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31話 街へ行こう

「モニカ、街に行ってみない?」

「え、街?」


 季節は春から夏に変わり始めている。そういえば近くに大きな街があると聞いたことはあるけれど、もちろん行ったことはない。こちらに来てから、買い物と言えば食料品で、いわゆるショッピングを全くしていない。


「お金も結構貯まったし」

「え、給料出てるの……?」


 私の収入源はカーチャがくれるお小遣いと、子供たちの相手をして貰える、いわゆる保育料とか習い事代だ。とは言っても、ささやかなものだけど。使う当てがないからひたすら貯まっている。


「私、あんまりないよ。貯めてはいるけど、お給料って言えるほどじゃないし」


 私の身分は家事手伝い、もしくは農家手伝いと言ったところだ。まあ、読み書きが幼児レベルだから仕方がない。カーチャは、「セルゲイはともかく、アルトゥルが帰ってこないんだから、あんたが手伝ってくれるだけで大助かりなんだよ」とは言ってくれているけれど。


「何を言っているの。僕が働きに出ていけるのは、モニカが大叔母さんの手伝いをしてくれているからだろ。家事もやってくれているし。だからこれは、二人で稼いだお金なんだよ」


「そんな……ありがとう」

 はいそうですか、と素直に受け取るあたり、私はやっぱり厚かましいのだと思う。街ってどうやって行くのかな。日帰りでは無理だろうから、それって旅行って事になるのかしら。そう考えると、ちょっとドキドキしてしまう。



「靴屋の一家とオリガも街に行きたいと言ってるから、馬車を出してみんなで行こうって話になっているんだ」


「あ、そう。いいよ。うん」


 さっきまでのときめきを返してくれ。何の事はない、出稼ぎみたいなものだ。あれだな、多分、荷物運びのバイトみたいな感じだろう。


「良かった。天候が悪くなければ、明後日になると思う」

「わかった」


 私は特に売るものは何も持っていないので、準備する事は特にない。農作業に励んでいると、二日後はあっと言う間だ。


 当日の御者はイリヤ爺さん。タチアナ婆さんの旦那さんだ。イワンと、その子どものドミトリ、姉のパン屋のソフィア。オリガとアリョーシャ、そして私。総勢7人の大所帯だ。早朝のうちに出発する。そうすれば、野宿をしなくても街に着くからだ。ソフィアとオリガの間に座る。売るものを運ぶと言うより、荷物の間に自分たちが座っている、と言った方が正しい。イワンは後ろの出入り口付近、アリョーシャは御者台のイリヤ爺さんの隣に座っている。何かを話している声が聞こえるが、内容までは聞き取れない。


 ガタガタと馬車は揺れる。ドミトリは木箱を綺麗に並べて、その上で眠っている。器用なやつだ。それを眺めていた姉のソフィアが唐突にこちらを向いた。


「モニカ、何か買うの?」

「え、何もないけど。アリョーシャが行こうって言うから」

「あんたスケート以外に趣味ないの?」

「ないよ」


 ソフィア、あんただってパン作り以外に趣味がないでしょうに。そう言い返そうとすると、無表情でパンを齧っていたオリガが会話に参加するそぶりを見せた。


「あたしは、そろそろ婚礼用の布を用意しようかなと思って。腐るもんじゃないしさ」


「誰か結婚するの?」

「……いや?まだしないけど。そうなるのかなー、って私が勝手に思ってるだけ」


「オリガ、誰かと付き合ってるの?」

「いや?」


「えー、じゃあ誰?教えてよ」

 ソフィアは違う。彼女は私が現れる前に、パン屋に嫁に行っている。ずっと孤高のパン職人だと思っていたけど、とうの昔に人妻だったのだ。


「私が言っても意味ないし」

「えー、そんなー。気になる」


「自分の胸に手を当てて、よーーーーーーく考えてみろよ」

 てっきり眠っていると思っていたドミトリが面倒臭そうに言う。


 よく考えたが、該当する女性がわからない。知らない人か、男性が結婚してお嫁さんが他から来るという説もあり得る。


「んー……あ、わかった。セルゲイだ。お嫁さんを連れて帰ってくるかも」

「はあ。お前、運動以外はてんでダメだな」

「だめだこりゃ」

「まあ布は腐らないから」


「な、何よ……」

 皆が私に冷たく当たるので、パンをやけ食いしてからブランケットを頭の上から被って寝た。



 午後には街に到着した。立派な外壁がある。村は木の柵なので、圧倒的都会度だ。


 ソフィアはマヨネーズを、イワン親子はスケート靴を売り込みに行くらしい。アリョーシャが魔法を使えることは村の外には隠しているので実演できないのが残念だが、見てもらえればわかる、とイワンは自信ありげだった。まあ、営業トークはドミトリが何とかするだろう。イリヤ爺さんは面倒くさいから寝るらしい。元々この街出身だから珍しくもなんともないとのこと。


 私はアリョーシャと市場をぶらぶらすることにした。2人して村から出るのが初めてなので、完全におのぼりさん状態だ。まず人の量が違う。あと歩道が石畳になっている。建物が高い。興奮しながら、まずは衣料品や装飾品のある通りを物色する。


「うーん」

 素敵な服はいっぱいあるけれど、わかったのはオリガは破格で服を仕立ててくれている、という事だけだった。値段が高い。靴も同じくだ。


「珍しい食材とかあるかもしれないよ」

 アリョーシャに手を引かれるまま、食料品売り場のあたりまで足を伸ばすと、確かにに村では栽培していない果物や野菜が置いてあった。


「夏のうちに、たくさん用意しておきたいね」

「そうだね」


 目新しいものはないかと、きょろきょろを目線をさまよわせる。その時ふと、ミルクがゆを売っている店が目に止まった。というか、店の人がこちらを見ていることに気がついた、と言った方が正しい。ちょいちょいと店主らしきおじさんが手招きをしてくるので、つい近寄ってしまう。こういうの、カモって言うのかもしれない。


 おじさんは私ではなくアリョーシャを見ている。美青年愛好家だったのかしら。別に不特定多数にモテたいとは思っていないが、やはり若干傷つくのが乙女心だ。


「あ、あんた。3年ぐらい前に、ヌヌガフ村の近くで行き倒れを助けなかったか?」

 その問いに、アリョーシャは顎に手を当てて考え込む。


「そんな事も……ありましたかね。馬車が雪で埋まっていた人ですか?」

「ああ、ああ、やっぱりあんたか。意識が朦朧としていて、幻覚を見たのかと思っていたんだ。でも、埋まってたはずの馬車がいつのまにか小屋に移動しているし、焚き火がついて毛皮に包まれていたし、当時は何が何だか、って感じで。精霊さまのお助けかと思ったが、実在の人間だったんだな」


 おじさんは祈りのポーズをし、顔をほころばせる。

「一目見て、すぐにわかったよ。あんた、びっくりするぐらい顔がいいもんな」

「そうですかね……?」


 アリョーシャは顔がいい。とにかく顔がいい。自分の顔に思うところが何もないからなのか、「モニカはかわいいよ」とか真顔でとんでもない事を言ってくる。一度言われて以来、惨めな気持ちになるから人前では絶対に口にしてくれるなと言ったぐらいだ。


「帝都じゃ、そういう線の細いのが人気なんだってよ。な?嬢ちゃん」

「うん。アリョーシャは顔がいいよ。私、こんなに顔が綺麗な人初めて見たもん。ちなみに性格もいいよ」


「ちょ、ちょ、ちょっとモニカ、ななななんてことを」

 アリョーシャの顔が真っ赤になる。色白なので、すぐに顔色が変わったのが分かるのだ。


「ぎゃはは!!! 惚気るねえ!!!! ま、とりあえず、一杯食べていきな。お代はいらねえからよ」


「あ、どーもどーも。いただきます」

 私は粥を受け取った。ずいぶん白い。大概は茶色いソバの実がめちゃくちゃ主張してくるんだけど。


「……んん?」

 木のスプーンでひとさじ口に入れる。甘くて、どろっとして、いつものミルクがゆだ。でも何かが違う様な気がする。


「なんだか、妙に柔らかい……なにか違うものが入っている?」

「そうだろー?この辺じゃ、この町でしか買えないんじゃねえかな」


 男性同士の会話に耳を傾ける。東の方の穀物で、と聞こえたあたりで私の脳に衝撃が走る。


「こ……米?」

「おっ姉ちゃん、よく知ってるねえ。そう。コメとか言ったかな。あんま売れねえから頼まれて買ってんだよ。結構うまいと思うんだけどな」


「こめ!!」

「いきなりどうしたのモニカ!?」


 アリョーシャはドン引きしている。彼のこんな顔は初めて見たかもしれない。自分でもこんなところで日本っぽい物に出会うと思っていなかったので、思考に言葉が追いつかない。


「モニカ、これ気に入っ……」

「こめ!!!!! お米買って!!! お米買ってアリョーシャ!! お小遣いを! 全部米に!!」

 私はアリョーシャの両肩を掴み、ガクガクと揺さぶる。


「ま、ま、まってモニカ。買う、買う、いくらでも買うから。少し落ち着いて」

 一度深呼吸して、隣の屋台で果実水を買う。こっそり魔法で冷たくしてもらって、一気飲みする。


「落ち着いた?」

「うん」


「私の住んでいた国の主食なの。村にはないから、すっかり忘れていたんだけど、あるって聞いたら急に食べたくなっちゃって……」


「そっか。懐かしくなったんだね。いいよ、買って帰ろう。帰りの馬車の空き具合によるから、皆と相談してからになるけれど。極力たくさん持って帰れるように交渉してみるよ」


「うん。米を買って帰れたら、新しい料理、たくさん作るよ」

「それはすごく魅力的だね。みんなも喜ぶよ」


 いったん米を売っている店を紹介してもらい、その場を離れる。途中、偶然にも靴屋の親子三人組と合流する。ドミトリとソフィアは新しい料理と聞いて、目を輝かせた。


 市場の穀物売り場に、確かに米はあった。しかし日本より大分高い。感覚として倍ぐらいだと思う。この辺りではほとんど栽培していないので、仕方ないのかもしれない。


「ううぅーん」

 私は首を捻る。お米は高いし、場所を取る。こんな事なら、音楽を提供した時、もっとニコロから金をせしめておくんだった。今頃、絶対に帝都で荒稼ぎしているはずだし。


「モニカ、大丈夫? 故郷の事を思いだ……」

「え、大丈夫。ちょっとニコロの事を考えてた」

「え……」


 別に日本の事を思い出してホームシックになった訳ではない。米を定期的に入手するための収入源について考えているだけだ。気がつくとアリョーシャが視界から消えていた。


「おいモニカ。お前ホント、わかってねーよな」

「え?何?」


 アリョーシャはドミトリによしよしと背中をさすられていた。このふたり、妙に仲がいいんだよね。


「ま、大人になったあかつきには俺に感謝しろよな」

「何でよ?」


 男の子って本当、よくわからない。私はふたりの事を考えるのはやめて、再現出来そうな米料理について考えることに集中した。


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