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茶話矢は、樫木とともに、茶話矢花屋店のベンチに座っていた。
目の前には、丸い滑り止めが掘られている坂。問題の、生首が転がっていた坂でもある。事件が起きてからは、茶話矢はその坂を見るだけでも、寒気がしたものだが、今では歩けるまでになった。人間はこうして、色々な事に平気なっていくんだなあと、茶話矢は人しれず感心していた。
左横には、樫木少年が、麦茶を飲みながら座っている。最早お馴染みの光景だ。なんだか、高校の頃の友達よりも、この頃会っている気がする。気のせいだろうか? しかし、この前の事件の帰り、あれは一週間前程だっただろうか? あの時の記憶を、全く彼女は覚えていなかった。いや、全くという分けではなかったが、回転寿司屋の後半からが特に、記憶が刷りガラスに覆い隠されたかの様に、不透明になっていた。気づいた時には、後部座席で、一人寝ていて、前の助手席には、樫木がいた。幾らなんでも、相手が純情な高校生だったとはいえ、不注意な行動だったと、今更ながら反省。しかし、妙に楽しかったのだけは、覚えていた。たまに、自分はついついハメを外してしまう事がある。リミッターと言った方がいいだろうか? とにかく、もっと自重せねばならない。ただ、それにしても、何故ああなったのだろうか。それは、全く覚えていない。そう、全然。うーん。
「あれ、なんですかそれ?」横にいる樫木は、茶話矢に向かって首を傾げた。「耳の上にある、えーと、鉛筆ですか?」
「ああ、うん、これ、昔の癖でね」茶話矢は頷く。「えーと、さっき、クロスワードパズルやってたのよ。で、私、テストとか、そういう鉛筆使う時って、耳に挟んじゃうのよ。あ、ちなみに、私シャーペン嫌いなのよ。あれ、なんか書きにくいんだよね」
「なんのクロスワードやっていたんですか?」樫木は聞く。
彼は、今日もいつもの学ランを着ていた。ちなみに、茶話矢も、ジーパンに刺繍が入った白地のTシャツ、その上に薄ピンクの特製エプロンと、いつも通りの格好だった。
「えーとね、テレビ関係。雑誌の裏にいてたやつ」と茶話矢。「暇つぶしってやつ」
「なんか、競馬予想中の人みたいですね」樫木は微笑む。
「なによ、それ、もう」茶話矢は樫木の肩を軽く押しながら微笑む。「あ、そうだ、樫木くんさあ、反射神経とかいい方?」
「うーん、そうですね、少しはある様な気も、ない様な気も」
「んもう、どっちなのよ。じゃあ、あるって事ね。えーと、右手出して」
樫木は右手を出す。
茶話矢は、その樫木の手の上で、削られている部分を上にし、鉛筆を持った手を固定させる。
茶話矢と樫木は、ベンチの上で、自然と向かい合っている形になる。
「えーと、これ、いつ離すか分からない、ってやつですか?」樫木はか細い声で言う。
茶話矢はうんうん頷く。「樫木くん、昔休み時間とかにやらなかったぁ?」
「うーん、いえ、やった事ないかもです。あのー、これ、掴めばいいんで」
と、
樫木が喋り終えるのを前にして、茶話矢は、鉛筆から手を離した。
緑色の、影が、残像を残して、一瞬で落ちていく。
「とっ」樫木は、軽く鉛筆を握りしめた。
「おーっ、凄い、鉛筆の上の部分がまだ全然あるっ!」茶話矢は顔を近づけながら拍手をする。「樫木くん、反射神経いいんだねえ」
樫木は、鉛筆の一番下の部分を握っていた。「あ、実は、僕、小学生の時だけ空手やってたんですよ」
「えー、それホントっ? じゃあ、樫木くん、格闘家じゃん」
「じゃあ、樫木さんは、茶話矢さんのナイトですね」
「う、うわっ、なにしてるんですか、星座さん」
「ごきげんよう」星座は上品な微笑みを二人に向ける。星座は、樫木のすぐ左横に隠れる様に座っていた。
「そうよー、星座ちゃん。私も気づかなかったわよ」茶話矢は心臓を押さえている。「もう、驚かないでよ」
「私、普通に登場できない性格なんです」
「それ、性格なの?」茶話矢は笑いながら言った。「それにしても、星座ちゃんお久しぶりね」
「お久しぶりです。最近暑くなってきましたね」星座は日傘をたたむ。彼女の服装も、二人と変わらず、いつもの白ワンピースに、白い貴族帽子というスタイルだった。「海行きたくなりません? こういう時」
「うんうん分かる」茶話矢は頷く。「いいよねえ、海の家とかさ、最高だよ、フフ」茶話矢は顔を両手で押さえる。
「えっ? そんなに好きなんですか、茶話矢さん」
「あたぼうよっ。俺っちを誰だと思ってんだい!」何故か江戸っ子口調。「海といえば海の家っ。海の家といえば、海の家っ!」
「えーと、それ、結局海の家じゃないですか」
「今度、私、海へ行く事になっているのですけど」星座は二人を交互に見ながら言う。「でも、私泳げないのです」
「えーっ、勿体ないよう、それ」茶話矢は身を乗り出す。「星座ちゃん、今度一緒にプールで特訓しよう」
「浮き輪を持っていきますわ」星座は微笑む。「私、プカプカ浮いているのが好きなのです」
「あ、ちょい待ち、星座ちゃん」茶話矢は店の方向へ振り向く。「ちょっと、電話鳴ってるから、出てくんね」
店の奥から、聞き慣れた電子音が聞こえてきた。足早に茶話矢は店へと向かう。
茶話矢は、電話に向かいながら、ふと思い浮かべた。白いワンピースの水着を着て、浮き輪を乗っている星座。うーん、ロリータ全開。




