27話 不安は北風に乗って
泣き疲れていつの間にか眠ってしまっていた。目覚めた瞬間に、自己嫌悪がずしんと胃にのしかかる。のろのろと居間へ向かうと、昨日の夕食時と何も変わらないアリョーシャがそこにはいた。
「昨日は、ごめんね」
先手必勝。もやもやするぐらいなら、すぐ謝ってしまった方がいいのだ。
「僕の方も、急な話をしてごめん」
アリョーシャはすぐに微笑み返してくれ、その後は普通に接してくれた。私は謝ってスッキリしたけれど、結局の所、彼がどう思ったのかはわからない。
日々は、何事もなく過ぎていく。吹雪。雪。曇り。雪。晴れ。雪。晴れた日は空気も澄んでいて心地良いが、吹雪の凶暴さは心まで曇らせる。なぜ人はこんな厳しい土地に住んでいるのか、そんな事まで自問自答してしまう程に。
「今年の冬は、楽しいよねー」
リンクでいつものルーティンをやり終わってぼんやりとしていると、耳にそんな声が入ってくる。
「ねー」
「モニカがいるからな」
「アリョーシャもいるし」
「冬って、寒いしさ、食べ物も少ないし、外にも行けないしで面白くないじゃんか。わざわざ外に出かけて遊び相手を探すのも億劫だし。何たって寒いし」
ドミトリが、火鉢の上に乗せたやかんを確認する。練習後に飲むためのお茶をここで温めているのだ。
「でも、モニカが来て、今年は山で祭りもしたし、スケートを見て、俺たちも始めた。ついでにアリョーシャも来た。精霊様も見た。楽しい事山盛りだよな。てか、もうすぐ春だし」
「うちのパパとママ、両方楽団に入ってるんだけど、もうはりきっちゃって」
「春になったら、山の上で採取して良くなったんだよね?」
各自持ち寄ったマグカップに温かい……いや、生温いお茶が注がれる。分厚い毛糸で編まれた、色とりどりのミトンがそれぞれのカップを手に取る。
「かんぱーい」
『かんぱーい』
大人たちの真似をして、きゃっきゃと笑う皆の顔には負の感情はひとかけらもない。みんな、冬でも春でも人生を楽しんでいる。不安なのは私だけなのだ。そう思うと、なんだか自分だけが損をしているような気持ちになってきた。
「よーし!」
カップの中身を飲み干して、私は再びリンクに降り立つ。天井からの光を反射して、削られた氷のカスがキラキラと光っている。力強く漕ぎ出し、スピードに乗って、そのまま、三回転アクセル……が跳べる訳もなく、私は思いっきりコケた。回転が足りないからだ。そのまま立ち上がらずに、手足を動かしてバタバタする。
「今大目に回ってなかったか!?」
「まわったー!!」
転がったままの私の周りに、皆がわらわら集まって来た。心配されているのが少し、いや大分嬉しい。
「怪我した?」
「どこか痛いの?」
「大丈夫?」
流石に気恥ずかしくなって上半身を起こす。年下の子たちに構ってちゃんをするなんて、いくらなんでも行動がイタすぎる。
「なんでもな……」
「モニカ、どうしたの!?怪我!?」
入り口付近から、アリョーシャの叫び声が聞こえた。起き上がるのが遅かった。
「いや、なんでもない。ちょっと感傷に浸ってただけ」
「本当に!?」
氷の上は土足厳禁なので、アリョーシャは柵にかじりついてこちらを見ている。
「ほ、本当に。大丈夫だから。ちょっとモヤモヤしてて、その……」
「あ、それ、わかる。妹が産まれた時、お母さんを取られたのが悔しくて意味もなくお腹痛いふりしたもん」
「あーわかる」
「風邪の時、元気なのにまだ具合悪いふりしたりするよな」
皆にバレていた。あまりに恥ずかしすぎる。顔がみるみる赤くなり、私は慌てて立ち上がって服に着いた氷のかすを払い落とす。
「か、かかかか帰るね」
慌てて靴紐をほどき、上着を着て、マフラーを顔にぐるぐる巻く。
「おだいじに!」
ジェーニャの無邪気な声が心をえぐる。早足でリンクを出る。
アリョーシャが小走りで後ろからついて来た。
「小さい子たち相手に、構って欲しくてあんな事してて、馬鹿みたいって思ったでしょ」
「怪我じゃないならなんでもいいよ」
「なんでも良くないよ……」
私はいつもこうだ。こっちに来てからのピークは湖で滑った時で、それ以降は格好の悪い所しか見せていない。アリョーシャが私に追いついたので、並んで歩く。
「私、本当ダメ人間。自分がこんなにぐだぐだうじうじした奴だって、今まで思った事なかったのに」
「ダメじゃないよ。僕がモニカの立場だったら、もっとひどいことになってる。絶対に家に引きこもって延々と雪だるまとか作ってると思う」
ノルディック風の部屋に引きこもって、たくさんの雪だるまに囲まれて暮らすアリョーシャの姿がありありと脳裏に浮かぶ。
「僕なんて19年も地元の山に引きこもってたんだよ?それに比べたらダメな所なんてひとつもないよ。それに、あの時モニカが来なかったら、きっとまだ怖くて山を降りられなかったと思う」
「え」
思わず立ち止まる。
「本当だよ。あの時、出て行くつもりはなかったんだ。精霊様には前から言われていたんだけど、今まで散々隠れて生きていたから、今更……って思って、もっと他のどこかへ行こうと思っていたんだ」
私より頭ひとつ分高い位置にあるアリョーシャの顔を眺める。相変わらず綺麗な顔だ。でも、初めて会った時とは、大分違う気がする。うまく言えないけど……
「氷の上で滑っているモニカを見て、目が離せなくなったんだ。この世にこんな素敵なものがあったのに、どうして僕は気がつかなかったんだろう、って思って」
「い、いやあ。ははは、そんな……」
そんな面と向かって褒められると恥ずかしい。俯き、前髪をいじる。
「精霊様から君の話を聞いて、サンドイッチを食べて。勇気を貰ったんだ。モニカがこんなに、何もわからない所で頑張っているのに、うじうじしているのは男らしくないって」
「だから、僕は自分の意思で山を降りた。僕が新しい自分になれたのは、君がいてくれたからだ」
私は顔を上げ、アリョーシャの目を見つめ返した。なんと返事をすればいいかわからなくて、黙っていた。そうしているうちに、アリョーシャの頬がびっくりするぐらい赤くなっていく。
「つつつつまり、モニカはモニカのままでいいって事。うん」
早歩きの背中を追いかける。恥ずかしさも、不安も、強い風と一緒にどこかへ飛んでいった様な気持ちになった。




