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14話 冬の祭り 中

「風が……」


 テントがばさばさと音を立てるぐらいの強い風が吹き、そのあと、しいんと静まり返った。


「モニカ!準備はいいかい?」

「あ、こ、これから?」


 カーチャがテントに入ってきて、オリガを叩き起こす。

「ほら、起きな!モニカの晴れ姿を見逃すよ!」


「うーん。ちょっとまって、まだビーズの縫いつけが終わってな……い……」

「完全に寝ぼけてるね」


 カーチャはオリガがくるまっている毛皮を剥ぎ取り、畳んで椅子の上に置いた。


「はっ。今のは夢?せっかくいい感じに仕上がってたのに……」

 オリガはボリボリと頭をかく。


「ニコロは大丈夫かな?べろんべろんに酔っ払ってたりしないよね」

 私はストレッチをしながら、テントから顔を出す。


「俺、そんなにダメそうな男に見えるかね?」

 目の前にニコロがいた。気まずいので愛想笑いでごまかす。



 スケート靴に履き替え、衣装になり、凍った湖に足を踏み入れる。ヴァイオリンの調整をしている音が響く。村人たちは氷のベンチを移動させ、観客席を作っている。


 ウォーミングアップを続ける。風はなく、寒さも感じない。まるで、氷の上だけ違う世界みたいだ。



 拍手と共に、リンクの真ん中へ向かう。パーヴェルさんがお祈りのポーズをしていたので、少し笑ってしまう。大きく外側を滑りながら、スタート位置に立つ。



 目を閉じると、全ての音が消え、真っ暗な世界でたった一人になる。その暗闇を切り裂くように、ヴァイオリンの演奏が始まる。音楽に引っ張られるように、私は動き出す。


 音程はしっかりしているけれど、どこか切ない旋律に乗り、3回転サルコウと3回転トウループのコンビネーションを決める。試合では安全策を取り、セカンドジャンプは2回転にしていたけれど、やはり2回転と3回転では点数以上に見た目のインパクトが違う。


 歓声が止み、私はスピンに入る。回転速度と、音楽がピタリと合っていることに、言いようもない一体感、達成感を感じる。


 バレエのアラベスクのような、スパイラルのポジション。ゆったりと、しかしスピードに乗って観客たちの前を滑走する。


 二つ目のジャンプ。三回転ルッツ。こちらに来て跳べるようになったばかりで、普通に考えればもっと安全なジャンプを選ぶべきなんだろうけど、今日は私の一番すごい演技を見てもらいたいと、そう強く思ったのだ。


 氷に吸い付くように着氷し、深くエッジに乗る。全く失敗する気がしない。まるで産まれた時からここにいたみたいに、私は自由に滑走する。次はステップ・シークエンスだ。


 この曲は、作曲家が婚約者へ贈った曲だと言われている。

 ニコロの演奏は、寂しげに始まり、途中のステップの部分では情熱的になる。まるで、どうにもならない、手の届かない何かに恋い焦がれているような、諦めようとしても諦められないような。私はまだ、彼の持っている感情の名前を知らない。


 狂おしいほどの感情が過ぎ去り、余韻だけが残る。日本ではお馴染みのイナバウアーをつなぎの要素に入れ、二回転アクセルを跳ぶ。


 最後はコンビネーションスピン。最後のビールマンスピン。鳴り止まない拍手に、いつまでも回っていられそうな気持ちになる。


 ノーミスだ!私は空に高く拳を突き上げ、バンザイをした。もちろんスタンディング・オベーションだ。


「最っ高に楽しい!」

 そう、最高に楽しい。もっともっと滑りたい。気分はメダリストだ。笑顔で手をぶんぶん振る。


「お嬢さん、アンコールはどうするよ」

 ニコロがちょいちょいと、氷の上を歩いてくる。転ぶとそのはずみでヴァイオリンが壊れてしまう可能性があるので、その表情は真剣そのものだ。


「もういっちょやっちゃう???」

 息は上がっているけど、まだまだ滑れる。


「チャルダーシュでいいのか?」

「うん」


 二曲目は、全く雰囲気の違う楽しい曲で、踊るための曲だ。子供たちにもっと騒げと手で合図する。いわゆる「煽り」ってやつだ。


 再び音楽が始まる。大人たちが、ジョッキを片手に声を上げている。子供たちが飛び跳ね、知っている人たちみんなが笑顔になり、同じリズムを刻む。


 これからの人生、こんな気持ちでフィギュアスケートに取り組める瞬間が、あと何回あるんだろう。この村の人たちは、私が居なくなっても、今日の事を覚えていてくれるのかな。ドーナツスピンで回りながら、そんな感傷的な気持ちになる。



 流石に二回連続は息が上がる。滑り終わった瞬間に脚がブルブルし始めた。


「あー、疲れた……」

 膝に手を当てながらニコロに近づくと、彼の目尻にはちょっと涙が溜まっていた。


「これなんだけどよ」

「うん」

「楽しいよな」

「私もそう思う」


 だからずっとやってこれた。このやり切った達成感が、何度ボロボロに負けても立ち直らせてくれるのだ。


 ニコロは目尻の涙を拭くと、元のちゃらい感じに戻った。


 スケート靴に履き替えた子供たちが湖の上に雪崩れ込んでくる。さっきもしていたと思うけれど、練習熱心な子供たちだ。



 ふと視線を感じて、正面の崖に目を向ける。人間らしきものがポツンと一人で立っているのが見えた。白いローブのような服を着て、銀色の長い髪を風になびかせている。性別はわからない。


「ねえ、ちょっと、あれ!」

 私はとりあえず大声を上げた。遠目にも人影がびくっとするのがわかった。私の指し示す先に、視線が集中する。


「せ、精霊様だ!」

「精霊様が現れたぞ!」

 村人がざわめきだし、皆が氷の上によちよち出てくる。人影はこちらを向いたままぼーっと立っている。


 歩きにくい氷の上ではなく、普通に岸を歩いたほうが謎の人影には早く近づけるのだが、何故か全員氷の上まで来て、私を先頭にして進もうとするのだ。


「え、これ、私が先頭なの?」

 真後ろにいたカーチャに声をかける。


「願い事を言うんだろ?ならあんたが行くべきだよ」

 じりじりと押される様に、人影に近づいていく。輪郭がはっきりしてくる。中性的な雰囲気だけど、男性だろう。白い耳当てをつけ、手に何かを持っている。耳当てをつけているなんて、精霊でも寒いのかな……


 会話が成立しそうな距離になると、ものすごい美男子なのがわかった。肌は真っ白で、白銀の髪は陽の光を受けて輝いている。鼻はすっとして、唇は薄く、目は青みがかった灰色だ。現実世界ではお目にかかれない、CGの世界がそこにはあった。


「せ、せせせせ精霊様ですか?」

 とりあえず、会話を試みる。


 男は唇をかすかに動かし、ぼそぼそと喋ったが、全く聞き取れない。


「……?あの……すみません、聞こえなかったんですが」


「……の……ない」


「すいません、もう一回!」

 仕方がないので、私は一歩前に踏み出す。目が合ったけど、顔が綺麗すぎてこっちが恥ずかしい。


 男は、今度ははっきりと聞き取れる声で、「私は冬の精霊ではない」と言った。




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