19話 雪の尋ね人 上
結局、ニコロはサウナに行ったきり戻ってはこなかった。だんだん風が強くなり始める。私は文字の練習を、カーチャは細い毛糸でカーディガンを編んでいる。ミントグリーンで、春になったら私に着せてくれるらしい。
「明日は吹雪だね」
「そうかあ。私、雪かきなら出来るよ」
カーチャは編み物の手を止める。
「モニカの国も、雪が降るのかい」
「もちろん。ここと同じくらい寒いところ」
リンクは野ざらしだから、明日になったら雪をかき分けるところから始めないとな。その後製氷してと考えると、滑るのは明後日になるかな……。室内のリンクがあればいいのに。
「屋根の雪も、おろさなきゃいけないしね。手伝いよろしくね」
「まかせてよ」
暖炉の上で、シチューがゆっくりと煮えている。もうすぐ、サーモンにマヨネーズを塗って、パン粉をつけてバターでこんがり焼いてムニエルを作る予定だ。日々の摂取カロリーが高い分、運動して消費しなければ。カーチャの丸っこいシルエットを見ながら、そう強く思う。
「筋トレでもしよっかな」
立ち上がり、スクワットをする。基本的に体を動かす事が好きなのだ。
「ああ、それは太ももに効きそうだね。どれ、あたしもやろうか」
二人並んでスクワットをする。カーチャ、めちゃくちゃ体力あるな。現代人がひ弱過ぎるのかもだけど。
「膝……痛くならない?」
「あはは。よく言うよね。あたしは大丈夫。モニカは本当、見た目の割に体力があるね」
「ずっとスケートの練習をしてたからね。それが私の全部。小さい頃から、ずっと。上には上がいるから、どこまでやっても終わりにならないの。地元で一番でも、国で一番なんて、絶対届かないから」
「うんうん。自分が一番だ、って思っても、世の中すごい奴なんて腐るほどいるんだよね。わかるよ」
「カーチャは、この村から出た事あるの?」
ふと気になって聞いてみると、意外な答えが帰ってきた。
「もちろん。あたしは若い頃、かなりやんちゃだったからね。自分が一番すごいんだ、と思って色々やってきたよ。ま、馬鹿だったなと思うけどさ。それで今は夫と息子、あんたがいる。いい人生さ」
「かなりやんちゃ」の部分で、私はある事を思い出す。確か、なんか変なあだ名がついていたはず。炎のなんちゃら、みたいな。
「ねえ、ニコロから聞いたんだけど……」
「しっ。モニカ、何か聞こえないかい?」
耳をすますと、扉を叩く音が聞こえる。コンコンと、規則正しい音だ。風ではないだろう。
「誰か来た?」
こんな吹雪の日に?外は完全に真っ暗で、風が唸り声を上げている。二人で手を取り、恐る恐る近づく。もう一度、控え目なノックの音がする。さらにドアに近づく。向こうに誰かがいて、去っていこうとする足音が聞こえた。
「待ちな!!!」
突然カーチャのバカでかい声が響く。
「ひえっ」
私はびっくりして、壁にぶつかってしまった。衝撃波、って感じの声だった。外の人も大分びびっているだろう。
「あんた、アレクセイだろう!入っておいで!」
「え、なんでわかるの?」
アレクセイって、あの山にいる?でも、この村似たような名前の人いっぱいいるからなぁ。ただの知り合いかな。
躊躇いがちにドアが開かれ、真っ白な青年が顔を出す。白い肌は頬だけが真っ赤で、銀の髪には雪が積もっている。今日も白の耳当てをしている。本当に、あの青年だ。何故わかったんだろう。
「寒いじゃないか!早くお入り!」
「は、はい……」
彼はおずおずと入ってきた。風と一緒に、雪が舞い込んでくる。意外な来訪者すぎて、ジロジロと眺めていると、あからさまに目を逸らされた。気まずい。
「……」
居間に通された後も、彼は押し黙っている。
「と、とりあえず、座ったら?」
「どうも……」
こっちがカーチャの親戚で、私が他人で合ってるよね?と確認したくなる。カーチャは台所でお茶の用意をしている。仕方がないので向かい合わせに座る。彼は手に氷のバラを持っており、それをじっと眺めている。
「それ、この前も持ってたよね」
「あなたにあげようと思って」
そう短く答え、アレクセイはバラを私に向けて差し出した。
「え、私に?」
おそるおそる受け取ると、ひんやりはしているけれど、全く溶ける様子がない。
「あ、ありがとう」
もしかして、あの時も演技を見てお花を渡しに来てくれたのかな?男の人からお花を貰ったの、生まれて初めてかも。
「これ、家の中に飾ってても大丈夫?」
「大丈夫だと思う。この家の人が何もしなければ……」
ちょっと、カーチャを野蛮人みたいに言わないでよ。たしかにパワーはすごいけどさ。私は花瓶を探しに、台所へ行く。
「お花もらった」
「あれまあ。おどおどしてんのか大胆なのかわかんない奴だね」
カーチャ、なんか彼に対して塩対応じゃない?男らしくないからかな。空の水差しを持って、居間に戻る。アレクセイは暖炉の火を見つめていた。
「大丈夫?暑くない?溶けない?」
「人間だから……」
そういえばそうだった。ところで、この人一体何しに来たんだろう。
「何かカーチャに相談でもあるの?」
「まあ……うん」
はっきりしない男だな。ずっと山に引きこもっていたらしいから、当然かもしれないけど。
「とりあえず、お茶でも飲んでて。話があるんだろうけど、夕食が終わってからにしとくれ」
「はい」
アレクセイは静かに頷いた。動きが少ないから、やっぱり人形みたいだ。そっと、カップに口をつける。見ているこっちが緊張する。熱いものは平気みたいだ。
「本当に人間なんだ」
「あなたこそ、別の地方の氷娘かと思った。お供えをくれたし……」
「あ、今日のやつ、食べた?」
「食べた。美味しかったよ、ありがとう。精霊様も喜んでいた」
「よかった。失礼して祟られたくないもんね」
「ここの精霊様は、とても穏やかで優しい方だ。他の山ではこうはいかない。人間の頼みに20年も付き合ってくださるのは、あの方だけさ」
「パーヴェルさんも言ってたわ。あ、あの酔っぱらってた人ね。普段はとってもいい人なの……」
「彼が真摯に祈っているのは、もちろん知っているよ」
おお、だんだん会話が成立してきた。やればできるんじゃないの。アレクセイはもう一口紅茶を飲んだ。
「それで、今日はどうしたの。追い出されたわけじゃないんでしょう?今までカーチャの息子さんが探しに行っても出てこなかったじゃない」
「あ、あれは……あの人、怖くて……」
怖いんだ。それは初耳だった。てっきり、カーチャを男性にしたような人だと想像していたからだ。
「それに、母の遺言なんだ。村には関わるなって」
「え、そんな。だって、自分の故郷でしょう?親戚だっているのに」
関わりたくないなら、そもそもここまで戻ってこないのではないか?でも、確かににイリーナは何も語らなかったと言う。何故なのだろう。
「それは、あんたの魔力に関係しているのかい?」
カーチャが鍋を持って、居間にやってきた。
「おそらくは」
「マリョク?って魔法のあれ?」
雪国の田舎村って感じなのですっかり忘れてしまいそうになるけど、異世界転移とか、精霊が普通にいる世界なんだよね。魔法が使える人間がいても、全くおかしくはない。
「そうさ。そのバラも魔力で作られたんだって、なんとなくわかるだろう?」
水差しに飾られた透明なバラは、暖炉の炎を映してうるうると輝いている。今にもとろけてしまいそうだが、触ってみると驚く程しっかりしていて、刺のするどさや、花びらの薄さまでしっかりと感じられる。
鍋がテーブルの上に置かれ、めいめいの皿に取り分けられていく。アレクセイは湯気の立つ皿を、目を細めて眺めている。
「お食べよ」
「いただきます」
「いただきまーす」
カチャカチャと、食器の触れ合う音だけが響く。詳しい話は、食事が終わった後にするんだっけ。なら、今は何も言わない方がいいのかな。
「今まで、散々ご連絡をいただいていたのに返事もせず、申し訳ありませんでした」
「それが、イリーナの遺言だったんだろう。なら、仕方がないさ」
カーチャの言葉に、アレクセイはそっと目を伏せる。
「僕は普通の人間ですが、魔力があります。母は僕が産まれる前からそうなる事がわかっていて、精霊様のもとに行ったんです。最初の10年ぐらいは、全く魔力が安定せず、人里ではとても住めなかっただろうと言われました」
「やっぱり、イリーナは山に登る前からあんたを身篭っていたんだね」
「はい。ですが、そのことについては何も語らなかったと。どうか、この子が大きくなってどこにでも一人で行けるようになるまで、ここに置いて欲しい、絶対帝都の人間に見つからないようにしてくれ、と言ったそうです」
「やはりか……実は春、あんたが見つかる前に、帝都からイリーナを探しにきた奴らがいたんだ」
「えっ」
なんかサスペンスドラマみたいな展開になってきたんだけど。大丈夫なのかな。この村で殺人事件が起きたりしないよね。
「それは、その時は、何と?」
「あんたの事を本当に誰も知らなかったからさ。自ら命を絶ったようだ、ってごまかしたら帰って行ったよ」
「ど、どこの人なの?警察?それとも闇の組織?」
「ケイサツ?衛兵の事かい?どちらかと言うと、どこかの貴族の手先っぽく見えたけどね。でも、所属を隠してたのは確かだ」
「何も……身元がわかるようなものは、何もないんです」
「それがあの子の望みなのさ。きっと、帝都でバレリーナをやっていて、どこかの貴族に囲われていたんだろう」
「やはり、僕が村に降りると、御迷惑になるでしょうか」
カーチャは何も言わなかった。腕を組み、天井を見つめている。何かやばい事がありそうな空気だ。
アレクセイは悲しげに、暖炉の火を見つめた。長い睫毛が、頬に影を落とす。私は二人にどう声をかけていいのかわからず、肉のかけらを口に入れた。




