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庭園での、衝撃的な、バラバラ殺人事件から、一週間が経とうとしていた。
六月八日。金曜日。
夕張は、ここ二週間、休みをもらっていなかった。刑事には、こういった事がよくある。しかし、よくある、というだけで、三ヶ月に一回とか、半年に一回とか、そういった頻度で、ある分けではない。これは、昔、先輩から聞いた話なのだが、警察だけに限らず、事、会社、組織というものは、ある時期に、人手が足りなくなる瞬間、というものがあるらしい。そういう時は、休み等もっての他で、とにかく働かなければいけないそうだ。夕張も、そういう経験が、事実、なん回かあった。だから、この説は、正しいと思う。時期的には、やはり、入れ替わりが激しくなる、四月、五月が多い。また、周りが、この状態になると、この場所やこの会議にこの人がいないとどうにもならない、という負の連鎖が起きて、それが、やがて、体調を悪くし、作業効率を低くし、そして、更に更に休みがなくなるのだろう、と、ぼんやりと、彼は経験則からそう今のところ、そう結論を出している。だが、結論を出したところで、どうにもならない。何故なら、それが、仕事だからである。この一言で、世の中の大抵の矛盾は、無になる。ある意味、仕事とは、魔法の事をいうのかもしれない。
この一連のバラバラ殺人事件の報道は、他の事件と比べて、かつてない規模だった。無理もない。夕張は、どちらかというと、客観的な視点を持てない人間だ。自分で、それを自覚している。だが、その点を差し引いても、これだけセンセーショナルな、事件も、珍しいだろう。人々は、いつの時代も、どんなものでも、こういった、恐怖や、刺激を求める。
報道は勿論、ある程度、規制されていた。被害者の身元や場所や、殺害時刻等は伝えられたが、逆にいえば、それ以外は、ほとんど伝えられていない。特に凶器や、死亡理由、動機等の、犯人しか知り得ない情報の様なものは、完全にシャットアウトされていた。よって、その内容は、被害者の身辺の情報や、最近の犯罪傾向(ゲームに影響されたとか、起こる大人がいなくなった、近所つき合いがなくなった)、また、過去のバラバラ殺人事件と照らし合わせた、いってみれば、時間潰しみたいなものが、ほとんどだった。だが、人々の関心が、ある事に、変わりはない。新聞、テレビ、ラジオ、インターネット、様々なコンテンツで、この事件は伝えられ、今も、ほとんどトップ記事扱いである。
警察は、六月六日、水曜日、午前十二時から、柳司を、殺人犯の、重要参考人として、指名手配をした。
三人目の被害者、畑加々美(庭園で発見された被害者)の衣服から、柳司の指紋が、検出されたからである。
これは、進展が全くなかった捜査本部の人間にとって、非常に価値が高い証拠、また、柳司を、容疑者(正確には被疑者だが、言葉の意味は同じ)として、テレビ等に、顔写真を公開する、後押しとなった。
全国の警察、交番には、既に、マスコミより先に重要参考人として、柳司は指名手配されていた。一般には公開されたのは、二日前が初となった。
この、一般に公開される、スピードは、異例だったといえる。
しかし、当然といえば、当然かもしれない。柳司以外、関係者全員にアリバイがあった。また、凶器の跡が一致した為、同一犯。更に、被害者に共通点はない。おまけに、捜査場に上がっている証拠は、柳司がやったと示しているものしかない。更に駄目押しで、無差別バラバラ殺人事件という、国民の危険が晒される事件。この全ての要因が、収束して、この様な速さでの、一般公開になったのだろう、と夕張は本部の判断を推測した。また、逆をいえば、これ以上時期をズラすと、マスコミに叩かれるという、後ろ向きな側面もあったかもしれない。いや、きっと、それはでかい筈だ。マスコミは、簡単に、国民の安全を守る為と言う。それは、間違ってはいない。だが、あくまでも、責任を取るのは、公開した警察だ。もし、間違っていたら、一人の人間の人生に関わる事だ。まあ、微妙な問題だから、これ以上は、とやかく言うまい。正義は、結果で変わる。最善を尽くすしかない。
夕張は、久し振りに真面目な事を考えている自分が、少し可笑しくなった。
周りを見渡す。全国チェーンのどこにでもある、ファミレスに、夕張はいた。あまり客はいない。昼の三時だからだろう。夕張は、昔、ウェイターとして、働いていた事があった。こういった、所謂客が来ない時間をアイドルタイム、略して、アイドルと言っていた。懐かしい。そういえば、年上の社員さんと、つき合った事があったなあ、と、窓の景色を眺めながら、懐かしい思いが蘇った。
今、夕張がいる席は、窓際の席で、よく下が見える。ビルが、横に縦にと、競争する様に、建ち並んでいる。見た事のない、コンビニが、一件。弁当屋が一件あった。街は、どうやら変わっているらしい。自分は変わっただろうか? 二十歳の頃から、あまり変わっていない様な気がする。気のせいだろうか? 多分、半分半分くらいかも、と、思う。
三崎との待ち合わせは、三時だったのだけど。
時計を見ると、もう三時十五分。まあ、刑事という職業柄、時間ピッタリに到着出来る人間が、この世界では、実は、まれである。特に、待ち合わせが同業者だと、つい、気が緩み、余計に遅くなってしまう。例えば、階段を走らない、とか。そういえば、前の彼女と別れた原因が、これだったな、と、夕張は、またフラッシュバックの様に昔の記憶が蘇ってきた。そりゃあ、愛想を尽かされて当然だったよなあ、と、一つ溜息。
いかんいかん。
悪い思い出を忘れる為にも、事件について、考えよう。いや、それが決してメインではないのだが。
そういえば、あれから、あの、女神の様だった、掌星座さんと会っていない。
だが、夕張は、なん度か、星座に電話はかけた。三崎にしつこく言っていたら、ようやく、星座への連絡係を、回してくれた。勿論、全て事件の捜査状況の報告だ。だけど、西瓜の種だって、地面に植えれば、目が出る筈だ。きっと。場所とか、季候によるけれども。 夕張は、ドリンクバーで入れたコーラを、一口飲んだ。
頭の中を、少しずつ整理する。
「えっとぉ、星座さんに、どんな事を話したっけ」夕張は、独り言を呟いた。
まず、三人目の被害者、畑加々美から、睡眠薬が、検出された事を星座に話した。やはり、検死官の、言った通りだった。また、死因は、正確には出血多量だった。また、第三の事件で、一つ、分かった事があった。それは、畑加々美は、殺されてからあの庭園に吊された、という事実である。壁の血の濡れ方や、遺体の、時間経過からそれは分かった。だが、何故、移動されたのかは、今もって全く分かっていない。凶器についても、以前見つかっていない。おそらく、もうこの世には、あるまい、と夕張は思う。
聞き込みも、まるで駄目だった。不審人物、そして、柳司の目撃情報も、全く出てこない。また、事件の関係者も、怪しい行動は、この間、全くなかった。ただ、変化といえば、柳鉄太朗が、病院から、退院した事ぐらいだろうか。事件があった二日後には、家に戻っていた。本当は、次の日でも、戻れたそうだが、念の為の療養だった様だ。
「こんなところだったかなあ」
夕張は、コーラを全部飲みほした。
時計をふと見てみる。現在、三時三十分。
いつもだったら、この辺りで来てるんだけど、と、彼は、窓の外の景色を眺める。
その時、テーブルの上で、振動音が、聞こえた。
携帯電話の、バイブ音である。
着信は、三崎からだ。
夕張は、すぐ電話に出る。
「はい、夕張です」
「すまん、三崎だ。遅れて申し訳ない」
「いえ、大丈夫です。三崎さん、今どこですか?」
「そっちに行けなくなった」
「え?」
「本部から連絡が入ってな。ついさっきだ」三崎はすぐ言った。「柳鉄太朗と、柳司の、遺体が、発見された」




