24話 あこがれの人
次の日の朝リンクへ向かうと、ドミトリが大の字になって寝ころんでいた。
「何してんの?」
「俺のかまくら、すっげぇ立派になったなー、と思ってさ」
「それ、最初に私がいたところ?」
「そ。このあたりにあったんだよ」
そう言えば、そんな事もあった。かまくらを作ると、そこに氷娘が住み着く、って話。
「そう考えると、私も出世したわ〜」
「な!アリョーシャさまさまだ」
二人で、げへげへと悪代官みたいに笑い合う。そんな私たちをよそに、アリョーシャは壁の近くに親子熊の置物を設置している。何故だろう。
「これは、ミーチャ親子だ。城に住んでいる」
「え、精霊様って熊と一緒に住んでるの?」
子供たちがいっせいにどよめく。
「冬眠する時期だけ。ほかの生き物もいる。冬の間に小熊が産まれて、春になると出て行く。城の中では他の動物を食べてはいけない約束だから、喧嘩はしない」
「そうなんだ」
「自分も、寒い時はミーチャにくっついて寝ていた」
「精霊様とは一緒に寝ないの?」
「あの方はまったく体温がないから」
子供たちは氷や雪をさすりながら、何かを考えている。雪と氷に閉ざされた城で、小さなアリョーシャが母熊にくっついて眠っている。それはとてもファンタジックな光景だ。
「絵になりそうなお話ね……」
マーシャはうっとりとしている。
「でも、この二日で毛皮より布団の方が寝やすい事が身に染みてわかったよ。あと暖炉。あれは最高だな。お湯も沸かせる」
「雪おとこのくせに、変なのー!!」
アリョーシャの一言で、子供たちはどっと笑った。
ひとしきり笑った後は、スケート教室だ。ものすごいスピードでスケート靴は増産されつつある。本当に過労死しないか、少し心配になってくる。
「わー、すっご!つるつる!」
「湖の時みたい!」
「建物ができて寒くなくなったから、薄着になれるのがいいよな。動きやすさが全然違う」
ドミトリはすいすいと滑り、フォアクロスで滑走、スリーターンで方向転換、そのままバッククロスでスピードを上げる。準備運動がサマになってきている。そのままスピードに乗ってトウループもどき……じゃない!ちゃんとしたジャンプになってる!
「ドミトリ、ろくに教えてないのによく跳べる様になったね!?」
「へっへーん」
やっぱりこの子、ものすごくカンがいい。大きくなる頃には、私が抜かされちゃうかも。
「わ、私もやりたい!でも、ジャンプは怖いからスピン?がいい」
「私はすいすい滑れる様になりたいかなー」
「ジェーニャは、さんかいてんじゃんぷをとびたい!」
「はいはい、まずは基本のスケーティングからね。それができないことには始まらないから」
銀盤の上を、子供たちが縦横無尽に滑走する。大人と違って、子供は転ぶことに恐怖心があまりないから上達しやすいのだとか。
柵に寄りかかり、子供たちを眺める。……子供しかいないな。ふと横を見ると、アリョーシャがリンクの外側に立っている。
「アリョーシャ、なにしてんの?」
滑ればいいのに。遠慮してるのかな。
「……まあ、その……」
「……」
「……」
「……」
「アリョーシャはね、すべれないの」
突然ジェーニャが核心に触れる。薄々そう思ってはいた。
「滑れないと言うか、滑ろうと思ったことがない」
「最初は誰でもそうだよ」
私の一言で覚悟が決まったのか、アリョーシャは深呼吸をして氷の上に一歩を踏み出す。柵にしっかりと両手で掴まり、なんとか立つものの、そこからいっこうに動きだす気配はない。
「わ、わ、わ。すごい、すべる」
足元が安定しないのが不安なのだろう、その場で足踏みをする。これをやると、逆に怖いと思う。さてどうしたもんかなと観察していると、ばつの悪そうな顔をされる。
「自分でもこうなると分かってはいたけれど、さすがに情けない……」
「普通じゃない?あの子たちが元々スケートに慣れすぎてるだけだと思う」
こういう人、地元のリンクでは腐るほど見た。特に土日は。幼児の体験教室だと、カラーコーンを支えに滑ったりするんだけど、この世界にはない。補助器具の代用品を考えるより、滑れるようになってもらったほうが話が早い。
「はい」
手を差し伸べると、おずおずと掴む。
「も、モニカまで転んでしまうかも」
「大丈夫。よっぽどじゃなけりゃ転ばないよ。むしろ転ぶのが練習みたいなとこあるし」
もう片方の手も繋ぐ。よちよちと、柵から離れていく。
「とりあえず、足は氷から離さないで。足踏みはしなくていいから。そのまま」
両手を、緩やかに引く。口がパクパクしていて、金魚みたいだ。
「わ、わわわ」
「後ろに体重を乗せると、ひっくり返っちゃうから、逃げないで」
「う、うん」
「下とか横じゃなくて、前を見て。そう、私を見て」
そう言った瞬間、顔を上げたアリョーシャが前のめりに倒れた。先端のトウに体重がかかると、ギザギザの部分がブレーキとなり、前のめりにコケるのだ。これをやってしまうと大抵膝を強打するのでものすごく痛い。
「わーっ!」
しかし、それは予想の範囲内。アリョーシャを素早く抱え込んでターンをして、勢いを殺す。体重を支えきれないので、静かに氷に下ろす。
「ご、ご、ごめん」
「大丈夫。よくあることだから」
「すごーい!なんか、ダンスみたいだった!」
「そうかぁ?格闘術の技かと思った」
「男女二人で、氷の上で踊る競技もあるよ。舞踏会みたいな感じの」
「えー!」
「私が着てるのより、もっと丈が長くてヒラヒラのドレスを着て、二人でくっついて滑るの」
女子は氷の上の舞踏会と聞いて、目を輝かせている。
「それ面白そうだな」
「でもジャンプはしないよ?男女二人でジャンプするのはまた、別の競技だから」
「な、なんだか色々あるんだね……」
アリョーシャはまだ氷の上に座っている。
「誰でも最初はよちよちから。はい、立つ」
再び手を繋ぎ、すーっと前に滑っていく。極力ゆっくりめで。
「気持ち進行方向にちょっと傾く。ちょっと、ほんとにちょっと」
そう言ってはみたものの、アリョーシャは微動だにしない。いや、できないのだ。仕方なく私が引っ張ってカーブを曲がる。
「あ、曲がった」
「いやあ、しかし、いい氷だなあ。湖の時もそうだったけど、ちょうどいい感じなんだよね」
「え、そ、そうかな……って、駄目!会話中に手を離さないで!!」
リラックスムードを装って、離そうとした手を強く掴まれる。
「ダメだったか……」
必殺、「自転車の練習中に後ろでこっそり手を離す」作戦は失敗した。
「うーん……こうして考えると、お前のやってる技ってめちゃくちゃ難しいんじゃないか?モニカが滑ってる時はめちゃくちゃ傾いてるけど、他のやつはほぼ直立だもんな」
「え?そうだよ?子供の頃から練習しても、できない人の方が断然多いよ。ドミトリは覚えるのすっごい早いと思う。地元にいたら、すっごく大事にされるよ」
フィギュアスケートの男女比は9対1どころの騒ぎじゃない。29対1、ううん、もっと50人に1人とかかもしれない。だから男の子の選手は結構大切にされる。まあ、大体思春期で脱落するけどね。
「どのくらいが普通なの?」
「普通って、うーん。そもそも世の中、スケートしない人の方が多いし。前後左右に滑れれば十分でしょ」
アリョーシャは「それぐらいなら、多分出来るかな」とぶつくさ呟いている。その後も猛特訓をして、なんとか1人でよちよち滑りができる様にはなった。両手を広げて、ペンギンの雛みたいに進み、その後ろにジェーニャが同じくよちよち滑っている。
「うーん、わたしの理想のアレクセイには程遠いね……ま、元々名前が一緒なだけなんだけどさ」
「えっ」
「おっ?」
私の発言に、皆が注目する。
「モニカの理想の人って、どんな人!?」
ユーリャがものすごい勢いで食いついてくる。理想の人と言うと、まるで恋愛対象みたいだけど、単純に一番好きなスケート選手ってだけだ。
「好きって言うか、憧れ?神?」
「ど、どどどどどんな人?」
アリョーシャは滑るのをやめて、這ってリンクを横断してきた。赤ちゃんかい。
「うーん。見た目は金髪で、青い目で。ちょっとワルっぽくて、セクシーなの」
「ワルっぽくて」
「セクシー」
復唱しないでほしい。恥ずかしいから。
「それで、スケートがうまい」
「どのくらい?モニカより?」
「勝負になんないよ。世界一だもん」
「せ、世界一……」
ドミトリは「世界一」という言葉にロマンを感じている様だ。
「モニカはなんばんめー??」
「えーと、国で50番目ぐらい、かな」
少し話を盛ってしまった。でも、少なくとも100人には入っているはず。今のジャンプなら、もうちょっと上に行けるかも?なんて思ってしまったりする。
「モニカはその人と、どこで知り合ったの?」
アリョーシャが、ドミトリに肩を借りながらよろよろと立ち上がる。ドミトリの視線は、年下を慈しむ兄のようで、思わず笑ってしまう。
「まずそれぞれの国で、代表の人を決める。それで四年に一度、世界一を決める戦いをする」
「四年に一度……」
「国の代表……」
「世界一……」
「その人も、ここみたいな寒い国の出身で。スケートで、『冬』を表現したのよ。そして彼は伝説になったの」
全ては動画サイトからの情報だ。だってオリンピックがあったの、私が産まれたての頃だし。お母さんと一緒に、テレビを見ていたらしいけど、ちゃんと見たのは大きくなってからだ。
「冬を表現って、表現するまでもなく冬じゃねえか。意味わかんねえ」
「それはそうだけど……」
うーん。伝わらないな。
「皆にも見せてあげたいな。彼が表現したのは冬の厳しさだけじゃなくて、そこに生きる人たちの強さとか、喜びもなの。一目見たら、どんな人とも違うってわかってもらえるのにな〜」
目を閉じて、パソコン画面の向こうの世界に想いを馳せる。元々世界の違う人だけど、今はもっと世界が違うな、と少し可笑しくなってしまう。
「そんな素敵な人がいるなら、見てみたいわぁ……」
「ね、モニカ、もっとお話聞かせて!」
女子たちはものすごく食いついてくる。
「いいよ。実は彼には、同じ国に宿命のライバルがいたの。最初は同じ先生に習っていて……」
「きゃー!何それ!愛憎劇の予感!」
「ライバルはどんな人!?」
「後でサウナに入りながらゆっくり話してあげる!」
「きゃー!楽しみ」
はしゃいでいる私たちの後ろで、ドミトリの悟りを開いたような声がする。
「まっ、アリョーシャ。お前は他の方面で頑張れよ。な?」
「うん……」
「きにすんなー」
「うん……ふたりとも、ありがとう」
ジェーニャにまで励まされている。そんなにスケートの才能が無さそうなのがショックだったのかしら、とぼんやり感じたのだった。




