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アジサイ笑って、走って逃げた  作者: お休み中
第一章 すってんころりん
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 茶話矢花屋店は、非常に小さい店である。店内の面積は、コンビニ程しかない。しかも、コンビニといっても、駅前のコンビニだ。店内で花を見ようとすると、人が行き交う時に、向かい側の人とぶつかってしまう事が、多々ある。とにかく狭いのだ。

 また、地元に密着、否、地元に接着している程の、ご近所つき合いを大事にしている店なので、正面の扉から見て、二メートル程左の位置に、木で出来た、簡易ベンチがあった。待合室の様な、もの、休憩場の様な、役割だと思ってもらってよい。森林公園に、よくある形状。花を、用意している間は、大体皆ここで待っている。そこで、井戸端会議という名の、世界一ざっくばらんな会議が、行われたりする分けだ。

 店先には、たくさんの花があった。樫木は、花の種類については、全く詳しくない。樫木にとって、花は全てが白色のジグゾーパズルに等しい。茶話矢と花の話題で盛り上がる為に、一時期は、勉強しようと思ったが、実際に花に詳しくなりたい分けではないので、それはしなかった。気になった花の、花言葉や、特徴を、樫木が茶話矢に聞き、茶話矢が樫木に教えてくれるという、この一連の流れが、二人の会話のデフォルトとなっていたので、特に必要がなかったともいえる。ただ、樫木は、毎回茶話矢に花の知識を教えてもらっていたが、その内の二割も覚えていなかった。というか、茶話矢との会話で、それどころではなかった、といった方が正しいかもしれない。

 現在、坂を下りきった樫木は、茶話矢花屋店の、入り口にいる。左手には、紫色の、掌サイズのヒマワリの様な、紫色とピンク色の花が何本かあった。トランペットの湾曲部分の様な淡い緑色の花瓶に入っている。その横には、折り紙の鶴を上から見た様な、白い花が、同じ花瓶に何本もささっていた。その他にも、数多くの花が。色は、黄色、赤色、と、色見本の様にバラバラになっており、どうやら色重視で、ここにはディスプレイされている様だ。

 右手を見ると、アルミの四つの棒に、茶色の木の板が三段取りつけられているラックがあり、そこに、既にセットになっている花が幾つか売ってあった。それぞれ、下から上にいく程、本数と色が増えている。大抵、客からの注文は、既にセットになっているバスケットに入っているもの等を除いては、店員が見繕う事が多いというのを、以前彼は茶話矢から聞いた事がある。そういった際の見本だろうか? と、彼は考えた。

「茶話矢さーん」樫木は、ドア付近で、郵便配達員の様な声を出した。

 大きい硝子戸が、今は大きく開かれている。中は、先程の入り口付近よりも、五割増し程、様々な花で賑わっていた。先程の入り口の前が、コンサートでいう二階席だとすると、こちらはアリーナ席とでもいうべきだろうか? やけに、背の高い花が目につく。樫木の正面には、まるでジャングルの疑似映像を、そこだけ映し出したかの様に、大きく、そして上に伸びている花が、集まっていた。妖精が船に使えそうな、大きな葉っぱがついたもの、また、線香花火のピーク時の火花の様なもの、はたまた、仮面舞踏会の際に顔につける蝶みたいなマスクみたいな花びらのもの。一つとして、同じものがないのではないかと錯覚するぐらい、様々なものがあった。おそらく、大きいものや、棚に入らないものは、真ん中に集めているもの、と思われる。甘く、柔らかい匂いが、鼻を刺激する。もし、匂いを、サーモグラフィーの様に視覚する事が出来たなら、おそらく、樫木の目の前は、七色のうねりがドライアイスの様に、山頂から見下ろした雲の様に立ち込めていた事だろう。

「ちょっと待っててぇー」奥から、オペラ歌手の様に高い声が聞こえてきた。「今、ちょっと、外せないから、樫木くん、店番しててー」

 じゃあ、今まではどうしていたんだろう? と、樫木は考えたが、この様な不条理は、この店及び、茶話矢まやは日常茶飯事なので、全く気にしなかった。むしろ、こんな事で気にしては、それこそ、胃潰瘍になるか、頭に十円はげが出来るか、とにかく、体に異常を来す事は間違いない。まだ、これでも、序の口だろう。

 樫木は、茶話矢が出てくるまで、左右にある硝子ケースの中の花を眺めた。

 この店は、一歩店内に入ると、先程の大きい花のコーナーがすぐ見え、左右に、コンビニの飲料コーナーの様に、硝子ケースの中に、花が飾られている。敷地が、狭いので、必然的に、ケースの中の、密集度は、高い。右手奥に、レジがある。勿論、今は誰もいない。レジの少し左に、茶話矢家に通じる、木の枠で出来た、磨り硝子の引き戸がある。茶話矢家は、そこから奥のスペースと、二階が住まいなるのだそうだ。

「じょうろ、じょうろ、じょうろくん」茶話矢は、鼻歌を歌いながら、引き戸から出てきた。「でもさ、実際にじょうろなんて、使わないけど、あるだけいいよね。うん、イメージ出る。フッフッフッ。ほら、どう? どうさね?」

「そ、そうですね」樫木は、レジの上にある、緑色の象を見た。「でも、そこに置くと、レジをする時に困るのでは?」

「どうせ誰も来ないからねー」茶話矢は、笑いながら言う。「でもさ、なんか、これって凄い良くない? ていうか、なんかさ、これ見ると、昔の子供番組思い出さない?」

「おっはー、ってやつですか?」

「そっちじゃないんだなー」茶話矢は右手の人差し指を、左右に振る。「ほら、緑のカバみたいなやつとか、赤いモップみたいなやつが出るやつだよ? 知ってる?」

「うーん、ちょっと、分からないですね」

「ああ、私も歳をとった」茶話矢は、両手で目を押さえ、しくしくのポーズ。「ジェネレーションギャップってさ、どこら辺で、たくさん現れるんだろうね? あれかな、アイドルとか?」

「う、うーん」天井を見上げる樫木。

「あっ、ごめん。私、お茶の一つも入れてなかったよ。持ってくんね。ちょっち待ってて」

「あ、おかまいなく」

「おかまいされるのっ」茶話矢は、両手を腰に当て、前のめりの体制で片目を瞑りながら言った。「若者の特権は、遠慮しない事と、夢を見れる事! 君は、夢を見なさそうだから、せめて、遠慮だけはしちゃ駄目さねっ。じゃないと、人生、楽しめないぞっ」

 茶話矢は、そう言うと、奥に入っていった。樫木は、今の僕の夢は目の前にあります、という、実際言ったら、さぞや気持ち悪い台詞を、心の中だけで秘密裏に唱えながら、店前にあるベンチに向かった。茶話矢と一緒になにかをを飲む時は、ここで大体、日に当たりながら、飲むからである。

 茶話矢まやは、ベージュ色のズボンに、白い柄もののTシャツ、そして店オリジナルのピンク色のエプロンという服装。ただ、ピンク色といっても、少し色あせて、ややサーモンピンクに近い。生地の真ん中に、黄色い四角のプリントがあり、その中には、茶話矢花屋店をローマ字にした、白い明朝体がプリントされていた。茶話矢の髪型は、少し栗色がかった、短い二つのお下げ。いつも、そのお下げを、肩の前側に垂らしている。前髪は、目にかかる程度。背は、小さくも大きくもない。百六十センチ程だろうか? 見た目は、図書館にでもいそうなというか、国語の教師というか、料理教室にでも通っていそうなどちらかというと落ち着いた印象なのだが、実際の性格は、その逆だと、樫木は認識していた。茶話矢は、現在、二十三歳。どうやら、このまま家の花屋を、継ぐ様だ。この前、樫木は本人から聞いた。家の仕事は、高校を卒業してから、ずっとしているらしく、もう相当慣れているらしい。茶話矢の父は、仕入れに行っている事が多く、母は母で、近所にお出かけをする事が多いらしく、もう実質、このお店の現場の管理は、茶話矢に任せられている様だ。自分の姉と、ほとんど歳が変わらないのに、凄いな、と、樫木は毎回来る度に思う。

 しかし、先程の自分の応答は、非常につまらないものだったと、樫木は、特許を出し忘れて権利を持っていかれた研究者並の、後悔の波に、現在飲み込まれていた。相槌しか打っていないのでは? と、改めて振り返ると、体たらくな自分の会話能力に暗澹とする。

 樫木は、木で出来た焦げ茶色のベンチに腰かける。太陽が、あざ笑っているかの様に、光線を放ってくる。いいなあ、太陽は、明るくて。と、不毛な事を、樫木は考えた。

「麦茶だよー」茶話矢は、樫木の左隣に座った。店側に近い位置である。茶話矢は、麦茶入りの円柱の形をしたコップを、片方樫木に渡す。「もうすっかり夏だよねー。いやー、暑い。暑い。プール行きたいねー」

「今日は、親御さんは、いらっしゃらないんですか?」樫木は聞く。

「いないいない。ほったらかしだよ。もう、やんなっちゃうよ」茶話矢は、麦茶を一口飲んで続ける。「えーとさ、前樫木くんに言ったけ? 私、そんな花って、大して無茶苦茶好きって、感じじゃないんだよね」

「え? そうなんですか?」初めて聞いた情報である。「そんな感じしないですけど」

「まあ、だからといって、別に、嫌いって分けでもないのさよ。でもね、仕事って、大抵、多かれ少なかれ、そんなもんだよ、みんな」

「そんなもん、ですか」

「そんなもん」茶話矢は続ける。「本当に好きな仕事に就ける事が出来る人なんて、ほんの一握り。みんな、現状で満足してしまう。というか、私、この頃気づいたんだけど、大人になるって、鈍感になる事だと思うんだよね。ちょっと、話変わるんだけどさ」茶話矢は少し微笑む。「うーんと、私は、OLやった事ないから、詳しい事はよく分かんないんだけど、でも、同級生は、みんなそんな感じの事言ってるよ。人づき合いとかさ、出世とか、異動とか、色々ある分けだ。ねえ? そこに、社内恋愛なんかが絡んだ日にはさ、私の脳内、一体全体どうなっちゃうの、っていう話だよ、本当。まあ、だから、いや、だからという分けでもないんだけどさ、社会に出ると、人生の硝子を、透明のものから、磨り硝子にしないと、やってられないんだな、これが」

「茶話矢さんは、他にやりたい事あったんですか?」

「小説家」茶話矢は即答した。「君と同じ」

「マ、マジっすか?」樫木は麦茶を吹き出しそうになった。「初めて聞きました」

「だって、初めて言ったもん」

「どんなジャンル書かれていたんですか?」樫木は、冷静な振りをして聞く。内心、心臓の鼓動は、壊れたメトロノームの様になっていた。

「ミステリーだよ。樫木くんと同じ」

「か、かなり、衝撃的な告白ですね」

「恥ずかしいもんよ」茶話矢は、微笑みながら言う。「夢に失敗した事って、人にすぐ言える人っているけど、私は駄目。特にさ、小説家なんて、ヤクザな商売じゃん。無理無理。私の辞書には、ないって、そんなん。ああ、今でも恥ずいなあ、うん。なんか、奥の手出しちゃったって感じ? ま、まあまあだからさあ、私は樫木くんを、大手を振って応援している分けよ。うん。やっぱさ、自分の夢も、会わせて叶えてほしいっていうか、いや、別にプレッシャーとかそんなんじゃなくて、なんていうんだろうな、あっ、いい言葉を見つけたぜ、私ってばさ、そう、後悔してほしくないんだな。うん、後悔してほしくない。別に、私が後悔しているって分けじゃない。でも、後悔していないか、って聞かれたら、嘘になるかもしれない。いや、矛盾してるんだけど、うーんとね、やっぱ、もっと全力で書いていたら、どうなっていたかなって思う時は、少しはある分けよ。まあ、今から目指すかって、聞かれたら、もう今はいいかなって思っちゃっている自分もいるし、現実に、才能の問題もあれば、ねえ? つーか、なんだろう? 必ずしも、夢を叶えるだけが、幸せじゃない、って今は思うし、さ。言い訳かもしんないけど、でも、そう思う、かな、今は。ていうか、一言でねえ、うん、数年間のあっちやこっちやの心の流れを、数分にまとめる事が、土台、無理な話なんだけどねえ。で、まあ、とにかく、だ。頑張ってよ、樫木くん。うん、頑張れ、お姉さんは、応援してるぞ」 

 樫木は、涙が出る程嬉しかった。いや、もしかしたら、自分が気づかない間に泣いてしまっていたかもしれない。まさか、自分が目指している夢が、意中の人と、過去の話とはいえ、同じだったなんて。樫木は、数年前から、ミステリー作家を目指している。既に、三作品程、出版社に送っている。その内、二作品は、既に落選だったが。樫木は、普段、自分の夢の事は、滅多に言わないが、茶話矢には言っていた。

 しかし、これで、樫木が今まで思っていた一つの疑問が、解消された事になる。

 それは、何故花も買わなければ、花に興味もさほどない、一介の男子高校生の話相手を、茶話矢はここまでしてくれているのか、というものだった。最初は、この近所に昔から芽生える、井戸端会議の一貫というか延長の様なものだと、樫木は考えていたのだが、どうやら大局的に見ればそれは違っていた様だった。そういえば、樫木が最初この店に訪れた時(樫木は随分前から、茶話矢の事が気になっていたが)茶話矢は、店の引き戸を開け、そこで本を読んでいたのだが、その本がたまたま樫木の好きなミステリー作品で、その話をした事があった。そうか、あれがきっかけだったのか、と、樫木は、今更ながら気がついた。小説家の夢の事は、その時に話したものだ。

「私の事は、どうだっていいからさ」茶話矢は、頬を掻きながら言う。「今樫木くんは、どんな小説を書いているんだい?」

「ん、んーと、そうですね」

 樫木は迷った。

 それは、ミステリー小説はあらすじを他人に紹介するのが難しいから、という理由ではなかった。

 人は、恋をすると、自分の事を知ってほしいタイプと、相手の事を知りたいタイプ、大きく二つに別れる。

 樫木は、後者だった。

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