33話 森のあばれ牛
村に米を持ち帰る事が出来たので、我が家での食事のレパートリーは大幅に増えた。オムライス、チャーハン、おにぎり、お粥、パエリア等。
「これ、なかなか美味しいじゃないか。パンと違って炊いてしまうと日持ちはしないけど、スープにも合うし。いい買い物だったね」
カーチャも米を気に入ってくれ、また見かけたら買おうと話がついたが、お寿司が食べたいと説明すると変な顔をされた。誰に言っても「生の魚を、これに乗せて食べるの?」と引きつった顔で言われるのだ。ヌヌガフ村は内陸部なので、新鮮な海の魚は手に入らず、もっぱら川魚だ。私だって魚に寄生虫がいるから、なんでもかんでも生で食べられない事ぐらいは知っているので、寿司作りにチャレンジしたりはしない。
「それでさ、イクラってあるじゃん、鮭の卵の。あれを米に乗せて食べると美味しいの」
私はアリョーシャと近くの森にキノコ採りにきている。食糧が冷凍保存できるようになったからと言って、冬場に新しく食べるものがないのは変わらない。
「醤油がないからなー。大豆はあるけどさ、私じゃ作り方もわかんないし」
「モニカの国にはいろんなものがあるんだね……」
他の人は結構興味深そうに私の話を聞いてくれるけど、アリョーシャは大体いつも微妙に悲しげな表情をする。
「秋になったら街に行ってイクラのしお」
「モニカ」
話を遮るような声に身構えてしまう。あ、これ絶対後でモヤモヤする前兆だ。
「なに?」
「……元の世界に、帰りたいと思う?」
その質問には答えられなかった。私には選択権がないのだ。来るのも、帰るのも。アリョーシャはいつもこうだ。優しい声で、私が悲しくなるような事を言う。
「そんな事聞いてどうするの。精霊様が無理って言ったんだから仕方ないじゃない」
そう、どうにもならない事なのだ。何故そんな事を言うのか。日本の事なんか、すっかり忘れてここで暮らしなよ、そう言って永遠に触れなければいいのに、いつも蒸し返すのだ。思わず不機嫌になり、そっぽを向いてしまう。
「ごめん」
「……」
「……」
嫌な沈黙が流れる。私、本当に自己中で嫌な奴だな。謝ろう。そう思った、その時。
「モニカ! 後ろ!」
「へっ?」
鋭く叫ばれて、背後を振り向くと、木々の向こうに見たこともない大きさの牛がいた。
「はい?」
村の牛にしては、ちょっと凶暴そうだな。品種が違うのかな。こちらに歩いてくる牛の足元に、氷が出現する。つるつる滑るのか、巨体は歩みを止めた。
「あばれ牛だ! 逃げるよ!」
「あば、え、何? 野生の牛?」
アリョーシャは私の手を引いて走り出す。スケートが下手だった印象が強すぎて甘く見ていたが、陸上だと思いの外足が早い!見た目のせいで忘れていたけど、この人、山育ちだったわ!訳もわからず、村に向かってとりあえず走る。ややしばらくして、森の入り口あたりで遊んでいる女子たちが見えた。
「あばれ牛が出たぞーーーー!!」
「きゃー!!」
アリョーシャ、そんな大きな声が出せたの!?意外性がありすぎる。その声を聞いた女子たちは台風で吹っ飛ばされた花の様に、散り散りになって走って行った。間髪入れず、後ろから「んもおおおおおお」とキレた感じの雄叫びが聞こえる。
「追ってきたの!?」
後ろを振り向くと、牛はもたもたしながらも、こちらをまっすぐ追いかけてくるのが見えた。
「えええ!? これ、このままだと村に突っ込んでこない!?」
「村まで来れば、大叔母さんがなんとかしてくれる」
「カーチャ!? なんで!?」
実は猟師か何かなのか。そもそもあばれ牛とは何なのか。状況についていけないけど、とにかく逃げるしかない。木の根を飛び越えるように走り、村の敷地内へ転がり込む。
「あばれ牛だってー!?」
今度はおっさんたちがこっちに斧を持って走ってきた。ヤバイ。
「んもー!」
牛は足元が滑っている事に、かなりの苛立ちを感じているようだ。フガフガ鼻を鳴らし、氷を踏み割りながら、こちらに追いすがってくる。
「柵は諦め! こっちに誘いこんでから、閉じ込めるぞ!」
「村長は!?」
「今向かってる!」
おっさん達の怒号が行き交う。私は状況がさっぱりわからず、おろおろしている。とりあえず、人里に熊が出た的なノリでいいのかな。この村には銃はなさそうだから、どうやって倒せばいいのかわからない。
「わ、わたしたちどうするの!?」
「アリョーシャ! 氷で刺とか作れねえのか!」
隣にいる私の質問をかき消すぐらいの大声で、鍛冶屋の叫び声が聞こえる。それと同時にどこからかビュンビュン矢が飛んでくるので、私は民家に張り付き、少しずつ前進する。牛に襲われる前に味方の矢に当たったらシャレにならない。
「今やります!」
牛が木の柵を壊して、村の畑に躍り出る。その足元に、無数の刺が出現する。流石に怖気付いたようで、動きが鈍くなる。
「おおっ、止まってる……」
ここから、マンモス猟よろしく皆でチクチクやっていくのかしら。そう思った瞬間、牛の脳天に何処かから飛んできた炎を纏った斧が突き刺さる。そのままの勢いで牛は地面に叩きつけられ、その衝撃で氷も全て溶けてしまう。
「は?」
目の前の光景がさっぱり理解できない。ぼーっと見ていると、黒い体がびくりと跳ね、そのまま動かなくなった。燃えたままの斧を悠然と引き抜き、天に掲げる人影がある。見間違えようがない、あれはカーチャだ。
割れるような村人達の歓声。
「さすが村長だ!」
「『爆炎のエカテリーナ』は伊達じゃねえな」
「村長、かっこいー!」
「え?なにこれ?」
私だけが、村人達のテンションに取り残されている。
「モニカ、知らないの?大叔母さんの事」
アリョーシャがえ、なんで知らないの?みたいな顔で話しかけてくる。わかっていないのは私だけみたい。
「エカテリーナさんは、その昔各地で魔獣を倒しまくった有名な戦士だ。おとぎ話にもなっているくらいだよ」
「ここってそういう世界だったの!?」
そんな話聞いてないぞ。いやちょっと聞いたかもしれないけど。
「そういう世界……って? モニカの故郷では、猛獣が畑を荒らしたり、人を襲ったりしないの?」
「よく考えたら普通にあったわ」
現代日本でも、イノシシやヒグマ、シカの被害はある。私がないものとして扱っていただけの話だ。世界のどこかの海にはまだ海賊もいるらしいし。
「『恥ずかしいからやめな』って言われるから、村でわざわざ話す人はいないね。だからモニカが知らないのも無理はないよ」
仕留めたあばれ牛は、村のみんなで食べるらしい。もしかして今まで牛肉だと思って食べていたものはこいつだったのか、と思ったけど、ちゃんと乳牛や肉牛は家畜化されたものがいるらしい。ぼーっと見ていると、どんどん牛は解体されていく。角や皮は加工品に。骨はスープに。脂肪は油にされ、残りかすは肥料になる。捨てるところは何もないのだそうだ。
「冬は寒いけど、雪のおかげでこういうのが出ないからね。久しぶりにいい運動になったよ」
「カーチャ、強かったんだね」
強い、というか、斧が燃えてたよね?カーチャの手にあるものは全く普通のものに見える。持ち手も焦げてないし。
「そうさ。あたしが炎を灯して投げたものは、絶対に敵に当たる……」
そう言って、ボッと斧に火を灯す。
「それ、もしかしなくても魔法?」
「そうだよ」
カーチャが魔法を使えるとは知らなかった。衝撃の展開すぎる。ここそういう世界だったんだ。
「魔法が使える人ってそんなにいっぱいいるの?」
アリョーシャの方を振り向き、問いかける。
「うーん。セルゲイさんも使えるよね。やっぱり、遺伝っていうのはある程度関係するみたい」
「あたしのは後天的なものなんだけどねえ。昔、ちょっとしたいざこざがあってさ」
この村では他にいないらしい。魔法が使える人は、大抵帝都に行くのだとか。ちょっとしたいざこざについては触れないことにした。
「まあ、魔法なんてなくても魔獣とは戦えるさ。モニカもそろそろ戦いの練習を始めてもいいかもしれないねえ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! そういう展開は求めてない!もっとおしとやかな方向でお願いします!」
「そうかい?モニカなら立派な猟師になれると思ったんだけどね。護身術にもなるし」
「もっと女の子らしい仕事がいい!」
「だってあんた、裁縫も編み物もパン作りもやる気ないじゃん。絶対肉体労働の方が向いてるよ」
「そうそう。猟師が嫌なら漁師はどう?アレクセイと出稼ぎに行ってさ、新鮮なカツオとかマグロを持って帰って来てよ。そしたら『ツナマヨパン』が作れるわけでしょ?」
「そんなぁ……」
後から手伝いにやってきたオリガとソフィアだ。私の扱いがひどい。このままだと、本当に筋肉キャラになってしまう。キラキラふわふわほっそりの女の子の夢を凝縮したようなフィギュアスケーターのイメージからどんどんかけ離れて行く。
「おかしい……おかしいよ。私、昔はこんな扱いじゃなかったのに」
このままだとマタギか、マグロ漁船に乗せられてしまう。いやでも、魚が手に入るならやぶさかでもないかもしれないなと思い始める。
「アリョーシャ、私が港町に行きたい時はついて来てくれる?」
「へっ、港?移住?あ、旅行か。うん、いいよ。モニカの行きたいところならどこでも」
私のわがままに、アリョーシャは満面の笑みで返事をしてくれた。びっくりするぐらい、いい笑顔だ。手にドミトリから渡された牛の目玉を持っていなければ、もっといいシチュエーションだった。
「ありがと! 魚いっぱい持って帰ろうね!」
「魚?」
アリョーシャは何故魚の話題になったのかわからない様子で、私を見て、解体されている牛を見て、最後にドミトリを見た。その仕草が妙に可笑しくて、私は思いっきり声を上げて笑った。
バトル物にはなりませんよ……!




