28話 オーロラを追いかけて
お祭りの日が近づいてきた。精霊様は関係ない、元々予定されている春の訪れを祝うお祭りだ。楽団はそこでピアノ協奏曲を演奏するらしい。普段はピアノはパーヴェルさんが弾くらしいんだけど、今回は難しすぎるのでニコロが演奏するとの話だ。ヴァイオリンだけかと思ったら、ピアノもできるとは器用な人だと思う。
コーチ家の人々は誰も音楽をやらないのでたまに練習に顔を出すぐらいでノータッチだが、練習はかなり大変だったらしい。何度も、何度も音楽プレーヤーの演奏を聞き返し、自分の作った楽譜と照らし合わせていた。何重にも重なったオーケストラの演奏を聞き分けるのは、絶対音感があってもとても難しい事だろう。
それと並行して、演奏の練習もしなければいけない。楽団と言っても村人が趣味でやっている事なので、それぞれ熟練度ややる気にばらつきがある。一度完成させて、そこから簡素にした楽譜を改めて作成する。ついでに、フリープログラム用の楽譜も作ってもらう。「4分に短縮するなんてめちゃくちゃだ」と何度も何度も言われたけれど、演技の時間に合わせているのだから仕方がない。
「この曲は、俺の、いや俺たちの手には余る。ラザレフならもっと簡単にこなすし、演奏者だって揃ってる。しかし、はいそうですかと天才に譲れるほど、軽い気持ちでやってきた訳じゃないんだ」
ちなみにラザレフと言うのは帝都で百年に一人の天才ともてはやされている音楽家だそうだ。作曲も、指揮も、ピアノもヴァイオリンも。とにかく全てが超一流で、おまけに美男子だそうだ。ラザレフがどうの、魂の救済がどうの、やることに意義があるだのなんだの、熱く語るニコロの背後では、馬車から積荷が崩れ落ちた様だったり、鳩の鳴き声みたいだったり、プロの演奏家ってすごく上手いんだなあと感心する様な騒音が流れている。それと一応ちゃんと弾けているっぽいニコロのピアノが合わさって、練習場はカオスだ。
「でん! でででででででん!!」
親の練習に連れてこられた子供たちが、第一楽章のリズムに合わせて足踏みをしている。これじゃまるで相撲だ。ロマンチックさのかけらもない。アリョーシャがタチアナ婆さんのヴァイオリンを借りてキコキコやっているが、ちゃんとした音すら出ていない。まあ、私も同じ事になるだろうから、専門外のことにとやかく言うのはやめておこう。
帰宅して、とうとう好奇心が抑えられなくなったアリョーシャが「本物の方を聴かせてくれ」と言ってきた。イヤホンをつけている彼の顔が、「え? これとあれが同じ曲?」と言った表情になるのに1分もかからなかった事は、他の人には言わないでおこうと思う。
とにもかくにも、冬は過ぎてゆき、今日は演奏会の日だ。いつまでも練習のままでは、何事も完成しない。本番あってこその練習だ。
最近はクレープばかり食卓に出る。食費の節約かと思ったら、お祭りの一環でクレープをたくさん食べるのが良いこととされているようだ。今年はマヨネーズの普及もあり、甘いものより食事系が人気らしい。
「どんどんお食べ」
カーチャはこちらがもうやめてくれと言うまで延々とクレープを焼き続ける。蕎麦ならぬわんこクレープだ。
「お腹いっぱい」
最後の一枚を食べきって、皿を片付ける。アリョーシャはまだ食べている。本人曰く、山にいる間もクレープのお供えはあったのだが、正直もっと食べたいと思っていたらしい。でも、それは厚かましいので言えなかったと。その時の渇望が、彼の魂に刻み込まれているのだ。もう一生ありつけないのではと思うぐらいに食べている。
「ぽっぽーろぽろっぽろろっ」
そんなフレーズあったっけ?と確認したくなる様なジェーニャの鼻歌を聴きながら、ホールの中に入る。
ピアノのそばに、ニコロがいた。
「俺はずっと、冬が嫌いだった。厳しくて、冷たくて、ジメジメしていて、嫌な季節だと思っていた。でもこの村へ来て、気持ちが変わったよ。寒いのは変わらないが、冬が少し好きになった」
ニコロは私にフリープログラム用に編曲した楽譜をくれた。紙に丁寧に書かれた音符を眺める。私は読めないけれど、指定したメロディの通りになっている筈だ。私は次の冬、この曲で滑る事ができるのだろうか?
「俺はこの曲、悪い奴をやっつけて故郷に帰る時の曲だと思うぜ」
「あたしもそう思うよ」
「村長も!? 倒した! 疲れたけど怪我が治った! 今から帰るぜ! って感じだよな!」
「わかるよ」
ドミトリとカーチャは、練習を聞いていてそう感じたらしい。二人にとってはゲームのBGMっぽく感じるのだろう。
村の集会所にはほとんど全員が集まっており、すし詰め状態だ。とても座る所がない。仕方なしに、舞台裏側から屋根裏を伝って、屋根の上に出る。満月で、びっくりするほど明るい晩だ。
「オーロラが出ている。精霊様が来ているよ」
確かに、空にはオーロラがかかっている。緑のカーテンのようだ。まるでテレビの中の映像みたいに、現実感がなくゆらめいている。
「え、は、初めて見た」
私がぼーっとオーロラに見惚れている間に、アリョーシャは同じ内容を階下に向かって叫んでいた。
ざわざわと声がして、村の人たちが外に出てくる。
「ほんとだ! オーロラ!」
「マジかよ、ますます緊張してきた」
「日誌に書くために、メモを持ってくるべきでした」
夜空を見あげる人。祈る人、手を振る人。いろんな人がいる。ざわめきの後、再び人々が建物の中に入り、村は静寂に包まれる。
割れるような拍手の後、寂しげで、不安げなピアノの音から演奏は始まる。
「あれ、なんか……すごいよく聞こえるよね?」
不思議な事に、屋根の上にいる自分たちの、まるで目の前で演奏されているかのように音楽が鳴り響く。
「多分精霊様が見張りの人や、家から出られない人にも聞こえるようにしてくださったんだと思う」
やっぱりこの世界はファンタジーだ。ありがとうございますと、祈りのポーズを取る。オーロラが少し揺らめいて、返事をされた様な気分になる。
「そーだ。ニコロには悪いけど、ちょっと滑っちゃおうかな」
「え? 今?」
「だって、この曲は普段聞けないし」
備え付けの梯子を降り、広場を突っ切って、リンクへ向かう。急いでスケート靴に履き替える。手振りでアリョーシャにもこちらへ来るように合図する。彼は空を見上げて、村中に鳴り響くオーケストラに耳を傾けている。
「僕はこの曲、恋愛の曲だと思う」
「そう……かな?」
本当に、曲一つとってもいろんな解釈の人がいるものだ、と感心してしまう。
「うん。愛する人に出会って、今まで見ていた世界が変わった。世界はこんなにも美しいんだと理解した……」
アリョーシャはまぶたを閉じて、優しく魂を撫でるような旋律に耳を傾けている。
「うーん、私にはよくわからないけれど。まあ、この曲、最初は暗いよね。何かやらかして、夜中に急にそれを思い出してさ。布団の中でうわーっ! って暴れたくなる感じに似てる」
「そうなんだ。僕は人の視線がチクチク自分に刺さるような印象だな」
「最後の方になると、頭の中にぶわーっとオーロラが浮かぶんだよね」
作曲者がどういう気持ちなのかはさっぱりわからない。でも、どんな曲にも自分なりのイメージがいつもあって、それを表現したいと思っている。でも、それは技術だったり、うまく振り付けの時に伝えられなかったり、はたまた「曲の解釈」に自信がなくて自分がこうだと思う、って言い出す事すらできなかったり。
「夜だけど晴れていて、風がない。森の中を、雪を踏みながら走るの」
「吐く息は真っ白で、ほっぺは寒くて痛いんだけど。不思議とどこまでも走れるような気持ちになって、わくわくしながら空にかかるオーロラを追いかけるの」
「星がチカチカまたたいていて、走っているうちにどんどん光が強くなって」
「そしたら、走った先に湖があって。その上で、めちゃくちゃに滑るの。それで、最後にスピンが終わったら、拍手みたいに星がばーって降ってくるの。んで、私はその中の一番綺麗なやつをガッ!て掴むの」
「最後スケートになっちゃうんだ?」
黙って目を閉じて聞いてくれていたアリョーシャが苦笑する。
「うん」
私の空想の世界だから、いつ靴を履き替えたんだ、とか無粋な事は気にしてはいけない。最後のシーンは、子供の頃に読んだ童話の影響なのだと思う。貧乏な女の子が、それでも困っている人に手を差し伸べ続けて、最後には下着すら無くしてしまう。でも、そのあと空からたくさんの銀貨が降ってきて女の子はその後しあわせに生きるのだ。
「がって掴む……」
何かちょっとツボに入ったらしい。アリョーシャはくつくつと笑っている。
「あー……なんだろ。努力……勝利……獲得、かな。そんな感じ」
勝利のためにはガッツが必要なのだ。優雅な白鳥も、水面下では必死にバタ足をしていると言うし。
優しいピアノの音色が村に響く。色々なイメージが頭の中に流れ込んでくる。真っ白な雪原を、震えながら、村に向かって歩いている自分。たった一つの、カーチャとアリョーシャがいる家の小さい灯りを目指しているのだ。または、深い森の中で、針葉樹に雪がしんしんと降り積もっている中に、氷でできた城があって、玉座に座った真っ白いポメラニアンが音楽に耳を傾けている場面。
曲は第3楽章になる。私たちは、無人のリンクで滑り始める。いつの間にか氷で覆われていた天井がなくなっていて、スケートをしながら夜空を眺める事ができる。ぼんやりと、上を見ながらダラダラと滑る。アリョーシャは私に手を引かれ、黙って後ろをついてきている。
「モニカは、憧れの人が冬を生きる喜びを表現したと言ったけど、君はどう思う?」
「この世界でも、幸せになれる?」
アリョーシャの手を離し、彼の周りをくるくると好き勝手に滑走する。急にそんな事を言われても、うまく答えられない。
「わからない……でも。私、この世界に受け入れられてるって感じる」
きっと、寒くない方が生活は楽なんだろうけど。こんな状況だから、逆に暖かさが沁みる。日々の生活で、「感謝」の気持ちを感じるなんて、女子高生だった自分からすると考えられない。
寒くて、暗くて、食べるものも少ないし、花だって咲いていない。でも、だからこそ得られる、何かあたたかくて、素晴らしいものがあると今は確信できる。
「なれるよ……いや、なる」
急に涙が出そうになって、頬をミトンで擦る。
「ほら、滑って!」
もう曲はあと数分しかない。アリョーシャの腕と腰をつかんで滑り出す。
「回って!」
掴んだ腕を、高く引き上げて、無理やり回らせる。
「わわっ。今、ちょっとうまくできた気がする」
「そうそう、思い切りやれば意外と何とかなるんだって」
ミトンの上から、手をギュッと掴まれる。分厚い毛糸の奥で、私とは違う骨張った指の感触を感じて、体が少し熱くなる。
「前に聞いた、男女が二人で滑るの、いつか僕も……」
「あー、ペア?そうそう、こういう風に一緒に滑って、男性が女性を投げて、その勢いでジャンプするの。普通に跳ぶより迫力あってすっごいよ!真上にも投げたり、両手を上げて滑って、その上で逆立ちするとかね!私は大きすぎるけど、アリョーシャは背が高いから他の子ならできるかもよ!」
私の説明に、アリョーシャは記憶を辿るように視線を彷徨わせる。
「あれ、そんな話だったっかな……?」
「え、違う?じゃあアイスダンスだ」
アイスダンスは、二人の息が合っていないと難しい。スケート靴についているブレードは、鋭利な刃物だ。密着して滑っていると、相手の事を傷つけてしまう可能性がある。
「無理かな?」
「無理じゃないよ。次の冬には、私と同じぐらいうまくなってるかもしれないし」
それはないんじゃない、とアリョーシャは笑う。私も、自分で言っておいてそれはないな、と可笑しくなった。
「ほら、もうすぐ星が降ってくる」
曲はもうすぐ終わってしまう。音の粒がぽろぽろと光になって、夜空からこぼれ落ちる。私はその星を掴み取ろうと、手を伸ばす。指の隙間から、星が尾を引いて流れていくのが見えた。




