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掌星座は、櫻蘭館の前で、紅茶を飲んでいた。彼女は、紅茶が取り立てて好きではない。だが、こうして、なにか飲みながら花を見るのは、非常に無意味で、そしてとても贅沢な時間だった。世界中のどれだけの人間が、意味のない時間を、贅沢と気づいているのだろうか?
なん分程、そうして花を眺めていただろうか? 星座は、時計(勿論携帯電話も)等の類は、一切持たないので、時間は分からない。
ふと、階段の方向が、なにやら騒がしいので、星座は振り返った。
男女の二人組だ。ここからでは遠くて見えない。だが、エプロンを着ている事は、視認できた。星座は、一瞬、記憶中枢のページを探る。彼女の脳は、デジタル式だ。クリック一つで、映像と情報が抽出される。普通の人間は、アナログ式なので、その違いの差は歴然だ。(ビデオテープとDVDの様なものだろう)彼女の記憶は劣化しない。自らが消去する事、また、容量が足りなくなる事はあるが、決して忘れたり、作業が遅くなる事はない。
茶話矢まやと、樫木伊住。星座は、門近くにいる二人をほぼ確定させた。
茶話矢とは、以前偶然知り合った。この近くに花屋はあまりないというのもあり、花を届けに来てもらったのがきっかけ。本来ならば、もっと大きい花屋にしていたのだが、急ぎの様だった。
その時に、花を届けに来てくれた茶話矢と、星座は思いの他話が弾んだ。最初、面白い喋り方をする人だな、と星座は思った。人格が、スライドショーの様に入れ替わっている様。茶話矢との会話はとてもスリリングだった記憶がある。次に、なにが来るか予測出来ないのだ。大抵の人間は、それが分かってしまうのだが、彼女は雷の様に予測地点を避け、着地する。素晴らしい才能だと星座は思った。
その時、茶話矢に、この櫻蘭館の仕事を紹介したのが星座だった。おそらく、その関係が今でも続いていて、今日は花を二人で届けに来たのだろう。茶話矢花屋店は、花の種類は絶望的に少ないが、サービスの良さと、対応の早さはピカイチだ。知人の紹介という事を抜きにしても、注文したくなる。星座は、そう依頼主の感情を推測した。
「星座ちゃーん」茶話矢が、小走りで星座の元へ近づいてきた。「奇遇だね、こんなところでなにしてるのさ?」
「ごきげんよう」星座は、椅子から立ち上がり、右左の手で同時に、ワンピースの両端を少し上げ、右足を左足の後ろに下げ、首を少し右に傾けて言った。所謂、お嬢様挨拶、というやつである。
「あ、昨日はどうも」後ろから、樫木がひょこひょこついてきた。
星座は、この樫木については、まだ深く知らなかった。ただ、この人物にも、茶話矢の様な、一風変わった特徴がありそうだな、と、昨日坂を上りながら彼女は思っていた。高校生にしては、落ち着きのある人格だ。なかなか彼も楽しそうである。
「紅茶は美味しいですね」星座は言う。「お二人も飲まれますか?」
「いやー、今日お仕事なのよー」茶話矢は、左手で頭を掻きながら笑う。「そうだ、一緒に入ってくれないかな、星座ちゃん。なんだか、ここ少し入りにくくって。あ、これ、トップシークレットね」
「はい、喜んで」星座は、微笑む。「じゃあ、早速行きましょうか。遅刻と、嘘は、商売の敵ですからね」
三人は、櫻蘭館の門に向かう。星座の、白いワンピースが、ふわふわ動く。
今日の星座は、昨日と全く同じ服装だった。勿論着替えているが、デザインは全く変わらない。彼女は、服を着替える事に、全く興味がない。髪型も、もの心ついた時から、全く変えていない。ただ、昨日と違うところは、バスケットを持っていない事だった。今日は、執事の目羊がいる。彼が、館の中で管理をしていた。
「今日は、お呼ばれされていたんです」歩きながら星座は喋る。彼女が先頭。二人が後方を歩いている。「柳家のお嬢様、月深さんに」
「柳家は、どういった家族構成なのでしょうか?」樫木は星座に聞く。
「まず、ご両親のお二人。奥様の柳麒麟さんと、ご主人の柳鉄太朗さん。長男の司さん。長女の月深さん。この四人」
「あら、興味があるの、樫木くん」茶話矢は首を傾けながら言う。
「だって、この館ですからね。もうなんでも知りたいって感じですよ」
「へー、なんか珍しいね」
「星座です」星座は門の右横にあるインターホンを押す。「茶話矢花屋店の方と一緒です」
「ああ、どうぞどうぞ。お入りになって」インターホンの中から声がする。
「さあ、行きましょう」星座は微笑む。「少し、大変そうですが」
「速く終わらせたいな」茶話矢は呟く。
「大変そうって? なにがです?」と樫木。
「私、勘が良いのです」
「はあ」
「恋の予感です」
「恋?」
「気をつけた方が、いいかもしれません」
「え?」樫木は目が点になる。
「なになに、星座ちゃん好きな人でもいるの?」茶話矢が不思議な顔で聞く。
「あ、鍵が開きましたよ」




