、身体中をかきむしりたくなる。喉の中まで凍りそうで、うまく息ができない。


「ろくな事にならない」

 私に向かって笑いかけるアリョーシャは、明らかに子供の姿になっている。『魔力を持っていかれた』彼は確かにそう言った。魔力がなくなると、どうなるのか。舌がうまく回らない。


 とうとう呼吸が出来なくなり、そのまま目の前が真っ白になった。



夜にもう1話更新予定です。

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