18話 妖精の音楽
ニコロは私の後を追ってきたようで、わりとすぐに現れた。
「村長さん、お邪魔しますね」
「構わないよ。クレープはいかがかね」
「ありがたくいただきます」
大人同士の会話だと、まるで二人とも知らない人みたい。そんな感想を持ってしまう。椅子に腰掛け、私の方に向き直ったニコロはさっきと変わらなかった。
「おい、何だったんだよ、さっきの。調味料がどうのこうのっておかみさんがうるせえからもう来ちまったよ」
「えーと。思い出したの。私の世界の音楽を聞かせてあげられるかも、って思って。私の鼻歌じゃないやつ」
「鼻歌じゃない?どういうことだ?他のやつでも呼び出せるようになったのか?」
「呼び出す……そうかな。音楽を呼び出す、って言えばわかる?」
「さっぱりわからんが、とにかく新しい曲を教えてもらえるんだよな?」
「うん」
「氷娘もどきの国の音楽か。楽しみだな」
ニコロはおやつを貰う時の犬が人間になったらこんな感じだろうな、って顔をしている。
「まあ、待ちなよ。何がいいかな。ヴァイオリンの方がいいよね?」
「な、なんだなんだ、そんなに沢山あるのか?」
ニコロはガタンと立ち上がった。もし彼に尻尾があったなら、今頃振りすぎてちぎれているだろう。
「100曲はあるんじゃない?」
「ひゃ!?そ、それ全部聴けるのか?」
「わかんない。何回もは聴けないかも」
充電は今のとこフルだけど、どのくらい持つのかはわからない。いわゆるニコロの耳コピに全てがかかっている。
「何回もは、聴けない……ちょっと待て、今楽譜とペンを出すから」
ニコロは急に慌て始め、鞄の中をゴソゴソしている。
「これがいいかな。えーと、ニコロ・パガニーニ作曲。24の奇想曲第24番」
「俺と同じ名前か」
ニコロは神妙に頷く。そこまで緊張しなくてもいいのに……と思いながら、私はイヤホンを彼に渡す。昔の、超絶技巧で有名だったヴォイオリニストの演奏だ。なんでも、演奏がうますぎて同年代の人達に絶望を与えたとかなんとか。
「なんだこの耳栓?」
「それを耳につけるの」
「お、おう。普通に耳に付ければいいんだよな?な?」
自分より何歳も年上の男の人なのに、急に頼りなく見えてくるから不思議だ。
「そうだよー。できた?流すよ?」
ニコロが耳元を押さえ、軽く頷く。その表情は真剣そのものだ。再生ボタンを押すと、蜂蜜色の瞳が大きく見開かれる。
そのまま、私は再生プレイヤーをテーブルの上に置き、台所へ向かう。
「あれ、もう終わったのかい?」
「ううん。今聴いて貰ってる。お茶でも出してあげようかと思って」
カーチャの手もとには、薄く焼かれたクレープが何枚も積み重なっている。
そのまま、雑談をした後、そろそろかなと思いながら部屋に戻ると、ニコロはイヤホンを耳につけたままぼーーっとしていて、反応がない。何か連続再生にでもなっているのかな?と思ってのぞき込んだけれど、やっぱり再生は止まっている。
「おーい、ニコロ?」
目の前でブンブンと手を降る。無表情だ。蝋人形みたいに生気のない顔をしている。
「おいっ」
私はニコロの耳から、イヤホンを引き抜いた。
「おわっ!!」
ニコロが突然夢から覚めたみたいに、私の顔を見た。
「え、どしたの。もう曲は終わってるよね?」
「あ……ああ。そうか、もう終わってたのか」
ニコロは自分の耳や、まぶたや、こめかみをぎゅうぎゅう押している。まるで自分が生きていることを確認するみたいに。
「お茶でもしながら、感想を聞かせてよ」
私の軽口にニコロは反応しない。少しの沈黙のあと、かすれた声が聞こえた。
「もう一度、聴かせてくれないか。今のヴァイオリンを、もう一度。頼むよ。俺にできることなら何でもするから、聞かせてくれ、今の音楽を、俺に」
その懇願の仕方があまりに切羽詰まっていたので、私はちょっと引いてしまった。ちょっと目を離した隙に、ニコロは何かに取り憑かれたようになっていた。ヤバい。メンヘラを製造してしまった。
「ちょ、ちょっと落ち着いて。聞かせてあげる。でも、他にも曲はあるし、まずはお茶しよう。ね?」
大丈夫だから、ちゃんと聞かせてあげるから、とニコロをなだめすかして座らせる。
「なんだい、悪魔に魂でも取られたのかい?」
カーチャから見ても、今のニコロの表情はヤバいらしい。
「そうみたい。ちょっと刺激が強すぎたのかも」
わたしは腰掛け、クレープに取り掛かる。少し酸味のあるクリームと、ママレードが良く合う。
「ちょっとて感じじゃないけどね。ほれ、お食べ」
カーチャがニコロの前にクレープの皿を置く。反応はない。心ここにあらず、って言葉がぴったりだ。
茫然自失って感じの音楽家を無視して、二枚目のクレープに差し掛かろうとした時、彼は突然ガタリと立ち上がり、ヴァイオリンケースを開き、演奏の構えをとった。
「あれまあ、ここで一曲披露してくれるのかい。悪いね」
カーチャはジャムの蓋に手をかけながら、鷹揚に笑った。
室内に、聴き慣れた旋律が響く。一回聴いただけなのに、ちゃんと再現できている。ふざけた男の人だけど、音楽に対しては真剣なんだよな。
「なんか、悪魔みたいな曲だね。あたしゃ湖で聴いた曲の方がのんびりしていて好きだよ」
「愛の挨拶?」
「そういう題名なのかい?素敵だねぇ」
曲は進行していき、途中のぎゃっぎゃっぎゃっぎゃぎゃぎゃぎゃ♪みたいな所で急に止まった。たしかになんか難しそうな所ではある。
「畜生!ダメだ、俺にはできない!」
ニコロはなんだかドラマの登場人物みたいに、カーペットの上に崩れ落ちた。
「一回練習しただけでその発言は根性なさすぎでしょ。全然できてたじゃん」
「そういう意味じゃねーよ!!」
「あ、正気に戻ったのかい?『愛の挨拶』弾いておくれよ」
カーチャの一言で落ち着いたのか、ニコロは紅茶を口に含み、深呼吸をした後『愛の挨拶』を演奏してくれた。今度はカーチャがパチパチと拍手をする。
「やっぱりこっちのがいいよ」
そのコメントにも、ニコロは渋い顔だ。
「最初の数秒で、心を持っていかれた。作曲も、演奏も。俺が子供の頃からやり直して、音楽に全てを賭けても、絶対にたどり着けない領域だった。帝都にも、この国のどこにもこんな演奏家はいない。おれはもうダメだ……打ちのめされた。俺の音楽家としての魂は今死んだ。俺なんか、いてもいなくてもいいんだ」
カーペットの上で大の字になり、ポエミーな事を言い出すニコロを尻目に、三枚目のクレープに取り掛かる。
「そりゃ、すっごく有名な作曲家の、めっちゃ有名な曲だもん。100年以上たっても演奏されてるんだよ?そりゃ天才でしょ。演奏してる人も、同年代のヴァイオリニストは大変だったらしいよ。ニコロのはモロにそれじゃん」
「……そうか……俺だけじゃないのか」
「そりゃそうよ。そりゃ、一番にはなりたいけど、上には上がいるってのもわかりきった事じゃん。めっちゃすごい奴がいたからって、自分の何もかもがダメって事はないじゃん。好みは人それぞれだし」
自分がボロボロの最下位で、観客の心に「あーあ」の一言しか残らなくても。1分間に1回の割合でコケても。ジャンプが回転不足でも。勝てないからやらない、って理屈にはならないんだよね。
「人生なんだから、好きなことすればいいじゃん。あたしはそうしてるよ」
今はチヤホヤされてるけど、私はお世辞にも天才ではない。人よりちょっと運動神経がいいだけの女子高生だ。氷の上に私がいてもいなくても、誰も何も困らない。私がやりたいからやっている。
「大体あんた、言うほどヘボじゃないよ。湖の時、ニコロが寒い中演奏してくれて、すっごく嬉しかったよ。私より大変なのにさ。天才は私のために氷の上で演奏してくれないから。私にとっては雲の上のヴァイオリニストより、演技につきあってくれるあんたの方が重要だよ」
どんな天才でも、故人じゃ仕方がない。そもそもここ異世界だし。ニコロはまだちょっとメソメソしている。まあ、分かりますよ、その気持ち。
「ほれ、酒でも飲みな。さっきのお代がわりさ」
カーチャが差し出したコップを、ニコロはグイッとあおって立ち上がった。ちょっとそれ、いわゆるウォッカ、的な奴なのでは……?
「ちょっと、サウナで頭冷やしてくる」
ニコロは颯爽と去っていった。暖まりたいのか、冷えたいのか、どっちなんだろう。というか、もう一回聴かなくていいのかな。
「まあ、なんだかやる気みたいでよかったじゃないか。次は新しい曲で滑るんだろ?」
「うーん、そうだね。準備が必要だから、また来年になるんだけど」
「でも、滑る時じゃなくても、普通に音楽を聴くだけでも楽しいからね。楽譜におこしてもらって、村の楽団で演奏会を開くのもいいかもね」
「村に楽団なんてあったんだ!?」
「そりゃ、あるよ。冬はやることがないからね。職人以外は大体何かやってるよ」
「そうなんだ。ホールとかはないの?」
「集会所はあるけど、ちょっと小さいんだよね。あんたも来たことだし、ちょっとそういうの、考えてみてもいいかもね」
「そうそう。周りに、観客席をぐるーって作って。冬はそこに氷を張って、滑るの」
「いいね。楽しそうじゃないか。ちょっと寄り合いの時に話してみようかねぇ」
現実的には難しい話かもしれないけれど、村の楽団の演奏で滑る自分を想像して、これからの生活が少し楽しみになった。




