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「お嬢様、遅れてしまって申し訳ございません」
「目羊は、なにを飲まれます?」
「では、ウーロン茶を」
星座の前に、一人の老紳士が立っていた。
どこからどう見ても、執事。どこからどう眺めても、執事。そんな風貌だった。黒いスーツに、灰色の蝶ネクタイ。銀縁眼鏡に、頭の上は白い髪。鼻の下にも、白い髭。その、優しそうなフェイスは、奥様方のハートを、鷲?み。渋い。だが、その格好は、まるで、マンガの中から、出てきた様なシルエットだった。たまに、本当に出てきたのではないかと、心配になる。ちなみに、これは、星座懇親の、ギャグである。
「目羊、いつも思うのだけど、あなた、俳優に、向いているんじゃないかしら?」
「いえ、お嬢様程では」目羊は微笑んだ。
「あら、そんな事言っても、私は運転しませんわ」星座は、薄茶色になった肉を、一枚食べながら言った。「ウーロン茶で我慢なさって」
「ご明察でしたか」目羊は頬を掻いた。
目羊は、星座の家の執事である。星座は、本来ならば、外出の際は、ほとんど目羊とともに行動しているのだが、今日は目羊の、母校の同窓会があった。五時頃まで、櫻蘭館にいたのだが、六時からの同窓会の為、途中で館を抜け出していたのだった。ちなみに、アリバイは完璧。櫻蘭館のパーティの手伝いの為、朝から午後四時程まで、買い出しに出かけていたのだ。よって、簡単な質疑応答だけで、彼は済んだ。もし、事情聴取が入ってしまっていたら、同窓会どころでは、なかったであろう。
「早いのですね。お帰りが。だって、同窓会なのでしょう?」
「もう、そんな、騒ぐ歳でもございませんから」目羊は、靴を脱ぎ、荷物を壁際に置き、星座の向かい側に座った。下は畳。この部屋は、個室なので、喧噪はない。黒いテーブル。黒い天井。落ち着いた照明。星座は、割と、この店がお気に入りだ。値段が安い代わりに、予約が入らないし、メニューがいっぱいあって、美味しい。
「茶話矢花屋店の、お手伝いも、ありがとうございます」
「いえいえ、とんでもございません」微笑む目羊。
そう、茶話矢花屋店の、仕事。これは、あの事件の影響で、キャンセルの筈だった。だが、麒麟が、折角茶話矢が持ってきてくれたという事で、当初の館の中の庭園ではなく、大庭園に運ぶ事となった。しかし、茶話矢まやの体調が優れなさそうに見えたので、星座が、四時から五時の、目羊が手を開いた時間を使い、その仕事を代わりに手伝わせたのだった。「大庭園は、いつ見てもお見事ですな」目羊は、天井を見ながら呟く。「屋上も、一度拝見致しましたが、非常に壮麗な眺めでした」
ここで、店員が、メニューを持ってくる。
星座は、ウーロン茶と、目羊の分のメニューを数皿頼んだ。
「しかし、残念ですな」目羊は下唇を横に広げる。「折角の、パーティが、台なしになってしまいましたな」
「ええ、本当に」星座はカルビを一口。「本来は、もっと招待客が来る筈だったみたいですね。でも、お昼に事件があったから」
「確か、鉄太朗様の、出版記念パーティだと聞き及んでおります」
「ほら、目羊も食べなさい」星座は、まだ使っていない小皿を目羊の前へ置く。「ほら、この牛タン、これが特にオススメです。あなたの為に取っておいたのですよ」
「光栄でございます」目羊は、タレを小皿にかけ、箸を割る。
「先程、刑事さんと電話でお話したのです」星座は、ロースを口に運びながら言う。「川で発見された被害者について、詳しくお聞きしました。その後、坂で発見された被害者、そして、先程の庭園で発見された被害者の、お話も詳しく話してもらいました。今のところ、三人に、共通点はありません。更に深く調べる様、一応、お願いしておきましたが、どうなるか分かりません」
店員が、「失礼致します」との声とともに、扉を開けた。ウーロン茶と、数皿のメニューが、運びこまれる。カルビと、ハラミ、ホルモンが主に上にのっていた。
「ウーロン茶一つ、追加お願いできる?」星座は店員に言い、すぐさま目羊との会話に戻る。「それぞれの殺人事件の際の、容疑者全員のアリバイもお聞きしました」
「警察は、同一犯人と疑っているのですか?」
「三件とも同じ凶器が使われています」星座はカルビを網にのせる。「同一犯でなければ、説明がつきませんからね」
「あ、お嬢様」目羊は言う。「この牛タン、少し味が薄いかもしれませぬ。これは、不幸中の幸いでございました。お嬢様の口に入れられるものではございません」
「そう。待った甲斐があったわ」
「はて」目羊は首を傾げた。
「二人目の被害者、つまり、坂の上から首が落ちてきた事件」星座はまたカルビを一枚食べる。「この時、館の全員、アリバイがあったそうです。その時もパーティをやられていました」
目羊は、煙で、眼鏡が曇る。「また、パーティですか?」眼鏡を外し、灰色のハンカチで拭く。「ふむ。少々怪しいですな」
「でも、証拠がないのです。この事件には、とにかく証拠がなに一つないのです」星座は、箸を止めた。「唯一、第一の事件には証拠があります。ただ、第二、第三の事件には証拠がありません。アリバイも、そう。柳司のアリバイは全くないのに、他の容疑者のアリバイは、ほぼ全てある。明らかに、これは普通ではありません」
「うーん、なんだかこんがらがってきましたな」
「凶器も、まだ見つかっていないのです」星座は下を向く。「もし、凶器が見つかれば、それが、最大の証拠となる筈でしょう」
「そうでございますな。全ての事件を繋ぐ、唯一の条件ですからな」
星座は顔を上げた。「もし、この事件が、別々の凶器を使っていたならば、こんな複雑にはなっていない筈です」
「その凶器は、確かに、複製不可能なのですか? もしかしたら、同じものが二つあったり等、しないのでしょうか? もしくは、検死官がなにかしらの理由で、嘘をついている、また、誤認しているという可能性は?」
星座は首を振った。検死官または検死官は、なん人もいるし、絶対に共犯ではない。情報も、確実なものだ。また、切り口の特殊な形状から、市販のものではない事が分かっている。通常、こういった遺体の切り口から、凶器の細部までは無理だが、大体の形状は、特定できる。最近の捜査では、ナイフや、切断機等、以前に検死した切り口ならば、記録が残っているものは、大雑把にだが判別出来る様になっているからだ。だが、今回は全くできなかった。つまり、今回の切り口は、日本の検視歴史上、記録を取ってから、初めての切り口という事になる。
「それに、第二の事件の被害者の、首以外の部分が、未だ発見されていません」
「ううむ」
「また、最重要参考人である、肝心の、柳司。彼の行方が、未だ分かっていません」
「そういえば、鉄太朗様の、容態は、ご回復されたのですか?」目羊は聞く。
星座は頷く。「明日には、退院できるそうです」
定員が、部屋に入ってきた。星座のウーロン茶が到着。
「私は、充分食べました。あとは、目羊、あなたが、お食べなさい」
「お嬢様、なにかデザートは頼まれますか?」
「アイスがいいかしら」星座は微笑んだ。「頭を冷す必要があります」
彼女は、ウーロン茶が入ったコップを、額に当てた。少し水滴がつく。
目の前が、一瞬、茶色に染まった。




